言葉によって、読み手になんらかの強い感情を催すのが詩だとしたら、固有名詞ほど短く、鮮烈で、凝縮されている言葉はないだろう。
この文章を読んでいるあなたが、幼少期を過ごした町の名前を思い起こしてみてほしい。
懐かしいとかホッとするとか、反対に悲しいとか思い出したくないなど、とにかく感情のスイッチが押されたはずだ。
だから、町の名前が並んでいると、詩集のようだなと思う。
町によって刺さる人と刺さらない人はいるだろうが、(本物の)詩だってそうなのだから、それで構わない。
いやむしろ、針が細いほど鋭利になるように、自分にしか分からないほどその良さが刺さる。
なんでもなさが詰まった詩、それが町の名前である。
この原稿は、ある詩に対する解釈である。

詩のタイトルを「目白」という。
東京都豊島区にある山手線沿線の町で、一般的なイメージは、山手線の中で二駅しか存在しない乗り換えができない駅(もう一つは二駅隣の新大久保駅)、あとは学習院があることだろうか。
だが僕にとっては、幼少期、初デート、喫茶店、自転車、ラーメン屋、散歩、マクドナルドで自習、行列のできる美味しいケーキ屋、小学校、川沿いでお花見、ブックオフで爆買い、就職のための健康診断、ふと訪れた演劇などが浮かぶ。
お察しの通り、僕は幼い頃からずっと目白に住んでいたし、小学校も目白から歩いていける場所にあった。
しかも目白を中心に自宅や親戚の家がいくつかあったことから、目白、雑司が谷、高田馬場、下落合、椎名町くらいまでを、自転車で駆け回っていた。

ただしこの一帯、とにかく坂が多い。
しかもどれも急勾配で、中でも「のぞき坂」は約12.6度と都内有数の急坂。

その近くにある坂は急で、登ると胸を突くように辛いということから別名「胸突坂」とも呼ばれる。


夏場に自転車で駆け上がると、もうそれだけでヘトヘトだ。
だから少しでも勾配のゆるい坂を登りたいと、遠回りに遠回りを重ねて、気がついたら隣町に辿り着いていたこともしょっちゅうある。
そんな遠回りのおかげで、不思議な縁に恵まれた。
喫茶店に入るようになったのだった。

まずは、下落合駅にある「カフェ杏奴」。
明るくて面倒見の良いママが一人切り盛りされているお店。(下落合店は閉店してしまったが、現在も栃木県足利市で営業している)
初めて訪れたのは、高校一年生の夏。いつものように遠回りをしていたら、にわか雨に降られた。
傘もなかったのでどこかで雨宿りをと思ったところ、杏奴があった。
高校生が一人で、マックやドトールではないお店に入ることにすごく緊張していたことを覚えている。

だが雨と好奇心に背中を押されて、えいやと店に飛び込んだ。
中二階と小さな地下がある広々とした店内で、そっちもすごく惹かれたが、でも「高校生は入店お断り」とか言われたらすぐ逃げられるように、窓際の席に座った。
雨が窓をポツポツと叩く。おそるおそるチャイとマドレーヌを頼んだ。

当時の僕は高校生にしては老けていたので、なんなく溶け込めた。
それから何度か通ううちに高校生だと知られたのだが、こんなところに高校生が来るなんてと面白がって、ママさんも常連さんもみんなが良くしてくれるようになった。
お店でたまに開かれるライブに遊びに行ったのもいい思い出だ。

もう一つ、坂の上にあった「ピアリッジ」という喫茶店も行きつけだった。
一帯では有数の 大きなスーパーマーケットの脇に、ひっそりと地下へ続く階段があった。地上からはほとんど様子が見えないが、喫茶店であることだけはうかがえた。
子どもながらに、いや子どもだからこそ、その秘密基地のような店構えに心惹かれ、えいやと飛び込んだ。カウンターが十席ほどにテーブルが三卓ほど。地上から隔てられた店内には、間接照明の仄暗さが満ちていて、自然と気持ちが落ち着いていく。
関西出身でエンジニアを辞めて喫茶店を開いたマスターが、一人でカウンターに立っていた。
ここでも常連客の皆さんにとてもかわいがっていただいた。中でもお一人には、大学生になってからアルバイト先を紹介してもらったこともある。

当時の僕は高校生で、真面目に受験勉強をしていた。友達もみんな勉強に熱心で、学校帰りに遊ぶということはほとんどなかった。
だから、行きつけの喫茶店で大人たちと交わす会話が、僕にとっての放課後だった。

ピアリッジと言えば、忘れられないことがある。
僕が受験生であることはみんな知っていて、店内で勉強していると静かに見守ってくれて、たまに一息つくと頃合いを見て話しかけてくれた。(今思うと、受験生に対してなんとベストな気遣いをしてくださったのだろうか)
ところが、高三の秋になって受験が近づくと、さすがに店から足が遠のいた。
十月、十一月、十二月、一月と、それまでほぼ毎週のように通っていたので、ずいぶんと寂しかった。
受験も佳境に迫った二月のある日、いつものように店の前を素通りしようとしたとき、「三月の半ばに閉店します」という掲示があった。
いてもたってもいられず、階段を駆け降りた。

マスターが、「久しぶりやな、元気か」と優しく聞いてくれる。
僕は泣きそうだった。
やっとのことで席に着くと、「今日はサービスや」と、いつもは水を入れる小さなコップにアイスカフェオレを入れてくれた。
閉店のことについて尋ねると、「常連さんからメールしてもらおうかと思ったけど、大事な時期に心配かけるのもなあと思って」と、マスターが申し訳なさそうにする。
その日は会話もそこそこに帰宅した。それから、ただがむしゃらに受験を終わらせた。
受験から解放された高三の春休み、すっかり気が抜けて友人たちと遊んでばかりいたが、そうでない日は毎日ピアリッジに通っていた。
残された時間を惜しむように、一杯一杯のコーヒーを飲んで、シュガートーストを丁寧に食べていた。

そして合格発表の日。確かお店の閉店も数日後に迫っていた頃だった。
常連さんたちは、そうとは言わずに、僕のお祝いのために集まってくれていた。
僕は大学までひとり結果発表を見に行っていた。
ところが、結果は不合格だった。

浪人してまた頑張ろうと受験に対しては妙に冷静だったのだが、それ以上に、常連のみんなになんて言おうか、そのことばかりが気がかりだった。
だが行かないわけにはいかない。どうしようどうしようと思いながら、扉を開ける。
固唾を吞んだマスターやみんなの顔が一斉にこちらを向いた。
それまでなごやかに談笑していたのに、ピンと空気が張り詰める。
口をパクパクさせた。
言葉が出なかった。
数秒経って、喉の奥のほうで、自分の声じゃないみたいな声で、「受かった」と言ってしまった。
それからは自分に向けられた祝福や花束を、他人事のように受け取り、申し訳なさでいっぱいだった。
帰り道、一番良くしてくれていた常連のA木さんという女性と、目白の町をぽつぽつ歩いた。
この人だけには、ちゃんと言わなければと大学に落ちたことを白状した。
「大丈夫よ」とだけ言って笑ってくれた。
その「大丈夫」には、色んな意味が込められていたと思う。
もう一回頑張れば大丈夫とか、嘘ついたことに対して気にしなくていいよとか、多分そういう全部だった。

ふと目線を上げると、そこにあったのは祖母が夕飯を買うピーコックだった。
こういうときの背景って、もっと、こう、なんかあるだろと頭の片隅で思いながら、それでも僕はポロポロ泣いた。
固有名詞という詩は、絵にならないことの連続だ。
視界の悪い、祖母の顔が浮かぶようなスーパーマーケットの前の通りだったり、一見さんはちょっと入りにくいくらいの喫茶店に暮らしがある。
少し歩けば、ちょっと絵になるような坂道がある癖に、実際の事件はそういうところでは起きない。そういえば、さきほどの「のぞき坂」は、新海誠監督作品『天気の子』で大事なシーンに使われていたっけ。
でもそんなところに、固有名詞の詩は用がない。
初めて好きになった女の子が、突如として目白に引越してくることになって、目白をたくさん歩いた。
よく一緒に歩いたのは「七曲坂」という、平凡な坂だ。
「目白 坂」と調べると、「のぞき坂」や「日無坂」はヒットしても、「七曲坂」はヒットしない。
でも、僕にとっては一大聖地だ。

目白は、山手線沿線の中だと静かだし、人の出入りも少ない。
東京の町の例に漏れず、美容院と歯科が異常に多いこと以外はあまり特徴がない。
だからだろうか、飲食店やお店の入れ替わりが激しい。
杏奴もピアリッジも、それ以外に行きつけにしていた喫茶店の多くもなくなってしまったが、気がつけば新しい喫茶店がまた増えている。

確かに歩いてみると、意外と名所らしい名所はある。
神田川のほうまで足を延ばせば、春の頃なら桜が綺麗だ。
雑司ヶ谷には、東京都内で唯一現存する路面電車「都営荒川線」が走っている。
おとめ山公園もあるし椿山荘もある。

だが、住んでみると心に残るのは、登るのが面倒な坂や一軒一軒の喫茶店、なんでもないスーパーマーケットなのだ。
目白はそういうなんでもなさがとても豊かな町だ。
自分にしか解釈できない、なんでもない、固有名詞の詩らしい魅力に溢れている。
著者:渡辺祐真(作家・文芸評論家)

1992年生まれ、東京都出身。現在は東京と京都の二拠点生活。ゲーム会社でシナリオライターとして勤務ののち、現職。
著書:『物語のカギ』(笠間書院)など
X:https://x.com/yumawata33
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編集:ツドイ
