「ラップで生きる覚悟」を胸に東京でカマす。島根出身のラッパー・SKRYUが大井町で見つけた理想の自分【上京物語】

インタビューと文章: 古澤誠一郎 写真: 関口佳代


進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。

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今回の「上京物語」に登場いただくのはラッパーのSKRYUさんです。

島根県で生まれ育ったSKRYUさんは、国立大学卒業→地元の銀行に就職→1年で退職&上京を経てラッパーとして一本立ち、という異色の経歴の持ち主。地元で活動する道ではなくあえて上京を選択した背景には、「戻ってこれない場所に出ていって、ラップで生きていく覚悟を示す意味もあった」と言います。志の高いアーティストが全国から集い、「全てが早歩きになる」という東京のせわしない環境は、生来の“目立ちたがり屋”のSKRYUさんのキャリアの成長スピードを大きく加速させることにもなりました。

このインタビューでは、「もう一度住みたい」と振り返る大井町で暮らした日々のほか、きらびやかな経歴の裏に隠れた下積み生活などもたっぷり振り返ってもらいました。

お話を伺った人:SKRYU(スクリュー)

1996年生まれ。島根県安来市出身。愛媛大学に進学後、大街道サイファーとの出合いをきっかけに本格的にラップに取り組む。地元の銀行に就職後、1年間の銀行員とラッパーの両立生活を経て退職、上京。その後、MCバトルで活躍などを経て、『超Super Star』や『How Many Boogie』などのヒットを連発。2024年11月~2025年2月には累計動員12,000名を見込む初の全国ツアーを開催中。
SKRYU Official Site:https://skryu.bitfan.id/

熱中したバスケで挫折。「何でカマせるか?」と考え宅建を受験し合格

── 生まれ育った島根県安来市はどんな街ですか?

SKRYU 世の中にはいろいろな種類の田舎があると思いますが、もう胸を張って「ここが田舎でしょ!」と言える田舎ですね。島根県は松江市と出雲市以外が過疎の指定地域になるくらいなので、本当に人がいなくて。家の周りは見渡す限りの畑と田んぼでした。

── 海も山も近い場所ですが、自然の中で遊んで育ったのでしょうか?

SKRYU 街に出て遊ぶ感じじゃなかったですね。家のすぐ近所に飯梨川という一級河川があったので、川が好きになりました。橋がかかっている場所に水深が深い場所があって、そこに高い所から飛び込んだりして遊んでましたね。

── 飯梨川の河口は“安来のウユニ塩湖”とも呼ばれる美しい場所のようですね。

Webサイト「安来市観光ガイド」より

SKRYU 中海(なかうみ)という小さな湖に川が交わる場所がメチャクチャきれいなんです。その近くの港で、夜中まで友達とくっちゃべっていました。

── SKRYUさんはどんな感じの子どもだったんですか?

SKRYU お調子者の目立ちたがり屋でしたね。雲梯(うんてい)の上に登って走ってみるなど、親をヒヤヒヤさせることが多い子どもだったと思います。

小中のころは「俺は1軍にいる」と思っていましたが、自分の身の丈を思い知らされる体験が続いて「自分が一番と思い込んでいる痛いヤツ」になっていきました(笑)。

そのころはバスケに熱中していて、高校も過去に全国優勝の経験がある松江工業高校を選びました。当時のスタープレイヤーがかなり集まっていたので、入部半年でドロップアウトという結末に。自分を過信していたタイプなので、フツーにストレスにも弱かったんです。

── そんな中で、高校時代に宅建(宅地建物取引士)の資格を取得していた、という話を知って驚きました。

SKRYU 自分が100%の力を注ぎ込んできたバスケを辞めたとき、「あれ、今の俺に残っているものって何なんだろう?」という喪失感があったんです。そこで「何で努力すればカマせるか」と考えて「勉強をして大学に進もう」と思ったんですが、工業高校の勉強は共通テストにしか対応していないし、お金もないので国公立に行くしかないな……と。

学校に推薦枠があることを聞いて、「目に留まる資格を取っちゃおう」と思い、建築学科だったので宅建を取りました。当時、島根県内の高校生で唯一の合格者だったはずです。

── すごいですね!高校時代には人気者になれたのでしょうか?

SKRYU 僕は高校で生徒会長もやりまして。仲のいい友人たちから「文化祭を土日開催にして隣の女子高の面々を呼べるようにして、最高の思い出をつくりたい。そのためにはお前が生徒会長に成り上がり、俺らの手のひらの上で踊るのが一番だ」と言われて、いろいろな弱みも握られていた僕が生徒会長になりました(笑)。

実際に文化祭の土日開催を実現できたんですけど、催し物の8割に僕が出ていましたね(笑)。高校の友達は今でも僕のことを応援してくれていますし、高校時代にラップの存在を教えてくれたのも、その仲間の1人でした。

教えてもらったのが、T-Pablowさんとカシワさんの『高校生ラップ選手権』(2013年開催の第4回高校生ラップ選手権)で。「飽きちまったよ大阪の即興 俺の方が似合う王様の称号」という(T-Pablowの)ラインを聞いて、思わずイヤホンをぶん投げてしまうくらい衝撃を受けました。

愛媛で出合ったサイファーがキャリアの原点「俺はラップで生きていけるし、借金をしても作品をつくって稼げる」

── SKRYUさんの代表曲のひとつ『Mountain View』には、「はじまりは大街道でのサイファー」というリリックがあります。高校卒業後に愛媛大学に進学し、大街道(愛媛県松山市の歓楽街)で出合ったサイファー(複数のラッパーが輪になって即興でラップを披露し合うこと)がラッパーとしての原点なのでしょうか?

SKRYU 遊びでやっていた高校時代とは一線を画す感じで、あそこが自分のキャリアの原点ですね。プロのラッパーがスピーカーを囲んでフリースタイルをする光景を見たときの胸の高まり、そこに自分が飛び込んだときに脳汁が出た感覚は今でも忘れないです。僕にとって大街道のサイファーはヒップホップの入口になった場所でした。

ラップ漬けの大学生活で、大学最後の年はバイトも全部辞めて、銀行に内定が決まったあとは、お金を借りてまた遊んで……。大学在学中は「俺はラップで生きていけるし、借金をしても作品をつくって稼げる」という甘い考えをもっていたと思います。

── でも、ただ遊んでいただけでなく、瀬戸内を中心にさまざまな街を回る中で仲間とのつながりも増やしていたそうですね。

SKRYU そうですね。呼ばれていないイベントでも交通費自腹で現地に行って、「ライブさせてください」って頼んでいました。愛媛をはじめ四国4県と鳥取、島根、あと関西には事あるごとに行っていましたし、広島県の尾道市と福山市は第二の故郷といえる場所になりました。

銀行で働きながら、夜中に地元の川辺で曲づくり

── そしてSKRYUさんは大学4年生のときにMCバトルの大会『UMB2018(ULTIMATE MC BATTLE 2018)』の愛媛予選で優勝も飾るなど、バトルでも目立った活躍を始めますが、一旦就職する道を選んで地元島根県の地銀(山陰合同銀行)で1年間働かれていますね。

SKRYU ラップ一本での生活が現実的ではないと薄々気付いていたんですよね。そこで「ラップしながらやれる職業って何だろう」と考えて、安直な人間なので「それなら公務員か銀行員がいいか」「就活もだるいし、地方銀行なら即受かるだろう」みたいに考えていました(笑)。結局はメチャメチャ苦労したんですけど、半ばドロップアウトしかかりながらの就活でした。

── そこからは週5で働きつつ、土日にライブなどの活動をする生活に入ったわけですね。

SKRYU あのころは一番体力的に辛かったですね。僕は自動車免許ももっていなかったので、18時ごろまで仕事をした後、21時ぐらいまで免許の講習に通っていました。それから、近所の飯梨川のほとりで2時か3時くらいまで暗い中で歌詞を書いて、毎日寝不足で銀行に行っている生活でした。

でも、意地を張って無理をしていたわけでもなかったんです。「俺はカッコいい曲をつくれる」と思ってたし、曲をつくることが楽しくて、それが生活の一部になっていたんですよね。

── そして就職1カ月後のMCバトルの大会『戦極令和一番杯』に優勝して、ライブでも手応えを得たそうですね。

SKRYU ちょうど研修が終わって、いよいよ仕事も本格的にはじまる時期に呼んでもらった大会で、MCバトルでもライブでもカマすことができて、そこで「もしかしたらラップで生きていけるかもしれない」と思ったのが、後に仕事を辞めるきっかけになりました。

その日は手売りのCDも大量に持ってきていたんですが、ライブが終わったらお客さんが物販にひしめき合う状態になって。1,000円を片手に「CDくださーい!」って叫んでる人がたくさんいる光景には驚きました。

── そこでアーティストとしての自信をつかんだと。

SKRYU そうでしたね。僕としては、やっぱり地元でやってきたことって間違ってなかったし、「俺は東京でも通用するぞ」「これは過信じゃなくて自信、確信だ」という気持ちになりました。

コロナ禍で上京……のはずが住んだ場所は千葉の動物公園前

── そして就職から1年後、いよいよ銀行を退職して上京することになります。地方で活躍する仲間たちを見てきたSKRYUさんには、「地元で暮らしながらマイペースに音楽活動を続ける」という選択も可能だったと思いますが。

SKRYU そうしたほうがいいと言ってくれる先輩もたくさんいました。あと、僕が上京した2020年4月は新型コロナウイルス流行の真っただ中で、いろんな経済の動きが止まっていたので、心配してくれる人も大勢いましたね。ただ、僕が上京したのは自分を変える意味もあって。戻ってこれない場所に出ていって、ラップで生きていく覚悟を示す意味合いもありました。

── そうやって決意を秘めて上京したわけですが、実は最初に住んだ場所は東京ではなく千葉だったそうですね。

SKRYU 僕みたいな田舎者って、東京の周りの横浜、千葉、埼玉らへんは東京のすぐ近くだと思っていて(笑)。あと銀行を辞めたものの、僕はビビリなので上京後も働く先を探していて。千葉に宅建士を募集している不動産会社を見つけたことも、千葉に住む理由になりました。

平日は不動産事務をしながら、土日は東京でライブをするような生活になったんですが、僕が住んでいたのは千葉市にある動物公園駅(千葉都市モノレール2号線)だったので、渋谷に行くにも1時間半はかかりました。市川や船橋だったらもっと近かったんですけど……。

だからSUUMOで物件を探して上京する人も、ちゃんと土地勘を鍛えてから住む場所を決めたほうがいいです!

大井町では上京したてで狂ったテンポ 酒ばっか飲んでバリ貧乏


── そんな千葉時代を経て、いよいよ東京へ引越しをされます。最初に住んだ街はどこだったのでしょう?

SKRYU 大井町です。すげえいい街で、違う街に引越した今も、もう一回住んでやりたいって思っています。

── 特にどんなところがお気に入りなんですか?

SKRYU 駅を出てすぐのところに「東小路飲食店街」っていう、街に守られている感じの老舗が集まる飲み屋街があって、そこがサイコーでした。移転しちゃいましたけど、「ブルドック」っていう有名な洋食屋さんもありましたね。

東小路飲食店街

── YouTubeで街を紹介されている動画では、「いさ美寿司」もお気に入りだと話されていました。

SKRYU お金のない時期はお世話になっていました。あそこもおいしかったですねぇ。

あとは、鳥料理が絶品の「肉のまえかわ」と、おばあちゃんがやってる小料理屋「臚雷亭(ローライテイ)」あたりをハシゴする感じでした。僕は基本的に一つの店に入り浸るのではなく、いろんな店を巡る感じで楽しく飲んでいましたね。あんなに楽しい時間を味わえる場所は、あまりないなと思いますよ。

あと大井町は飲み屋ばかりじゃなくて、メリハリが利いているいい街なんですよ。街中で見る自転車は子どもを前や後ろに乗せられるタイプのものばかりで、サラリーマンのお父ちゃんがスーツで乗っている光景をよく見かけました。

ファミリー層向けの街でありつつ、めちゃくちゃ雰囲気のいい飲み屋もある、そんな二面性のある街は居心地が良かったですね。


── 大井町時代はかなりお金で苦労したんですか?

SKRYU はい、きつかったですね……。サラリーマンとしての収入もなくなったのに、ラップ1本で生活できているという見栄も張らなきゃいけなくて。

当時は人気が出始めてきた時期で、いろいろな人が「一度会ってみたい」と声をかけてくれて。いろいろな場所に遊びに連れて行ってくれたんです。そもそも6万9000円の家賃も当時の自分には高額で、誘われるままに遊んでいたら生活が成り立たなくなりました。

それこそ『京浜東北線』という楽曲で「酒ばっか飲んでバリ貧乏 派遣のバイトで桜木町 通ってたの今も内緒」って書いてますけど、実はこっそりスーツを着て桜木町のコールセンターでバイトしてたんです。そのときは「俺は東京に何をしに来たんだろう」と思ったし、経済的にもメンタル的にも低迷して悔しい思いをしていた時期でした。

── そんな生活が変わるきっかけは何だったのでしょうか?

SKRYU 今マネジャーをやってくれている白井さんが、僕があまり作品を出していないのを察知して、「一緒にやりましょう」と声をかけてくれたことですね。そうやってSKRYUの音楽活動がチームの活動になっていった時期があって、そこから劇的に調子が上向きました。そういった出会いがあることも、上京して良かったことの一つですね。

── 大井町については『京浜東北線』のリリックで「アルバム出したら引越したい」と書かれていましたが、気に入った街ではありつつ出ていきたい思いもあったんですね。

SKRYU ずっと住んでても良かったんですけど、一つは住んでいた部屋の問題が大きかったです。そのエリアで最安に近い築50年のアパートに住んでいたんですけど、内装はこぎれいにリフォームされてても隙間風がひどくって。あと窓を開けると東急大井町線が通っていて、静かな時間がない家だったんです。

なので引越しを決めて、武蔵小杉で探しましたね。『京浜東北線』という楽曲では「湘南新宿ラインに住みたい」って書いていて、『2DK』という曲では「多摩川沿いの家」ってリリックもあるんですけど、多摩川沿いで湘南新宿ラインが止まるのって武蔵小杉しかないんですよ。

僕は実家に住んでいたときも川のほとりで歌詞を書いていたので、やっぱり川沿いに住みたかったんです。でも、いざ引越そうとしたら、仮審査に落ちちゃって(笑)。今はなぜか審査が通った世田谷区の物件に住んでいますけど、また引越そうとは思っています。

── 次こそは武蔵小杉周辺ですか?

SKRYU 川沿いか海沿いを狙いたいですねぇ。「横浜もいいけど、まだ早いかな?」とか、「港区とか品川区の海沿いのレインボーブリッジが見える物件とかもいいな」とか、「ラッパーなんだし一度はタワマンに住むべきか?」とか、いろいろ考えています。前に引越したときは祐天寺とか東急東横線沿いにも憧れがあって、「目黒川があるのもいいな」と思っていました。

でも田舎臭いポイントも何かほしいんですよね。小さい子どもからじいちゃん、ばあちゃんまで同じ画角に収まる夏祭りをやっているような街も、やっぱり恋しいなと思います。

全てが“早歩き”になる東京は、居ても立ってもいられなくなる場所

── 上京してから音楽活動との向き合い方は変わりましたか?

SKRYU めちゃくちゃ変わりましたね。

納得のいかない曲はそれまでも出していないですが、東京では「マジで格好いい曲しか出したくない」と強く感じるようになって。だからこそ時間をかけてつくりたいんですが、それをしているとお客さんを待たせちゃうし、忘れられちゃう。音楽でお金を稼ぐには一定の期間で一定の量を必ず出さないといけないんです。そこでは「アート」と「ビジネス」のバランスをとにかく考える。

東京に来てからは、「与えられた納期の中で、本当に格好いいアートをどこまで追求できるか」みたいな勝負になってますね。制作スピードをメチャクチャ上げながらも、かっこいい曲をつくることができれば、それはお金にも信頼にもつながる、ということを意識するようになりました。

── 地元でのんびり暮らし、本業は別にもちながら、生活の一部として音楽に取り組むという選択とは真逆の生き方を“東京のアーティスト”として実践しているわけですね。

SKRYU そんな生き方を決意した以上、バカ売れして、お世話になった人たちや、距離が遠くなって会えなくなった友達の目に触れられるようなビッグアーティストになりたいです。

── 過去のインタビューで「東京のすごいところは、音楽の届くスピードも早いし、届いてほしい人、会いたいと思う人がすごく近くにいる」ところだともおっしゃっていました。

SKRYU 「環境ってクソ大事だな」と思っていて。隣を見れば、僕より年下のラッパーが活躍しているのがわかるし、自分よりチャートの上にいる人が近くでライブをしていたりする。

東京って音楽活動以外でも、全てが“早歩き”になる場所だなぁと思います。東京には志が高い人たちが集まってくるし、みんなが本気で生きているのをひしひしと感じるので、のんびりできないんですよね。誰よりも目立ちたがり屋の自分にとっては、居ても立ってもいられなくなる環境だし、その環境が自分のキャリアの成長スピードを上げてくれているなと感じます。

── 最後に『上京物語』という連載でのインタビューということで、上京を考えている若い人たちにメッセージをいただけたらと。

SKRYU めちゃくちゃ偉そうでシビアな話をすると、「上京しただけで何かが変わる」ことはないと思います。自分自身の本質はどこに行っても変わらないと思っていますし、僕は上京したことで確実に人生が変わりましたけど、かといって「上京しなければ売れなかったのか?」というと、そうじゃないとも。だから「東京に行ったらってどうにかなると思うなよ!」と。地元のオヤジっぽい意見になってしまいますが(笑)。

僕の場合は、「もう地元でやることがない」と思えるくらいやりきった感覚があったし、「俺は絶対に東京でもカマせる」という強い自信をもって出てきたのが良かったのかな……と。僕みたいに自信はあるけど怠惰で、「ほかの人に背中を押してもらえたら頑張れる」という人にも東京の環境は向いていると思います。

あとはかなり大事なことなんですけど、田舎っぺは東京に行くと、本当に一回体調をガッと壊すので、その想定だけはしておいてください(笑)。

聞き手:古澤誠一郎(ふるさわ せいいちろう)

古澤さん

ライター。1983年埼玉県入間市生まれ。東京都新宿区在住。得意なジャンルは本、音楽、演劇、街歩きなど。『サイゾー』『週刊SPA!』『散歩の達人』『ダ・ヴィンチニュース』などに執筆中。
X(旧Twitter): @furuseiro
WEBサイト: https://furusawaseiichiro.com/

写真:関口佳代
編集・風景写真:はてな編集部