手持ち無沙汰な昼、どうしても眠れない夜、心が浮かれた日も。四天王寺にどれだけ救われてきただろう|文・今野ぽた

著: 今野ぽた
 僕はnoteに毎日日記を書いている。2021年の8月22日から書き始めていて、今住んでいる大阪メトロの四天王寺前夕陽ケ丘駅の近くに引越してきたのが2022年3月20日なので、当然その日の記録も残っている。新居に引越した夜のことを僕はこんな風に記していた。

帰ってきたのはいいが、部屋着をどこにしまったのか分からない。適当に開けた箱に入っていた短パンと、ユニクロのタートルネックを着る。珍妙な組み合わせだ。

ガスがまだ使えない。
どこに物があるのかわからない。
タートルネックに短パンを合わせている。
電気のスイッチが把握できていない。
リビングに照明も、カーテンもない。
ネットの契約はできていないまま。
新しいベッドのシーツがチクチクする。
そういえば枕がない。

そんな不完全な形が、たぶんやがて少しずつ形になっていく。今はこの不自由さの中にいながら少しずつ変わっていく生活を記していきたいと思う。

 普段日記を読み返すことはないので、こんなことを考えていたのかと驚く反面、当時の自分の文体にどことなく気恥ずかしい気持ちにもなる。まるで他人が書いたような文章だなとも思う。この日記の言葉を信じるならば、この3年間によって「少しずつ形になって」いったのだろう。
 ガスは使えるようになった。物は増えたがある程度どこに何があるかは把握できている(つもりだ)。タートルネックに短パンを合わせたのはこの日だけだし、電気のスイッチも把握できている。照明やカーテン、ネット環境、枕はちゃんとあって、ベッドシーツは三代目。部屋はすっかり自分の身に合ったものとなり、この街の生活にもだいぶ慣れた。では、今僕はどんな「形」をしているのだろうか。

 四天王寺前夕陽ケ丘駅の近くに引越してくる前は、30年以上実家に暮らしていた。僕は大阪市の住之江区で生まれて、小学校に上がる前に大阪府北部の茨木市に転居した。以来、実家は茨木市にある。徒歩圏内に小学校と中学校があり、高校へは自転車で通学した。大学生になってからは京都まで通うようになり、就職してからは大阪や滋賀まで通勤した。茨木市という街は、ベッドタウンとしてはこの上なく身動きが取りやすい街だ。そのせいか、実家から出るという選択肢を、僕はあまり考えたことがなかった。
 しかし二度目の転職の機会があり、奈良県に勤めることになったのをきっかけにひとり暮らしが始まった。近鉄の奈良線の路線図をじっと睨み、ほとんど直感で四天王寺前夕陽ケ丘駅の近くを選んだ。四天王寺前夕陽ケ丘駅から近鉄奈良線の大阪上本町駅までは十分徒歩圏内だと思ったのだ。職場の近くには住みたくなかった。最後はベランダから見た風景で今の家を選んだ。

 引越しの翌日、つまり2022年3月21日に、僕は近所にある四天王寺を訪れていた。その日の朝のことを僕は日記にこう書いている。

新居で迎える朝。
清々しい、というべきかもしれないがあまり寝られず。普段からホテルなど、家とは違う布団では寝付きが悪い。ということは新居はまだ僕の“家”にはなっていないのかもしれない。

 まだふわふわとした気分のその日は、奇しくも四天王寺の骨董市の日だった。僕はそこで台所スポンジと洗濯ばさみを買って、10枚900円の泉州タオルを買った。
 大げさかもしれないけれど、僕は生活用品を四天王寺で買いそろえているとき、この街の一部になっていくのだという確かな実感があった。春の青空の下で、自由に広がる市のひとつひとつを覗きながら、そこで購入した品物と一緒に生活をしていくんだという実感が。泉州タオルを売っていたおっちゃんが1000円を出した僕に「お釣りが1億円!」と言ったとき、僕の手に握られたのは100円玉だったけれど、1億円分くらいの価値を受け取ったような気がした。四天王寺を出たとき、この街なら自由に暮らしていけるという静かな確信を得た。この日から少しずつ、四天王寺があるこの街が僕の住む街になっていったのだろう。

 この街に四天王寺があることに、どれだけ救われてきただろう。飲んだ帰りの寂しい夜も、その翌日の二日酔いの朝も、酔いの覚めた手持ち無沙汰な昼も、何度も、何度も四天王寺を歩いた。どうしようもなく気分が沈む日、なんとなく心が浮かれるような日、自分の胸の中にある感情の正体が分からない日、何度家を飛び出して四天王寺の中をぐるぐると歩いただろう。四天王寺は四方に開かれていて、いつでも、どんな気分でも僕を迎え入れてくれていた。
 また、四天王寺の周辺には季節の料理を食べさせてくれる居酒屋、温かく迎え入れてくれる角打ち、イタリアンにスパイスカレー屋、蕎麦屋といったお店も揃っていて、どれもひとりで気軽に入れるお店ばかりなのでひとり暮らしの食事の寂しさに寄り添ってくれるのだ。
 今回は、そんな四天王寺の周辺から2つ、紹介したいと思う。

 四天王寺の南には「poole.」というジンをメインに扱ったバーがある。20時からスタートして、なんと26時までオープンしているのだ(昼は13時〜カフェ営業をしている)。深夜にふと一杯だけお酒を飲みたくなったとき、布団に入ったけれどなんとなく眠れないとき、ふらっと行ける近所にバーがあることがどれだけ生活を豊かにしてくれているだろう。
 僕はそんな眠れない夜のほかに、難波でレイトショーを見た帰り、余韻に浸りながら歩いたその終着点に「poole.」を選ぶことも多い。静かにのびたバーカウンターは、映画の余韻が抜け切れずに「まだ帰りたくない」という気持ちを落ち着かせるのにこの上ない場所だ。
 世界各国から集められたジンはどれを飲んでもまったく違う表情をしている。ジンが蒸留された土地の空気が閉じ込められているんだなと感じる。飲みながらいつも、このジンが作られた場所はどんな場所なのだろうと想像したりする。

 僕はたいていオーナーの川邉さんおすすめのジンをソーダで飲むのだが、この冬はお湯割りにも挑戦してみた。お湯で割るとジンのボタニカルな香りがより引き立って、特に寒くて眠れない夜に飲むと胃のあたりがぽかぽかとして、鼻に抜けるジンの風味も心地よくて、家に帰ってからは穏やかに眠りにつくことができる。4月の花冷えの夜にお願いをしたお湯割りにはドライのリンゴが浮かんでいた。カルヴァドスをベースにしたフランスのジン。

 どうしても眠れない夜、気持ちが落ちつかない夜は必ずある。そんな夜をも大切な時間にしてくれる魅力があるのが「poole.」なのだ。

 そしてもうひとつ。四天王寺の東門付近で毎週水曜日の21時半頃に「ラーメン大統領」のチャルメラが鳴り響くのをお伝えしたい。トラックの黄色い幌には「味は天下の大統領」と刻まれていて、熟練の大将がラーメンを売り歩いているのだ。四天王寺周辺だけでなく、平野区や遠いところでは吹田市まで売りに行くのだそうだ。

 ラーメン、しょうゆラーメン、ニンニクラーメン、キムチラーメンにカレーラーメン。各700円。注文をすると軽やかな手つきで麺を湯がいて、スープを調合して、最後はナルトやチャーシュー、ゆで卵にネギをトッピングして渡してくださる。
 軽く小腹を満たしたい日は普通のラーメンを、優しさが欲しい日はしょうゆラーメンを、元気が欲しい日はニンニクラーメンを食べる(キムチラーメン、カレーラーメンは残念ながら食べたことがない)。

 上本町や天王寺で軽く飲んだ帰りに大統領のラーメンと出会えたらこの上ない幸せだ。ほろ酔い気分の夜にふとチャルメラの音が聞こえてくるその何ともいえない高揚感を味わえるだけでも四天王寺前夕陽ケ丘に引越して良かったなと感じる。

 四天王寺前夕陽ケ丘は、ひとり暮らしの夜の過ごし方を教えてくれる街だ。飲みにいかなくたっていい。ふらりと外に出て、坂道まで歩くのだ。坂道を下って、夜に身を任せて、しばらくしてからまた坂道を上れば、この街で自分は生きているのだと自然に感じることができる。

 四天王寺前夕陽ケ丘に引越して3年、僕はこの街でどんな「形」になれたのかは分からないけれど、ちょっとずつ、ちょっとずつこの街に馴染んでいっている。

著者:今野ぽた(こんのぽた)

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1991年生まれ。noteで毎日日記を書いている(https://note.com/potayan
高知旅行記をまとめたZINE『どこか遠くで飲みたくて』を昨年刊行。
ZINEの第二弾を現在製作中。

編集:ツドイ