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田村淳の”終活”、Instagramは「娘たちへの遺書」。「自分の”死”受け入れさせる」母の愛から学んだ、実家じまい・墓じまい・相続でもめない秘訣

2019年、45歳で大学院に入学し、遺書の研究を始めた田村淳さん。のちに、動画で遺書を記録できるサービス「ITAKOTO」を立ち上げ、「死」について元気なうちから考える文化づくりに取り組んできました。

その背景には、幼少期からの家庭でのコミュニケーションの記憶や、お母様のがんの発覚があったといいます。葬儀の形式から実家じまい・墓じまいに至るまで、自ら意志を示し整理していった母の姿を通して、田村さんは“終活とは愛情の伝え方のひとつ”だと実感したそうです。

今回は、田村さんにとっての終活の意義や、相続における家族との対話の大切さについて伺いました。

 田村淳の”終活”、Instagramは「娘たちへの遺書」。「自分の”死”受け入れさせる」母の愛から学んだ、実家じまい・墓じまい・相続でもめない秘訣

記事の目次

延命治療不要という母の意志も、20年間伝え続けられたから尊重できた

田村淳さん

田村さんが20歳を迎えた頃から「わたしは延命治療はしたくない」と意志を繰り返し家族に伝えていたお母様。当時の田村さんは、あまりピンと来ていなかったと言います。

「『大切なことだから、これから毎年、淳の誕生日に伝えていくね』と言われました。その時は、特に母ちゃんの健康問題もなかったので、正直聞き流していましたね。伝え方も『お誕生日おめでとうー、ところでさ』とポップな感じでした。

母ちゃんは看護師で、僕が小学生の頃から、日常的に家庭で死にまつわる話は出ていたんです。自分の死についても、タブー視せずに話せる環境を、両親が作っていたんだろうな」

その後も、定期的に自分の意志を田村さんに伝え続けたお母様。だからこそ、お母様のがんが発覚した時も、田村さんがあらためて心構えをする必要はなかったそう。

「『母ちゃんが守ってほしいと言う尊厳って、こういうことか』と。ただ、がんになったタイミングで急に『延命治療はしないで』と言われたら、受け入れられなかったと思います。僕が20歳の時から20年間、『こうしてほしい』と言われ続けていたから、僕たち家族も彼女の気持ちを尊重しようと思えたのでしょう」

生前整理や相続などの問題を先送りにしないことが大切

田村淳さん

自身の延命治療だけでなく、実家じまいや相続、遺品整理についても、意志をはっきり持って終活を進めていたお母様。その想いの共有も、作り上げてきた「タブーなく話せる家庭」という空気のおかげで、スムーズに進みました。

「『今のうちに墓じまいをしよう。実家は売ってもいいし、どんな風にしてもいい。相続は、お兄ちゃん(※田村さん)はお金がいっぱいあるから、弟にあげる?』なんて、まだ元気なうちから話していました。

相続にまつわることって、本人の死の直前に、少ない回数でしか話さないから揉めるんだと思うんです(笑)。『きっとあの人ならこう思うはず』って、考えを想像で補って、みんながバラバラに話し始めるとしんどいですよね」

死の直前・直後に家族が相続で揉めてしまうケースを経験している人はとても多いでしょう。田村さんは「厳しい言い方になっちゃうけど、問題を先送りにしているだけなのでは」と言います。

「所有している土地や資産について話さずにいた場合、あとで困るのは想像すればわかること。親も子も、きちんとコミュニケーションをとろうとしないのが問題だと思います。

うちでは、人生の中で問題になりそうなことを、死の直前に集中させるのではなく分散させて話してきました。それを可能にする環境を、30年ほどかけて作ってきたわけなので……すぐに真似するのは、難しいのかもしれませんね」

また、さまざまな理由から、こうした話し合いが難しい家庭もあります。そんなときの対処法について聞いてみると「今生きている人で、決定するしかない」という回答が。

「亡き家族の思いを汲み取りながら、実家じまいや相続などを考えるのはすごく難しい。生きている人の間で合意形成できるように舵を切ったほうがいいと、僕は思います。また、もし死を控えた親が『話し合いはしたくない』と言うなら、それも本人の選択ですよね。

ただ個人的には、自分の死後にさまざまな処理を残して、家族に憂いを与えたくないです。「遺影どうしよう」「これって捨てていいのかな」と亡き人の気持ちを想像しつつ決めるのって、すごくストレスになるんです。残された家族にそうした作業を丸投げしちゃうのは、愛が足りないかな(笑)。

墓じまいや実家じまい、納骨や葬儀についてなど、事前にすべてを考えて伝えてくれたのは、母ちゃんからのこれ以上ない大きな愛だったと思います」

託された人に「捨てる」選択肢を与えることも優しさ

田村淳さん

生前整理では、思い出があるからこそ判断や作業が進みにくい局面も多いもの。ですが、田村さんのお母様は「全部捨てていいのよ」と話されたそう。

「人に物を譲る場合も、『あげたいからあげるけど、いらなかったら捨てて』と、受け継いだ人が捨てる選択肢も残したのがポイントだったと思います。母ちゃんは『わたしは死ぬけど、あなたたちはこれからも生きるんだから、あなたたちが決めなさい』という態度が一貫していました。

僕はもともと物に執着しないほうで、母ちゃんと過ごした時間の尊さや思い出は、物や家がなくても変わりません。そんな風に手放す選択肢ももらえたことで、心が軽くなりました」

今、田村さんのお父様は、かつてお母様と暮らしていた家で一人暮らしをしています。もちろんお父様とも、元気なうちから今後の話はしているとのこと。

「父ちゃんは、母ちゃんと過ごした家でできるだけ過ごし、体が動かなくなってきたら施設に入りたいと希望しています。会うたびに『あの意見、変わってないの?』と、食事をしながらさらっと聞いたりもしますね。

電話だと話しづらいし、LINEだとニュアンスが伝わりづらい。会ったときに、目を見て膝を突き合わせて話すほうが、僕も父ちゃんも納得できると感じています。双方がきちんと腹落ちすることは大切。生きている間にやりたいことも、骨をどうしてほしいかも、明確に聞いています」

死について考えることは、「どう生きたいか」考えること

田村淳さん

親が生前整理を進めることに、寂しさややるせなさを感じる人もいます。しかし田村さんの場合は、どんどん物を捨て、葬儀の段取りまで決めていくお母様の意志を、しっかりと受け止めることができました。

「『こうしてほしい』『これは嫌だ』とはっきり希望を伝えられたので、あれこれ自分で慮らず指示通りに進めることができ、精神的な負担が少なかったのは大きいですね。きっと母ちゃんは、その負担がわかっていたから自分で決めてくれたんでしょう。これまで築いた関係性があるから、きっと本心を伝えてくれているだろうとも思えました」

お母様の介護が進む中で、田村家では、お父様・田村さん・弟さんのLINEグループができたそう。そこでお母様の尊厳の守り方について、さらに綿密に話し、連携することができたと言います。

「母ちゃんが日頃から家族と向き合っていて、僕とも、弟とも、父とも、4人でもよくコミュニケーションをとっていたから、母ちゃんの意志の認識についても、家族の間で齟齬がありませんでした」

田村さんのお母様のように、積極的に意志を伝えるのは難しい方もいるでしょう。実際、田村さんのお父様に生きているうちにしたいことを尋ねたときも、最初は「今のままで十分」という返答だったそう。

「1〜2時間ぐらい『とはいえさぁ』『なんかあるでしょ、やりたいこと』とインタビューしていたら、『巨人戦をバックネット裏で見てみたい』など、具体的な希望がぽろぽろ出てきました(笑)。

『死ぬ前にどうするか』だと、ネガティブなイメージがわいて考えにブレーキがかかる人も多い。『生きてる間に何したい?』『今後はどう生きたいの?』と、ポジティブな未来として話すといいかもしれませんね」

二人目の親の終活に立ち会う今、田村さんは「葬儀のことは、自分で考えてほしいな」と話します。

「母ちゃんは、お花や祭壇、お弁当、葬儀場でかかるBGMまで、すべて葬儀会社の人と話して、自分で決めてきました。『あんたたちは葬儀場にただ来て、○○さんを頼ればいいから』と、何もさせてもらえなかった。来てくれるお坊さんまで選んでいたんですよ。

そんな葬儀は初めてでしたが、親族としてすごく楽だったし『母ちゃんが望んだお別れ会はこれだったんだ』とよくわかった。「お坊さんは声で選んだそうです」と当日、アナウンスもあって(笑)。参列者はみんなくすくす笑ったり、泣いたり。悲しい局面だけど、母ちゃんにちゃんと寄り添えた気がしましたし、しっかりとお別れができました。

ただ、さすがに父ちゃんはそこまで葬儀を自発的にプロデュースするタイプには思えません。だから今は、希望を洗い出すためのフォーマットを用意中です」

実家で撮影したなんでもない写真が、実家じまい後も思い出に

田村淳さん

死をタブー視しない姿勢は、田村さんの家庭にも引き継がれています。8歳と5歳のお子さんにも、すでに「パパが死んだらこうしてほしい」と話している田村さん。ご自身が集めているフィギュアについて「パパが死んだら捨てていいよ」「ほしいのがあったら持っていっていいよ」と話すと、「いらなーい」とあっけらかんと返事をされたそうです。

「『人間はいつか死ぬ』という前提を持っていると、『じゃあ死ぬまでの間どう生きようか』『家族が生きている時間を大切にしよう』などと考えることができます。長女は、4,5歳の頃にはそんな話を理解していたように思いますね。

親側が、自分の死を意識した話をすることに慣れるためにも、早いうちから話していったほうがいいと思います」

田村さんのパートナーも、最初は死の話にネガティブなイメージがあり苦手だったものの、田村さんのお母様の影響も受けて、話すのが怖くなくなったそうです。

「僕からも『死は避けて通れないものだから、話しておきたいんだ』と伝えました。今では自身の葬儀について『Maroon5(マルーン5)の曲をかけてほしい』『ドレスコードは喪服じゃないほうがいいなあ』と言い始めています。

最初は重い空気になるかもしれないけど、そこは乗り越えなくちゃいけない(笑)。先送りせず、何度も何度も話し合うのが大切です」

すでに生前整理についても考えている田村さんは、思い出の品をデータに残すなど、後々の処理を考えた対応もしているそう。お子さんたちには自分の死後、データも不要なら消していいと伝えています。

「僕の意志は、『生きている人がやりたいようにやってほしい』。死んだら、何もやりようがないですからね。家でもなんでも、必要ないものは捨てたり売ったりしてくれたらいいです。海洋散骨だけはしてほしいので、会社も指定して、娘に伝えています」

田村さんのInstagramについては「娘たちへの遺書として利用しています」という言葉が。アカウントには娘さんたちと遊ぶ日々の様子だけがアップされ、メッセージが添えられています。田村さんに愛された記録を辿れるようにしているんだそうです。

その更新は、気軽に意志を伝える遺書づくりの啓蒙活動としても行っているとのことです。

「ただ写真フォルダに入れておくのと、自分の死後を想定して言葉や写真を残すのは、まったく意味合いも、相手の受け取り方も違います。また、家の様子がよくわかる写真は、『みてね』というアルバムサービスにアップしているんです。キメキメの構図でなくても撮っておけば、もし家じまいをしても見返せる思い出が残ります。

うちの母ちゃんが、僕の大学院での研究のためにようやく撮ってくれた遺書動画は、母ちゃんが自分の部屋でフラフープを回している、顔の映っていない動画だったんです。予想外でしたが、カメラを回す父ちゃんとの自然な会話や、すすけた畳の部屋の情報が残っていて。その動画があるだけで、家のことを思い出せますね」

また、自分の人生のとじ方について、「素直に話せる家庭と、まったく話せない家庭でニ極化しているのでは」と考える田村さん。

「終活について話しやすい文化ができるまでには、まだ数十年かかるでしょう。それを待たずに、この記事を読んだ人が『今から家族と話そう』と思ってくれたら嬉しいです。まだ間に合いますから」

お母様の終活や葬儀を経て、生前のうちに自分の死についてよく考え、伝えることの意義を深く感じた田村さん。自分を見送る家族に、明確に意志を伝えることは、遺産以上の贈り物になるのかもしれません。

田村淳さん

<お話を伺った人:田村淳さん>
1973年12月4日生まれ、山口県出身。バラエティー番組に加え、経済・情報番組など多ジャンルの番組に出演。300万人超のフォロワーがいるX(旧Twitter)、YouTube「田村淳のアッシュch」の開設、オンラインコミュニティ「田村淳の大人の小学校」を立ち上げるなど、デジタルでの活動も積極的に展開。2019年4月に慶応義塾大学大学院メディアデザイン研究科に入学、2021年3月修了。お城が好きで現在12城の観光大使を務めており、全国制覇を目指す。タレントの枠を超えて活躍の場を広げている。母との別れを綴ったエッセイ本『母ちゃんのフラフープ』が好評発売中。

構成:瀬戸遙
撮影:morookamanabu
取材・編集:小沢あや(ピース株式会社)

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