「ずーっと109が大好きなんだよね」伝説のギャル漫画『GALS!』藤井みほなさんの変わらぬ渋谷愛【楽しい大人の暮らし方】

インタビュー: 劇団雌猫 構成:太田冴 
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渋谷最強のカリスマコギャル女子高生・寿蘭(ことぶきらん)が主人公 ©藤井みほな/集英社

好きなものがあると、毎日はもっと楽しい。

劇団雌猫がオタク趣味に生きる人に好きなこと、好きな街や暮らしについて聞くインタビュー企画「楽しい大人の暮らし方」。

今回お話を伺ったのは、平成を彩った伝説のギャル漫画『GALS!』の作者・藤井みほなさん。令和元年、流星のごとくTwitterに現れ「りぼん」を愛読していたアラサー女子たちを沸かせました。11月にはアプリ「マンガMee」にて2002年の渋谷を舞台にした新連載『GALS!!』をスタートし、大きな反響を呼んでいます。

そんな藤井みほなさんの、『GALS!』の舞台ともなった渋谷への熱い想いをたっぷり伺いました。

りぼんっ子のみんな~!本物の「みほなっち」に会ってきたよ~!!

「コギャルの制服」が美術館に

――  突然のTwitterスタートに、まさかの連載再開、本当に驚きました。

藤井みほなさん(以下、藤井):ねー! この展開には、私が一番びっくりしています(笑)。

Twitterを始めたきっかけは、弥生美術館の「ニッポン制服百年史」という展覧会でした。「コギャルの制服を描いた当時のカラー原稿を展示したい」といううれしい依頼を受けて探したのですが、肝心の原稿がなかなか見つからなくて……。

自宅の一角に連載当時の資料や原画を全て保管している「GALS!部屋」があるんですが、押入れから引き出しから何から何まで全部ひっくり返して探したんです。

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「ニッポン制服百年史」で展示した1枚。コギャルの象徴だったハイビ(ハイビスカス)がカバンやブレスレットに(藤井さんのTwitterより)©藤井みほな/集英社

せっかくこれだけ引っ張り出したらいろいろ見つかったし、しまう前に写真を撮っておこうかな、もったいないし、と。もしかしたら懐かしがってくれる人もいるかもしれないな〜、と思って軽い気持ちで始めました。

――  まさに懐かしいイラストばかりで大興奮でした!「え、みほなっちがTwitter!?」と大騒ぎでしたよね。

藤井:投稿し始めた初日は、全然気付かれなくてフォロワー4人とかだったんですけど(笑)、翌日の夜に突然「藤井みほな」と「GALS!」がトレンド入りして。私のことを覚えている人なんて100人くらい? と思っていたので、本当にびっくりしました。

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今見てもかわいい&懐かしく当時のりぼん読者は大興奮(藤井さんTwitterより)©藤井みほな/集英社

その後、109さんから「109をテーマにした漫画を描きませんか?」というオファーをいただいて! あの大大大好きな109ですよ!? うれしくてうれしくて、二つ返事でお受けしました。

たった4ページの漫画だったのですが、『GALS!』の読者だった方たちが思い出して盛り上がってくださって、本当にうれしかったです。

「自分が好きな自分が好き」令和も輝くギャルスピリット

――  最近、あらためて単行本を全巻読み直したのですが、登場人物たちの「ギャルスピリット」にとても励まされました。大人になったからこそ沁みるなと……。

藤井:「私は私を愛していて、大好きで、認めていて、そして自分が好きな自分が好き」。それが、ギャルのスピリットだと思っています。

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©藤井みほな/集英社

人に認めてもらわないと、自分を認められない、みたいな風潮があるけれど、自分の価値は自分が知っていればいい。他人に何を言われようと、私は私でいいんだ、っていうことを、ずっと伝えたかったんです。

だから、「寿蘭ちゃんみたいになりたい」と育った子たちが、今もそういうスピリットを心に住まわせてくれているなら、それは私にとって大きな手応えだなと思いますね。

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©藤井みほな/集英社

新章は「コミケで手売りするつもりだった」

――  Twitterでのバズからの109とのタイアップ。そのころはまだ連載再開は考えていなかったんですか?

藤井:全然! ただ、本当にたくさんの方が盛り上がってくださったのがうれしくて、何かお礼はしたかったんです。スピンオフ的な短編漫画を描いて、コミケとかで手売りしようと思ってました(笑)。

――  ええ!? ファンが殺到してしまう……。

藤井:勝手にやるわけにもいかないし、権利の関係もあるから一応相談しておこうと連載当時の編集担当「とみっち」に相談したら、「もう一度集英社で描かないか?」と言ってくださって。

職業としての漫画家に戻る気はその時点では少しもなかったので、「なるほど、それもできるのか!?」と気づいた感じでした。

―― 「GALS!」連載終了後は、漫画自体ほとんど描いていなかったとか。

藤井:そうなんです、もうやることはないかなと思っていたんですが……やってみたらできた(笑)。

私、「漫画家スイッチ」があって、それをオンにすると一気に“描ける”モードになるんですよ。絵もスラスラ描けるし、ストーリーも迷わず思いつくし、睡眠時間短くなっても平気(笑)。久しぶりにそのモードを起動しています。

――  物語はスッキリ終わっていたからこそ、先生の中では「続編」の発想はなかった?

藤井:なんというか、「コギャル」って高校生だけのものだと思っていて。コギャルを描いているということは、コギャルじゃなくなった時点で、物語は終わりだ、と思っていたんですよね。寿蘭ちゃんたちが高校を卒業した後も物語が続く、という概念がありませんでした。

―― では、連載再開のときには物語に悩んだのでは?

藤井:それが、全く!(笑)いざやってみようと考え始めたら、どんどん浮かんできました。

最初はスピンオフを描くつもりでプロットを練っていたのですが、回りくどいことをせずに、高校卒業後をそのまま描いた方が分かりやすいんじゃないか、と方向転換しました。なので、舞台は昔の連載が終わってすぐだった2002年にしています。

カリスマ店員がトレンドを作る。毎週流行が変わるスピード感

――  2002年の渋谷の雰囲気も忠実に描かれていますが、当時の資料はお持ちだったんですか?

藤井:「りぼん」で連載していたときの写真や動画資料をずっと保管していたので、それを見ながら描いています。当時と今を比べると、渋谷は本当に様変わりしていますよ! センター街なんて特に!オムライスが美味しかった恋文食堂もなくなってしまったし……。

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1999年頃の渋谷

―― 「恋文食堂」なつかしい! 連載当時はどれくらい渋谷に通っていたんですか?

藤井:少なくとも週1回は行っていましたね。MOUSSYにEGOIST、CECIL McBEE……買い物しながら109の地下2階から8階まで全てのお店をチェックしていました。1週間で全然違いますからね! ショップも入れ替わるし、売っているものも、流行も変わる。

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最先端のギャルファッションも魅力だった ©藤井みほな/集英社

―― すごいスピード感!

藤井:当時はカリスマショップ店員さんがいて、その人が着ているものは一瞬で売り切れていくんです。で、店員さんはまたどんどん新しいものを着るから、毎週毎週売れているものが違う。本当に刺激的な場所でした。

当時はスマホもないので、資料用にハンディカムで街行く人たちを撮影したり、マックで仕事をしながら隣の女子高生の会話に聞き耳を立てたり。そんなこんなで、しょっちゅう渋谷にいた気がします。

――  当時の渋谷と、今の渋谷ってずいぶん変わりましたよね。

藤井:歩いている人の服装から違いますよね。当時は、治安も悪くて小汚い人が多かった(笑)。

夜になると普通に「オヤジ狩り」があったし、カラーギャングやチーマーの抗争とかも残っていた時代でした。渋谷駅から109まで歩いている間にも、風俗やキャバクラのキャッチだらけだったもんね。

援助交際でおじさんを待っている女の子が109の前でたくさんたむろしているのも見ていました。当時は17歳による少年犯罪がニュースをにぎわせていましたし、なんというか……若者がヒリヒリしていた。大人への反発みたいなものを、街全体から感じました。

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―― 確かにそんな時代だった……。治安はずっとよくなりましたね。

藤井:ハチポリ(渋谷駅ハチ公前の交番)のお陰かな(笑)。あとは、IT企業がたくさん渋谷にオフィスを構えるようになってから、綺麗めな人が増えた感じがします。外国の方も増えましたしね。

渋谷大好き!だけど憧れの街は…

――  それだけ通い詰めていたということは、渋谷の近くに住んでいたんですか?

藤井:いえ、当時は、武蔵小金井に住んでいました。中央線で吉祥寺まで行って、そこから井の頭線に乗り換えて。30分以上かけて、渋谷に通っていました。

――  結構遠いですね、意外です! むしろ「渋谷に住みついている」くらいなのかと思っていました。

藤井:それはなかった! というか、住めるような街じゃなかったですよ!(笑)とにかく治安が悪かったもん。

逆に住みたい街でいうと、吉祥寺にはめっちゃ憧れがありました。芸術家やクリエイターが多い街というイメージもあって。

漫画家さんもたくさん住んでいたし「将来は吉祥寺に住んで、近所に住む漫画家さんと吉祥寺でお酒を飲むんだ!」と夢見ていたけれど、叶わなかったですね(笑)。

吉祥寺って、ユザワヤとか画材屋さんとか、とっても充実していたんです。当時はアナログ原稿だったので、画材を買いによく行っていました。

なんだろうな、あの吉祥寺への憧れ……。分かる人には分かってもらえると思う!(笑)

――  現在の連載では、「タツキチ(寿蘭の彼氏)」の地元でもある町田も大きくフィーチャーされています。町田には何か縁があったんですか?

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マンガmee新連載「GALS!!」1話より ©藤井みほな/集英社

藤井:以前、神奈川県に住んでいたことがあったんです。町田って、東京なんだけど神奈川みが溢れていて、「町田をディスって愛する」みたいな風潮があるじゃないですか(笑)。

いじられて、愛されている。それをキャラクターにも投影したら、愛されるかな、と思いました。Twitterで人気キャラのファン投票をしたら、見事にぶっちぎり男性キャラ最下位でしたけど……(笑)。

「やっぱり私はずーっと109が大好きなんだよね」

――  どんどん再開発が進む渋谷ですが、最近も行かれてますか?

藤井:しょっちゅう行きます! 109は今もよく行くし、買い物もしています。ビル自体は2002年のころから変わってないので、階段のところやピロティーの雰囲気なんかは参考にしています。

ギャルファッションの聖地のイメージが強いですけど、案外大人でも買えるお洋服がたくさんあるんですよ〜。着やすくて、安いものが多い。

あそこに行けば、常に流行の最先端がありますから。渋谷が常に若者の最先端として流行を引っ張っていっているというのは、昔も今も変わらないし、それがうれしいです。

―― 渋谷という街の一番好きなところは?

藤井:新しいものを否定しない。ひとつのものにこだわらずに、流行を取り入れて、どんどん発信していく。そういうところが、渋谷の良いところだなと思います。

――  変わりゆく渋谷で、最近のおすすめスポットはありますか?

藤井:え〜〜どこだろ!? でもやっぱり私はずーっと109が大好きなんだよね。

あ、あれだ、地下2階にある、「MOG MOG STAND(モグモグスタンド)」!今流行りの美味しいものが、色々食べられるんです。

―― ぜ、全然知らない……。タピオカとか……?

藤井:タピオカはもちろんだけど、さらにもっともっと最先端のもの!(笑)いちご飴がすっごく美味しくて可愛いのでおすすめですよ〜。お祭りで売ってるような、りんご飴とかいちご飴とか、そういうのを可愛くおしゃれに食べる、っていうのがブームなんです!

BTSのコラボカフェとか、kemioくんのプロデュースカフェとか、いっぱい面白いものあるから、行かないと! 行った方がいいよ!

――  先生の深い渋谷愛とギャルスピリットを感じる答えでした……! 「MOG MOG STAND」、帰りに寄っていきます!




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お話を伺った人:藤井みほな

藤井みほな

1990年、16歳で漫画家デビュー後、月刊誌「りぼん」を中心に活躍。1998年〜2002年にかけて、「りぼん」で連載した「GALS!」がメディア化もされ大ヒット。2019年にはTwitterを開始。現在、アプリ「マンガmee」で続編となる「GALS!!」を連載中。今も昔も渋谷をこよなく愛し続けている。

 

聞き手:劇団雌猫

劇団雌猫

アラサー女4人の同人サークル。「インターネットで言えない話」をテーマに、さまざまなジャンルのオタク女性の匿名エッセイを集めた同人誌「悪友」シリーズを刊行中。その他、イベントや執筆活動などもおこなっている。編著書に『浪費図鑑』『シン・浪費図鑑』『まんが浪費図鑑』『だから私はメイクする』『一生楽しく浪費するためのお金の話』。7月に新刊『本業はオタクです。シュミも楽しむあの人の仕事術』が発売した。

Twitter:@aku__you

ブログ:劇団雌猫


 

予想外の楽園 中年がひとりで住む未来都市・多摩ニュータウン

著: ココロ社

多摩ニュータウンの景色

多摩ニュータウンと言えば、何を想起するだろう。

例えば、街ごと高齢化しているであるとか、都心から遠いであるとか、楽しいイメージはあまりないのかもしれない。「SUUMO住みたい街ランキング2019 関東版」を見ても上位に入っているわけでもなく、厳密には多摩ニュータウン外になる聖蹟桜ヶ丘がやっと156位である。また、ポジティブなイメージを持っている人も、「ファミリー向けの街」と思っている人が多いのではないだろうか。

それらのイメージがまったくの嘘だと言うつもりはない。ただ、ここでわたし(=大阪出身・中年・ひとり暮らし)は、「多摩ニュータウンがひとりで住むのに最高に楽しい街である」とみなさまにお伝えしたく、筆を執った次第である。

未来都市・多摩ニュータウンとの出会い

多摩ニュータウンは、東京都西南部に位置する、八王子・町田・多摩・稲城の4市にわたる東西14km、南北2~3kmに及ぶ日本最大規模のニュータウンだ。高度経済成長期に都心の住宅不足を背景に計画され、急増した人口の受け皿として、1971年から入居が開始された。

多摩ニュータウンの地図

わたしはと言えば、上京してからは中野や調布に住んでおり、大方の人と同じく多摩方面に住むことにさほど関心はなかった。それが諸事情により急遽引越しの必要に迫られたとき、「家賃が安くて広いところ」という条件で物件を探していたら多摩ニュータウンの部屋たちと出会ったのだ。

少し古いが、調布で住んでいた部屋とほぼ同じ家賃で倍の面積の部屋があり、「多少都心から遠いけれど、家の居心地を最高にして外出せずに過ごせばええやん……」と、多摩ニュータウンの南部、京王線沿いに引越した。

しかし、いざ引越してみると、ニュータウン暮らしは想像以上に楽しく、広くて住み心地最高の部屋があるというのに散歩がやめられず、なかなか家に帰れない有様になった。

老朽化しているように見えるニュータウンは、住んでみるとロマンチックで機能的な未来都市であり、歩いているだけで昭和後期の遺跡巡りをしているようでもあり、毎日とてもフレッシュな気分で、かつ大変落ち着く。

いきなりカモンというわけにもいかないが、多摩ニュータウンに暮らす楽しさについて手短に説明させていただくので、適宜共感などしていただければ、わたしのニュータウン愛も行き場を失わなくて済む。

散歩が日本一エキサイティングな街

散歩がやめられないと先述したように、多摩ニュータウンはとにかく散歩がすごい

わたしは仕事終わりに平気で10kmの道のりを歩く、ある種の「散歩狂い」であるが、散歩の楽しさでいえば、個人的に多摩ニュータウンは日本で一番だと思う。以下、その理由を説明させていただく。

「歩車分離」された日本一長い遊歩道

まず、散歩するにあたり重要な遊歩道のスケールが桁違いである。都心だと、川のあったところを暗渠として緑道公園のようにすることがよくあり、それはそれで楽しいけれども、さあこれから……というところで、ビル街が登場し、甘美な散歩が強制終了させられてしまう。その点、多摩ニュータウンの遊歩道は総延長40キロ超。マラソンができる。遊歩道の長さは日本一*1だ。

しかも、ただスケールが大きいだけではなく、どの遊歩道もかっこいいのだ。例えば、多摩ニュータウン南部に位置する、唐木田駅近くの「まろにえ公園」に至る遊歩道を歩いていると、パリ郊外ってこんなのかしら……と思う(フランスに行ったことはないけれど……)。

街路樹の紅葉

先日訪れたときは、街路樹の紅葉がまっさかりだったが、冬は冬で枝だけになっている寒々しさがいとおしく、つい時間さえあれば歩きに出てしまう。

長池公園(好きすぎるので後述)から始まり、京王堀之内駅近くへとつながる「せせらぎ緑道」も最高だ。

せせらぎ緑道

樹木が生い茂る中を季節を感じながら歩き始め、しばらくすると遊歩道は都道155号線と交差するのだが、ここはそこで遊歩道を終えるのではなく……。

せせらぎ緑道

歩道橋にも川を流すという荒業をやってのけてくる。

せせらぎ緑道

遊歩道はさらに続き、滝のようになっているところや、住宅地を縫うように流れている道を経て、京王堀之内駅近くで終了。一口に「川沿いの遊歩道」といっても、いろんな表現の方法があるんだな……と夢中で流れを追ってしまう最高の遊歩道である。

そして、これらの遊歩道は完璧なコンセプトのもとにつくられている。途中で車道とクロスして信号待ちを余儀なくされ、地味なストレスに体を蝕まれる遊歩道はよくあるが、多摩ニュータウンについては、基本設計が「歩車分離」である。

歩くのが好きな人は車道とクロスすることなく、足が棒になるまで散歩を楽しむことができるのだ。尾根幹線道路などの大規模な道路を横切る際には、斜張橋(しゃちょうきょう)と呼ばれる橋が用意されているという手厚さである。

多摩ニュータウン

お気に入りの斜張橋「一本杉橋」。ここを散歩しながら、尾根幹線道路の分離しすぎた中央分離帯の丘を眺めるのが最高なのだ。

多摩ニュータウン 特大の中央分離帯

デザインされた団地の神々しい風景

計画当初、未来都市であることを自負していた多摩ニュータウンであるが、散歩しながらイマジネーションをたくましくすると、整然とデザインされた住宅群に神々しさすら覚えてしまうのが楽しいところ。

例えば、熊野古道を歩いた果てに熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)と那智の滝を見たら、熊野古道の階段の段差が容赦ないなどの道中の感想はすっかり忘れて感動するものだが、多摩ニュータウン南端の里山を歩いた果てに出会う風景も、さすがに同じとは言わないまでも、不思議なスケール感を覚えて圧倒されてしまうので紹介しよう。

まず、京王線若葉台駅近くの「みはらし緑地」というゆるい名前の丘。

若葉台駅の北口を出て、都道19号のポプラ並木の通りをじりじりと登っていき、住宅街に入り、さらにうねうねと曲がりながら登ると到着。緑地に着いて振り向くと、自分がいままでけっこうな上り坂を歩いてきたのだなと実感する。

ここからは、90年代以降に建てられた、新ニュータウンと呼ぶべき景色が見える。

若葉台パークヒルズ

6棟のマンションは「若葉台パークヒルズ」。初期のニュータウン建築の倍近くの高さがあり、これもまたニュータウンの姿なのか……とスケール感に圧倒される。ここから見ると、丘の高さに合わせてゆるいカーブを描いていて、多摩丘陵の存在を感じることができる。

給水塔

丘を降りると、防災無線の多摩稲城中継所と、仮面ライダーの撮影でも使われたことがあるという連光寺給水塔が間近にある。ニュータウンを見下ろすようにそびえ立つ2つの給水塔の無骨な存在感、そしてその間にある、2棟共通の螺旋階段の可愛らしさに感動する。

ただ、「ニュータウンの絶景をひとつだけ」と言われたなら(誰にもそんなこと言われたことがないが……)「防人見返りの峠(さきもりみかえりのとうげ)」、またの名を「多摩丘陵パノラマの丘」を選ぶだろう。古代の名前だけでなく、現代版の二つ名を持っていて不思議に思うが、名前がひとつでは足りない感じなのは行ってみると分かる。

歩くのがそこまで好きではない方は、京王永山駅から南へ30分程度歩けば着くが、わたしは唐木田駅から丘を目指し、「よこやまの道」経由で行くことをおすすめする。この道は、新日本歩く道紀行「歴史の道」100選に選ばれているのだが、この100選の中には先述の熊野古道もあり、同じくらいすばらしい……と思うことにしている。

よこやまの道

写真を見ただけではピンと来ないかもしれないが、この道の魅力は、ニュータウンの境界をなしているという点につきる。幹線道路のそばを通っており、片側に車の音を感じながら、もう片側は里山の自然、という不思議な場所なのだ。道の一部は古道を含んでいて、リュックを背負って歩いていると、昔の人は薪を背負ってこの風景を見て歩いていたんだな、と思えてくる。

しばらく歩くと、右手に丘が見えてくる。

多摩ニュータウンの団地

古代において、大宰府に向かう防人はここで来た道を振り返ったのかもしれないが、現代においてはこの丘から多摩ニュータウンの初期の建物を見渡すことができる。

団地

整然と並ぶすばらしいデザインの団地に、訪れるたびに感動してしまう。初めてここに来たときは、冬の夕暮れ時だったのだけれども、夕日に染められた団地群に、懐かしい気持ちになってしまった自分に驚いた。わたしは団地に住んだことがないのに。

宇宙を感じさせる風景

多摩ニュータウンは、神々しさだけにとどまらない。街を歩いていると、随所に「宇宙」を感じさせるデザインが配置されていて、日常生活に潤いが与えられる。

給水塔

まずは、小田急永山駅近くの「愛宕団地(あたごだんち)」付近にある給水塔。機動戦士ガンダムの宇宙コロニーのようなデザインに思わずうっとりしてしまう。

給水塔

お次も給水塔。先ほどの一本杉橋からほど近い「一本杉公園」の奥にあり、悠然と構える姿が大変かっこいい。ここから来る水を飲みたくなってしまう出で立ちだ。

くじら橋

そして、稲城中央公園にある「くじら橋」。その曲線がまさにクジラをイメージさせる巨大な橋だが、現役の歩道橋として使われている。

くじら橋

日曜の昼間なのだが、人はこれくらい。スケール感が好きで、来たときは用もないのに何往復かする。

「地球には海という、大きな水たまりがあって、そこには、くじらという、それはそれは大きな生き物がいたんじゃ……ちょうどこの橋のようにな……」と、宇宙コロニーに移住した地球人の設定で誰かに話しかけたくなってしまう。

多摩センター駅

そして極めつけは、多摩都市モノレールの起点・多摩センター駅だ。真ん中の丸いエンブレム、機能的に意味があるのかどうかは知らないが、未来的である。

オシャレと思うかどうかは人によると思うが、SF映画やアニメに出てきそうなデザインがあちこちにあり、自分が未来人になったかのような気分で毎日過ごせるのは多摩ニュータウンならではの魅力ではないだろうか。不思議なもので、もはや道路を走る車が車輪のない未来の車に見えてくる。

随所にある不思議な公園

さて、散歩に疲れたときは、公園で休むに限る。多摩ニュータウンは多摩丘陵を切り拓いてつくっているので、開発されなかった場所≒里山≒公園であり、魅力的な公園が互いに驚くほどの近距離に用意されていて、くつろぐための公園を選ぶときに本気で目移りしてしまう。

ドラマのロケ地に時々使われる鶴牧東公園、ワイルドすぎて山なのか公園なのか分からない境地に達している豊ヶ丘北公園、東の端には素晴らしい高さの展望台を擁する城山公園。適当にローテーションを組んでいるうちに1年が過ぎてしまうのだが、多摩ニュータウンの魅力が凝縮されている公園といえば、京王堀之内駅と南大沢駅の間にある長池公園にとどめを刺す。

公園には広々とした芝生広場のほか、長池・築池(つくいけ)の二つの溜池に、人工の姿池もそろう。公園の名前にもなっている長池は、南北朝時代に浄瑠璃姫が薬師如来像とともに身を投げたという伝説が残っており、なんともロマンチックだ。

長池

今は動植物保護のため長池周辺は立入禁止になっていて、草も生え放題水も濁り放題で、本当にここ東京都なの……と思う。ここが里山として利用されていたころは、必要に応じて樹木は適宜伐採され使われていたことを考えると、ひょっとしたら江戸時代よりもワイルドな風景になっているのかもしれない。

近くには、ニュータウン造成に伴ってカタクリの花を移植したコーナーもあって、移住させられつつも根を張って元気に育っているところに胸が熱くなるのだが、移住させられたのは花だけではない。

見附橋

こちらの見附橋は、なんと大正時代に四谷にあった橋を移設復元してしまったという代物である。あいにく撮影時は修理中だったが、橋の上は道路として現役で使われている。

土地があるからといって、橋をまるごと移築してしまおうという発想に驚く。つくられたときは路面電車が下を通っていたそうだが、現在はなんとも印象的な姿池が下に鎮座している。

公園

「第3宇宙コロニーのNippon州には地球時代、Yotsuya地区にあった橋をそのまま移築し、付近の固有植物も合わせて移植した」……という物語を空想して楽しんでしまう。わたしは夜に行くのが好きなのだが、まったく誰もいなくて、この宇宙に自分一人……みたいな気持ちになっている。

家賃が安いのに交通の便が(わりと)よい

ここまで延々と多摩ニュータウンの散歩のすごさを紹介してきた。最後に若干現実的な話もしておきたい。

まずは家賃について。試しに23区で気になる地域の家賃をざっと見てから、多摩センターや南大沢、若葉台の家賃を確認してみてほしい。冒頭にも申し上げたが、同じような条件でおそらく半額から1/3くらいになっているはずである。

次に通勤・アクセスについて。都心勤務の人に、京王線で人気の駅といえば調布や仙川だろう。例えば、新宿方面に出勤するとなると、多摩ニュータウンの場合、往復で30分~40分ほど通勤時間が増えることになるが、ラッシュアワーでもさほど混雑していないという利点がある。また、家賃が安いぶん駅チカ物件を選びやすく、そうなると実質的な時間差は縮まるのではないだろうか。

また、永山~多摩センターは小田急多摩線・京王相模原線が並走していて、京王相模原線に乗れば、橋本から横浜方面に行け、新横浜から新幹線に乗れる。おまけに多摩センターは先述の多摩都市モノレールの起点でもあり、中央線方面へ抜けることもできる。

最後は買い物面について。多摩センターはそごうや三越が閉店し、規模はかなり縮小してしまったけれども依然多数のお店を擁する。南大沢にはアウトレットパークもあるし、若葉台も最も若いニュータウンとして駅周辺が急速に発展している。引越してきたころは、毎週末新宿に買い物に出ていたが、いまは多摩センター、ちょっと足をのばして立川で十分事足りている。

**

友達の多い人は都心に住んでいる友を家に呼ぶのに躊躇してしまうかもしれないが、わたしのような性格の暗い一人暮らしの中年にとってはニュータウンは天国のような場所である。いきなり引越すのはハードルが高いにせよ、多摩ニュータウンにしかない名所があるので、気になったらぜひ一度遊びにきてみてほしい。歩いてみれば、その魅力は必ずや伝わるだろう。


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著者:ココロ社 (id:kokorosha)

ココロ社

大阪生まれ。東大文学部卒業後、テレビゲーム製作を経て平凡な窓際サラリーマンとなる。傍らで珍妙なブログ「ココロ社」を運営。書籍の執筆もしており、著書に『マイナス思考法講座』(阪急コミュニケーションズ)『モテる小説』(阪急コミュニケーションズ)『忍耐力養成ドリル』(技術評論社)など。好きな犬はヨークシャテリア。

ブログ:ココロ社

編集:はてな編集部

*1:多摩市HPを参照

人の目はくすぐったくて温かいと知った、はじめての一人暮らし【西日暮里】

著者: まえかわゆうか

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正直いって、西日暮里は妥協して選んだ町だ。

はじめての一人暮らしをスタートする前のこと。住む場所を選ぶのに「知名度」という尺度しか持っていなかった私は、本当はもっと有名な町に住みたいと思っていた。けれど、結果的に西日暮里に住み、町のことを知っていくうちに、その考えは大きく変化する。

育った町では経験したことのなかったご近所さんとのお付き合いを、この町で教えてもらったのだ。住む場所の選び方はひとつじゃないんだと学んだ、日々の話。

 

住んでいるのに、町のことが分からないという感覚

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東京都・杉並区。私の実家は、西武新宿線沿いにある賃貸マンションだった。たくさんのファミリーが都心至近の住宅地で幸せを営むなかで、私も同じ幸せを享受して育ってきた。

学校にはひと学年に150人もの同級生がいて、自転車さえあれば荻窪にも吉祥寺にも行けるから、遊ぶことには困らない。塾、習い事などのコミュニティも充実しているおかげで、子どもの私が楽しく暮らすのに不自由はなかった。

 

だから、実家を出る22歳のころまで、自分が住む町にまったく関心を持っていなかったし、はじめての一人暮らしをする物件を選ぶにあたっても、町なんてどうだってよかった。

 

強いて言うならば、その当時重視していたのはその町が有名であるか否か。「へぇ、そんなところに住んでるんですか。おしゃれですね」と言われたくて、下北沢、幡ヶ谷、代々木上原、家賃6万円以下のバストイレ別、南向き物件を検索する。好都合な物件は、なかなか現れない。

じゃあ東京の東側ならどうだろう。当時は「谷根千ブーム」の直後で、ちょっと憧れていた。しかし千駄木の家はどれも7万円を超えていたし、日暮里・谷中の安価な部屋は窓の外にお墓が広がっていて、気が引ける。

 

私は仕方なく、「誰もが羨む有名な町」に住むことを断念した。

 

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家賃5.5万円、木造、トタン壁の1Kは、妥協の末にたどり着いた最善の選択肢。

西日暮里なんて……と思った。

「それどこですか?」「通過したことならあります」なんて言われるんだろうな。でも現実はこんなもん。稼げるようになったら世田谷区にトライすればいい。バイト代を握りしめ、未来に希望を託すことにした。

 

神保町から歩いて帰れる住宅地

偶然住み始めた西日暮里。そこでは、育った町では経験することがなかった『ご近所さん』と出会うことになる。

意外にも、いちばん身近なご近所さんは神保町の職場にいる上司だった。私を指導をしてくれていた上司は、仕事がなかなか終わらない新米雑誌編集者の私よりも、はるかに多くのタスクを抱える中堅編集者。同じ媒体を担当していたことから、だいたい似たようなリズムで生活を送っていた。

 

雑誌編集プロダクションらしく、毎晩終電近くなってから駅に駆け込む生活をしていたが、私はそれがまったく嫌じゃなかった。

1年で3年分働いてやろうなんて、体育会系の思考を持ち合わせていたのは幸運だったとして、それ以上に、いつでも正解を示して見せてくれる上司がいることが働くモチベーションになっていた。

 

私は、フリスビーを追いかける犬のごとく上司を追いかけていた。

 

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ある日、 終電を超えて1時間が経ったころ、上司が「俺そろそろ帰るよ」と言う。そして「歩くけど、来る?」と、加えた。終電を逃したからといって、タクシーを使う選択肢はどのみち私にはなかったのだけど、正直驚いた。

 

「夜の散歩は気持ちいいじゃん。俺はよく歩いてるよ」

神保町から西日暮里までは歩いて約50分。ロードバイクなら15分だ。とても西日暮里がお散歩のしがいがある町だとは思えなかったけれど、上司と話しながら帰れることがうれしかったわたしは、西日暮里までの約5kmを歩いて帰ることにした。

 

水道橋駅を越え、東京ドームシティの観覧車を横目に東京大学へ続く坂を下る。緑に覆われた夜道は夏でもひんやりと涼しい。なるほど、この散歩は重たい頭をリフレッシュする良い運動かもしれない。

 

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不忍通りにでたら、根津を越え、「ブックカフェ ブーザンゴ」が深夜まで営業していることを確認して、ぼんやりと灯りを灯している「古書ほうろう」を目印に道灌山交差点を目指す。それは西日暮里駅に繋がるT字路だ。私と上司はここで解散する。

 

私は山手線の内側に住んでいたので家までは50分だったが、先輩は外側に住んでいたので1時間ちょっとかかっていたと思う。山手線の内側を選んだのは無論「山手線の内側に住んでるんですね!すごい!」と言われたいがためで、より家賃の安い外側は検索の対象外にしていた。

 

暮らしているうちに分かったのだけど、山手線の外側には安くて美味しい飲み屋がたくさんあった。だから西日暮里で誰かと会うときは、決まって外側だった。

 

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一緒に帰った上司はとても面倒見のいい人で、私を西日暮里の飲み屋に何度か誘ってくれた。

入社してすぐの時に、上司と、その奥さんと、私の3人でいった、寿司屋「玄海」。「ここがうまいんだよ」と、上司が得意げに店をすすめるものだから、良い感想を言わなくてはと身構えたのだっけ。

出された甘エビの唐揚げを食べて「ハッピーターンのような(まるで魔法のこなをかけたかのような)味がします!」と言ったら、食べさせがいのないやつだと顰蹙(ひんしゅく)を買った。でもホクホクした甘エビの身は、本当に魔法がかかったかのように美味しかったのだ。

 

玄海の近くに、「なかよし」というコンビーフの鉄板焼きが有名な居酒屋があって、ここもよく訪れた。この店で、バイスサワーという飲み物を知った。そういえば、これまた近くの居酒屋「のりまる」には、自家製のバイスサワーがあったな。

「なかよし」とバイスサワーを教えてくれたのは、西日暮里の隣町田端で生まれ、長年暮らしている友人だ。彼が言うには、地元の人は山手線の外側、地図上で見て上側にあたるエリアを「下」と呼び、その逆を「上」と呼ぶのだろう。とても紛らわしいけれど、山手線を境に高低差が発生していることから呼び分けられているようだ。飲み屋が多く集まるエリアは「下」になる。

 

たしかに、西日暮里駅に続く南西側の道は切通しになっている。名門・開成高校があるメインストリートだ。

日陰がないおかげで、通勤通学時間帯は東からの日差しを、下校時刻には西日をダイレクトに浴びる。夏場は目をしばしばさせながら往来したものだ。開成高校に通う男子生徒たちの白い夏服が、キラキラと光を跳ね返していたっけ。

 

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切通しに架けられた歩道橋を登れば、小高い丘に上がれる。丘の上は緑豊かな遊歩道になっていて、体感温度でいうとマイナス4度くらいの効果があるんじゃないかと思う。遊歩道がある丘の逆サイドの丘からは、荒川区の住宅群を一望できる。

 

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これはたしかに、「上」「下」と呼び分けられるわけだ。

私は町の人たちと同じ言葉を持てたことを少しうれしく思った。

 

「ただいま」を言える人たちがいる

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「上」——私が暮らしていた山手線の内側には、目立った飲み屋はなく、代わりに生活のためのお店がいくらかあった。

駅前に店を構える、手づくりサンドイッチの「ポポー」では、出勤前に220円の野菜サンドをよく買った。食パンにマーガリン。大胆に刻まれた野菜が挟まっているシンプルなもので、コンビニで買うサンドイッチよりもみずみずしかった。昼には野菜から滲み出たエキスでパンがいい具合に湿る。私はそのべっちょりとしたサンドイッチが大好きで、お弁当をつくり損ねた日には買っていたものだ。

 

早く帰宅できた日には、ここぞとばかりにお店を開拓した。

最も通った「シルクロード」は、南インド出身のシェフが一人で営む、カウンター6席のカレー屋さん。クマールさんがつくるカレーはとてもさらっとしていて、遅めの晩御飯として食べても胃もたれをしない。女性の常連さんもたくさん見かけた。

お店に立ち寄らない日でも、店閉め作業をするクマールさんに挨拶をして帰ったりした。ただいまを言う相手がいる。西日暮里は文字通り、私の帰る町になっていたのだ。

 

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実家が東京にあるとはいえ、やっぱり帰る場所には飢えていたのだと思う。

帰宅したら、締め切っていた窓を開けて空気を取り込み、仕方なく音楽をかける生活。引越したばかりのころは、一人暮らしの寂しさに浸ってみたりもした。でもそういう時間には簡単に飽きてしまった。

 

寂しさを紛らわせたいときには、住宅地にひっそり店を構えるの居酒屋「天下一」に行った。深夜の2時ごろまで営業しているから、終電で帰った日でもふらりと立ち寄れるのがよい。店の前に掲げられた「うどん」の看板が、敷居を低くしてくれているように感じた。江戸っ子夫婦が、あれこれと話しかけてくれる、下町の居酒屋である。大将は薄い色の入ったメガネをかけている威勢のいい人で、奥さんは道で会うとUターンしてまで声をかけてくれる人懐っこい人。

私が店の前を通ると、「あら今日は遅いのねー!」とか「こないだ歩いてるのをを見たよ」とか「こないだテレビに写ってなかった?」と声をかけてくれて、いくらか会話を交わす間柄だった。生活圏にいる人たちが私のことを認識していて、気にかけてくれているということは、なんと新鮮なのだろう。こそばゆくも感じるけど、その視線の心地よさは私にも分かった。

店を訪れては、BGMがわりのに流れるテレビ番組をぼうっと眺めて、最後に明太子うどんを食べ、膨れた心とお腹を抱えて徒歩3分の家に帰っていった。

 

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西日暮里は、山手線、京浜東北線、千代田線、日暮里舎人ライナーの4路線が使える利便性の高さとは裏腹に、人が閑散としていて穏やかだ。夜の道には、ほんの少しのサラリーマンと、たくさんの猫だけがいる。

ゆるやかに人の目があるから、夜道に危険を感じたことはない。かといってそこまで干渉的な人がいるわけでもない。

 

例えば私が住んでいたアパートには、1階部分の倉庫を「鳥人間コンテスト」への出場準備場所として使っている人たちがいた。住宅地の一角で、有人飛行物をつくるというのだ。彼らの作業はかなり大きな音を伴っていたと思うが、苦情を持ちかける人はいないようだった。思っていたよりも寛容な雰囲気に驚いた。

近所には他にも面白い人たちが住んでいた。空き家をリノベーションして「西日暮里のシェアハウス」を運営している人たち、地域メディアの「TABATIME」をやっている櫻井さんほか、町を起点とした挑戦を行っている人に出会えるのもまた、西日暮里界隈の魅力。

 

住む場所の選び方をおしえてくれた、西日暮里

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しばらくして私は西日暮里を出た。

彼氏との同棲をはじめるにあたって、よりカップルで楽しめる町はどこかと考えた結果、当時の私は西日暮里を選ばず、やはり町の知名度で選びなおした。

ご近所さんがいることの心地よさは身にしみていたから、西日暮里から動かないという選択肢も、もちろん考えた。でも、次の引越しが最後ではないだろうと思っていたから、一度はどうしても叶えたかった、知名度で町を選ぶということがしたかったのだ。

そんな理由で、私たちは西荻窪を選んだ。

 

いつか、長く住む町を選ぶタイミングが来たら、「人」で町を選びたい。

その町のお店やイベントに行ってみたりして、自分がその町でご近所さんをつくれるか考えよう。

 

ベッドタウンでもない、都会でもない、下町的なコミュニティが、自然と私のご近所さんライフを切り開いてくれた。気軽に立ち寄れるお店が多く、親しみやすい人が住んでいる西日暮里が、はじめて一人暮らしした町でよかったと思う。

 

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著者:まえかわゆうか

まえかわゆうか

編集プロダクションやフリーランス期間を経て、現在はクリエイティブプロダクション所属。執筆分野はライフスタイル、アウトドア、ファッション、ローカルなど。主食はカレーでたまにインドを旅する。現在の関心事は、スパイスの育て方と南アジアの民俗学。
Twitter:@ppyuukaqq

写真:Ryuichi Kataoka・まえかわゆうか

編集:Huuuu inc.

「絶妙にコクのある、煮込みみたいな東京が好きなんだよ」玉袋筋太郎さん【東京っ子に聞け!】

インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真:関口佳代

玉袋筋太郎さん

東京に住む人のおよそ半分が、他県からの移住者*1というデータがあります。勉学や仕事の機会を求め、その華やかさに憧れ、全国からある種の期待を胸に大勢の人が集まってきます。一方で、東京で生まれ育った「東京っ子」は、地元・東京をどのように捉えているのでしょうか。インタビュー企画「東京っ子に聞け!」では、東京出身の方々にスポットライトを当て、幼少期の思い出や原風景、内側から見る東京の変化について伺います。

◆◆◆

今回お話を伺ったのは、浅草キッドの玉袋筋太郎さんです。玉袋さんは新宿で生まれ育った生粋の東京っ子。小学生のころから、西新宿のビル群や歌舞伎町を遊び場としてきました。幼少期や多感な思春期を新宿で過ごした濃密な日々は、玉袋さんの人となりや価値観にどう影響を与えたのでしょうか。また変わりゆく東京の街について、今どんな思いを抱いているのでしょうか。

ふるさとである新宿を中心に、修行時代を過ごした浅草や自身のスナックを構える赤坂など、思い入れの深い東京の街について語っていただきました。

西新宿の高層ビルを遊び場にドロケイ

――  西新宿のご出身ということですが、玉さんが生まれた約50年前はどんなところだったのでしょうか?

玉袋筋太郎さん(以下、玉さん):西新宿一丁目、新宿駅から歩いて2~3分くらいのところだね。今じゃあのあたりはにぎやかですごいことになってるけど、俺が小さいころはまだ静かで、日曜なんて誰もいなかったよ。ガランとしてて、子どもたちが遊んでいるだけだった。

玉袋筋太郎さん 取材は玉さんがオーナーを務める「スナック玉ちゃん 赤坂本店」で行われた

――  今ではオフィス街や繁華街のイメージですが、当時は多くの人がそこで生活していた。

玉さん:そう、そのあたりの酒屋や魚屋、肉屋にみんな買い物に行ってた。ヨドバシカメラだって、当時は街の小さな写真屋だったからね。実家にある家族写真は、全部ヨドバシカメラで焼いたもんなんだから。

――  今の街並みからは想像できません。

玉さん:俺が幼稚園に入る前くらいに京王プラザホテルができて、それから高層ビルがニョキニョキと増えていったんだよ。京王プラザの向かいの幼稚園に通ってたんだけど、お袋が俺を幼稚園に迎えにきて、そのままホテルの樹林(じゅりん)って喫茶店によく行ってたな。お袋はタバコとコーヒーが好きだったから。

リクエストすると、47階の展望台にも連れてってくれた。当時、一番高いところからの景色を見ていた幼稚園児は俺だったんじゃないかな。俺からしたら京王プラザは「弟」みたいなもんだよね。

――  小学生のころは、高層ビルが遊び場だったとお聞きしました。

玉さん:そうだよ。京王プラザのあとに住友ビルができて、三井ビル、野村ビル、センタービル、NSビルとどんどん増えてった。同時に俺も成長して、そこが遊び場になったんだよな。同学年の男子を集めて、ドロケイやったり。野村ビルとセンタービルが地下でつながってるからさ、ビル2棟を使ってね。

田舎だったら、駆け回る山や川があるじゃない。でも、俺たちにとっての山川は高層ビルやデパートだから。

――  ビルやデパートの他に、思い出深い場所はありますか?

玉さん:今はもうないけど、松の湯って銭湯だね。向かいに駄菓子屋があってさ、そこで買い込んだ駄菓子を風呂桶に入れて、風呂につかりながらジュース飲んでた。温泉で徳利で一杯やってる大人に憧れたんだろうね。たまに入れ墨の入った親父に怒られたりしてさ。

だいたい放課後は外で遊んで、家で飯食ったあとに「6時半に風呂屋集合な」ってなるんだよ。で、風呂屋でミーティング。そこで遊びの計画を立てて、風呂を出たら原っぱを自転車でレースだよ。転がって、泥まみれになっちゃったりして。風呂入りにいったのに、汚れて帰ってくるんだから仕方ねえよなあ。

玉袋筋太郎さん

歌舞伎町に入り浸って学んだこと

――  小学生のころから、歌舞伎町にも出入りされていたんですか?

玉さん:してたよ。当時は新宿ミラノ座や新宿オデヲン座なんかもあって、街全体が巨大なシネコンみたいだった。そのころ、映画のチラシ集めが流行ってたから、歌舞伎町は格好の場所なんだよ。子どもがそんなとこ出入りしてたら顔をしかめる親もいるかもしれないけど、俺たちの家はあんまりうるさくなかった。

――  教育上、あまりよろしくない場所ですもんね。

玉さん:ほんとにガキのころから行ってるんだから仕方ないよね。それに、そういう場所でこそ身に付くこともあるんだよ。当時の歌舞伎町にはヤクザも、フーテンもヒッピーもキャッチもいた。そこで、子どもながらに「この人はやべえな」っていうのが察知できるようになったんだね。本当に危ないことを警戒するセンサーができた。

だから、この歳になっても俺はマルチ商法とかに絶対引っかからないの。あと、芸能人にありがちな投資話とかもね。

――  高校時代には、歌舞伎町のラーメン屋でアルバイトをしていたそうですね。

玉さん:そうそう。小さいころから入り浸ってるから、歌舞伎町でバイトすることに何の抵抗もなかったの。出前にもよく行ってたんだけど、ヤクザの事務所からストリップの楽屋、デリヘルの待合所、色んなとこに持ってったな。高校のときは学校がつまらなかったから、そっちに刺激を求めてたんだな、きっと。俺自身は不良じゃなかったけど、ワルがいるところの空気が好きなんだよ。

――  当時の歌舞伎町は、今よりもっと雑多だったり、危険な雰囲気の街だったんじゃないですか?

玉さん:そりゃあ、今とは全然違うと思うよ。今の歌舞伎町は歌舞伎町じゃないと思ってるもん。歌舞伎町っていえば、生ごみやゲロの酸っぱいにおい、据え置きの灰皿から立ち昇るタバコの煙のにおいだよ。あれ、俺たちにとっちゃ浅草寺の煙(常香炉)と一緒だからさ。身体の悪いところにかけるやつ。でも、今はそういうのもなくなっちゃったな。自分の家ならいいけど、街全体をファブリーズしちまうのはどうかと思うよ。

玉袋筋太郎さん

――  歌舞伎町はもちろん、新宿の街全体が大きく変わりましたね。

玉さん:俺が遊んでた界隈も道路の拡張なんかで全部なくなった。原風景が消えていくっていうのは、ふるさとの山が削られていくような悲しみがあるよ。でも、それは東京の運命だから仕方ないよな。街は変わっていくものだって、納得はしてるんだけどね。

――  それでも新宿のことは今でも気になってしまうものですか?

玉さん:そうなんだよ、今も一日一回は新宿を通らないと気が済まない。毎日パトロールしてるよ。結婚してからは中野や杉並を転々としてきたんだけど、どうしても新宿を経由して帰れるところに住んじまうんだよな。やっぱり郷愁っていうのかな、根がおセンチなんだろうね。

ビートたけしさんに弟子入りし、浅草フランス座へ

――  芸人になったきっかけは、高校生のときにビートたけしさんの追っかけをしていたことだと伺いました。

玉さん:そう。俺は殿のオールナイトニッポンを第1回から聴いてたんだよ。当時は中学1年生で、そこから心酔していくわけ。当時、新宿の淀橋中学の同級生はみんな不良で突っ張っててさ、「横浜銀蝿が最高!」とか言ってた。でも、俺は本当のワルっていうのは、ビートたけしなんじゃないかと思ってたんだよ。

ラジオでたけしさんがするスケベな話を聞いてると、ガキのころみたいにワクワクした気持ちになった。近所のおじさんがガキを集めて、悪い遊びを教えてくれるみたいな感じかな。そっちのほうがワルでかっこいいと思ったし、それがあったから俺はヤンキーみたいなグレ方はしなかったのかなって。だから、恩人だよね。

――  憧れを募らせ、実際に会いに行かれたんですよね。

玉さん:高1の時に、たけしさんを探しに行ったんだよ。ラジオで四谷の「羅生門」って焼肉屋によく行くって話をしてたから、1日かけて自転車でぐるぐる回って、やっとその店を見つけてさ。

――  すごい執念ですね。

玉さん:それで、ラジオが終わる夜中の3時ごろに家を抜け出して、店の前で待ってた。半信半疑だったけど、だんだん軍団の若手が集まってきて、3時20分くらいにすーっと殿が来た。それが初対面だったな。「おう、メシ食ってけよ!」って気軽に誘ってくださったんだけど、そのときは遠慮して断った。もう場所はつきとめたし、いつでも会いにいけるからさ。

ただ、ズケズケ通ったりして図々しいと思われるのがイヤだったから、殿の著作が出たときなんかに限ってサインをもらいに行くっていうルールを自分の中でつくってね。

玉袋筋太郎さん

――  そして、高校卒業後に晴れて弟子入り。

玉さん:弟子にしていただいて、最初は『風雲!たけし城』のエキストラをやってた。でも、仕事といえるのはそれくらいで、これといった芸もない。すでに知り合っていた相棒(水道橋博士)とも、このままじゃダメだなってよく話してた。そんなとき、当時はまだストリップ劇場だった浅草フランス座で、住み込みで働ける芸人を探してると聞いて手を挙げたんだ。

――  かつて、たけしさんも修業時代を過ごしたフランス座ですね。

玉さん:そう。それで、きったない喫茶店で当時の劇場の社長と面談をしてフランス座に行ったら、劇場の前で殿が待っててくれたんだよ。「お前ら、ここで修業して芸人の匂いをつけてこい」って。うれしかったなあ。そうか、芸人にも匂いがあるんだって思ったね。

――  当時の浅草は、どんな雰囲気でしたか?

玉さん:今みたいににぎやかじゃなくて、歩いている人より寝ている人のほうが多かったぐらい。バブルから完全に取り残された街で、夜の8時には真っ暗。酔っぱらってフラフラのおっさんしか歩いてないような状態だったな。

住み込みの修業も苦しくて、よく芸人が若手時代の貧乏話をするけど、あのころの俺たちには誰も勝てないと思うよ。

――  どういう生活だったんでしょうか?

玉さん:朝の9時から劇場の掃除を始めて、そこから劇場がはねる(※終了する)夜の9時まで働きどおし。その後、劇場の社長が経営してるスナックを手伝うわけ。日当1000円だから、時給100円にも満たないよね。

まともに飯も食えなくて、3カ月で体重が20kg以上減ってガリガリになっちゃった。楽屋の汚い布団で寝てたからダニにくわれて身体中にブツブツもできて、病院に行ったら「こんなの戦後すぐの病気で、今時は野良犬もかからない」って医者が興奮して、図鑑に載せてもいいか?って言ってきたからね。たぶん、皮膚病の図鑑に俺の写真が載ってると思うよ。それが俺の雑誌デビューだな。

玉袋筋太郎さん

――  今でこそ明るく振り返っていますけど、当時は笑えない状況ですよね。

玉さん:大変だったね。みっともない生活をしてたと思うよ。でもね、浅草時代は本当に楽しかったんだ。同年代のやつらと親元を離れて共同生活をするのも楽しかったし、何より前説で舞台に立てるからさ。当時は相棒の博士も素人同然だし、俺なんかつい最近まで高校生だったわけだから、芸にも何にもなってないんだけどね。ストリップの客相手に泥臭いベタベタのコントをやっているのが面白かった。

本当はずっとそこにいたかったんだけど、劇場の経営者が追い出されて、その下で働いてた俺たちも居場所がなくなっちゃったんだよ。だから浅草にいたのは7カ月くらいの短い期間だったけど、濃厚だったな。

スナックで赤坂を提供する面白さ

――  新宿や浅草以外で、思い入れのある街はありますか?

玉さん:この店(スナック玉ちゃん)がある赤坂は面白い街だな。スナックを始めるとき、最初は俺の生活圏の中野や荻窪でやろうと考えたんだけど、TBSのテレビやラジオで世話になっている人たちも来やすいんじゃなかと思って赤坂にしたんだ。

赤坂ってさ、やっぱりナイトビジネスがすごいじゃない。古くはナイトクラブのニューラテンクォーターやミカド、ペペルモコがあってさ、昭和の一番ピカピカした大人たちが集まる街ってイメージがあった。だから、最初は俺が足を踏み入れていいのかなって気持ちもあったな。

玉袋筋太郎さん

――  それでも、赤坂に根を下ろしてもうすぐ3年になりますね。街の印象はどうですか?

玉さん:やっぱり大人なお客様が多いよね。変につっかけてこないんだよな。レディース&ジェントルマンが集まってくる。それに、赤坂だとスナック自体が初めてっていう人も多いんだよ。バーやクラブで呑んでた人が、スナックは面白かったって言ってくれるのがうれしいよな。

これまではさ、新宿や浅草といった街が、俺にいろんなものを提供してくれてた。でも、スナックを始めて、今度は俺が赤坂を提供する側になった。それって、すごく面白いよ。

――  玉さんは「スナック文化の発展と保存」を目的に、全日本スナック連盟も立ち上げられていますもんね。

玉さん:スナックは楽しいよ。ドラクエと一緒だから、スナックって。重い扉を開けたら、自分の職場では見かけないような人たちがいる。ドラクエも、ダンジョンによってはすげーおもしろいモンスターがいたりするじゃない。そういう場所にあえて行くことでレベルがどんどん上がって行くわけ。

例えばさ、たまたま入ったスナックで、常連のおじいちゃんがわけの分からない昔の歌を歌ってたとするじゃない。そこでジェネレーションギャップを感じて諦めるんじゃなくて、何度も通うことでスピードラーニング的に歌を覚えちゃうわけだよ。新しい呪文を覚えるみたいなもんだな。最初はホイミくらいしか使えなかったのが、最終的にベホマズンまで行く。そういうロールプレイングゲームだと思って、スナックを楽しんでほしいな。

――  まずは近所のスナックから挑戦してみるのもいいかもしれませんね。

玉さん:そうだなあ。東京にもまだスナックはあるからさ。繁華街だけじゃなくて、自宅の半径100メートル以内にあるスナック、住宅街にポツンとある店の扉を開けてみなよ。そこで長年やってる、地域に根付いたスナックは外れがないと思うよ。

例えば地方から上京してきてさ、なかなか街に馴染めないときってあるじゃない。でも、合わないと思いながらも暮らしていくしかない。そんなときは地域密着のスナックに行くことで、その街のことが分かってくると思う。そうすると、意外といい街だなって感じられるかもしれないよ。

コクのある東京を残してほしい

――  最後に、改めて東京の良さを教えていただけますか。

玉さん:東京はいいよ。よく東京は冷たいって言うけどさ、そんなことないって。東京ほど、いろんな人を受け入れている場所はないんだから。地方の人もチャイニーズもコリアンもいて、なかには怖い人やアヤシイ人もいるかもしれないけど、それが絶妙にコクを出す。東京は煮込みみたいなもんだよ。だから下手に綺麗にして、せっかくのコクなくさないでほしい。上澄みだけじゃなくて、どこをすくっても濃い東京であってほしいね。

――  今はどの街も開発されて、平均的に住みやすい街がつくられている印象です。

玉さん:まいっちゃうよね。全部が全部、そうならないでほしいんだよ。街全体のつくり方をうまくグランドデザインしてほしい。ここは残そうとか、開発されて新しくなってもこのスタイルだけは受け継いでいこうとかね。でないと、俺たちが心地いいと思う場所がどんどんなくなっちゃう。

小池さん頼むぜって思うよ。やっぱ、俺が都知事になろうかな。

玉袋筋太郎さん


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お話を伺った人:玉袋筋太郎(たまぶくろ すじたろう)

玉袋筋太郎さん

1967年生まれ。東京都新宿区出身。高校卒業後、ビートたけしに弟子入り。1987年、水道橋博士と浅草キッド結成。著書に『新宿スペースインベーダー―昭和少年凸凹伝―』『浅草キッド玉ちゃんのスナック案内』、コンビの著書に『キッドのもと』など多数。一般社団法人全日本スナック連盟会長を務め、自身がオーナーを務める「スナック玉ちゃん」の経営も行っている。

Twitter:@snack_tama
HP:スナック玉ちゃん 赤坂本店

聞き手:榎並紀行(やじろべえ)(えなみ のりゆき)

榎並紀行(やじろべえ)

編集者・ライター。水道橋の編集プロダクション「やじろべえ」代表。「SUUMO」をはじめとする住まい・暮らし系のメディア、グルメ、旅行、ビジネス、マネー系の取材記事・インタビュー記事などを手掛けます。

Twitter:@noriyukienami
WEBサイト:50歳までにしたい100のコト

編集:はてな編集部

240万円で買った家と年間100万円の出費で、好きなことを優先して贅沢に生きる暮らし方の一例【いろんな街で捕まえて食べる】

著: 玉置 標本 

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(撮影:宮沢豪)

首都圏から地方に移住した友人は何人かいるが、その中でもじっくりと話を聞いてみたかったのが、「ざざむし。」というサイトを運営する日比野理弘さんだ。「ざざむし。」は、自分の力で食材を手に入れ、その個性にあわせて調理して、固定観念に惑わされることなく評価する喜びを教えてくれる稀有なサイトである。

ただそこに書かれている内容は、釣った魚とか摘んだ野草を食べてみましたというレベルではない。例えば本人が花粉症なのにスギ花粉を集めて自家製麺に練り込む、昆虫食として注目を集める便所バチの幼虫を自家養殖する、杏仁の香りがするフェモラータオオモモブトハムシの幼虫を絶品デザートに仕上げる、ナメクジは腹を壊すという説を大真面目に考える、さまざまな有毒植物を試してみるとかなのだ。

こんな感じに相当どうかしている(良い意味で)日比野さんが、長く住んでいた神奈川県から、2017年に富山県へと引越したのである。

退職のタイミングで18年間住んだ神奈川を出る決心をして、中古の家を買った

今回のインタビューは、移住先である富山県に金曜の夜から月曜の朝まで滞在し、日比野さんにとっての日常といえる海釣りやキノコ狩りへと同行。その採取生活ぶりを見せていただいた上で、一緒に集めてきた食材を食べながらじっくりと話を伺った。

ちなみに日比野さんと富山で会うのはもう4回目で、彼が神奈川に住んでいたときより会っているかもしれない。いつも会ったときは全力で遊んでしまうので、ゆっくり話を聞くのは今回が初めてだ。

f:id:tamaokiyutaka:20191120223548j:plain土曜日は日比野さんの友人が所有する船で、アオリイカやアカムツ(ノドグロ)を狙った。ほぼ毎週末ごとに季節のターゲットを釣っているそうだ

――もともと神奈川県に長く住んでいたんですよね。

日比野理弘さん(以下、日比野):「神奈川の相模原に18年。ずっと同じアパートに住んでいて、このまま家賃を払い続けるのも馬鹿らしいし、仕事をやめるタイミングでどこかに引越そうと思って。それが40歳くらいかな、5年前。でもそれまで仕事で自由が無かったので、とりあえず遊ぼうと。国内を走り回ったり、南米のアマゾンまでいっちゃったり」

――引越しを後回しにして、ようやく手に入れたロングバケーションを堪能したと。

日比野:「そのまま1年以上遊んじゃって、いい加減引越そうと思って、じゃあどこにしようかなって。友達が北海道に移住していたんだけど、その人はウインタースポーツをやるんですよ。でも私はスキーやスノボーはまったくノータッチ。寒いと動かなくなるので雪に埋もれるところは除外して。南は南で魅力的なんだけど、沖縄とかにいっちゃうと遊ぶこと以外、頭に浮かばなくて。仕事あるのかなー、楽しすぎて仕事しないんじゃないかなーって。結局のところ富山でも仕事していないけど。貯金から考えると何千万円っていう家を買える訳ではないから、南だとしょぼい家を買っても台風で飛ばされて終わりじゃねって。行ったら行ったで楽しいのは間違いないんだけど、台風が直撃する不安しかなくて」

――北過ぎたり南過ぎるのは、なにかと不安だった。

日比野:「人だらけも避けたいから大阪とかも無し。最終的に候補で残った何カ所かで中古物件を探して。最初は500万~600万円くらいで探していたけど、『さっき売れちゃったんです』っていうのをちょいちょいくらって。拾い物みたいな優良物件とか訳アリっぽい築浅物件は、転売目的の業者も狙っているらしく、すぐに売れちゃう。やっぱり実際に見ないと決められないし、遠いと不利で」

――ネットに出ている情報だけじゃ、土地勘もないし家は買えないですよね。

f:id:tamaokiyutaka:20191120223705j:plain船長の河合さん。天婦羅を揚げるのが上手なので天オジと呼ばれている。日比野さんとの関係は後程

日比野:「良い物件を探していると、いつまでも引越しできない。もう大きなマイナスがなければいいやと。それで予算のラインをガーンと下げました」

――予算を上げるんじゃなくて、下げたんですか。

日比野:「地方だといつまでも売れていない古い物件がわんさとあるんですよ。あっちこっちの不動産屋にそういう同じ物件が出ていたりするんで、こっちの方向で探してみるかなと。そうすると予算は300万円。取り壊し前提だったり、リフォームしないとダメな家も多いですけど」

――家というか、ちょっとした車の値段ですね。掘り出し物から見切り品狙いにチェンジだ。

日比野:「今の家は土地込みで240万円くらいでしたね。それまで住んでいたアパートが家賃5万だから、4年もてば元がとれるくらいの感覚で、ここにしようと。地形的に洪水や土砂崩れにも強そうな場所だし、雪もそこまで降らないみたいだし。もう築45年くらいかな。自分の年齢と同じくらい」

――近隣に家がないような場所を勝手にイメージしていたんですが、普通の住宅街で驚きました。

日比野:「この家が建ったころに開発された、当時の新興住宅地みたいですね。だから住んでいる人たちの平均年齢は高いですよ」

――240万円の家はリフォームしないで大丈夫でした?

日比野:「来たときにキッチンの水道をひねったら、蛇口が水圧でスポーンと飛んで、急いでホームセンターで新しい蛇口を買ってきたりはしました。嵐のときには天井からピチョピチョ雨漏りの音が聞こえてくるから、晴れてから屋根に登って応急処置をしたり。それでも修繕費はなんだかんだ10万円くらいだと思いますよ」

――笑い話ですむ程度でよかった。自分で修理できる範囲が広いと強いですね。

日比野:「高所恐怖症なんで、屋根に登るのは苦手なんですけど」

――そんな弱点があったんだ。引越してから近所づきあいってあります?

日比野:「自治会の絡みで除雪委員になっているくらいですね。小型除雪車の講習を受けたんですけど、大雪の時に徳之島に行ってて『大変な時にいなくて、終わってから帰ってくるんだもんなー』って言われました。移住は人間関係が一番不安ですけど、自分次第じゃないですかね。よっぽど閉鎖的なところじゃなければ。私は自分からどんどん行くタイプじゃないから、分かってくれる人たちとそれなりにやれればいいのかなって。自分はインドアタイプなんで」

――アウトドア好きの引きこもりだ。地域に溶け込もうとしなければ、ご近所とは挨拶程度でいいっていうのは、都心部も一緒ですね。もちろんケースバイケースでしょうけど。

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私にも釣れたけど、豪快に墨を吹かれてしまった

富山という場所を選んだ理由

――いくつか候補として挙がったエリアから、最終的に富山県にしたのは何か決め手があったんですか。

日比野:「富山は山脈で囲まれていて強い台風があまり来ないし、大きな地震があったとしても、水深が深いから津波を食らいにくい。震災の後だったので、いろいろ気になって。それに引越し先を探しているころ、富山で釣竿をつくっている人からホタルイカをすくいませんかって誘いがあって、そこから何人かつながったんです。そのときは富山がぼんやりと候補の中にはあったけど、まだ決め手がなかった時。誰も知らない人しかいない土地は、ちょっとハードルが高いじゃないですか。それはすごい安心材料になりました」

――やっぱり知り合いが多少いるところがいいなと、私も移住するなら思います。

日比野:「とはいっても、進学で関東に住み始めたときも誰も知らなかったんで、どこも住めば都なんじゃないのっていう感覚もあって。そこまで重視してなかったけど、でも物件を探していたら知り合いがたまたまできた。安心材料になったところで、ここが見つかったんでね」

――きっと富山に縁があったんですよ。

日比野:「ただ雪はそんなに降らないよっていう話だったのに、引越した年に数十年に一度レベルの大雪がドーンって降ってきて、あれには参りました」

――さすが。

f:id:tamaokiyutaka:20191120223818j:plain高級魚のアカムツも船長のおかげで見事ゲット。二人にとっては釣れて当然のターゲットらしいです

f:id:tamaokiyutaka:20191120223841j:plain口の中にアカムツノエと呼ばれる寄生生物がいるのを見つけて、日比野さんがアカムツ以上に喜んだ。まさかそれも食べるの?

富山での食生活あれこれ

――富山に来た理由として、これまで「ざざむし。」でやってきた、捕って食べる的なことが、これまで以上にいろいろできるかもっていうのはありました?

日比野:「必要に応じて普通にやるんじゃないかなとは思っていたけど、特に何が目的とかはまったくなかったんで。目的があると、それを達成したらまた引越ししなきゃいけなくなるかもしれない。行ってみたら、なにかおもしろいもんあるでしょ?って」

――そうか、あくまで普通のことなんですね。実際に来てみてどうでした?

日比野:「魚種が想像以上に少ない。富山って魚が美味しいところっていう印象があるじゃないですか。もちろん美味しい魚も多いけど、全部の魚がうまいわけじゃないし」

f:id:tamaokiyutaka:20191120223910j:plainたまたまマグロが釣れたけれど、漁師も我慢しているんだからと丁寧にリリース

――富山に来て、特においしかった魚はなんですか。

日比野:「メバルですね。脂の乗りが半端なくて、上から見たときに尻尾まで太い。小さくても、なんでこんなに丸いのって。特にでかいのは関東のとこんなに味が違うのかよって。ウマヅラハギもこっちのほうが絶対うまい。肝の色とか全然違うし。でもアジなんかは東京湾のほうが美味しい。梅雨ぐらいから突然脂が乗り始めて小さくても刺身で最高なんだけど、それをこっちの人に言っても信じてもらえない」

――太平洋側と日本海側だと、同じ魚でもそこまで味が違うんだ

f:id:tamaokiyutaka:20191120224008j:plainアオリイカは小さいのを逃がして、食べる分だけをありがたくキープ

f:id:tamaokiyutaka:20191120223956j:plainアカムツに加えて、アマダイ、カワハギ、カサゴなども釣れた。カメラマン含めて4人分の釣果

――今の時期だとキノコはどうですか。どっさりありそうですけど。

日比野:「関東のほうがあるんじゃないかなー。意外とないんですよ。こっちだと食べる習慣のないキノコが多くて、ハツタケとか誰も採らないから場所の情報もないし。神奈川でよく採っていたアミガサタケのイエローも、絶対生えるだろっていう場所を見つけたのに、最初の年が1本、翌年2本、今年ゼロ。でも、だからこそ新規開拓の楽しみはあります。それこそ関東だとやっぱり採る人も多いじゃないですか。こっちはライバルがいないから、場所さえ見つけさえすれば勝ちなんで」

f:id:tamaokiyutaka:20191120232406j:plain食べる分だけ釣ったところで、近所でキノコ探しもちょっとした

f:id:tamaokiyutaka:20191120232429j:plain先週だったら一面に生えていたのにと残念がられつつ、名残のハツタケなどを少々いただく

富山でたまたま出逢った大学の先輩

日比野さんの家から車で15分くらいの場所に住み、最近では毎週のように一緒に釣りをしたり、キノコや山菜を採りにいっているのが、富山で生まれ育った河合要さんだ。

まったくの偶然だが、二人は同じ大学、同じ学部(具体的には増殖生物学でサケ・マスの養殖を研究していたとか)出身で、三陸にあった同じキャンパスに同じアパートから通っていたそうだ。河合さんが先輩で学年的に入れ違いのため面識はなかったが、日比野さんが引越し先を探しているころに、共通の友人を介して「同じ大学らしいよ」と紹介され、ここ富山で巡り合った。

f:id:tamaokiyutaka:20191120231253j:plain土曜日の夜は河合さんも交えて、釣った魚や採ったキノコを食べる会を日比野家で開催。壁紙こそ古くはなっていたが、これで240万円なのかと驚く状態の良さだった

――よく一緒に遊んでいるみたいですけど、河合さんにとって日比野さんはどんな存在ですか。

河合要さん(以下、河合):もう沖釣りを10年以上やっていて飽きてきたのよ、だいぶ。自慢じゃないけどアカムツでもアマダイでも、たいてい釣れるっていうのは分かっている。もうポイントとかパターンを把握しているんで、毎年その確認作業でしかない。イカなんて釣ろうと思えば何匹でも釣れるけど、たくさん釣れてもね」

――二匹目以降はイカ同文ってね。

河合:そうそう、イカだけに以下同文ってバカ。昔は自分が竿を何本も出したいから、人を乗せずに一人で船を出してやっていたんだけど、日比野君とかと知り合ってから、これは気を使っているんじゃなく、彼ら優先でやりたいことをやらせる。すると新しい発見があるのよ」

f:id:tamaokiyutaka:20191120224059j:plainアオリイカの薄皮を丁寧に剥く日比野さん。仕事が丁寧だ

f:id:tamaokiyutaka:20191120231313j:plainアカムツの炙りは、紙と一緒に皮を燃やすことで、バーナーのガス臭さを消しつつ本能に訴えてくる香ばしさを纏わせる方法を教えてくれた。本当は数日寝かせたほうがうまいそうだ

――新しい発見って、具体的にどういうところですか?

河合:「エサでアカムツを何匹も釣れることは分かっているけど、マイクロジギングっていう小さいルアーでアカムツを釣ってみようとか、考えもしなかった。たまに掛かる迷惑な外道だとしか思っていなかったヌタウナギを狙って釣ろうとか。カットウっていう北陸であまりやらない釣り方を教えてくれたり。これは私が沖釣り歴3年とかで、自分のやり方でいっぱい釣りたいころだったら賛同していなかったと思うよ」

――ちょっとマンネリになってきたところで、タイミングが良かったんですね。

河合:「キノコもそうで、わしはばあちゃんから『土から生えているキノコは食べるな』って教わったから。よく採っていたのはナメコやムキタケくらいで、アミガサタケなんか知らなかった。移住者である日比野君と遊ぶようになって、アミガサやハツタケを知って、採って食べるようになったのよ」

――海外への移住とかじゃなくて、国内でもそういう食文化の交流ができるっていうのがおもしろいです。

f:id:tamaokiyutaka:20191120231530j:plainアカムツ、アオリイカ、カサゴ、カワハギの贅沢な刺身盛り合わせ。アオリイカは部位や切り方で何種類もの食感が楽しめた

f:id:tamaokiyutaka:20191120231610j:plain釣ったアオリイカ、トラギス、採ったハツタケ、購入したシロエビの天婦羅、そしてムカゴとアカムツノエの唐揚げ。揚げたのは天婦羅名人の河合さんだ

f:id:tamaokiyutaka:20191120231626j:plainこの豪華な盛り合わせの中で、一番感動したのはアカムツノエだった。私が食べたいからとスーパーで買ってきたシロエビが霞む圧倒的な旨味の濃さ。一見すると巨大なダンゴムシか白いフナムシだが、アカムツの体液だけを吸って育ったのだからうまいという理屈を聞いて納得

河合:「アマドコロっていう山菜も日比野君が教えてくれて、自分の土地の山にすげえ生えていた。ここらじゃ食べる習慣がないけど、わしは図鑑で知っていて食べてみたかった。でもその写真が良くなくて、それだと思っていなかったのよ」

――「え!これなの!」って。なんだか目に浮かびます。

河合:「食べたらほろ苦さと甘味があってうまい。日比野君はどういう場所に何が生えるのか、どう食べると美味しいかを教えてくれる。こっちは地元のプロとして、土地勘があるからそのポイントを提供できる。そのキノコだったら、そういえば仕事で通るところに生えていたなーって。見えてなかった山菜を、採る気のなかったキノコを、じゃあ食ってみようかってなるのが楽しい。このアカムツノエだって、絶対食べようとは思わんかったよね」

――最高の異文化交流じゃないですか。

河合:「例えばコゴミの太いのあるよって教えて、喜んでもらえるとこっちもうれしいし。そうか、そんなすげえんだって。こっちだとそこまで珍重してなかったりするから。もちろん誰でも仲良くなれるわけではない。やっぱり夫婦と一緒で、価値観が一緒じゃないと続かないのよ。釣りすぎる、採りすぎる、そういう人間と一緒になりたくない。適度なところで、これくらいでやめようねっていえる間柄じゃないと」

――それは大事ですね。肝に銘じます。

河合:「わしの罪は、日比野君のオカッパリ(陸からの釣り)欲を削いでしまったことだね。週末の船が出られるときは、ほとんど二人で海に出ているから。それでもカレイの釣り場とか見つけたみたいだけど。それにしても、なにも言わずに富山へ引越してきたのは驚いたわ。自分の車で8往復して荷物を運んだんでしょ。言ってくれたら手伝ったのに」

――家を買ったことをいわなかったんだ。

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締めはアカムツラーメン

f:id:tamaokiyutaka:20191121152353j:plain日比野さんからピカピカの製麺機(貴重な小野式2型両刃型)をお借りしての麺づくり

f:id:tamaokiyutaka:20191120231742j:plain富山ブラックならぬ、富山レッド(アカムツだけに)。どこまでも優しく上品な味わいで、ラーメンとしてはパンチが弱いが、疲れた体に穏やかな旨味と滋味が染みわたる

食べきれないほどの収穫がある家庭菜園

日比野さんの食生活を支えるのは、自然界から採集してくる食材だけではない。自宅の庭につくった家庭菜園で育てている野菜の割合も大きいそうだ。

f:id:tamaokiyutaka:20191120231843j:plain日比野さんの家庭菜園。オクラ、パプリカ、落花生、大根、サツマイモなどが植えられていた

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玄関の前には摘んできたクレソンがどっさり

――家の敷地内に畑があるのはすごくいいですね。これも物件選びのポイントになったんじゃないですか。

日比野:「もともとはツツジとかアオキとかの庭木が植えられた普通の庭だったのを、自分で畑にしたんです。クワとスコップで掘って。業者に頼むと木を一本抜くだけで何万も掛かっちゃうから」

――え!そういえばお隣さんの家は普通の庭ですね。

日比野:「あんな感じ。土も石だらけだったので拾って、庭の一番端を掘って掘って、そこに石を埋めたので、あそこだけ水捌けがいいんですよ。上にアスパラを植えてあります。バカでかい庭石もあったから、すぐ隣に穴を掘って、どうにか沈めました」

f:id:tamaokiyutaka:20191120231859j:plainここが庭だったとは思えない菜園っぷりだ

――すごい、庭先開墾生活だ。

日比野:「これくらいの広さでも、必要最低限程度の家庭菜園はできます。小さな庭なんで、効率がいいものと、なんとなくつくりたいものくらいですけど。野菜は春先から秋口くらいまでは、どうしても必要なものしか買わないですね。刺身に添える三つ葉とかシソとかミョウガとかの薬味もどんどん生えてくるし。ハーブが好きなのでフェンネルとかローズマリーも植えてあります。冬は大根とかを採りつつ保存食ですね。水煮してあるネマガリダケとかワラビとか」

――仙人の生活みたいですね。

「自分でつくった野菜だと、やっぱり感情移入が生まれる。でも舌は素直なんで、だからすごく美味しい!とはならないんですけど。効率はいいですよ」

f:id:tamaokiyutaka:20191120231915j:plain山から採ってきたムカゴを植えて育てているヤマノイモ。ここに実ったムカゴが食べられるだけでなく、この成長具合から山のムカゴの状況が予測できるのだ

――でも家庭菜園って、逆にお金が掛かったりしません?

日比野:「収穫できた量を、無人販売の安い値段でざっくり金額換算してみたら、今年だけで5万円分くらい。苗を買ったり肥料を足したりの費用を抜いても、余裕で4万円分はプラスなので、家庭菜園は絶対にやったほうがいいですよ。延々野菜だけ食っていてもいいくらい野菜が好きなんですが、それでも一人だと消費が追いつかなかったです」

――ちなみにおすすめの野菜は?

日比野:「トマトは大玉よりも、中玉か小玉がめっちゃとれて効率いいです。キュウリも二種類を一株ずつ植えておくだけで、もう食べるのが追いつかない。昨年はカボチャを育てていたんだけど、あれだけ広がって最終的に食べられるのが実だけっていうのに腹が立って、今年はサツマイモにしました。茎や葉っぱもうまいんで。甘いんですよね、みんな食べられるの知らないのかな」

――ここまで本格的にやるの、大変じゃないですか。

日比野:「大変なのは最初のうちだけ。種や苗を植えてすぐは水を切らさないようにするけど、一カ月を過ぎれば放っておいても何とかなっちゃうんで」

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裏庭に植えられたサトイモ。食べたくなったら抜けばいい常備野菜だ

日比野:「田舎に来たらいろんなものを食べるかなと思ったら、育てた野菜に追い立てられて、雑草なんか食わねえ!ってなっちゃうんで、草に手を出している暇がない。自分でつくると、品種改良された野菜の効率の良さすげえ!って思いますもん。サトイモとか買ってきたのをちょっと植えただけで何倍にもなるし。摘んだ野草を食べるというのは、庭がない都会の人に合った楽しみなのかなって。田舎の人がわざわざ採るのは、自分でつくれなくておいしいものだけ。キノコだったり、山菜だったり」

庭木を抜いての開墾作業はちょっとハードルが高いかもしれないが、やはり玄関を出てすぐ畑がある生活は便利そうだ。もちろん害虫駆除や草むしりといった日々の世話を苦だと思わないタイプだからこそ、菜園の維持が成り立つんだろうけれど。

使うお金は全部で年間たった100万円

ここまでの話だけでも十分参考になったのだが、やっぱり気になるのは具体的なお金の話である。

f:id:tamaokiyutaka:20191120231950j:plain日曜はちょっと遠くまでキノコ狩りにいってみた

――答えられる範囲で教えてほしいんですけど、日比野さんの生活って、どれくらいお金を使いますか?

日比野:「沖縄とかへ遊びにいったお金や、保険とか年金も全部入れて、使ったのが年間100万くらい。食費に関しては、米は実家がつくってるのを送ってくれるので助かってます。割と食うほうなんで、一食1.5合とか。昔は3合でしたが。米を買っていたら大変だと思うけど、買っていたら小食になると思う。魚は釣るから、特に『いいな!』って思うとき以外は買わない。釣り道具はハリとかなら一生分くらい在庫があるし、エサは春に拾ったホタルイカを使えばタダだし」

――釣りたての魚と採れたての野菜を食べる贅沢な生活が年間100万円!

日比野:「ほとんど余生状態」

――ご隠居だ。

日比野:「今、インターネットで仕事がなんとでもなる人は、どんどん地方に行けばいいのにって思うんですけどね。15万も稼げれば豪遊できるっしょって。老後の蓄えどうすんだとか言われるけど、そんな長生きする気もまったくないんで。将来の心配をして、今一番楽しい時代が無駄に終わるなんて、もったいないじゃないですか。ガツガツと貯めるより、楽しみながらギリギリでやっていくことで、少しのお金で生きていける方法を知る。金が無くても楽勝で生きられる生活がイメージできたら、なにも怖くないじゃないですか」

――お金を稼ぐ努力をするよりも、お金を使わない生活に慣れたほうがいいと。今は特に仕事をしていないんですか。

日比野:「たまにバイトはしてます。好きに書かせてくれる媒体があればライターをやったりも。真面目に働けばすぐに貯金はできると思うんですよ、社畜として働くのは割と慣れているんで。でも働き出すとそのままレールに乗っちゃって、辞め時がわからなくなる」

――オンとオフの差が激しい。

日比野:「そうすると庭の木を抜いたりする気力がなくなっちゃう。週末の天気のいい日じゃないとできないし、天気のいい日は釣りに行きたい。夏は暑いし、冬は寒い。こっちに来て、もうちょっとアクティブになんかやるかもなって思っていたんですけど。おもしろいことができたらいいなって。今までがサラリーマンだったので、サラリーマンじゃないなにか。とりあえず今はエンジョイしてます。先立つもの的な問題で、あと1年くらいでエンジョイできなくなっちゃいますが。もうちょっとゆっくりして、新しいことがあればいいんですけどね」

日比野さんは人生における足し算と引き算が上手だ。上手というか独特というか。残すものと削るものがしっかりと決まっている。その上で自分のリソースをどこに割り振るかの判断にブレがない。

誰もが何らかの形で、喜びを探しながら生きていく。なにで喜びを感じるかは人それぞれであり、なにを優先するのかは自分で決めればいいんだと、当たり前のことを気づきなおす富山旅行だった。旅行じゃない、出張だった。

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関東で見たことがない、このファボールサンドという長いパンがうまかった

そして始まるインタビューの第二部

ここから先は移住の話とはあまり関係なく、私が日比野さんに聞きたかったことの記録となる。ある意味、インタビューの本番はここからなので、ご興味のある方は引き続きお読みください。

――今更の質問ですけど、出身はどこですか。

日比野:「岐阜の生まれ。海から遠い場所で、河口まで約40km。初めて釣りをした記憶はないけれど、幼稚園のころ、親に連れて行ってもらったのが最初なのは間違いないかな。自分で道具を用意して釣ったのは小学校1年。落ちていた竹に、落ちている糸やハリをつけて、ハゼを釣ったのは覚えている。頻繁に行ってたのは長良川で、釣れるのはフナ、ナマズ、ウグイあたり

――海釣りではなく川釣りからスタートなんですね。やっぱり釣ったら食べてました?

日比野:「全部食ってた。フナは洗いか、フナ味噌という郷土料理。大豆と一緒に味噌とかで汁が無くなるまで煮たやつ。もうつくる人はほとんどいないんじゃないかな。ナマズは天婦羅かフライ、ウグイは甘露煮とか」

河合:「フナ味噌ってそうなん? 鯉こくみたいな味噌汁かと思ってた!」

f:id:tamaokiyutaka:20191120232015j:plain秋の山っていいですね

日比野:「釣ってきたものイコール食べるもの。その中にいたから、釣ったら持って帰りたいっていうのが自然に植え付けられていたので、そこから脱却するのが大変だったんですよ」

――脱却とは?

日比野:「長良川はまあまあきれいだったんだけど、その支流のきったない小さい川にも通っていて、そこで釣ったフナとかを家にあった池にいれておくと、じいさんが勝手に料理しちゃう。親父に『持って帰るな!』って怒られて。自分が釣ったものでも、臭いのは喉を通らない。ナマズはあれでトラウマになりましたね」

――そういう話ですか。ブラックバスのキャッチアンドリリースの話かと思ったら。

日比野:「ブラックバスも持って帰ってみんな食べていましたね。小学校の5年か6年のころ、ブームに乗って安いリール竿を買って。最初に釣ったのはちっちゃくて、その直後に推定45cmの大物が掛かったんだけど、竿をぶん曲げられて、なけなしのおこづかいで買った1050円のルアーをロストするという。その1匹目は刺身で食ったのかな」

――淡水魚の刺身!寄生虫的にダメなやつだ

日比野:「普通に刺身で食べてましたね。バスだけじゃなく、フナからコイから淡水魚を生で食べる地域だったから。絶対ダメなんですけど。ブルーギルはバスよりも先にたくさん釣っていて、川で一歩も動かず100匹とか釣れましたね。しかもでかいんですよ。糸が切れない限り延々釣れる。手のひらサイズ(ブルーギルとしては相当大きい)が100発100中。そのまま料理してって母親に言うとさすがに怒られるから、自分で三枚におろして、唐揚げとかで食べてましたよ」

f:id:tamaokiyutaka:20191120232054j:plain本命のナメコはまだベビーサイズ。ちょっと早かったみたいだ

日比野:「昔だから、そこいらで焚火して、塩を掛けて焼いて食ったりもするんだけど、一回塩を忘れてそのまま焼いたら、めっちゃ生臭くて。『塩すげえ!生臭さを抑えていたやん!』って興奮しました」

――塩すげえって。なかなか体験できない原体験だ。

高校を卒業後、進学のため神奈川県で1年間過ごし、翌年から通う学部のあった三陸へ。そこは学校の裏に熊や鹿がくるような田舎町で、住んでいたのはアパートから海まで歩いて1分だが、一番近い商店(ホットスパー)までは7km。そこは夜7時閉店で、イルカの心臓とか普通に売っていたとか。

当時は極太サンマが一匹30円、脂の乗った戻りガツオも一匹300円で、自分で釣ったり、漁師の大家などからもらうことも多く、舌が肥えまくりの青春を過ごしたので、今でも魚の味にうるさい二人なのだった。

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森には毒キノコもたくさん生えているよ

捕まえて食べる判断基準

日比野さんの食べ物に対する、偏見のないフラットなスタンスが好きだ。ナメクジやアメフラシを食べているなと思ったら、イタドリでオシャレなジャムとか、キンモクセイでキュートなゼリーをつくったりするギャップも魅力。かといって、やたらめったらなんにでも手を出すという感じでもない。

――日比野さんは一見なんでも食べちゃう人みたいだけど、単純な受け狙いとは違いますよね。食べる食べないの判断、興味を持つかどうかの基準ってどこなんですか。

日比野:「分かりやすい基準があって、食材として考えたときに、どれぐらい意味があるか。たくさん簡単にとれるものがあって、それが食べられたらすごいラッキーじゃないですか。例えばイナゴとかはそうですよね。普通に大発生して美味しいから普及した。逆にめちゃめちゃあるんだけど普及しない、流行らないのが野生の豆とか。小さくて効率が悪い。それは野菜を育てるとよく分かります」

――なるほど。効率重視なんですね。

日比野:「もう一つは、少なくても小さくても、食べてみたくなる個性があるもの。食材としてとんがっているもの。ハーブとかスパイスと同じで、少しの量でもインパクトがあるものなら、使い方によっては光る可能性があるので。ミントとかドクダミとかカメムシが同じラインに位置してくる感じですかね。その利用価値を考えるのが楽しい」

――カメムシ! 昆虫食のジャンルだと、買ったタランチュラやサソリを食べる人も多いですが、そういった自分では手に入らないものを、お金出して食べたい欲望もありますか?

日比野:「それが興味を満たしてくれるなら、それはそれでいい思います。昔はそういうのもかたっぱしから試してみたいっていう感覚もあったんですが、養殖されているやつって、誰かが決まったエサを与えている。エサによって味が決まっちゃうっていうのは分かっているから、天然状態の味と同じとは限らない。養殖されたものは養殖されたものっていうジャンルでしかない。養殖物だけを食べて、『〇〇を食べたことがある』って、うまいまずいを言うのはちょっと違うかな。今の時期ならジョロウグモがいいですよ。虫としてはでかくなるし、抱卵してくると身詰まりが良くなるんですよ。これは食べない理由がないですね」

――ジョロウグモ……ですか。

f:id:tamaokiyutaka:20191120232037j:plainこぶしよりも大きなムキタケを見つけて喜ぶ日比野さん。収穫の喜びはいつだってプライスレスだ

日比野:「売っているザリガニとかも、茹でてから冷凍したものだと、やっぱり質が落ちると思うんですよ。そういうのを食べて、大したことなかったとかいうのはどうなんだろうなって。最高の状態を食べて評価したいじゃないですか。仮にまずかったとしても、自分がどこで捕って、どう料理したのか分かれば、まずかった理由がちゃんと説明できる。

――一人トレーサビリティだ。前に東南アジアから輸入されたコガネムシの揚げたやつをもらって食べましたが、それがすごくまずくて。でも何が理由でまずくなったのかは分からなかった。酸化してまずくなったのか、調理法の問題なのか、そもそもコガネムシがまずいのか。

日比野:「環境で味が変わるといえば、分かりやすいのがガの幼虫ですよね。特定のエサしか食べないタイプだったら味も固定化される。有名なものだと桜の葉っぱだけで育ったサクラケムシ(モンクロシャチホコ)とか」

――桜餅の香りがするっていいますね。

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まさかのムラサキシメジに喜ぶ二人。訪れるのが数日ずれていたら出逢うことのなかったキノコだ

日比野:「逆に広食性で、あれも食べる、これも食べるっていう幼虫だと、何の草を食べたかで味が変わってくる可能性がある。そこまで把握した上で『△△で育った〇〇の終齢幼虫を食べた』って言えないと、ちゃんとした評価はできない。料理によっても印象が全く変わってくるし、難しいですね」

――幼虫の種類だけじゃ情報量が足りな過ぎると。ソムリエがワインを評価するときに、国やブドウの銘柄だけでなく、畑の状況や年代、醸造者の個性などを把握しておくのと一緒だ。

日比野:「興味がありつつ、まだ試せていないのがセミ。セミって幼虫の期間は土の中で根から汁を吸って、何年もかけて成長している。あまり動き回らないだろうから、同じ木に依存して育つはずなので、ちゃんと食べ比べて『〇〇の木で育ったアブラゼミはうまいんだぜ!」って言えるようになりたい。味の違い、絶対あると思うんですよ。そういう話ができるようになったら濃いなーって」

――濃いですねー(白目を剥きながら)。

f:id:tamaokiyutaka:20191120232202j:plainこの見た目で食用キノコってすごくないですか

日比野:「きっと成虫でも味が違うんですよ。その可能性はクスサン(ヤママユガ科のガの一種)が教えてくれました。幼虫の味が違うのはまだ分かるじゃないですか。体の中に葉っぱの風味が染み込んでいるんだなっていうのは。でも蛹になる時点で糞をして、余計なものを全部排出して生まれた成虫のガが、幼虫時代の食草を味で反映しているっていう」

――これが数日前なら、さっきからこの人なにいってるんだろうって思うところでしたが、アカムツの体液だけを吸って育ったアカムツノエがすごくうまかった実体験があるので、今ならすべてを素直に聞けます。続きをどうぞ。

日比野:「クルミの葉っぱを食べて育ったであろう幼虫の成虫は、クルミの味がしたんです。クルミの実じゃなくて、アクの強い葉っぱを食べていたのに、実を焙煎して中を割って食べた、あの味がものすごいするんですよ!」

――それはすごい! でもガを食べながら「胡桃の味がする!」っていっても誰も信じないですよ。よくガを食べようと思いましたね。

日比野:「昔はそんな気、全くなかったんですよ。鱗粉だらけで食べるに値するとは思っていなかったんだけど、長野の食文化にカイコの蛹だけじゃなく、成虫を食べる文化があることを知って。鱗粉を洗い流して佃煮にして、缶詰とかにもなっていた。食べるとたまに卵がボリボリってしてアタリ。そういう経験があったから、クスサンの成虫も大丈夫っしょって食べてみたら、やべえこいつって。めっちゃクリーミーでジューシーじゃん。見た目がそのままなので、かなりえぐいですけどね」

――美味しいんでしょうけど、成虫のガはちょっと迷いますね。ガかー。

日比野:「クスサンはいろんな植物につきます。実家にあったイチョウの木に毎年大発生していたけど、あれはギンナンの味がしたのかなー。数年前にクリの木に大量発生しているのをみたけど、食べておけばよかったなー。樟脳の原料になるクスノキを食べて育つとどんな味なのかなー。でも欲しいときに手に入らないんだよなーって思うんです」

クスサンの詳しい話はこちらをどうぞ。茹でたオスがおすすめだそうです。

zazamushi.net

――そういえばスギ花粉も食べてましたね。あれはどうしちゃったんだって思いました。

日比野:「試した理由は、まずそこに大量にあるから。ブワーって出てくるじゃないですか。手に届くところにスギの花がぶらさがっているから、たくさん簡単に採れる。でも誰にも見向きもされない。自分だけ美味しく食べられれば一人勝ちっていう可能性を秘めているので」

――それはまたずいぶんなギャンブラーだ。

日比野:「もう一つの理由は、私がスギ花粉症だから。アレルゲン物質はうまく使うとアレルギーの対策になる可能性もあるじゃないですか。スギ花粉入りの飴も発売されているので、博打的な使い方ですが、予防に使えるならラッキー。最悪、盛大に悪化する可能性もあるんだけど。調理中はくしゃみが出まくりました」

――ええと、とりあえず死なないでくださいね。

日比野:「やっぱり美味しいかどうかが大事なんですけど、まあまずい。麺にもしたんですけど、料理のチョイスを間違えましたね。生地の色はすさまじい黄色で、おもしろいかもって思ったら、小麦粉のつなぎの効果が打ち消されて、なにしても麺にならない。サラッサラって崩壊してく。あのサイズのガラス玉を触っているみたいな絶望感がありました」

zazamushi.net

「ざざむし。」をスタートさせた意外な理由

効率を重視しているといいつつ、明らかに効率を無視した労力を掛けてリスクも背負い、全力で誰も知らない最適解を突き詰める姿勢がかっこいい日比野さんだが、最近は「ざざむし。」の更新が滞りがちになっている。それを寂しく思っている読者も多いはずだ。

f:id:tamaokiyutaka:20191122070802j:plainクライマックスはコガネタケの見事な群生だった。この話は「ざざむし。」に掲載されるのだろうか

――「ざざむし。」は1999年~2005年に書かれていて、その後10年間の空白があって、2015年に復活しています。最初はどういう経緯でつくったサイトなんですか?

日比野:「自己主張がしたい訳ではまったくなくて。もともとは自分の好きだった場所がいつのまにやら埋め立てられたり、工事されたりして無くなっていくのが嫌で、そこに貴重な生き物がいることを分かってもらいたいから。それを多くの人に知ってもらうためには、情報を流布しなければいけないんだけど、普通に伝えたところで興味のある人しか見ないから、結局はそれを前から知っている人だけの分離された世界でしか広がらない。結果的に大好きな場所が消されていく。間をつなぐものは何かないかなって考えたとき、あの時代ってまだテレビでゲテモノ番組が定期的にやっている時代だったから、これはどうかなと」

f:id:tamaokiyutaka:20191120232222j:plain日曜日は河合さんの家で晩御飯。採ってきたキノコの天婦羅をメインに、昨日釣ったアカムツなどをいただく。刺身は寝かせたことで旨味が倍増していた

――環境保護の遠回りな啓蒙活動的な視点からスタートしているんですね。

日比野:「食べるっていう、一見すると『え!』っていうマイナス部分から入っても、実はそれが美味しいとか、こんなかわいい面もあるんだとか、プラスのイメージにつながるおもしろい結果が載っていれば、その生物のいる環境が心の中に刻まれる。ふと目がいったときに『あ、こんなところに〇〇がいるんだよね』って思ってもらえる。ある意味、炎上商法と同じなんですよ。存在を知られてなければ、ゼロと一緒なんで。それで引き付けられない人はもともと見ない人なので、マイナスにはならないから。引き付けられた人をプラスに転じられるようにできればって当時考えたんだけど、そこまで理解して見てくれていた人はほとんどいなかったかも。だいぶ後になって、ある人から『あれのサイトってこういう意味だったでしょ』って言われて、意図を汲んでくれた人もいることがわかってうれしかったです」

――「ざざむし。」というタイトルの由来は? 長野の伊那地方とかで食べられている、川虫のことですよね。

日比野:「タイトルも分かりやすく、どこか心に残るものじゃないと意味がないなって。ざざむしって自分のイメージだとまったく何の問題もない食材だから心に残らないんだけど、高校のころ、生物の先生が冷蔵庫からざざむしの佃煮を取り出して見せたら、周りの反応がすごかった。商品として普通に売っているものなのに、こんな反応があるっていう。だから一つの象徴としてアリなのかなと名前をもらいました」

――そんな経緯があったんだ。

日比野:「『ざざむし。』は前からゲーム攻略とかCGとかをやっていっていた個人サイトの一部として始めたもの。奇食自慢がしたいだけだったら自分の存在をアピールするんでしょうけど、そこでは自分のキャラクターを出すつもりがないんで、サイト本体のページに戻れない設計にしました。前からサイトを見ている人はともかく、検索とかで入って『ざざむし。』から見た人には、管理人が何をしているのか全然分からない。余計なイメージを植え付けることは趣旨の邪魔になるんで、戻れないようにしたんです」

――え、ゲーマーで絵描きだったんですか! それが今回一番の衝撃かも。

日比野:「自分の存在を前に出して自然保護を訴えることで、あの人がやっているんだったらって賛同してもらうという考えもあるかもしれないけど、それだと象徴的な人がいなくなったら興味が薄れちゃう。それって本質が違うじゃないですか。

f:id:tamaokiyutaka:20191120232249j:plain日比野さんとカメラマンが疲れ果てて寝息を立てる中、手打ちそばを準備する河合さん

――最近になってサイトを復活させた理由は?

日比野:「仕事が忙しすぎて2005年に一旦サイトを閉じて、友達に勧められて2015年に復活させたのかな。あんまり覚えてないですね。会社を辞めて時間もできたし、やらない理由もないし」

――日比野さんの記事は、いわゆるブログの日記的な物じゃなくて、それぞれが論文というか物語であり、報告書になっています。これ書くの大変だなーと思いますけど、富山に移住してまた記事が増えるかと期待したら、更新頻度が減りましたね。

日比野:「いろいろ考えると、記事を書く意味があるのかなーって思っちゃって。
アフィリエイト収入の維持に意味を求めちゃうと、それは違うかなと。アフィリで稼ごうと思えば更新のネタはあるんだろうけど。でもやめたつもりもないので、何か納得いく結果になれば。書きたい欲と書きたくない欲があって、まあ今日は書こうかってなったら。直感でおもしれーってなるのが、もう少ないんでね」

――確かにまだ誰も書いてないおもしろいネタって、よっぽどのことがないと見つからないです。

日比野:「自分が書き始めた当時は、ネットで情報を調べようと思ってもほとんど見つからなかった。でも今はいくらでも出てくるし、最近やっている人はレベルが高くて、めっちゃ尖っている。ツイッターにいる人たちの化け物っぷりとかおかしいから、自分が発信しなくてもいいんじゃねえのって思いだしたのもあって。でも人気があるだけのユーチューバーとかブロガーが検索では上位に出て、内容がスカスカだったりするんですよ。タイトル詐欺みたいな。そんなんだったら同じテーマでも、すごく真剣に考えてやっているけどまだあまり知られていない、マイナーなサイトへ読者を誘導してあげるのも役割なのかなっていう気はする。でも発信しようと思っている人と、そうでもない人がいて。今は目立つと文句を言う人も多いから、面倒くさい思いをさせるくらいなら、今のまま好きにやってもらえばいいのかなーって思っちゃう」

――なにか書こうと思っているネタはあるんですか。

日比野:「あるエリアに生えてるって分かってから、3年掛かってようやく見つけた美味しい植物があるけど、それは絶滅危惧種だった。その情報を出すことで、みんなが採りにいって絶滅しちゃったら残念じゃないですか」

――東京の干潟を守る活動をしている人も、ここに貝がいるよって発信すると採りに来る人が増えちゃうけど、発信しないと誰も関心を持たないから埋め立てられるって言ってましたね。

日比野:「守りたいんだけど、保護指定をする動きになったらなったで、もし人知れず食べている地元の人が一人でもいたら、それはとても申し訳ない。直接関係ない外部の人間の働き掛けで、その人の食べる楽しみを奪うことになるんだから。保護活動が自己満足になる」

f:id:tamaokiyutaka:20191120232233j:plainナメコやヌメリイグチをたっぷりと使った贅沢なキノコ蕎麦

日比野:「最近の『ざざむし。』は口うるさい内容が多い、説教臭くなったってコメントが付くことあるけど、当然そうですよって。好かれる必要がないっていうのは楽です。有名になって人に好かれる必要が生まれて、言うべきことが言えなくなるのは本末転倒な訳で。昔から良かれと思ってなのか意見を言ってくる人も多いけど、役立ちそうにない意見は完全スルー」

――ウェブでの活躍もいいんですけど、例えば「ざざむし。」をまとめた本を出したりはしないんですか?

日比野:「これまでに話はたくさん来ましたけど、自己主張が無さ過ぎて、本を出すという気にまったくならない。情報も古くなっているし。もし出すとしたら、その本の目的は何なのか。そこを突いてくる編集の人がいたら、やってもいいのかもしれない」

f:id:tamaokiyutaka:20191120231651j:plain日比野さん、ありがとうございました!

日比野さんの暮らし方や生き方は、真似しようと思ってできるものではないし、その必要ももちろんない。なにを優先して生きるかは人それぞれで当然だし、趣味は分散したほうが助かると本人も言っている。世の中にはこういう人もいるっていうだけの話で、みんながアカムツノエやジョロウグモを食べたがる必要はない。

自分の価値観をしっかりと持った上で、捨てるものと残すものを選び、現在の状況から導き出した最適な生活をしているだけ。もちろんリスクのある生活だが、関係ない誰かに否定されるものでもない。

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また来年の春くらいに会いましょう。

我が家から何百キロも離れた場所に住む日比野さんや河合さんと会うのは、年に1回か2回程度。今後は数年に1回になるかもしれない。それでも会いにいけば絶対に楽しい友人が、会おうと思えば会える場所に住んでいることが、とても心強いのである。

河合さんがポツリとこぼした「たまに誰か来たほうが掃除をするきっかけになるわ」という言葉に甘えて、また遊びに行こうと思う。

 

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著者:玉置 標本

玉置標本

趣味は食材の採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は古い家庭用製麺機を使った麺づくりが趣味。

Twitter:https://twitter.com/hyouhon

ブログ:http://www.hyouhon.com/

 

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四天王寺再生工場

著者: 日下慶太 

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体がむくみはじめた。夕方になるとむくみが激しくなる。はじめヨーロッパまでずっと飛行機に乗っていたかのように足がむくんだ。やがて太ももまでむくんできた。体がたぷたぷだった。寝て起きると顔がむくんで目が開けられなくなった。これはおかしいと病院に駆け込んだ。腎臓の病気だった。明日から入院するようにと医者は告げた。

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ぼくは広告代理店でコピーライターをしている。大阪に配属され20代は大阪で働いていた。まったくいい仕事はできず、うだつの上がらぬ毎日を送っていた。東京へ異動になった。このままでは冴えないコピーライターで一生が終わってしまう。東京で何かしなくてはと一念発起した。寸暇を惜しんで企画を続けた。結果、「東京コピーライターズクラブ最高新人賞」という漫才師にとってのM1グランプリのような大きな広告賞を取ることができた。

賞の効果は大きく、さまざまな人から仕事が来るようになった。スターへの階段の入口が見えた。今からまさに階段を一歩踏み出そうとするその時だった、病気になってしまったのは。『微小変化型ネフローゼ症候群』という腎臓の病気だった。命に別状はなかったが、2カ月入院せざるを得なかった。薬の副作用が強く、退院後もしばらく自宅療養を命じられた。退院して4カ月後に第一子が生まれ、その2カ月後に妹が亡くなった。その半年後に父親が脳溢血で倒れた。母親が一人実家に残ったので、ぼくは自宅療養中の身ながら、実家にしばらく住むことになった。実家で母親の面倒を見て、妻の実家に出かけて子どもの面倒を見る。成長する、よりよい作品をつくる、さまざまな人と交流するといった前向きの慣性がぼくの人生には働いていたが、完全になくなってしまった。人生が静止してしまった。どうしたものだろう。

たまに外に出たくなった。買い物をするにも金がない。体力もない。梅田やなんばなどの繁華街に行ってもむなしくなるばかりだった。実家の最寄りの阪急山田駅から天下茶屋行に乗って動物園前までよく行った。降りれば大阪のディープサウスだ。1本で大阪の真逆に来れる。ぼくは生まれも育ちも千里ニュータウンだ。そこは歴史も地縁も祭りもない場所だった。効率や利便性を考え抜いてつくり出された新しい町は交通のアクセスはよく、緑も豊富で暮らしやすかった。しかし、人間関係は薄かった。地元の祭りもなかった。神輿も担げなかった。それから下町や祭りといったものに憧れを抱くようになった。

動物園前駅を降りてすぐの新世界、少し南へ下った釜ヶ崎、そこではおっさんが昼から飲んで路上で寝ている。電柱に向かって話しかけている。人形を並べて割り箸を振って人形オーケストラを指揮している。靴が片一方で売られている。タバコがバラ売りされている。じゃがりこもバラ売りされている。人間にはさまざまな生き方がある。ここに来るといつも楽になった。東京はギチギチとして息苦しかった。金があれば楽しかったが金がないと楽しみ方は限られる。大阪ではおっちゃんたちが楽しそうに生きている。みんないい顔をしている。大阪は敗者に優しい。だから、ブルースが合う。ぼくは病に倒れ、いわゆる会社の競争に負けてしまった。敗者である。ぼくも住むには大阪がいいのかもしれない。

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自宅療養は終わった。東京で復帰するには第一線でバリバリやるしかない。しかし、まだ病気は完治していなかった。大阪に戻って仕事量が少ない部署から始めることになった。東京では地震が頻繁に起こっていたので、地盤がしっかりした上町台地に絞り家を探した。上町台地とは大阪市中心部の北は大阪城あたりから南は住吉大社あたりまでおよそ12kmの台地である。大阪市内はその昔、ほとんどが海であり埋立られた場所が多い。しかしながら、上町台地はずっと昔から陸地だったので地盤がしっかりしていた。四天王寺の近くにいいマンションがあったので引越した。そこには縁もゆかりもなかったが、いいマンションが見つかったことと、新世界から徒歩10分という立地でありながら、閑静な住宅街であるというところが決め手となった。

四天王寺によく散歩に行った。境内は広く、穏やかで、いつも優しい気持ちになる。四天王寺のキャッチコピーは「日本仏法最初の官寺」。四天王寺には宗派がない。門限もない。境内には24時間入ることができる。その懐の広さが気に入った。五重塔やお堂は戦争で焼かれてしまい、今はすべて再建されたものであるが、もし現存していれば法隆寺と同じころに建てられているので間違いなく世界遺産であったろう。境内の東側にある「極楽浄土の庭」という日本庭園は、入園料300円が必要であるが、緑にあふれ、人は少なく、平日の昼間は一人で静かに庭園を歩きながら思索に耽ることができる。まさに都会の極楽である。

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歴史がある寺社仏閣なので祭りや行事がたくさんある。春には聖霊会という古代から続く祭り、夏には七夕と河内音頭と万灯供養、冬には『どやどや』というふんどしの男たちがお札を奪い合う祭りがある。

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弘法大師の月命日である21日には『お大師さん』、聖徳太子の命日である22日には『お太子さん』という縁日が開催される。おしゃれな雑貨から、骨董、盗品めいたものまで並ぶ。土日に重なれば、赤飯屋がやってくる。この店は世界でいちばんおいしい赤飯をつくると思っている。この日にはいつも赤子のように人形を背中に背負ったおじさんがやってくる。とあるおばあさんは、通りがかりの参拝客に話しかけて、いつもアイス屋に連れて行く。そして、自分の分と参拝客のアイスを頼み、一緒に食べてからそのままどこかへ行く。代金は参拝客が払うこととなる。お太子さんにて1000円で買ったマンドリンと1500円で買った大正琴はほとんど使われないまま物置に眠っている。古来よりずっと、境内では市が開かれ活況を呈したのだろう。
 
四天王寺の歴史については公式HPから引用させていただく。

四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立されました。『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫りもし、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。
四天王寺の歴史 より


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太子殿という建物の裏に物部守屋を祀る祠がある。聖徳太子は敵まで祀っていたのである。さらに、太子は戦に敗れた物部家の人間も積極的に雇用した。また四天王寺の南には「悲田院」という場所がある。ここは今でいうところの福祉施設であり、病人や身寄りのない人間をここで面倒を見ていた。天王寺さん(四天王寺)は1300年以上も敗者に優しかったのだ。だから、大阪は敗者に優しかったのだ。大阪という土地の根源を四天王寺で発見したぼくはずっと興奮していた。そして、現在もなお、四天王寺の慈悲は周囲に溢れ、すぐ近くの釜ヶ崎にまで届いている。

さらに、物部とぼくの姓である「日下」には関係があった。東大阪市にある日下町というのがぼくのルーツだ。そこはかつて物部氏の拠点であった。ご先祖さんが祀られているようで人ごとではなかった。

四天王寺は上町台地に位置している。上町台地の歴史は古い。京都人に大阪は歴史がないとバカにされると、京都より大阪の方が200年古いと切り返す。四天王寺、難波宮、生国魂神社、鵲森宮、愛染堂、大阪城、大阪府庁。上町台地は廃れることなく1600年近くずっと歴史の表舞台、人間の活動の中心にある。こんな町は世界を見渡してもなかなかない。上町台地が好きでここに移り住んだ作家の有栖川有栖さんはこう語る。

「(歴史の声が)耳を澄ませばかすかに聴こえてくるよう」
「こちらが探して訪ねて行ったらやっと見つかる感じがいいんです」

上町台地の地域情報誌『うえまち』 2014年3月号 より


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そう、京都や奈良のようにわかりやすく歴史は現れない。注意深く探さなくては出会えない。おすすめは、有栖川さんも『幻坂』という本で題材にした天王寺七坂だ。上町台地から西は低地になっている。台地と低地の境界は寺町になっている。このあたりに七つの坂があり「え、こんな風光明媚なところが大阪にあるの?」と思ってしまうほど。特に源聖寺坂と、清水坂は美しい。上町台地から坂を下り、そのまま西へ歩いて行くと日本橋の電気街のカオスが現れ、やがて難波に至る。ぼくはこの歴史と文化の急勾配が大好きなのだ。

四天王寺の法力に癒やされたのか、ぼくの病気はよくなっていった。コピーライターの競争には負けたものの、違う生き残り方を見つけて、仕事はうまく回り出した。昨年には自著を出し、今年の7月には写真集を出し、UFOを70%近い確率で呼べるようになった。

このまま天王寺さんの近くに住んでいたかったが、どうも家賃が高かった。夕陽丘あたりに家を買いたかったが高かった。なるべくこの雰囲気が残っている場所へと思い、上町台地の南端の阿倍野へと引越しをした。近くに阿倍王子神社などはあるが天王寺さんは遠くなってしまった。JR環状線を越えてしまったことに少し悲しいのである。

この執筆の話をもらったときに、誰もマイナーなこの町のことなど書いていないだろうと思ってはいたが、調べると、吉村智樹さんが書いていた

しかも、吉村さんも東京で夢破れ帰ってきて四天王寺に住んでいたのだった。吉村さんの活躍とぼくの近年の活動を見る限り、四天王寺は見事に人間を再生している。今度、吉村さんと一緒にイベントをするので四天王寺について語ろうと思う。

 

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筆者:日下慶太(くさか・けいた)

日下慶太(くさか・けいた)

コピーライター・写真家。1976年大阪生まれ大阪在住。大学時代にユーラシア大陸を陸路で横断。チベット、カシミール、内戦中のアフガニスタンなど世界をフラフラと旅して電通に入社。商店街のユニークなポスターを制作し町おこしにつなげる「商店街ポスター展」の仕掛け人。コピーライターとして勤務する傍ら、写真家、UFOを呼ぶためのバンド「エンバーン」のリーダーとして活動している。2018年6月に初の自著『迷子のコピーライター』を出版。ツッコミたくなる風景ばかりを集めた『隙ある風景』日々更新。都築響一氏編集「ROADSIDERS' weekly」でも写真家として執筆中。佐治敬三賞、グッドデザイン賞、東京コピーライターズクラブ最高新人賞、朝日広告賞、ゆきのまち幻想文学賞ほか多数受賞。

 

編集:ツドイ

「ちょっと隙がある埼玉が好きです」NACK5とスタカレーを愛する俳優・成田凌さん

インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真:森カズシゲ

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12月13日に最新作「カツベン!」の公開を控えている俳優の成田凌さんは、埼玉県出身。国道近くのベッドタウンで育ち、地元を離れた今も強い愛着を抱いておられます。特徴のない国道沿いの風景や、おしゃれなようでいておしゃれになりきれない、どこか隙がある街並み。そんな「埼玉らしさ」が愛おしく、心地よく感じられるのだとか。

多忙な日々でも、しょっちゅう地元に帰っているという成田さん。地元への思い、そして埼玉の魅力について伺いました。

なんでもない「国道沿いの風景」に郷愁を感じる

――  成田さんの地元は埼玉県さいたま市。以前、地元について聞かれて「埼玉県はご当地感がない」とおっしゃっていましたね。

成田凌さん(以下、成田):ご当地感、ないですよね。日本で一番ないんじゃないですか。だからなのか、僕自身「埼玉出身です!」みたいな強い自負もありません。

埼玉って不思議ですよね。すごく田舎ってわけでもないし、ひと通り何でもそろっているのに「うちの地元、何もないんだよね」と、つい言ってしまう。でも、その何もなさが落ち着くんです。

――  では、あえて「思い出の風景」を挙げるとしたら?

成田:実家に向かう、国道沿いの風景ですね。ロードサイドにチェーン店や家電量販店の大型店舗、ゲーセンが並んでいるのを見ると、「帰ってきたなあ」と思います。他の人には、つまらない街並みに映るかもしれないけど、僕からすると“エモい風景”ってやつなんですよね。

――  ある意味、埼玉らしい風景の一つですね。

成田:だから、車で地元に帰るときは、わざと早めに高速道路を降りて、NACK5(※埼玉のFMラジオ局)を聴きながら国道沿いの風景を楽しんでいます。駐車場だけやたら大きい松屋とか見ると、落ち着くんですよ。

――  地元にはよく帰られるんですか。

成田:もう、しょっちゅうですね。地元に年季の入った中華料理屋があって、帰るとそこの“スタカレー”がどうしても食べたくなるんです。でも、ご高齢の店主が店をたたんでしまったらもう食べられなくなっちゃうから、そうなる前に跡取りを見つけて、お店ごと買い取りたい。それくらい大好きなんですよ。

――  「カレー」を名乗りつつ全然カレーじゃないスタカレーですね。おいしいですよね。

成田:そう、店は綺麗ではないんですけれど、おいしいんです。

――  そんな思い出の味が失われてしまうのは…辛いですね。

成田:はい。大人になって寂しいと感じるのは、思い出の風景や場所が失われていくこと。ふるさとが自然豊かな田舎だったら、子どものころに遊んだ山や川がずっと残っていると思うんですけど、僕らの遊び場だった「西友」や学生時代に通った飲食店はなくなってしまう可能性があるじゃないですか。それが怖いんです。

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「埼玉みたいな女性」が好きです

――  埼玉はいじりの対象にされることも多いですが、それについて何か思うことはありますか?

成田:特にないですね。「ださいたま」といじられて強く反論もできないし。

「ださくないわ!」とも断言しづらいから怒れないんですよ。でも、別に俺は地元が好きだし、それでいいかなって。

――  では、成田さんが思う埼玉の魅力って何でしょうか?

成田:「ちょっと隙があるところ」じゃないかと思います。最近、学生時代の先輩が地元で結婚式を挙げて、その式場がすごくおしゃれだったんです。でも、テラスから下を見ると、いつものローソンがあったりして、おしゃれになりきれていない。そういう、全部が洗練されていないところに安心感や心地よさを覚えます。

女性も普段は身ぎれいにしているのに、どこか隙がある、そんな埼玉みたいな人が好きですね(笑)。

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大正期のスーパースター「活動弁士」を演じて

――  12月13日公開の映画『カツベン!』(監督:周防正行)で、成田さんは活動弁士の染谷俊太郎を演じています。活弁シーンの撮影は、実際にかつて活動写真の上映も行われた芝居小屋で行われたそうですね。

成田:はい。福島市の旧廣瀬座というところです。館内へ入った瞬間に、先人たちのエネルギーみたいなものをガツンと感じた記憶があります。

ただ、試しにそこで喋ってみたら、声が木に吸われて返ってこない。音響という点では、今の映画館と比べものにならないくらい難しい環境なんですよね。こういう場所でしっかり奥まで声を届かせるんだから、昔の人は本当にすごいと思いました。

――  だからこそ、活動弁士の技量が問われるわけですよね。成田さんも、撮影前から相当な特訓を積まれたとお聞きしました。

成田:活弁の練習は延べ半年やりましたし、撮影が始まってからも並行してトレーニングを続けていました。それでも、初めて檀上に立って活弁をやるときはものすごく緊張感がありましたね。やはり、映画を観た人に「弁士ってすごいんだ!」と感じてもらえるレベルまでもっていかないといけませんから。

まずは僕に指導をしてくれた師匠の真似から始まって、自分の中に染みこますように何度も練習をする。慣れてくると自分の考え方や表現も反映できるようになって、だんだんと活弁自体を楽しめるようになっていったと思います。

――  高良健吾さん演じるライバル弁士や先輩弁士の方々など、弁士によってしゃべり方が異なっていたのも印象的でした。

成田:そうなんですよ。高良さんには僕とは別の指導者が付いていて、教え方が全く違うんです。同じ弁士でも、色んな個性があるのが面白いなあと。映画でも、ぜひ注目してもらいたいポイントですね。

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地方ロケでは「行きつけの店」をつくる

――  今回の映画では、福島や京都、栃木、岐阜など全国各地でロケを行ったそうですね。

成田:はい。なかでも印象深かったのは、滋賀でのロケです。昼間に集中的に撮影して、夜は余裕があるスケジュールだったので、地元の居酒屋によく行きました。竹中直人さんや渡辺えりさん、周防組のみなさんが誘ってくださったりもしましたし、一人でも飲みに行って土地のものをたくさん食べましたね。

――  地元の味で、特に思い出深いのは?

成田:鮒ずしのインパクトは強烈でした。居酒屋の常連のお客さんに「奢ってあげるから食べてみな」って勧められたんですけど、次の日まで臭かったです。ロケに支障が出るくらい(笑)。

―― すごい地元の洗礼ですね。そうやって、常連さんとも交流をされるんですね。

成田:しますね。地元の方々と交流するのが好きなんです。だから、知らない街のスナックにも一人で行きます。適当に選んだ店に、ふらっと入ったりしますよ。

―― 大胆ですね! 怖くないですか?

成田:そこは賭けですよね。スナックって外から店内が見えないから、よし!と気合を入れて飛び込んでみるしかない。でも、だいたい気に入って、滞在中ずっと通うことが多いです。

そうやって、ロケで地方に長期滞在するときは“行きつけの店”をつくるんです。滋賀でもすごくいい居酒屋があって、そこに通っていました。

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―― 撮影でさまざまな土地を訪れてきた成田さんですが、仕事の都合を考えず、どこでも好きな場所に住んでいいといわれたら、どの街を選びますか?

成田:どこだろう……でも、結局は地元がいいです。やっぱり、僕は埼玉が好きなんですよね。いつか、NACK5に出るのが夢ですから。

だから、将来もし家を買うとしたら、愛着のある地元に建てたいです。国道の近くに(笑)。

 
 
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『カツベン!』について

映画にまだ音がなかった時代、登場する人物のせりふに声をあて、物語を説明したのが活動弁士。成田凌さん演じる染谷俊太郎は幼少期から活動弁士に憧れ、やがて小さな町の映画館「靑木館」から夢の第一歩を踏み出す。しかし、曲者だらけの人間関係に翻弄され、凶悪な泥棒からは命を狙われ、過去の行いが仇となって警察にも追われ……。アクションあり、笑いあり、涙ありのエンタテインメントとなっている。俊太郎の活弁シーンや、本作のために新しく撮影されたオリジナル無声映画、個性的なキャラクターなど、見どころも満載だ。監督は周防正行。『舞妓はレディ』以来、5年ぶりの最新作となる。令和元年12月13日(金)から全国の映画館にて公開。

www.katsuben.jp

 

お話を伺った人:成田凌(なりた・りょう)

成田凌

モデル・俳優。1993年11月22日生まれ、埼玉県出身。『逃げるは恥だが役に立つ』(16/TBS)、連続テレビ小説『わろてんか』(17-18/NHK)といったテレビドラマから、『キセキ -あの日のソビト-』(17)、『劇場版コード・ブルー-ドクターヘリ緊急救命-』(18)、『翔んで埼玉』(19)、『愛がなんだ』(19)、『人間失格 太宰治と3人の女たち(19)』など話題映画に出演。2019年12月13日公開の『カツベン!』で映画初主演を務める。

聞き手:榎並紀行(やじろべえ)

榎並紀行(やじろべえ)

編集者・ライター。水道橋の編集プロダクション「やじろべえ」代表。「SUUMO」をはじめとする住まい・暮らし系のメディア、グルメ、旅行、ビジネス、マネー系の取材記事・インタビュー記事などを手掛けます。

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