たまたまテレビで見掛けて「これになる!」と決め、18歳から歩み続けた刀匠(刀鍛冶職人)という仕事【いろんな街で捕まえて食べる】

著: 玉置 標本 

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(撮影:宮沢豪)

とても漠然とした話なのだが、手に職を持った人、「職人」という生き方に憧れている。塗師、大工、寿司屋など、詳しい仕事内容を一切知らずにイメージだけで書けば、伝統文化に裏打ちされた確かな技術と美意識を必要とする、芸術家に限りなく近い職業。そしてなんだか上下関係とかが大変そうな仕事、それが私の中での職人だ。

不惑の歳をすっかり過ぎて、今から職人の道に進むことはまずないのだが、己の来世に向けて、あるいは道を探している誰かに変わって、18歳で進むべき職人の道を決めた方と会ってきた。昭和51年生まれ、私と同い年の刀鍛冶職人(刀匠)だ。

本当にここは令和の職場なのだろうか

各地で今シーズン一番の冷え込みを記録した二月の某日、群馬県桐生市にある将成鍛刀場へとやってきた。工藤将成さんが刀匠として独立し、14年前に構えた仕事場である。鍛刀場としては、かなり新しい場所だ。

f:id:tamaokiyutaka:20200222184450j:plain冬は湿度が低いので、刀づくりのベストシーズンらしい

f:id:tamaokiyutaka:20200222183619j:plain蝋人形じゃないですよ

工藤さんは藁の座布団に座って、昔ながらの鞴(ふいご)でゴーゴーと風を送り、赤松の炭で火を熾し、玉鋼(たまはがね)を鍛えた刀を熱していた。映画やドラマのセットでも、歴史博物館の展示でもなく、あくまでリアルな職場なのだ。

工藤さんのことは友人の紹介で知ったのだが、日本刀をつくる鍛冶職人が今も存在していて、新しい刀が令和の時代にも生まれているということにちょっと驚いた。そりゃそういう人も日本のどこかにはいるのだろうけれど、現実感が無さすぎる。

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千年以上も前から変わらない製法で刀をつくっている工藤さん。この鞴(左手で操作している送風機)は大正から昭和初期くらいのもので、火床(ほど=炉のこと)は工藤さんの手づくりだ

f:id:tamaokiyutaka:20200222183827j:plain風に対する反応が早くて火力のコントロールがしやすく、灰が溜まりにくい赤松の炭を使用する。仕事で赤松の炭を使うのは、ほぼ100%刀鍛冶職人とのこと

――まさかここまで昔からの伝統が守られているとは驚きました。刀鍛冶ってどうやるとなれる職業なのでしょう。

工藤将成さん(以下、工藤):「刀づくりは文化庁の管轄です。刀をつくる前に教育委員会へ申請して一振りずつ登録するのですが、師匠の下で最低5年間修行したのち、研修という名の実技試験を通らないと申請ができません」

――やっぱり誰でもつくれるものではないんですね。工藤さんはどんなきっかけで刀鍛冶の道に入ったんですか。

工藤:「理由ですか? 憧れとかは一切ないですね。刀をつくっている人がいるって知って、やろうって思っただけで」

――え、強烈な憧れがなくて選ぶ仕事じゃないと思いますが。

工藤:「テレビ番組のちょっとしたコーナーで、たまたま有名な刀鍛冶の先生が出ていて、それを見てこれだと。それが高2のときですね。親は大学にいれるつもりでいて、公務員とかにさせたかったんだと思うんですけど、もともと大学に行くとか会社員になるつもりがなくて。手に職をつけたい、職人の仕事をやろうっていう考えは漠然とあって、アンテナを張っていたところに飛び込んできたっていうところですね」

――なんとなく職人になりたいと思う人はたくさんいても、なかなか実行に移さないところです。進路希望の欄に「刀鍛冶」って書いて提出するんですか?

工藤:「はい。進路指導の先生に『なんで大学行って遊ばないの?』っていわれてカチンときて。なんで目的があるのに遊ばなきゃいけないんだって、受験勉強をせずにトレーニング室でラグビー部に混ざって体を鍛えていました」

――俺は卒業したら刀鍛冶になるんだぞと。とはいっても、当時はまだインターネットの情報もないので、どうしたらなれるのか調べようもないですよね。

工藤:「親戚から刀鍛冶の載った新聞の切り抜きを送ってもらって見学に行ったり、刀を勉強するために博物館にいったり、そのうちにいろんな縁が重なって、刀を鑑定する会に呼んでいただき、そこで福島県から来ていた藤安将平に出逢って、卒業してすぐに弟子入りしました」

f:id:tamaokiyutaka:20200222183842j:plain鉄の上に鉄を置いて鉄で叩いているので、カンとキンの間の骨に響くような音が鳴る。大きな音ではあるが、決して嫌な音ではない

f:id:tamaokiyutaka:20200222183919j:plain鉄を適温まで熱して、何万回と打つことだけで、ほんの少しずつ刀の形へと変えていく。現状で刀鍛冶の仕事しては7割終了といったところ

f:id:tamaokiyutaka:20200222183945j:plain設計図などは存在しない世界。完成のイメージをしっかり持つために、まず木刀をつくって形を把握する

工藤さんが現在こうして刀を鍛えていることから分かるように、テレビでちらっと見かけた刀鍛冶の仕事を己の生きる道だと決めた結果、その延長線上にちゃんと今日があるのである。

そんなことって本当にあるのか。

修業とは、仕事でも労働でもない教わる立場

――刀鍛冶の修業時代って、どんな感じなんですか。

工藤:「師匠はちょうど30歳年上で、当時としても珍しい住み込みの修業でした。仕事に関しては厳しい人でしたが、殴る蹴るといった昔の職人みたいなことはなかった。仕事着、朝昼晩の食事、寝る場所と、衣食住は全部賄ってくれます。ただ修業期間中は給料がまず出ない。盆と暮れにいただく帰省用のお小遣い程度です」

――ほぼ無給で、最低5年は厳しいですね。

工藤:「労働ではなく修業。勉強をさせてもらう期間です。刀づくりの仕事は、作業がお金になる段階までスムーズにいけばいいけれど、どうしても失敗があります。世に出せない、進めたものが無駄になることが多々ある。代金に反映されない仕事が多いので、弟子に給料を支払うのは難しいと思います」

――独立したからこそ分かる、弟子を持つ師匠の大変さだ。休みとかはあるんですか?

工藤:「夜が明けたころから動き出して、仕事は夜の6時か7時くらいまでですが、遅くまでやることももちろんあります。一応基本、日曜日は休み……であることが多かった。師匠の仕事次第、あるいは気分次第ですね。それでも親方が仕事をしている時間以外は、好きに自分の修業をしていい。休みの日か夜くらいですけど。自分の努力次第でいくらでも伸びる環境でした」

――タダ働きだと思うんじゃなくて、お金を払っても得られない特別な環境を無料で与えてもらっていると考えるべきなんでしょうね。刀鍛冶になりたいという人は多いのでしょうか。

工藤:「弟子は私が入ったときも2人いました。師匠は来る者は拒まず、去る者は追わずを徹底していたので、100人はいかないまでも、50人以上は弟子を迎え入れたと思います。それでも未経験からの叩き上げで刀匠になったのは、私を入れて二人だけです。みんなやめていく。歩留まりは悪いですね。やめていく人は、だいたいの目的が違います。刀をつくりたいのではなくて、社会からの逃避で来る。職人の仕事は黙々とやればいいのだろうと。社会生活からの駆け込み寺って呼ばれていました。でも実際は住み込みだから、家族や兄弟よりも他人と密接に関わります。弟子同士は相部屋、24時間ずっと一緒。寝ている間も気を張っているから、いつも目覚ましが鳴るより前に起きていました。刀匠という存在に憧れて入ってくる人もいますけど、憧れだけで続くものでもない」

――落語家の内弟子みたいだ。刀鍛冶って家業でもなければ誰もが未経験から始める仕事なので、もしかしたら自分に才能があって、うまくやれるのかなと思ってしまうのかも。工藤さんがやめようと思ったことはないんですか。

工藤:「もっと遊びたいとかはなかったんですが、順調ではなかったです。半年くらいで指を故障をしてしまって。力み過ぎて無駄な力が入っていたから筋を痛めて、実家に帰ったり、手術をしたり、そんなことを繰り返して。兄弟子が全員やめて、下の弟子が入ってこないっていう一人弟子のときに高熱を出して寝込んで、そのまま飛び出したこともあります。地元に帰ったところで職質を受けて、親方にごめんなさいって戻って、なんとかまたやらせてもらうっていうのがありましたね。何年目だったかな。あんまり覚えていないんですよ、喉元を過ぎてしまったから」

――すぐに熱さを忘れるタイプ。

工藤:「指を故障をしたのも、結果的にはプラスになりましたけどね。古武道をやっている人と知り合って、体の使い方とか筋肉の使い方を端的にですけど教わって、意識したらそれ以来なんともない。いろいろ繋がっていくんです」

――5年間がんばって刀匠の資格を取れば、それで食べていけるものですか。

工藤:「独立できれば、もれなく食えるという仕事でもありません。やめていった人も多い。昔から職人の世界は、10年で一人前と言われています。師匠もそこら辺を大事にしていて、5年で刀をつくる資格が取れても、基礎の基礎ができただけなので、そこから修行を続けて、さらに習熟の度合いを深める期間が5年。合わせて10年はやらないとという考えでした。確かに独立前は生活とか余計なことを一切考えなくていいので、技術が一番伸びる時期です。私の場合は入門してから8年目、今から15年前にそろそろ場所を見つけろと師匠から勧められ、その時に師匠の藤安将平から将を一文字もらって工藤将成という名になりました。ちなみに師匠の師匠は宮入行平で、平を受け継いでいます」

――その流れだと、工藤さんにお弟子さんができて独立したら、成の一字を渡すかもしれませんね。

奥さんの話では、工藤さんは前しか見ていない人だからか、過去の記憶をかなり捨てているらしく、子どものころの話とかをほとんど覚えていないそうだ。それも一種の才能なのだろう。

そういえば私もいろいろと忘れてきたけれど、ライターという仕事を選ぶまでに、いくつかの挫折を味わっていることを思い出した。今にして思うと、そりゃ自分に向いていないだろうという職種だったり、努力をしようとしない自分の甘さだったり。来来来世くらいには、余計な迷いのない人生を送れるだろうか。迷走しつつの暮らしも嫌いではないのだが。

f:id:tamaokiyutaka:20200222184042j:plain刀の素材は最高品質の鋼である玉鋼。鉄の棒とかではなく、この隕石みたいな塊からつくり上げるのだ

f:id:tamaokiyutaka:20200222184121j:plain刀の形にする前に玉鋼を均一に練る作業が肝心だそうで、スプリングハンマーという道具で叩いていく。鉄の組織を考えて鍛えることで、鋳物にはない粘りと強さを生む

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玉鋼から棒状にするまで一週間。叩くたびに酸化した被膜が剥がれ落ちていくため、工数が多いほど小さくなっていく。1キロ弱の刀をつくるのに、4キロ近い玉鋼が必要となる

――ちなみに日本刀をつくる刀鍛冶の職人は、今どれくらいいるんですか?

工藤:「刀鍛冶はだんだん減っていて、専業だと100人を切るくらいですか。兼業だったり、イベントのときだけ観光としてやっている人もいます」

――100人! 予想より多かったです。それだけ美術品としての需要が、今もあるということなんですか。

工藤:「もともと刀の成り立ちには3つの要素があります。戦の武器として、美術品として、そして宗教や精神の拠り所として。私がつくっている刀は、半分は美術品としてですが、もう半分は武道用です。抜刀術だったり、居合道だったり。実際に切ったりもするので、実用できる刀ですね」

――実際の戦はなくなっても、武道として今も刀は使われているんですね。

工藤:「刀鍛冶が武道をすることは必須ではないが、自分にとっては必要な物。実用品としてオーダーを受けたのであれば、実際に切ってみる。性能試験ですね。自分の感覚で、ちゃんと使える刀としてできているかどうかを確かめたい。最近はあまり稽古をできていませんが」

f:id:tamaokiyutaka:20200222184553j:plain刀の実用性を確認するために、畳表を巻いたものを切ることも。髪型が急に変わったのは、取材に2回来ているから

f:id:tamaokiyutaka:20200222184159j:plain今は一人で刀をつくっているので電動のスプリングハンマーを使っているが、修業時代は師匠の下でこれよりも重い大槌で叩いたことも。仕事として大槌を使う機会は当時でも貴重で、その経験が機械を使う上でも生きているという

f:id:tamaokiyutaka:20200222184225j:plain見た目よりもずっと重い。工藤さんが叩くと、丸太が相手でもキーンという神聖な音が響くが、私が打つとベコっと鈍い音しかしない。酸化した私の脂肪が剥がれないかな

f:id:tamaokiyutaka:20200222184213j:plain刀鍛冶は力仕事が多いように見えるけど、工藤さんの手はフカフカだ。マメやタコだらけの手は、無駄な力みが多すぎる証拠なのである

工藤さんの修業期間は合計8年間。長いようにも思えるが、刀鍛冶の仕事を少し教えていただき、その覚えるべきことの多さを想像すると、そりゃ最低でも8年は必要だよなという気もする。

大学を出て、さらに大学院で勉強したような感じだろうか。いや、お金を払って教わる学校形式では成立しない、濃密な実習時間なのだろう。工藤さんも言っていたが、衣食住を用意して無償で教える側も大変だ。すぐに結果を求められる現代に、どうしても時間のかかる伝統文化を次世代へつなぐ難しさ。

独立して「刀鍛冶可」の物件を探す

――師匠から独立を勧められて、この桐生市に鍛刀場を構えた理由を教えてください。

工藤:「私は埼玉県の入間市出身で、とりあえず実家にいったん帰って、高校の同級生が不動産屋をやっていたので、そこの関連会社でバイトをしつつ、入間や飯能で物件を探しました。条件としては、隣の家と距離が離れていて、ある程度の広さがあること。修業先は隣から100mくらい離れていたので。でも一年以上探しても、なかなかちょうどいいところがなくて」

――どうしても鉄を叩く音が響きますもんね。「ペット可」とか「飲食店OK」ならともかく、「刀鍛冶可」の物件ってSUUMOの情報にもなさそうだし。でもここはすぐ隣に家がありますよ。

f:id:tamaokiyutaka:20200222184355j:plain工藤さんの住む街は、意外なことに住宅地だ

工藤:「ここは祖母が住んでいた家で、私が子どものころに遊びに来た場所。祖母が両親の住む入間に移って、数年間空き家になっていたんです。ここに来る予定は全くなかったんですが」

――そういう縁のある場所なんですね。近所の人の反応は、大丈夫でした?

工藤:「もちろん周囲の人に挨拶回りをしましたが、すんなり受け入れてくれる感じで、反発とかは全くなかったですね。桐生は織物の街で、金属加工業も多い。ここの隣も昔はレース編みの機械がある工場でした。だから手仕事に対する理解があるみたいです。たまたま向こう隣が大工さんで、この鍛刀場はその方に建ててもらいました」

――それは心強い。もともとおばあさんが住んでいた家というのもあるんでしょうけど、受け入れてもらえたんですね。

f:id:tamaokiyutaka:20200222184425j:plainお隣さんが敷地内に建ててくれた鍛刀場。不思議と築年数以上の歴史を感じる

「住宅街なので、音が出る仕事は遅くても夜7時くらいまでにしています。おかげで健康的な生活です。桐生はかつて相当にぎわっていたせいか、文化的なレベルがかなり高い。旦那衆の街っていう雰囲気が今もあって、地元の方が応援してくれている感じを受けます。妻とは地元入間で知り合いましたが、その両親は群馬の出身なので、なんだかんだ群馬に縁があったんでしょうね。小学校も近くて子育てもしやすい。妻は家がここより田舎だったら、結婚していなかったっていっています」

f:id:tamaokiyutaka:20200222191456j:plain桐生が誇る関東五大天神、桐生天満宮

f:id:tamaokiyutaka:20200222191525j:plain桐生天満宮へと通じる本町通り周辺には、織物で栄えた歴史を感じさせる建物が多数残る

f:id:tamaokiyutaka:20200226001045j:plain近所でラーメンとミニかつ丼のセットを頼んだ。群馬といえばソースかつ丼だ

それにしても刀鍛冶の作業は多い。究極の手仕事であるため、一カ月につくれる刀は、僅か一振りなのだそうだ。

電動のブロアー(火床に風を送る機械)を使う職人が増えた今も、工藤さんは室町時代から変わらないスタイルの鞴を使う。効率を求めれば、もう少しやりようはあると思うのだが。

工藤:「ブロアーを使えば楽でしょうけど、それが効率的とは限りません。イメージを具体化するにあたって、最後に何かの差が出たとしたら、その差なのかもしれないと思ってやっています」

ただ昔のやり方を踏襲しているのではなく、理想とする刀をつくるために、一番の方法を考え抜いた結果が鞴なのだ。

すべての作業に対して、このような考え方なのだろう。この日に鍛えていた刀は、お客様からの注文品ではない、鎌倉時代中期にモンゴル帝国が攻めてきたときに対抗手段としてつくられた大振りの太刀を再現したもの。なんと売り先未定の自主製作である。「こんなことをしている場合じゃないんですけど」と、工藤さんは静かに笑う。

月に一振りしか刀をつくれなくても、それが今の自分にとって必要だと判断すれば、時間を割り振ることができる芯の強さ。刀匠としての理想はないといいつつも、どうしても譲れない部分は多く、つくりたい刀や身につけたい技術もまだまだある。工藤さんの修業は今も続いているようだ。

f:id:tamaokiyutaka:20200222184303j:plain理想の刀をつくるには素材がやっぱり大切だぞと、最近では砂鉄を集めて玉鋼をつくることにも挑戦している。ここまでくると蕎麦屋が畑を耕して蕎麦の実を育てだすみたいな話である

f:id:tamaokiyutaka:20200222184525j:plain自宅内にある刀を研ぐ場所。刀鍛冶としての仕事は荒砥ぎまでで、その先は研ぎ師に任せるのだが、より細かい確認をしたいときは自分でしっかり研ぐことも。こうしてまた工数が増えていく

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削るのではなく磨く段階なので、シャーシャーではなく、ケコケコという感じの音がした

f:id:tamaokiyutaka:20200222184633j:plain工藤さんが過去につくった作品を見せていただいた。焼刃土を塗ってから熱し、水で冷やす「焼き入れ」によって強度と刃紋が生まれ、研ぎ師の腕によってここまで磨かれる

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あの玉鋼からどれだけの手間を掛ければ、この状態にたどり着くのだろうか

f:id:tamaokiyutaka:20200222184710j:plain銘を入れるときに漢字を間違えたら、また一からつくり直しなのかな

玉鋼を練るという意味を、うどんの生地で教えてもらう

日本刀ができるまでの壮大なストーリーがおぼろげながら見えてきたものの、最初の「玉鋼を練る」というのがよく分からない。鋼を錬るってなんだろう。

詳しく聞いてみると、うどんやそばの生地を練るのと原理は同じらしいので、小麦粉を使って教えてもらうことにした。

これは別にふざけているわけではなくて(否定もしづらいが)、玉鋼で積層をつくる流れを色粘土で再現するワークショップをすることもあるそうだ。

f:id:tamaokiyutaka:20200222184813j:plainまずは小麦粉と水と塩を混ぜて、うどんの生地をつくる。これを玉鋼の塊だと思ってください

f:id:tamaokiyutaka:20200222184835j:plain玉鋼を板状にしたら、中央に切れ目を入れる

f:id:tamaokiyutaka:20200222184856j:plainその切れ目に沿って折り返す

f:id:tamaokiyutaka:20200222184941j:plain叩いて一枚にしたら、方向を変えて切れ目を入れる

f:id:tamaokiyutaka:20200222185001j:plain切れ目から折り返して一枚にする。これを何度も繰り返すことで積層を重ね、均一な玉鋼に鍛えていく。これは「十文字鍛え」という方法で、加水率の低い麺生地を捏ねる方法と同じだ

f:id:tamaokiyutaka:20200222185039j:plainこれをスプリングハンマーではなく、家庭用製麺機という道具で延ばしていく

f:id:tamaokiyutaka:20200222185057j:plain硬い玉鋼(強力粉)でつくった皮鉄で、柔らかい玉鋼(中力粉)の心鉄で挟んで組み合わせて鍛接する。写真の下側が刃となる。この構造によって硬いだけでなく粘りのある刀となるのだ。

f:id:tamaokiyutaka:20200222185133j:plain喉越しがよく、腰の強い生地になっただろうか。このあと子どもたちと上毛かるたをやったら私が負けた。アウェイの洗礼だ

f:id:tamaokiyutaka:20200222185228j:plain工藤さんは日本刀づくりで培ったノウハウを詰め込んだ、世界有数の難しい製法による包丁づくりにも挑戦している。刀匠がつくる意味のある、素晴らしい切れ味の包丁(ペティナイフ)だ

f:id:tamaokiyutaka:20200222185249j:plain凄く軽いつくりなのだが、そのわずかな重さだけで野菜がスパっと切れていく。刃が薄いため焼き入れでクラック(ひび)が入ることも多く、10本つくっても売り物になるのは3本程度

f:id:tamaokiyutaka:20200222185305j:plainこの包丁を使うと、料理が上手になった気分になる。ものすごく欲しくなったが値段を聞いて諦めた。だいたい大卒初任給くらい

こうして日本刀の工程を参考(?)に鍛え上げた生地を麺にして、刀匠が誇りを込めて打った包丁で野菜を切り、群馬名物のおっきりこみ(煮込みうどん)を作成した。

この麺が丈夫すぎて、じっくり煮込んでもぜんぜん煮崩れず、結果としておっきりこみっぽくならなかった。さすがである(なにがだ)。

f:id:tamaokiyutaka:20200222185203j:plain
工藤さんはうどんやそばの職人になっても、絶対に成功すると思う。そして私が刀鍛冶を目指せば一日で逃げ出すだろう

f:id:tamaokiyutaka:20200223013355j:plain貴重な時間をありがとうございました!

今更ではあるが、ほとんどの人がやめていく刀鍛冶という難しい仕事を、こうして続けることができた秘訣はどこにあったのだろうか。

工藤:「なんでしょうね。最初に刀鍛冶という仕事を知った時点で、やるって決めたので。なれる自信はありました。そこからはただやるだけだったので。刀鍛冶に惹かれた理由もよく分かりません。理想像もありません。昔はそれらしく理由をつけていましたけど、分かんないっす。理由は本当に分からない。はじめてテレビで見て、これだ!と思っただけ」

貫くべき方向を見つけたときの、突進力と柔軟性。程良く力の抜けた工藤さんの受け答えに、これが力み過ぎない力加減なのかと感心してしまう。おそらく何を目指しても成功していた人なのだと思う。ちなみに中学生のころは、トップガンのトム・クルーズに憧れて、パイロットになりたかったそうだ。工藤さんだったら戦闘機に乗っていても不思議ではない。

最後に失礼を承知で、刀鍛冶という仕事を18歳のときに選んだことは正解だったのかを伺った。

工藤:「どうなんですかね。全然後悔とかはないですけど、もうちょっと生活が良くなるようにだけはしたいですけどね。家族のためにも。たくさん稼ぎたいということではないですけど、つくりたいものをきちっとつくって、その中で生活がそれなりにしていけるようになれば」

f:id:tamaokiyutaka:20200224191248j:plain時代劇の一場面じゃないですよ

最近は人気ゲームのおかげで、刀に対する若い女性ファンが増えているそうだが、顧客の高齢化が進んでいく中で、刀匠を買い支えていく存在に今後なるのだろうか。海外の刀ファンによる問い合わせも多いようだ。

伝統の刀鍛冶職人は凄く特殊な仕事のようで、すべての仕事に通じる話も多かった。単純に「すごい技術=すごい収入」とはならない市場原理の中で、好きなことをしてお金を稼ぎ、生きていくことの難しさとやりがいを、改めて学ばせていただいた桐生の一日だった。

 

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著者:玉置 標本

玉置標本

趣味は食材の採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は古い家庭用製麺機を使った麺づくりが趣味。

Twitter:https://twitter.com/hyouhon

ブログ:http://www.hyouhon.com/

 

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