不動産売却の基礎知識や知っておきたいコツを分かりやすく解説します。売却の体験談もご紹介。

買ってくれるなら誰でもいいわけじゃない。梅宮アンナさんが「父の愛した家」を手放すまでの葛藤

2019年12月に父・梅宮辰夫さんを亡くした梅宮アンナさん。「父が大切にしていた家を受け継ぐことが供養になる」と、東京の賃貸物件を引き払い、辰夫さんが35年以上前に建てた神奈川県真鶴町の別荘に移住しました。

ところが暮らし始めてみると、年間約190万円にのぼる維持費、快適に暮らすためのリノベーション代、終わりが見えない修繕にかかる費用など、厳しい現実があったといいます。

アンナさんの最終的な決断は「家じまい」。相続から家の売却という結論に至るまでの経緯、思い入れのある家を手放した今の気持ちを聞きました。

亡くなった後に“親の全て”を知ることへの葛藤

――2019年12月に父・梅宮辰夫さんがお亡くなりになりました。相続は「悲しむ暇もないくらい大変だった」そうですが、振り返ってみて、どんな期間でしたか?

梅宮アンナさん(以下、アンナ):大変でしたけど、泣く時間もないことが結果として救いになったなと思います。Instagramに「今の忙しさは悲しみに暮れないためのものです」ってコメントをくださった方がいたのですが、納得しちゃいましたね。

最初は「私だって悲しいのに」って、罰ゲームみたいな気がしていたけど、毎日のように役所に行ったり手続きをしたりと動き回っていたことで、かえって前に進めたなと思います。あのとき泣き崩れていたら、心を病んでしまったかもしれません。

「人はみんな、いつかは死んでしまう」と自然と思えるようにもなって、気付けば悲しみに溺れることはなくなっていました。

――相続に奔走した期間は、どのような日々だったのでしょうか。

アンナ:税理士さんから「相続税は親が亡くなってから10カ月以内に申告・納付をしなければいけない(編集部注:法律上は「被相続人が死亡したことを知った日(通常の場合は、被相続人の死亡の日)の翌日から10カ月以内」)。一刻も早く取りかかってください」と連絡がありました。最初は10カ月もあるから余裕だと思っていたけど、走り始めたら結構焦りましたね。

とにかく書類が必要なんですよ。相続の手続きには家族(相続人)全員の戸籍が必要で、うちは母(クラウディアさん)がアメリカ人なので別途書類が必要だったり。役所に何度行っても終わらない。

一番驚いたのは、父が生まれてから死ぬまでの間の全ての戸籍を取らなくてはいけないということ(編集部注:相続の方法や内容、金融機関によって必要となる書類が異なる場合があります*1。父が独身の頃の本籍地がどこだったかなんて知らないじゃないですか。

幸い父は芸能人で『ファミリーヒストリー』(NHK)という人生の足跡をたどる番組に出演したことがあり、番組関係者から詳しいことを教えてもらえて本当に助かりました。

――ほかに印象に残っていることはありますか?

アンナ:銀行口座の凍結です。通常は死亡届を出してから1週間ほどで口座が凍結されるそうですが、うちの場合は12月12日に亡くなって、18日には凍結されてしまって。著名人の場合、亡くなったことがニュースになるから対応が速いのだそうです。

葬儀をはじめ結構出費がかさむので、銀行口座の凍結のことは視野に入れておいた方がいいと思いますね。

あとは、亡くなった後に“親の全て”を知っていかなければいけないことに対して、複雑な思いがありました。相続にあたって、父の結婚歴や、私以外の子どもがいないかなど、全部調べ上げなきゃいけない。でも正直、知らなくていいことだってあるじゃないですか。

うちの父は遊び人でしたから、「絶対ほかに子どもがいるだろうな」と思って、もう覚悟して調べました。この歳になって衝撃を受けるのなんて嫌じゃないですか。結果的には何もなくて、意外と真面目な人だったんだなって思いましたけど。

――相続にあたって知りたくない事実を含め、故人の全てを調べざるを得ないつらさがあったのですね……。全ての手続きが終わるまで、どのくらいの期間がかかりましたか?

アンナ:2020年7月までかかったので、約8カ月です。それでもうちは早い方だったと思いますね。父は「梅宮辰夫」という名前で勝負していた人で、会社を立ち上げていたわけでもなく、法定相続人も母と私と娘の三人だけ。

三人とも欲がなく、もめ事もなかったのでシンプルでしたが、もし『犬神家の一族』みたいに、みんなが故人の財産を狙っているような家だったら大変だろうなと思います。

そういう意味では、自分の親やきょうだい……家族の性格、それをふまえて相続への向き合い方を考えておくのは大事かもしれないですね。もめるのが嫌だからって相続を放棄する人もいるけど、それも一つの方法だと思います。

「築35年以上の4階建ての家」と「700坪の敷地」を管理する現実

――相続した真鶴の別荘についても苦労が多かったそうですね。

アンナ:本当に、それはもう大変でした。父のことは一人の人間として尊敬していたから、父の大切にしていたものを私がすぐに手放すのは違うと思っていて。

というのも、「海の見えるところに家を建てたい」というのは父の若い頃からの夢で、私が16歳のときに真鶴の家ができた当初から、父は時間があれば真鶴に行っていたんです。飽きもせず、海を眺めながらお酒を飲む日々を送っていて。昔からそれだけ思い入れがあったんです。父が人生の最後を迎えたのも真鶴の家でした。

だから家を受け継ぐことが供養になると思って、まずは私が大事にしようと決め、2021年に東京の賃貸物件を引き払って真鶴へ引っ越し、住民票も移して、新たな生活にチャレンジしました。

それはつまり、築35年以上の4階建ての家を含めた700坪の敷地を自分で管理することを意味します。

これまでは父の持ち物だったので余計なことは言わなかったけど、いざ自分が住むとなれば気になるところはいろいろあって。父も最後の方は体力も気力もなかったので、壊れたまま放置されていた部分もたくさん。

もう全財産使ってでも直そうと思って、たくさんリフォームで手を加えました。例えば、外壁。白い家だったんですけど、どうしても汚れるから2年足らずで塗り直しが必要になるのですが、足場を組むだけで100万円かかる。

その結果、固定資産税や光熱費など年間190万円の維持費に加え、リフォームや修繕に約1000万円かかったんです。きれいに直したことがのちの売却につながったので、結果的には良かったですけどね。

――それだけ思い入れのあった真鶴の家を、結果として手放すことに決めたのはなぜでしょうか。

アンナ:2021年のクリスマスに、ボイラーが壊れたんです。新しいボイラーを設置する見積もり額は180万円でした。

そのときに、もう限界だと思いました。父は豪快に稼いでいたけど、私はそうじゃないから、現実を見なきゃと思いました。真鶴の家に引っ越してから、私は全力でできることをやってきたんです。もう十分だって思えるところまでやって、それでも終わりが見えないなら、もう駄目だなって。

それで母と娘を呼んで「この家を売却しようと思う」と伝えたところ、二人とも「それがいいよね」と賛成してくれて。ボイラーが壊れてから約1週間後の1月1日に不動産屋さんに連絡をしました。

――お母さまは反対されなかったですか?

アンナ:母は父の意思を尊重してきましたが、基本は都会の生活が大好きな人ですから、「やっと売ろうって言ってくれた」って喜んでいたくらいです。生活が不便だと感じていたのかもしれませんね。

私自身、真鶴の家に住んで痛感しましたが、高齢になったら都会に住む方がいいんじゃないかと思います。田舎もいいところはいっぱいあるけど、ライフラインはどうしたって都会にかなわない。

一度真鶴で救急車を呼んだことがあったのですが、真鶴の家は小田原と熱海のちょうど間にあったから、病院とは物理的な距離があったんです。救急車がすぐは来られないという現実を目の当たりにして、「東京の家だったらもっと早く来るんじゃないか」って、ちょっと怖くなったところもありました。

思い入れのある家。売るのは誰でもいいわけじゃない

――売却先が決まるまでにかかった期間を教えてください。

アンナ:半年ほどです。その間、父が厳しく見張っていたような気がしていて。一度購入希望者にキッチンを案内しているとき、それまで一度もそんなことはなかったのに、キッチンにぶら下げている鍋が落ちたことがあったんですよ。「あぁ、この人ではないんだな」と思いました。

――どんな方に住んでもらいたいと思っていましたか。売れない期間が長引くにつれて、「売却先は誰でもいい」と思うようなことはありましたか?

アンナ:思い入れのある大切な家ですから、この家の良さを理解して、ちゃんと面倒を見てくれて、「梅宮辰夫の家」であることを語り継いでくれる人に譲りたいと思いました。だから、「売れれば誰でもいい」とはならなかったですね。

冷やかしで「見たい」という人や「民泊をやりたい」といった人もいたんですが、人を見極めて対応しました。

最終的には素晴らしい人が見つかって、ほっとしていますね。今でも「よろしければ遊びに来てくださいね」と声をかけてくださって。

――実際に売却後、真鶴の家を訪れたことはありますか?

アンナ:2023年の夏に一度行きました。ちゃんとした人に売却できたという安堵の一方で、もう私の家ではないということが寂しいような……正直複雑な気持ちでした。「懐かしい」という穏やかな気持ちで、その場の雰囲気を楽しめるのはもう少し先なのかもしれません。

――アンナさんと同じように思い出の詰まった地方の実家を今後どうするか、悩む人も多くいます。納得できる選択をするには、どうすればいいと思いますか?

アンナ:住まないのであれば、身軽になることが大事だと思います。所有するだけでお金もかかるから、少しでもきれいにして、売却するしかないんじゃないかな。

あくまで相続を経験した私の意見ですが、親が建てた家をそのまま子どもが受け継ぐのは、あまり現実的ではないように感じています。

時間がたった分だけ家も劣化しているし、親世代とは価値観だって違う。父は豪快に生きられた時代の人で、真鶴の家は敷地が700坪もあったけど、私の感覚ではそんなに広くなくてよかった。

思い入れがあるほど売却を決めるのはつらいかもしれないけれど、大事なのはプロセスだと私は思います。家としっかり向き合って、信頼できる不動産屋さんとタッグを組んで、「この人なら譲ってもいいな」と納得できる人を探すこと。

真鶴の家の売却は定年間際のベテランの方に手伝っていただいたのですが、たくさん相談に乗ってくださって、ときには泣きながら電話したこともありました。それだけ信頼できて、頼れる方との出会いがあったからこそ、納得できる売却ができたのだと思います。

――「やれることはやった」と思えるまで考え、行動することが、納得感を持つ上で大切だということですね。

アンナ:あとは、変な欲を出さないことも大事だと思いますね。結果的に真鶴の家は当初の想定より高く売れたけど、私の場合はお金よりも「この人だ」と思えることの方が大事でした。

たとえ相場より売却額が低くなったとしても、良い人との出会いはそう何度も訪れるものじゃないし、タイミングだってある。チャンスを逃さないように、売却するにあたって大切にしたいことをしっかり定めておくといいんじゃないかなと思います。

遺言がなかったことで、父のことをたくさん考えた

――相続を経験したことを振り返って、今何を思いますか?

アンナ:相続って、「そのとき」にならないと自分事として実感が湧かないものなんだと思います。親に何を言われても、いつ来るか分からない以上、イメージができない。そういう人がほとんどじゃないかな。

しかもそれぞれの家で事情が違うから、「こうすればいい」っていう教科書のようなものもないんですよね。

――生前、辰夫さんとどのくらい相続について話をしていたのでしょうか。

アンナ:全くしなかったです。というか、できなかった。病気になってから相続について話すのは無理だと思いました。

実は亡くなる半年ほど前に、「そろそろお金をママの口座に移しておいた方がいいんじゃない?」と言ったことがあったんです。でも、「お前、俺の金使う気か?」って怒られてしまって。

父はおおらかで、ケチなところなんて全くなかったけど、高齢になるとそういうものの受け取り方になっちゃうんだなと思いました。頑固にもなるし、何より不安だったんでしょうね。いつまで生きられるのか、あるいは生きてしまうのか、本人にも分かりませんから。

そう考えると、遺言を書ける人って私はすごいなと思います。

――遺言書もなかったんですか?

アンナ:なかったです。父にはエンディングノートの記入をお願いしたけど、そこにも肝心の情報は何も書かれていなくて。ずっと何か書いていたから大丈夫だろうと思っていたら、残されていたのは料理のレシピだったんです。しかも難しい料理ばっかり(笑)。

エンディングノートに残された梅宮辰夫さんのレシピ(梅宮アンナさん提供)

でも、それが父なりの終活だったんだって納得しちゃったし、それが残してくれた財産だったんだなと思います。多分、父には誰に何を残すかなんて、決められなかったんですよ。母と私と娘の三人とも、父にとって平等だったんでしょうね。

私たちにとっても、遺言書がなかったのはかえって良かったんだと思います。父の意向が入ると、「何で?」ってなる可能性もゼロじゃない。うちの場合は、法律で定められたパーセンテージに沿った相続が合っていたなと思います。

それに遺言がなかったことで、「パパだったらどうするかな」って父のことをたくさん考えました。この4年間は本当に考え抜いた期間で、私のやるべきこととして生まれる前から決まっていたんじゃないかって思うくらい、私にとって大きな出来事だったなと思います。

――生前から相続の準備ができるに越したことはないですが、アンナさんの場合は準備がなかったからこそ、辰夫さんのことを考える機会にもなったわけですね。

アンナ:そうですね。例えばお墓も「パパが好きそうな景色だな」と思って海が見えるところに新しく買いました。そうやって父のことを考えながら、一つひとつ判断して進められたのは大きかったと思います。

でも、お葬式だけは「派手にするなよ。そこに金はかけなくていいからな」って言われていて。戒名もいらないって言うから、「戒名は天国に行く鍵になるらしいよ。ないと困るんじゃない?」って言ったら、「俺はこじ開けるからいい」って(笑)。

そんな話も生前にしていましたし、私は父の好きなこと・嫌いなことが意外とよく分かっていたんですよね。これまで父からは散々怒られてきましたけど、結局は仲が良かったんだと思います。

――「これだけは生前に聞いておきたかった」と思うことはありますか?

アンナ:強いていうなら、過去に住んでいたところやほかに家族がいるかは聞いておきたかったかな。母がいないところで、父と子どもの内緒話として聞けるとよかったのかなと思います。

ただ相続に関しては、何一つ後悔はありません。父の生前に具体的な話はできなかったけど、私たちの場合はこれで良かった。初めてのことでつら過ぎて泣いたこともいっぱいあったけど、必死にやりました。良い勉強になったなと思います。

――アンナさんにも娘の百々果さんがいます。ご自身の相続や家のことは考えていますか?

アンナ:人生は計算通りにならないと思っているので、今は考えていません。この先ずっと一人かもしれないし、再婚するかもしれない。先のことは分かりませんから。

ただ、家は絶対に賃貸。引っ越しのたびに新鮮な気持ちになれるから昔から賃貸派だったけど、真鶴の家に住んでみてなおさらそう思うようになりました。もう、絶対に管理が大変な持ち家は嫌! 賃貸マンションが大好きです(笑)。

【お話を聞いた人】梅宮アンナさん

梅宮アンナさん

1972年東京生まれ。父は俳優の故・梅宮辰夫さん、母は元モデルのクラウディアさん。19歳でモデルデビュー、『JJ』『CLASSY.』『VERY』などの専属モデルを務め、カリスマ的な人気を博す。2002年に娘・百々果さんを出産してからは、タレント業と母親業の両立に日々奮闘している。

Instagram:@annaumemiya

取材・文/天野夏海
編集/はてな編集部

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