“木樽”似の僕が、さしたる理由もなく過ごした東京・蒲田|文・荘子it

著: 荘子it

 僕は東京都大田区の田園調布本町育ちだ。アカデミー賞の国際長編映画賞を受賞した『ドライブ・マイ・カー』の原作となった同タイトルの短編が収録されている村上春樹の短編集『女のいない男たち』の中の「イエスタデイ」に登場する“木樽”という人物と同じだ。この木樽という男がいみじくも語るように、田園調布と名のつく土地にも色々あって、「田園調布」ブランドから連想される高級住宅地のイメージとは異なる素朴で庶民的なエリアがあり、僕の出身地もそのようなところだった。

 実家の最寄駅は東急多摩川線の沼部駅。東急多摩川線というのはわずか3両編成のローカルな路線で、その沿線のほぼ全てが、閑静な住宅地や多摩川の河川敷といった大変のどかな地域で占められている。日常的に繁華街に行きたければ、東急多摩川線の終点(といっても片道10分程度)の蒲田駅へ行くことになる。

 「“日常的に繁華街に行きたい”なんて欲望があるか?エッセイにありがちな擬似欲望では?」と訝しむ読者もおられるだろうが、確かに僕もそんなにアッパーなタイプではない。別に住宅地と河川敷で一生を終えても一向に構わないのだが、樽は樽でも、生涯を樽の中で過ごした古代ギリシャの哲学者ディオゲネス程にはミニマリストでない、いかにも村上春樹的な通俗性を持ち合わせた消費社会の一構成員であるところの木樽(東京出身なのにタイガースファンで、関西弁を猛練習したところまで同じだ。たぶん全フィクションの登場人物で一番親近感がある)似の僕は、さしたる(not樽)理由もないまま、事実として、独身時代の日常の大半を蒲田で過ごしてきたのだった。

 現在は“女のいない男たち”どころか、妻と娘に囲まれ、女だらけの所帯持ちとなった僕が、独身時代のゆかりの地である蒲田で幾度となく繰り返したルーティーンを、家族で一緒に巡ってみた。


生後一ヶ月の我が子を抱っこしながらの蒲田取材、撮影は妻

 先ず、僕が蒲田にある全てのものの中で最も愛している、唐揚げ弁当屋「鳥久(とりきゅう)」に行く。営業時間中に蒲田を訪れて「鳥久」を買って帰らないことはない。鳥久の唐揚げは、高温で揚がったクリスピーな衣の外側を、故意に白いまま残された片栗粉がふんわりと包み、サクフワならぬフワサクの極上食感で弁当特有(まさかの“弁当屋”が、手軽さや保存性においてではなく、美味しさの一点において群を抜いている)の濃い目の味付けを、優しく口内の受容体に届ける唯一無二の味覚構成が素晴らしい。僕はネット上にある「鳥久風唐揚げ」のレシピや、自らの摂食体験を手掛かりに、この唐揚げの再現を試みたが、やはり、鳥久ならではの衣の表現の域に自力で達することは難しかった。
 蒲田外の分店であった大森店(蒲田エリア内には本店と東口店が存在する)が2021年7月18日に突如閉店し、ファン達を阿鼻叫喚に陥れたことは記憶に新しいが、鳥久の唐揚げの製法だけは決して途絶えさせてはいけない。本稿執筆のために蒲田を練り歩いた当日は、きたる(not木樽)大田区長選挙告示直後(※取材時)ということもあり、蒲田駅前では一日中さまざまな候補者たちによる選挙演説が行われていたのだが、これを公約に掲げる候補者(間違いなく泡沫候補)が現れたら投票したい気持ちを抑えられないかもしれない。
 婚姻届提出と同時に決定した僕たち家族の本籍地は、「鳥久」本店の所在地である。本籍地というのは、「便宜上」という言葉がこれほど相応しいものが他にないほど実体の希薄な設定で、夫婦の思い出の地として例えばディズニーランドなどにする人も多いらしい。そんなにアッパーなタイプではない僕たち夫婦は夢の国ではなく世界一の唐揚げ屋が思い出の地だ。


鳥久に並ぶ荘子it


唐揚げは常に品薄のように見えるが、かなり早いサイクルで補充され続けている


唐揚げ単品以外の弁当モノは昼過ぎにはほぼ売り切れの人気ぶり

 鳥久愛関連の記述だけで字数を超過してしまいそうだが、鳥久の所在地というだけで、蒲田へ赴くための可処分時間の投入コストはお釣りがくるレベルだということがお分かりいただけたのではないだろうか。

 鳥久(に関する記述はまだ続く)はテイクアウトオンリーであるが故に、蒲田周辺は幸い京都の鴨川沿いみたいに上空からトンビに横取りされる危険性こそないものの、入手後は安全に食する場所を必要とする。野生動物が食糧を巣に持ち帰るように、自宅に持って帰るのもよいが、これまた飢えた野生動物同様、できるだけ早くファーストバイトにありつきたい(それこそ昼夜逆転だったコロナ禍以前の独身時代は朝までぶっ通しで曲作りをしては、鳥久開店の朝7時丁度に揚げたてを購入していた)から、手近な公園などで食べることが多い。

 今回は少し距離があるものの、それ単体でも特大の訪問バリューを誇る名所、「西六郷公園」、通称「タイヤ公園」を紹介するべく、鳥久東口店から駅前に戻り、京浜東北線の線路沿いを歩いた。

 広い線路沿いの道を10分強ほど歩く。途中、はやる気持ちを抑え切れず自転車を全力で漕ぐ小学生達に先を抜かされる。行き先はもちろんタイヤ公園だろう。その背中を見ながら、20年近く前、僕自身も全く同じように友人たちとタイヤ公園に向かってペダルを漕いだのを思い出す。

 道中には、羊が自らの毛糸を編むというDIYの極限状態を示すマークの大型手芸用品店「ユザワヤ」の本店もある。僕が子供の頃は10を越える号数を誇っていたはずだが、今は5−7号店のわずか3つのみになっていた。


号数縮小前の子供の頃は何が何号店にあるのか全然覚えられなかった

 ついにたどり着いたタイヤ公園、一緒に行った妻は軽い衝撃を受けていた。
 その名に恥じず、広い公園内の遊具や、遊具というよりは壮大なオブジェと呼ぶべき構造物のほぼ全てが、廃タイヤのブリコラージュによって作られているのだ。こんな公園は世界中どこにもないだろう。


見渡す限りタイヤ


花壇までもが切り裂いたタイヤという狂気の趣向

 僕自身タイヤ公園は今回が子供の頃以来の来訪だったから、色褪せぬ衝撃に心底感動したが、こんな公園の近くに住みたいという、子を育てる親心の域を超越した異形の存在感だった。


デカ過ぎて怖いタイヤの恐竜


タイヤ公園で鳥久

 タイヤ公園で鳥久を完食し、蒲田東口駅構内の成城石井で買っておいた「生姜10倍ジンジャーエール」のスパイシーな喉越しでリフレッシュした後も、まだ胃に余裕がある。

 蒲田の食ではとんかつも有名で、御三家と呼ばれる「丸一」、「檍(あおき)」、「鈴文」があり、「鈴文」が閉店した今では「まるやま食堂」が新御三家として数えられている。どの店も「林SPF豚」というブランド豚肉を使用しているものの、僕がもっぱら利用するのは「まるやま食堂」で、名前の通りの下町食堂的な活気ある雰囲気で居心地がよく、何より、他の御三家のように長蛇の列を並ばずとも同じ林SPF豚が食べられる。通常のロース/ヒレカツ定食系を卓上に用意された3種類の塩で食べるのもいいが、この店は一癖あるカツ丼の完成度が高い。玉葱ではなく長葱を使用し、肉質のいい林SPF豚をあえて薄めにカットすることでスムースな味わいを作り出している。その他、生姜焼きや、季節メニューの特大牡蠣フライ(今までみたどんなカキフライより大きい)もとてもボリューミーで美味しい。


東口から一本道だが手前の駐輪場の影に隠れている


まるやま食堂のカツ丼

 腹を満たしたあとは「蒲田駅前図書館」に行って本を読む。実家の近所にあったのが大田区最大の「大田図書館」で、普段はそちらを利用していたのだが、「大田図書館」に置いていないものを蒲田に来たタイミングで読んでいた。通常なら同一区内の蔵書は最寄りの館まで取り寄せ可能なのだが、常に個人の予約上限数をいっぱいまで使っている僕の取り寄せ要求はシステム上でリジェクトされてしまう。

 世田谷区に住み初めて気付いたのだが、世田谷区の図書館では待つ気にならない程に予約数のある本が、大田区では予約が少なかったり、予約もなく複数館で在庫していたりする。そうした予約時の簡便さと返却時に大田区へ行くことの手間を天秤にかけた結果、いまだに自宅から遠い大田区の図書館を利用することも多い。


図書館は消費者生活センターなども併設の施設の3F

 思い返せば人生で読んだ本の大半は大田区の図書館のものだから、少なくとも僕という人間の教養は大田区の蔵書の範疇ということになる。これは悲観ではない。参照ソースの多寡自体は究極的な問題ではないということだ。クリエイティブ領域でのAIの発展が目覚ましい昨今、全てを網羅する知識それ自体より、固有性(奇しくもAIが人間の知能を越える特異点を意味する語と同じ、シンギュラリティ)が重要ということだ。

 この蒲田は、否応なく僕にとっての蒲田だ。言い換えれば蒲田という街は僕が変われば変わるということだ。しかし、それでもなお変わらないもの、変わったという履歴自体を残し続けるものが僕を超えた蒲田という街そのものだ。僕がわざわざ毎日のように蒲田に赴いたのは、メディア越しやオンライン上でも集められる情報それ自体を求めていたのではなく、街歩きに付帯する多様なアフォーダンスを求めたからだろう。そうして僕を超え出たものが僕を形作り、僕は育まれた自らの毛を編むユザワヤのマークの羊のようにして、何かを生み出すだろう。

 独身時代のルーティーンを家族となぞりながら、僕はそんなことを考えていた。

 図書館のあと、一日の終わりに屋上かまたえんの観覧車に乗った。妻が知り合いに教えてもらった蒲田の名物らしいが、僕は蒲田に屋上観覧車が存在することも、都内で蒲田にしか屋上観覧車がないことも全く知らなかった。終業間近で貸し切り状態の観覧車の中、僕は今まで見たことのない角度から、初めて妻と娘と一緒に、蒲田を見下ろした。

著者:荘子it (トラックメイカー/ラッパー)

荘子it (トラックメイカー/ラッパー)

2019年3月に1st Album『Dos City』で米ロサンゼルスのDeathbomb ArcからデビューしたDos Monosを率い、全曲のトラックメイクとラップを担当。
古今東西の音楽、哲学やサブカルチャーまで奔放なサンプリングテクニックで現代のビートミュージックへ昇華する。
台湾のIT担当大臣オードリー・タンとのコラボ曲『Civil Rap Song』や、「HITOSHI MATSUMOTO Presents DOCUMENTAL Season10」のOP曲『王墓』、作家の筒井康隆とコラボした20分越えの組曲『だんでぃどん feat.筒井康隆』など、音楽を軸に越境的な表現活動を行う。
2022年には英バンドblack midiと共にヨーロッパツアーを行った。2023年7月には再び単独ヨーロッパツアーに出る。
1stアルバム発表から5周年となる2024年3月からは、「ヒップ・ホッブスの闘争状態からジョン・ロックの社会契約へ」というスローガンの下、ヒップホップクルーからロックバンドになることを表明中。

編集:ツドイ