何かの手違いで「大阪」に行くことになったら、知っておいてほしいこと

著: いぬじん

ぼくは大阪で生まれ、大阪で育ち、大阪で働き、大阪で子育てをしている。

仕事では、大阪以外の土地にもよく出かけて、色んな人と話す。

そこで感じるのは、外から見た大阪人の印象と、大阪人自身が思っている大阪人像は、ちょっと違うということだ。

それゆえに、ぼくの大阪に対する気持ちは、色々複雑にねじれてしまっている。大阪の内と外で、大阪人のイメージはどんなふうに違うのか、ぼくの思いとともに書いてみようと思う。

外の人と会うとき、大阪人は「大阪人」を演じている

大阪人ほど、周りから典型的なイメージを抱かれている人々は少ない気がする。

やれ笑いにうるさいとか、話にオチがないと怒るとか、グイグイこっちに来る感じで圧が強いとか、おばちゃんはみんなヒョウ柄を着ているとか、やたらケチだとか、せっかちだとか、たこ焼きとお好み焼きばっかり食べてるとか、そういうやつである。

おまけに、きっと大阪人と接触したことのある多くの人が「やっぱり大阪人ってイメージ通りだったな」という感想を持つような気がする。

ぼくも、多くの大阪人にそういった要素が含まれていることは否定しない。

だけどおそらく、その大阪人は、外から期待されている「大阪人」のイメージに応えようとして無理をしていると思う。

よく自分の胸に手を当てて思い出してほしい。あなたは大阪人と接触したとき、以下のような言葉を発してはいないだろうか。

「へえ、大阪から来たんだあ」

「あ、大阪の人なんですねえ」

あなたは何の気もなく発した言葉なのかもしれないが、それは大阪人には、こう聞こえるのである。

「おおなんと、あなたは大阪から来たのですね、つまりあなたは、ノリがよくて面白くてグイグイ来る圧がすごくてケチでせっかちで粉もんばっかり食べてるということで有名な、あの『大阪人』なのですね。いやあ私もぜひその『大阪人』なるものを直接見てみたかったのですよ。さあさあぜひあなたのその『大阪人』らしさを存分にここで発揮してください、どうぞどうぞ、さあ遠慮なさらず、ずずずと前へ、前へ、さあさあさあ、もっと前へ!」

それでぼくら大阪人は、誰にも頼まれていないのに、みんなから期待されているわけのわからぬ大阪人像に応えようと、つい大阪人らしくふるまおうとして、「あほんだら」とか「ちゃいまんねん」とかいう普段テレビでしか聞かないような大阪弁を使ってみたり、いつもなら聞き流してしまう他人のうっかりした発言に「なんでやねん」と食い気味にツッコミを入れてしまったりするのである。

その上「さすが大阪人だねえ」なんて言われてしまった日には、もう後には戻れず、以降はその人と会うたびに、普段の自分とは到底かけ離れた大阪人のイメージを懸命にチューニングせざるをえなくなる。しかし自分が以前どんな大阪人を演じていたのか、細かく覚えていられるわけではない。ええいままよと世間が思う大阪人要素をモリモリにしてごまかしているうちに、もはや自分が大阪人である前に、仕事と家事と子育てに忙しいただの中年男であることすら見失ってしまうのである。

しかも、そんなふうに演じてしまうのは、何も大阪で生まれ育った人だけではない。他の地方から大阪にやってきて、普段は自分のことを「大阪の人間だ」と言いたがらない人でさえ、外から「大阪の人なんですね」と言われた途端に「大阪人」を演じてしまう場面を、何度も見てきたのである。

では、演技ではない、本当の大阪人とはどんなものなのか。

本当は繊細な大阪人

ぼくが思うに、本当の大阪人は、世間が思っているようなタフな存在ではなく、むしろ真逆の繊細な生き物である。

一緒にいる相手が嫌な気持ちにならないかどうかをやたら気にしているし、めったに群れず、個人主義的である。

大勢でワーワーしたがらない大阪人

ぼくはよく東京の人と仕事をするのだが、飲み会やパーティーを開きたがるのは、決まって東京の人である。大阪の同僚とは、たまたま帰るタイミングが同じときに「ちょっと飲みに行こうか」ということはあるけど、大勢でワーワーやろうとはならない

それに、大阪に住んでいる人だけが、大阪で働いているわけではない。職場には京都の人もいるし、奈良の人もいるし、神戸の人もいる。

例えば、大阪の梅田駅から京都の出町柳駅や奈良の生駒駅、神戸の新神戸駅に帰ろうと思ったら、午後11時台の終電に乗らないといけない。その先でバスに乗ったりする人は、もっと早くに帰らないといけない。

要は、みんなで遅くまで集まって飲んでもいられないので、さっさと帰って、さっさと風呂に入って、さっさと寝てしまうのが普通の生活なのである。

普通の生活で思い出したが、お好み焼きなんかも、大阪人のぼくにしてみたら店で食べることはほとんどなくて、あれはどう考えても家で焼いて食べるものである。

小麦粉とだしで生地をつくる家庭もあれば、だし入りのお好み焼き粉なるものを使って焼く家庭もある。わが家では山芋をたっぷり入れて焼くので、ふんわりと軽い感じが特徴である。中に何を入れるかも色々で、麺を入れて広島風に焼く家庭もある。

とにかくそういう家庭の味なのであって、外でワイワイくっちゃべりながら鉄板の上でジュウジュウいってるアツアツのお好み焼きをコテにのせて、アチチチとか言いながらハフハフとほおばる……なんてことは、年に数回あるかないか、その程度である。

限られた狭い場所で、譲り合いながら暮らす

つまり、きっと本当の大阪人というのは、意外と内向きで、閉鎖的で、保守的なのである。あつかましくてグイグイ来るような大阪人なんてのは、まあ全くいないわけではないが、そういう人は、他の土地の人がそう感じるのと同じように、大阪でもめんどくさい人だなあと思われている気がする。

それに、大阪府の面積は、日本の都道府県の中で二番目に小さい

そんな狭い街がグイグイ来る人だらけだったら、大変じゃないか。みんながグイグイ押しあいへしあい暮らしていたら、すぐに疲れてしまうじゃないか。

むしろ大阪には、自分たちは有限な場所に住んでいて、そこでお互いに譲り合いながら機嫌よく暮らすしかないというような、一種のあきらめに近い感覚があるように思う。

地元から離れることができない、土着の自営業が多いのも、そんな感覚が関係しているのではないだろうか。他の多くの地方に暮らす人にとっても、共通する感覚かもしれない。

ぼくの好きな、静かな大阪

では、繊細で内向きな大阪人は、大阪という街のどこに魅力を感じているのか。

もしあなたが何かの手違いで大阪に住むことになったら、おすすめしたいのは「静かな大阪」だ。

おだやかな空気が流れる、四天王寺

まずはぜひ、「四天王寺」(大阪市天王寺区)を訪れてほしい。

聖徳太子が建立したといわれる四天王寺は、社会の教科書にも載っている超有名な寺のはずなのだが、平日は妙に人が少なく、とても静かである。

ぼくの妻は学生のころ、イヤなことがあると四天王寺の境内にある霊苑に行き、祖父が眠る墓の前で手を合わせながらブツブツと文句を言ってスッキリしていたらしい。たしかにこの場所は、なんでも受け入れてくれそうな、おだやかでのんびりとした空気が漂っている。

とにかく歴史のウンチクなんて気にせずに、だだっ広い敷地をしばらくぶらぶらと歩いたら、今度は夕陽丘(ゆうひがおか)と呼ばれる近くの住宅街へと足を向け、疲れてきたらそのへんにある喫茶店に入って、本でも読んだり、ただぼんやりとしたりするのが「静かな大阪」の暮らし方なのである。

緑豊かな思い出の場所、靭公園

あるいは、ぼくが学生時代にコピーライターの勉強をしに通っていた「靭(うつぼ)公園」(大阪市西区)のあたりもいい。

このへんはオフィス街なのだが、大阪市内では珍しく緑が多くて(大阪市には緑が少ないのがぼくの気に入らないところだ)、暖かい季節はベンチに座っておにぎりを食べたり、本を読んだりして過ごす。

周りにはやたらとおしゃれなカフェや居酒屋も多く、デートにもおすすめである。

そういえば、コピーライター教室に通っていた受講生たちの多くは社会人で、コピーライターの仕事を始めたばかりの人もいたし、コピーとは関係のない仕事をしながら、文章の勉強をしに来ている人もいた。

スーツを着た社会人たちとグダグダのスウェットを着た学生たちが肩を並べて勉強をして、帰りはいつも、年齢関係なく仲の良いメンバーで飲んで帰ったのが懐かしい。街の中でそういう異質な体験ができる空気が、靭公園にはあるような気がする。

中之島図書館は、サボリーマンにぴったり

それから、ぼくの職場の近くにある「中之島図書館」(大阪市北区)もおすすめだ。

ネオ・バロック様式とかいうやたら立派でレトロな建物なのだが、中では真剣に調べものをする人々に混ざって、ぼくのようなサボリーマンがぼんやりしている。

ちなみに蔵書はどちらかというと堅めで、大阪に関するマニアックな史料を探している人は楽しめるかもしれない。サボリーマンにとっては、そういうやつをペラペラとめくっているとすぐに眠くなってきて、またそれが良いのである。

2階には北欧のオープンサンド「スモーブロー」が食べられるカフェもあって、これもおさぼりには最適である。

ぼくが本当におすすめしたい大阪

しかし、ぼくにはもっとおすすめの場所がある。

それは、ぼくの自宅。ぼくの自宅の周りの、何の変哲もない普通の住宅街。

ぼくが毎日通勤している、特に変わったところもない普通の職場。

つまり、大阪で普通に住み、普通に暮らし、普通に働くこと。それが、大阪の良さを感じる最良の方法である。

ぼくの職場に東京から転勤してくる人たちは、はじめはピリピリとしていて、頬はこけ、目はキッと吊り上がっていても、時間が経つにつれ、顔の輪郭がどんどん丸くなってきて、目がタレてきて、みんな優しい顔になっていく。

それに大阪では、サブスクとかプラットフォームとかコミュニティとかガーファとかカタカナの難しい言葉を無理に使わなくても、言いたいことはちゃんと通じる。

やたらと仕事ができそうな雰囲気をがんばって出さなくても、みんな相談に来てくれる。

うっかり部屋着のジャージで電車に乗ってしまっても、普通になじむ。

大阪は、誰もがありのままの自分でいられる街だと思う。

嘘だと思ったら、ぜひ一度、何かの手違いをやらかして、大阪で暮らしてみてほしい。

 

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著者:いぬじん (id:inujin)

いぬじん

犬のサラリーマン/共働き研究家。中年にビミョーにさしかかり、いろいろと人生に迷っていたころに、はてなブログ「犬だって言いたいことがあるのだ。」を書きはじめる。言いたいことをあれこれ書いていくことで、新しい発見や素敵な出会いがあり、自分の進むべき道が見えるようになってきた。今は立派に中年を楽しんでいる。妻と共働き、小学生と保育園児の子どもがいる。コーヒーをよく、こぼす。
大阪のイノベーション活性化プロジェクト「Hack Osaka」に参画中。

ブログ:犬だって言いたいことがあるのだ。

編集:はてな編集部