(撮影:宮沢豪)
新潟県の沖合にある佐渡島の田園風景に惚れ込んだ結果、まったくの未経験から5年でほぼ専業の米農家になった友人がいる。彼はなぜ泥まみれになりながら、山の上にある狭い田んぼで米をつくっているのだろう。
今年もどうにか収穫期を迎えた伊藤竜太郎さん(29歳)に、彼が育てた新米を食べながら本音のところを話してもらった。果たして生活は成り立っているのだろうか。
伊藤さんと私
読者の方にはまったく関係のない話なのだが、まず伊藤さんと私の出逢いとここまでの関係性を説明させていただく。
今から4年前の2015年9月、佐渡島の山奥にある廃校を利用しておこなわれたハローブックスというイベントで、ラーメンをつくるワークショップを開かせていただいた。佐渡島産の小麦粉でつくった生地から、参加者が家庭用製麺機という道具で麺をつくり、佐渡の名産品であるアゴ(トビウオの焼き干し)を出汁にしたスープで食べてもらうという企画だ。
その手伝いとして、「おもしろい子がいるんだよ~」と実行委員長が連れてきてくれたのが、移住してまだ半年の伊藤さんだった。
写真右が米農家1年目だったころの伊藤さん。今と表情が全く違う
佐渡で米づくりをするためにやってきた若者という情報から勝手にイメージした姿とは、だいぶ違っていた伊藤さん。前髪は鼻にかかるくらい長く、耳はピアスだらけ。かなり癖が強い。全身黒い服を着ていて、なかなか私とは目と目が合わない。前髪が心のシャッターを具現化しているみたいだ。
米農家に小麦が主原料の麺づくりを手伝わせたから不機嫌になったのかなと思ったが、別にそういう訳ではなかった。伊藤さんと私、お互いが人見知りだったのだ。
老若男女を相手にするワークショップを通じて距離感を測りつつ言葉を交わし、二日に及ぶイベントを無事に終えるころには小さな友情が芽生えた。
なんていうとものすごくオーバーな表現で、実際は二人だけになってもお互いがそこまで緊張しなくなった程度の話なのだが、翌年、翌々年と続いた製麺ワークショップでは、こちらからスタッフに伊藤さんを指名させていただいた。そして毎年、彼から新米を買わせてもらうようになった。
2年目の伊藤さん
3年目の伊藤さん
そして4年目、東京のお米販売イベントで大根を手に踊る伊藤さん
ちょっとずつたくましくなっていく彼と会うたびに、新規就農の米農家という独特な体験談や、はるばる佐渡へ来た理由などを聞いていたのだが、改めてじっくりと話を伺いたいと思い、稲刈り真っ最中の田んぼを訪れた次第である。
「玉置さんにだけは取材されないだろうなと思いながら生きてきました。俺を取材して後悔しないですか?」と照れる5年目の伊藤さん
伊藤さんはなぜ佐渡で米農家を始めたのか
伊藤さんは平成2年1月生まれで、もうすぐ30歳になる。出身は新潟県だけど、佐渡島ではなく本土側。佐渡に親戚が住んでいるとか、ルーツがある訳でもない。
私が訪れた日は稲刈りシーズンの終盤戦で、台風が接近しつつある状況の重要な晴れの日。そんなときに仕事の手を止めさせるのも悪いので、ちょっとだけ稲刈りの手伝いをしながら撮影をさせてもらい、インタビューは夜になってから新米を食べつつ行った。
彼は一言ずつ、じっくりと言葉を選びながら丁寧に答えてくれた。
菅笠がよく似合っている
――前に聞いた話もあると思いますが、いろいろと改めて聞きます。学校を卒業して、いきなり佐渡に来たんですか?
伊藤竜太郎さん(以下、伊藤):「出身は東京農業大学なんですけど、米づくりは学んでないっす。ぜんぜん。専攻は自然保護です。実家も米農家とかじゃないです。新潟の普通の家」
――それがなんで佐渡で米をつくろう思ったんですか。
伊藤:「なんでだっけな?……景色が良かったから……学生のころに見た佐渡の里山の景色が。その景色を守りたかったんです」
佐渡の景色を撮影するのが伊藤さんの趣味
彼が愛する佐渡の農村(撮影:伊藤竜太郎)
人が住み、田んぼを管理しているからこその風景が存在する(撮影:伊藤竜太郎)
伊藤:「佐渡でも高齢化で耕作放棄地が増えているから、俺が米農家になって、この景色を守ろうと思って。佐渡への移住を決めて、まずお金がいるなと思って、卒業後は東京で2年間バイトをしました。1日3つくらい掛け持ちで、ずっと働いて」
――未経験でいきなり就農して、すぐにお金が稼げるという仕事じゃないですもんね。
伊藤:「でもいくらくらい貯めたらいいか分かんなかったんで、一回やってみよう、1年間だけ住んでみようかと佐渡に来た感じです。フリーター生活もきつかったので」
――佐渡っていっても広いじゃないですか(※東京23区よりもずっと広い)。羽茂大崎(※彼が住んでいる佐渡南部の地域)に引越してきたのは、誰か農家の知り合いがいたからですか?」
伊藤:「いません。羽茂大崎は移住者が多くて、仮移住しやすそうな感じだったんです。それで学生時代にちょっと繋がりのあった農家の方に、羽茂大崎だと誰に相談したらいいですか、住める家と農業を教えてくれる農家さんはいませんかって聞いたら、葛原さん(※仙人みたいなすごい人)という方を紹介してくれて。そしたらちょうど空き家があったんです」
羽茂大崎で移住者がやっているドーナツ屋さんとお蕎麦屋さん。ただし両方定休日だった。伊藤さんはこの近くに住んでいた
こちらが伊藤さんの恩人である葛原さん。後述する「粒粒辛苦録」より
――とりあえず佐渡に移住をして、1年目は葛原さんの手伝いという感じですか?
伊藤:「普通に田んぼをやりましたよ」
――え、いきなり一人で?
伊藤:「春に佐渡へ来て、最初は米づくりを教えてもらうっていう話だと思っていたら、一人でやることになりました。田んぼを貸すし、機械も貸す。やってみろよと、葛原さんが」
――確認しますけど、米づくりの経験は?
伊藤:「やったことないです。気持ち悪いっすね、今考えると。未経験でいきなりって。我ながら気持ち悪いことしているな」
――こういう急な展開は『佐渡あるある』としてたまに聞きますけど、米農家って未経験でできるものなんですか?
伊藤:「隣で田んぼをやっている農家の方に教わったり、農協の指導会や県の講座に参加しながらなんとか。最初は4反(※約4000平米、東京ドームの約1/11個分)くらいかな。無農薬でもなかったんですが、使い方が下手で全然薬が効かなかったですね。大変でした。いや、大変だった……かなぁ?」
――大変だと思いますよ。伊藤さんの田んぼは、お米と一緒に送ってくれる写真集で見る限り、失礼ながら相当ぬかるんでいるイメージです。こりゃ大変だなと思っていました。
伊藤:「ぬかるんでいましたね。気持ちがぬかるんでいたのかもしれません。でも分かんないですよね、最初は。水を抜かないと土が固くならないとか。しょうがないっす」
伊藤さんから新米を買うと、一緒に米づくりの様子を撮影した写真集「粒粒辛苦録」を送ってくれる。これが楽しみで米を買っている人も多いと思う
伊藤さんの米づくりは、申し訳ないが笑ってしまうほど毎年大変そうなのだ
水を逃がすために、シャベルで溝を掘ったり、ひしゃくで汲みだしているらしい
沼、というよりは池……
――1年目からちゃんと収穫できたんですか?
伊藤:「玄米30キロの袋で56袋だったかな。白米で1500キロくらい。それを農協ではなく個人売りで、知り合いにお米を買えって言って。最初だしよく分からないから安くしちゃって、平均するとキロ450円とかかな。いやでもありがたかったです、意外とみんな買ってくれて」
――キロ450円だと、1500キロで売り上げが67.5万円。もちろん経費とか掛かるから、ぜんぜん生活できない金額ですね。
伊藤:「貯金を切り崩しながらですね。1年目はなにも考えてなかったんで」
3年目に訪れた大きな挫折と4年目に見えた希望
――1年間、とりあえずやってみたら大赤字。それでも、2年目もよしやろう!ってなったんですか?
伊藤:「一回やったからフリーターに戻ってもよかったんですけど、あんまり考えなかったですね、やめるっていうことを。惰性というか、流れで」
伊藤さんの田んぼはほとんどが山の中だが、今回訪れた田んぼだけは海沿いにある。これは田植えの様子(撮影:伊藤竜太郎)
伊藤:「3年目で一番凹んだのは、新規のお客さんを掴むために毎年収穫後に東京とかで出張販売をしていたんですが、それでリピーターになったのが片手で足りるくらいだったこと。行けば行くほど赤字になったので、これは行ってもしょうがないなって。お米をつくって売るっていうシンプルなやり方で生計を立てるっていうのは無理だなって思ったところで、なんていうか、挑戦は終わった気になりました」
――3年目の挫折ですか。たまたま買った米が美味しかったからといって、わざわざ取り寄せるかというと、ちょっと難しいかなあ。
3年目の「粒粒辛苦録」を読み返したら、はっきりと新規就農失敗と書かれていた
伊藤:「それでも4年目の米づくりを始めて、出張販売をやめたんです。3年目からは農協に出荷できるようになったし、あとは知り合いにとにかく買ってもらって。去年で60人くらいですかね。ありがたいです。気持ち的にも体力的にも、だいぶ楽になりました。冬は体のメンテナンスをしたり、必要な免許をとったり、フラフラしつつ注文を待っています」
――60人って結構多いですね。まめに連絡を取るタイプでもないのに。
伊藤:「普段は連絡取らないですからね、まったく。米を売りたいときだけってがめついですけど、久しぶりに連絡とれるとうれしいこともあるし、買ってくれると本当ありがたいです」
――僕の場合だけど、米って生活必需品かつ嗜好品みたいなものなので、ちょっと特別なうまい米を買いたいという思いは常にあって。でも特にタイミングがなければスーパーの適当な米でいいかなっていう気持ちもあって。だから欲しいタイミングで連絡が来ると、ちょっとうれしいかも。毎月一回くらい、田んぼの状況報告を兼ねて、そろそろ追加のお米はいかがですか?っていうメールを送ってきてください。
山の上にある田んぼ。斜面なので狭いし段差があるし世話は大変そうだが、伊藤さんの考えでは水源に近いところの田んぼは、米が美味しくなるのだとか(撮影:伊藤竜太郎)
そして5年目にして米づくりで生活ができるようになった
――お米を売って生活ができるようになりましたか?
伊藤:「2年目、3年目は居酒屋でバイトしていましたが、去年からは夏場にちょっと土木作業をしているだけです。田んぼも毎年やってくれ、やってくれって言われて増えました」
――それって周囲から信頼されてきている証拠ですよね。そういえば近所のおじいさんから、マツタケの生える場所を教えてもらったって言ってたじゃないですか。それも信頼あってこそでしょ。
伊藤:「信頼というか、空いた田んぼをところかまわず借りまくった結果ですかね。あいつはどこでもやるらしいぞって。マツタケはそのおじいさんが自分で運転できなくなって、山に行けなくなったから足として誘われただけ。4年目にもいろいろあったんですけど、忘れました」
米をつくることで、この景色を守っている(撮影:伊藤竜太郎)
そして5年目にして米づくりで生活ができるようになった
伊藤:「今5年目で田んぼは25面あって、面積は約2.5ヘクタール(※25000平米で東京ドームの半分強)。1年目の6倍くらい。これでようやくどうにか人並みの生活ができるかなと。今年は収穫がすげー楽なんですよね。今までは水が抜けなくて沼みたいな田んぼで、手刈りしたくないからなるべく機械でいくんですけど、そうするとやっぱり沈むし。まだ刈り取りが少し残っているんですが、うまくいけば290袋(8700キロ)。そのうち190袋を農協に出します。自分で売るのに比べると半額くらいですけど、手間も経費も掛からないし、確実に売れるので。保管もしなくていいし」
――ここまで1人でやって、5年で農家の収入で生活できるってすごいじゃないですか。ノウハウがドンドンとたまるから、来年はもうちょっと楽になるだろうし。
伊藤:「気楽な稼業ですよ」
――気楽ではないです。
伊藤:「今年は余裕を持てたというか、最初の3年間って米をつくって売ることに無意識でこだわりすぎていた節があって。誰かの見本になりたい気持ちがあって、誰でもできることしかやりたくなかったところがあったんです。でもこれじゃ悪い見本で、誰も農家なんてやりたがらないよなって。なんか……ちょっとなに言いたいか分かんなくなりました」
――なんとなく分かります。佐渡の米農家としての理想と現実のギャップに疲れた感じかな。
伊藤:「4年目から、とりあえず生きていければいいやって思えるようになって。気持ちとしては田んぼに全力なんですけど、ダメでもなんとかしないといけないんで、バイトしながら生活してもいいんだし。今年は10日に1回くらい、新潟の実家にちょくちょく帰りながら生活しています。佐渡が好きで佐渡に来たんですけど、地元は地元でやっぱり大事だなって思えるようになって。家族は佐渡で農業をやることについて嫌みたいですけど、顔を見せながら生活できるなっていうのが今年分かったんで。どっぷり佐渡の人にならなくても、気合入れすぎなくてもいいやって」
――毎年、だんだん伊藤さんの表情が柔らかくなっている気がします。
伊藤:「元々は里山の自然を守りたいっていう想いだったけど、見つめる先が短くなってきていた。目の前の現実しか見えていない。今年ようやく黒字にするっていう目標を立てて、それが叶いそうなのでよかったです」
メインはコシヒカリで、彼の米は玄米で食べてもうまい。黒い古代米やもち米なども少し育てている
未だに模索している地域との関わり方
――周りの農家さんは応援してくれている?
伊藤:「どうなんですかね。いろいろと教えてくれましたよ。でも本当のところはやっぱりよく分からないです。さっきから分かんないばかり言ってますけど。地域貢献したいと思って佐渡に来て、田んぼをやっていますけど、結局、俺が田んぼをやるのに手が掛かって、周りに迷惑をかけてしまうばっかりなような気もしますし。田んぼをやりたくてこっちに来ているから、田んぼに全然関係ない仕事を頼まれたりしても、したくないって思っちゃって。あんまり気が乗らないっすよね。でも地元の方としては、そういう人手が一番必要なのかもしれない」
――でもそうじゃないと長く続かないと思います。短期のボランティアと就農は違うし、地域貢献である前に、伊藤さんがやりたいことをやってください。って僕がいう立場じゃないですけど。
伊藤:「頼まれることとやりたいことの折り合いをどうするか。自分が好きなことをやっているだけですね、結局。まあそんなに気負いすぎなくてもいいかなと思ってます。まあまあ、自分がつぶれないように」
稲刈りをする伊藤さんを見ていて、コンバインは牛や馬に似ていると思った
水の入り口となるところはどうしてもぬかるむため、コンバインが入れないので手刈りをするしかないそうだ
米農家に新規就農して、ちゃんと生活ができるという証になりたい
――伊藤さんの米を買うと、苦労話がたっぷりと載った写真集が付いてくるじゃないですか。あれが大好きなんですけど、どういうきっかけでつくろうと思ったんですか。
伊藤:「写真集は佐渡に来てほしいという想いがあった気がします、一応。ありましたね、思い出しました。佐渡だけじゃなくて、田んぼを見てほしい。俺一人がここで田んぼをやっていたってしょうがないので、その様子をお伝えできればいいなって。こんな感じだよって。農家って楽しいよって」
――オブラートに包まな過ぎて、あまり楽しそうじゃない……
伊藤:「楽しいですよ。好きなことをやるっていうのは」
――やっぱり楽しいんだ。今日ちょっと稲刈りを手伝って思ったんですけど、人と会話をしないでずっと作業じゃないですか。辛くないですか?
伊藤:「それが最高です。草むしりも稲刈りも、やったぶんだけ作業が進む。ただ自分じゃどうにもならないことも多くて、同じ作業でも条件によって5倍も10倍も効率が違ってくるので、嫌なときにやると、おもしろくはないですね。あまりに進まないと、本当はもっと方法があるんじゃないかって思ったりします。でもないんです。ひたすらやるしかない。田んぼは25枚あるから、果てしないですよ」
ぬかるむ田んぼで黙々と稲を刈る伊藤さん。大変だけど至福の時なのだろう
伊藤:「今の俺の設備だけじゃ、もう田んぼは増やせないです。耕作放棄地が増えるのをなんとかしたいと思ったところで、俺一人がここで頑張っても田んぼが消えてくスピードに絶対敵わないんで、希望的ですけど、誰かやる人が増えたらいいって。佐渡に限らず、日本中にいいところはいっぱいあるし。それで農家の現実的なところが分かってもらえるといいなって思って、写真集を付けています。何も知らずにはじめたけど、どうにか俺は生きていますよと」
――伊藤さんが元気に暮らしていることが、やる気次第で誰でも(じゃないけど)米農家をやれることの証明なんですね。
手刈りをちょっとだけ手伝ったのだが、転んで泥まみれになりかけた。予想以上に辛い!
――農業に限らず、地方へ移住したいという人へのアドバイスってなにかありますか?
伊藤:「とりあえず、住みたきゃ住めばいいんじゃないですか? たまにグダグダいってなんもしない人もいますけど。仕事も選ばなきゃあるし。車はあったほうがいいけど」
――ちなみに伊藤さんの後に、米農家をやろうと佐渡に移住した人っています?
伊藤:「全然いないですね。俺が知らないだけかもしれないですけど。農家って最初に農地を借りるのが難しいんです。そこのハードルが高いですね。俺、正規の方法はいまだにわからないです。米農家はトラクターやコンバインが必要だから設備投資もかなり必要だし。俺は田んぼと一緒に機械も借りられたから……やっぱりラッキーだったっていうことですかね?」
伊藤さんの稲刈りはまだ終わらなそうなので、漁業権のない小川で水遊び
モクズガニがたくさんいたので、夕飯分だけ捕らせてもらった
今年は雨が少なく伊藤さんの田んぼはしっかりと乾いたが、おかげで山はカラカラでキノコは残念ながら不作だった
佐渡だけでなく、全国で農家の高齢化は深刻なレベルまで進んでいて、後継ぎがいないために耕作放棄地がどんどん増えているという話は本当によく聞く。
もし農家になりたいという人がいたとして、そこに都合よく「今年で田んぼをやめるから来年以降誰かやってください」みたい人が現れて接続できればいいけれど、普通は米づくりを知らない人に、いきなり大切な田んぼを貸したりはできないだろう。そして貸してくれるような田んぼがあったとしても、そういう場所はだいたい条件が悪い。
住む家と田んぼと機械と教えてくれる人がいる状態で始められた伊藤さんは、確かにラッキーだったのかもしれないが、その運を実らせたのは彼の努力と想いがあってこそ。
伊藤さんはものすごくイレギュラーなケースなのかもしれないが、まったくの未経験から米農家になって、5年でどうにか生活ができるようになったという彼の実績は、新規就農者の希望になるのかもしれない。あるいはやっぱり大変なんだなと不安にさせたかもしれない。なんにせよ、伊藤さんは元気そうだし楽しそうだ。
新米の試食会
稲刈りの撮影をさせてもらった夜、伊藤さんの家にお邪魔して、精米したばかりの令和最初の新米を、一緒に食べさせてもらった。
彼の家にある一人暮らし用の炊飯器で炊いた新米を、真剣に試食をする会だ。
まだ選別作業(※カメムシに吸われて変色した米などを取り除く作業)をしていない新米を炊いてもらった
本日の夕ご飯は、伊藤さんの育てた新米、とってきたカニやキノコなど。普段の食事は、具沢山のみそ汁と納豆程度だとか
――どうですか。今年の新米の出来は。
伊藤:「……」
――あ、考え込んだ。一口のご飯から、いろんな情報を引き出しているんですね。
伊藤:「……」
――理想的な米になりました?
伊藤:「……分かんないっす。毎回分かんねえんだよなー。毎年この時期に新米を炊いて、自分で食べて、分かんねーなーって、茶碗の半分くらい食っちゃうんです。ちょっと一発目なんで、何杯か食わないと。でも、たぶんおいしいと思います。あ、やっとうまくなってきた。去年よりいいと思いますね!」
「これがどこの田んぼの米かなって考えていました。同じコシヒカリでも、田んぼによって味が違うんです。これは山奥の田んぼですね」とのこと
――僕もいただきましたが、美味しいですよ。プロじゃないんで詳しくは分からないですけど、新米らしい瑞々しさがあって、程良く甘味があって、後を引くご飯という印象。食べれば食べる程おいしくなっていく。毎日食べたいご飯ですね。
伊藤:「ちょっと精米しすぎたかもしれないですね。新米だし標準精米じゃなくて七分突きくらいでよかったかも。ちょっとミスったかなーって思ったんですよ。うーん、冷まそうかな。冷まさないと分からないな。冷めかけってうまいんですよ」
――なるほど。じゃあ七分突きにした新米を買うので、全部の収穫が終わったら送ってください。冷めかけで試してみます。
伊藤:「ありがとうございます。でもまだ今年の写真集を全然やっていなくて……」
――それは後でも大丈夫です。冬にでもゆっくりつくってください。
カニは身が甘く、味噌が苦くてうまかった
このインタビューで一番多く聞けた言葉は「分からない」だった。伊藤さんは常に迷い続けている感がある。分からないことが次々とやってくる日々。そして分かんないことが、彼のモチベーションなのかもしれない。分からないから、来年もまた米をつくる。
彼が佐渡で一番好きな季節は、田植えの時期でも稲刈りの時期でもなく、ずっと曇り空が続く冬が明けたくらいの、ようやく青空が出てくるころだそうだ。
ちなみに彼が育てているコシヒカリの独自ブランド名は、「てんてこ米」という。
このインタビューの後、米の乾燥作業が残っているからと出かけていった。忙しいときにありがとうございました!
後日、送ってもらった七分突きの新米を炊き、ちょっと冷ましてから食べてみた。
粒がしっかりとしていて、すごく食べ応えがある。よく分からないけれど、きっと山の上の田んぼかな。
おいしいです、てんてこ米。
友達がつくったうまい米を毎日食べられる生活というのは、とても贅沢だなと思った。今年の写真集も楽しみだ
伊藤さんのお米購入先:農園みづち(今年の写真集はまだみたいですが)
著者:玉置 標本
趣味は食材の採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は古い家庭用製麺機を使った麺づくりが趣味。
Twitter:https://twitter.com/hyouhon
ブログ:http://www.hyouhon.com/