地理と歴史が好きなライターの西村まさゆきさんに、20年以上住んでいる勝どき・月島・佃エリアを案内してもらった

鳥取県倉吉市で生まれ育った西村まさゆきさん。ずっと憧れていたライターの道を志して21歳で上京し、新聞奨学生や編集者などの経験を経て、晴れて2010年にデイリーポータルZでデビューを果たす。得意ジャンルは地理、歴史、辞書など。

そんな西村さんは、2002年から長らく東京都中央区の勝どき・月島・佃エリアで暮らしている。古くからの埋め立て地であり、近年はタワーマンションが次々に建つこのエリアを、引越してきてから20年以上を過ごした移住者かつ地理&歴史好きの目線から案内してもらった。

鳥取名物の牛骨ラーメンを食べながらインタビューと思ったら

西村さんとの待ち合わせ場所は、月島から近い銀座の某ラーメン屋を指定させてもらった。彼の出身地である鳥取県倉吉市に本店がある牛骨ラーメンを出す店だ。ここで生まれ育った倉吉の話や、上京した経緯を伺おうという作戦である。

だがいざ集合してみると、そこは最近流行りの麻辣湯(マーラータン)の店に変わっていた。どうやら最近入れ替わりがあったらしい。

無駄足になってすみません!

ここで二人で呆然としていても仕方がないので、西村さんが乗ってきた110ccのバイク(スーパーカブ)の後ろに乗せてもらい、勝鬨橋を通過して、勝どき・月島・佃の方面へと移動する。バイクの二人乗りなんて25年振りくらいだ。

っていう余談は必要なのかと思いながらも一応書いておく。

月島名物のレバーフライは今や勝どきでしか食べられない


今回訪れるのは、勝どき・月島・佃のエリア©Google

さて、どこへ行こう。この辺りの名物といえば月島のもんじゃ焼きが有名だが、西村さんがだいぶ前に食べ歩き記事を書いていた(こちら)レバーフライが気になる。

どこかおすすめの店はありますかと尋ねたら、月島の『デリカショップ マミィ』、『佐とう』は閉店、『緑川』は営業しているがレバーフライの販売は終了。佃の『ひさご家 阿部』も閉店してしまい、西村さんがよく食べていた店は全滅なのだとか。

西村まさゆきさん(以下、西村):「もんじゃ焼きの店はいくらでもあるんだけど、レバーフライの店はもう残ってなくて。俺が好きな店って軒並み無くなるんですよ。

でも勝どきの喫茶店で食べられるっていう話を聞いたことがあるので、そこ行ってみましょうか」

訪れたのは『喫茶キャピタル』という、どう見ても昔ながらの喫茶店なのだが、「本日もおすすめ 名物レバフライ」という看板が掲げられていた。レバーフライじゃなくてレバフライと略して書くところに江戸っ子っぽさを感じる。

ハンバーグやカレーといったランチの定番メニューに加えて、レバフライを定食形式で出しているようだ。

レバーフライがありそうには見えない外観

「本日もおすすめ」という書き方が好き。レバフライは日替わりではなく定番メニューということなのだろう

レバーフライが揚がるのを待つ間、西村さんがおもしろい話をずっとしてくれた。この日はずっと「野生のブラタモリみたいだな」と思っていた。

――月島の隣の勝どき、しかも喫茶店の定食だけど、憧れのレバーフライを食べられるのはうれしいです。

西村:「ここの住所は勝どきだけど、昔は月島だったんですよ。だから月島名物っていうことでいいじゃないですか。細かい話ですけど、1965年に住居表示実施をしたときに、月島川の向こうの島は月島、こっちの島は勝どきと決められた。

勝どきは勝鬨橋が由来なんだけど、『鬨』の文字が常用漢字じゃないから、住所表示だと『勝どき』で書かれる……っていうような話をして大丈夫ですか」

――どんどんしてください。この辺りって埋立地なんですよね。

西村:「住所が好きなんですよ。後で行く佃のあたりは、江戸時代に摂津国佃村(現在の大阪市西淀川区佃)の漁師が徳川幕府から拝領して造成した干潟の島(佃島)と、旗本だった石川八左衛門重次が拝領した石川島が明治になって埋め立てで一つになったところ。

月島は明治になって埋め立てられた場所で、築きたる島だから『築島』だったものが『月島』に変わったという説がある。同じく埋め立て地の築地も、築きたる地で『築地』」

古地図が見られるアプリで明治時代のこの場所を見せてもらったら、『泥』と書かれていた

――へー! この場所は海だったんですね。

西村:「この辺りだけじゃなく、日比谷のほうまでずっと海だったんだから。銀座や新橋は江戸前島という半島で、今の皇居(昔の江戸城)との間には日比谷入江があった。その埋め立てには現在の御茶ノ水駅にあった神田山を削って使ったんです」

――すごい。なんでも知っていますね。

西村:「なんでもじゃないです。こんなのは江戸っ子の常識ですよ、べらぼうめい。本当は鳥取出なのにそういうことを言うなってね」

とかなんとか言っている間にレバフライ定食が到着した。

西村さんが調べたところ、この辺りでレバーフライを食べられる店はここくらいのようだ

――そもそもレバーフライってなんなのですか。

西村:「月島発祥の食べ物と言われていて、薄切りにした豚レバー(牛レバーの店もあった)に串を刺して衣をつけて揚げて、ウスターソースにくぐらせたもの。カラシが合うんだ。

よく店先で売っている焼き鳥みたいに、おやつとかつまみという感覚の食べ物なので、ごはんのおかずとして食べるのは初めてですね」

――定食スタイルはこの店のオリジナルなんだ。

西村:「レバーフライなんて何年振りだろう。昔は東京湾大華火祭の日に合わせて20本とか30本とか注文しておいて、ビールを飲みながら花火を見たものです。あれうまかったなー。

そういえば東京湾大華火祭は2015年に休止したんですが、2026年に復活するらしいですよ」

――レバーフライ、うまいですね。この店はおかずになるタイプだけど、本来はもっと駄菓子っぽい味なのかな。花火と一緒にレバーフライも復活すればいいのに。

西村:「ここはかなりボリュームがありますね。息子のお土産に買って帰ろうかな。

このすぐ近くにラートっていうとんかつ屋があって大好きだったんだけど、この前行ったら宅配ピザの店になっていました。

勝どきにはタクシーの運転手が食べに来るような、おかずを自分でとるカフェテリア方式の食堂とかもたくさんあった。でも2011年くらいまでになくなっちゃいましたね」

――西村さんの好きな店は無くなる法則。

西村:「そこで諸行無常を感じるんですよ」

月島は想像以上にもんじゃ焼き屋が多かった

勝どきから月島橋を渡り、西仲通り、通称『もんじゃストリート』へとやってきた。

月島はもんじゃ焼きが名物という話はよく聞くが、その密度が予想以上に濃くて驚いた。数軒置きにもんじゃ焼き屋があるくらいを想像していたのだが、この通りは数軒置きにもんじゃ焼き屋以外があるという状態なのだ。

もんじゃ焼き屋の密度が濃い。隙あらばもんじゃ焼き屋ができる街

関東大震災からの震災復興で建てられたという長屋の雰囲気が今も残る路地裏を散策しつつ、西村さんがこの界隈に住みだした頃の話を伺う。

西村:「もんじゃ焼きのことは詳しくないんだけど、1988年に有楽町線の月島駅ができた頃からもんじゃ焼き屋が増え始めたみたいです。1992年から放送されたNHKの朝ドラ『ひらり』にもんじゃ焼き屋が登場して、あれは両国が舞台の話だけど、おかげでもんじゃ焼き自体が有名になった。観てなかったけど。

さすがに20年以上住んでいるから何回かは食べたことがあるけれど、行きつけの店があるほどではないなあ。今日は平日だから空いているけれど、土日はもんじゃを食べにくる観光客でいっぱいですよ」

もんじゃ焼き屋がズラッと並んでいる

路地に入ってももんじゃ焼き屋

――もんじゃ一本でここまで観光地になるってすごいですね。一軒くらいレバーフライの店ができてもよさそうだけど。

西村:「俺が引越してきた二十数年前はまだこの辺りも下町の雰囲気が強くて、商店街も薬屋とか洋服屋とか住人のための店が多く残っていた。昔ながらの看板建築の商店がズラッと並んでいて。それが今は観光もんじゃ商店街。全部もんじゃ。もんじゃとタワマンの街。俺も後から来た人間なので偉そうなことは言えないけれど」

――自分が住みたくなるくらいだから、街が変わるのも仕方がないと。

西村:「月島って元々は鉄工所や魚河岸で働く庶民の街だったんですよ。下町といっても浅草みたいな街とも違って、大田区や川崎みたいな労働者の街という雰囲気だったんじゃないかな。

うちの子が小さい頃は駄菓子屋もまだ残っていて、10円玉を入れてやるミニゲームとかをやったりしていた。今も少しはそういう名残りがありますよ」

今や貴重になった看板建築の建物も残っている

大正時代末期に建てられて2007年3月まで現役だった路面電車のような交番。「このコンクリートは相当古いですよ!」と教えてくれた

長屋が残るエリアを静かに散策。「路地裏を歩くのが好きなんですけど、未だに『ここにこんな店があったんだ』って驚くときがありますね」

――もんじゃ焼き屋ばっかりですが、生活に必要なスーパーとかあるんですか。

西村:「さすがにもんじゃ焼き屋が多いのはこの辺りだけです。実は月島ってスーパー激戦区なんですよ。老舗のフジマートやダイエーは昔からあったんですが、それに加えてタワマンが建つたびにその一階にスーパーができる。買い物は選び放題ですよ」

――意外と暮らしやすいんですかね。

西村:「ファミレスやコンビニもあるし、銭湯も引越してきてから半分くらいになったけれど、まだいくつか残っている。徒歩圏内に学校もあるから子育ても普通にできました。家賃さえどうにかなれば、住みやすいと思いますよ」

――問題は家賃ですよね。

西村:「ワンルームでも10万円以上するのかな。近所の人は駐車場代が月6万円だって嘆いていました。うちは長らく都営住宅に住んでいて、ちょっと前に古い中古マンションを購入したんですが……あとで寄って行ってください」

――はい、ぜひ。

児童館や図書館が入る月島区民センターは、月島警察署があった場所とのこと

月島温泉に入ろうとしたがまだ営業時間外だったので、信州善光寺別院本誓殿の月島観音のお参りだけした

佃には長谷川平蔵が作った更生施設や石川島播磨重工業があった

月島から北東方面に進み、有楽町線の上を走る道路の新富晴海線、通称佃大橋通りを渡ると、住所は佃へと変わる。

新月陸橋を潜って佃エリアへ

西村:「月島と佃は今は陸続きですけど、この大通りが昔は川だったんですよ。

ここから先は佃島と石川島を埋め立てで拡張したエリアで、1990年代に超高層住宅街の先駆けとして再開発された。

石川島というのは石川島造船所、後の石川島播磨重工業、現在のIHIがあった場所。だから1979年に閉鎖されるまでは、月島辺りにも関連会社の鉄工所がたくさんあった」

――今は工業地帯だった面影がまったくないですね。

西村:「この辺りの再開発された土地を『大川端(おおかわばた)リバーシティ21』って呼ぶんですけど、大川というのは隅田川の古い呼び方。だから江戸っ子は今でも隅田川を大川と呼んだりする」

この場所で船を作っていたそうだ。緑が多いエリアで野鳥がたくさん鳴いていた

西村:「もっと歴史を遡ると、池波正太郎の『鬼平犯科帳』(文藝春秋)に登場する長谷川平蔵が、犯罪者の更生施設である『石川島人足寄場(いしかわじまにんそくよせば)』を作った場所でもある。

当時は離島だったから、ちょうどよかったんでしょうね」

――ここが鬼平犯科帳の舞台なんですか。現地のことをちょっとでも知ると、読んでみたくなります。

西村:「鬼平犯科帳、読んだことないですか。うまそうな食べ物がたくさん出てくるし、めちゃくちゃおもしろいですよ!」

墨田川に架かる中央大橋は1993年にできた新しい橋

西村さんのスマホに入っている古地図アプリを確認しつつ、様々な蘊蓄を聴きながらの贅沢な散歩を楽しむ。

すっかり私もこのアプリが欲しくなってきた。

佃や月島は離島だったため渡船が複数あり、この佃大橋ができる1964年まで、隅田川を渡る最後の渡船が発着していたそうだ

佃に今も残る銭湯に入ろうとしたが定休日だった

赤い欄干がかわいい佃小橋を渡って佃島の一番古いエリアへ。佃煮屋の老舗に寄って、アミ、アサリ、シラスの佃煮を土産に購入した。

佃煮というのは佃島に住んでいた漁民が保存食として小魚や貝類を煮て作ったことから生まれたそうだ。なんとなくは知っていた話だが、こうして現地で見聞きをすると、身近な食べ物の解像度も一気に上がる。

いつの日か鬼平犯科帳を読破したら、またこの場所を西村さんと散歩してみたいと思った。

佃小橋にて高層マンションを背景に記念撮影

橋の反対側。そういえばこの水辺でハゼを釣ったことがある

1859年創業の老舗で佃煮を購入

佃煮屋にあった古地図。まだ月島も勝どきもない時代のものだ

西村さんの出身地である倉吉の話を聞く

佃から西村さんの家へと向かう途中、そういえば牛骨ラーメン屋で聞くはずだった鳥取の話を聞けていないなと、築地本願寺の関連施設である佃島説教所から建て替えられたビルのカフェで伺った。

1階がカフェ、2階が築地本願寺佃島分院、3~9階が老人ホームになっている築地本願寺佃ビル

――鳥取の倉吉はどんな街ですか。私は食べ損ねた牛骨ラーメンのことしか知らないのですが。

西村:「なにがあるかなー。なんにもないかも。牛骨ラーメンも住んでいた頃は珍しいと思っていなかった。大山町(だいせんちょう)とかでもよく食べるんですけど、農耕や輸送で使う牛や馬を売買する牛馬市が大山寺で開催されていて、この地方には肉食文化が昔からあった。津山の『そずり鍋』とか。

その流れで牛骨を使ったラーメンが昔から食べられていたんだけど、普通は鶏ガラとか豚骨なんですよね。

最近になって牛骨スープは珍しいっていうことに地元の人が気が付いて、名物扱いするようになったんじゃないかな。味の違いは正直わからないです。でもうまいから食べに来てくださいよ」


牛骨ラーメンの詳しい記事はこちら。写真提供:西村まさゆき

――牛骨ラーメン以外にはなにがありますか。

西村:「倉吉は繊維産業が盛んな土地で、昔は大きな工場があって人口も多かったんですけど、それがなくなってしまって。

でもその跡地に倉吉パークスクエアができて、エースパック未来中心という文化ホールとか、鳥取二十世紀梨記念館(なしっこ館)という梨の博物館とかができました。

『桃太郎電鉄2』(KONAMI)の倉吉の物件に、『牛骨ラーメン屋』と『二十世紀梨ホール』がありますよ。この話、あんまりピンとこないですか」

――梨の記念館、ちょっと気になります

西村:「2025年には鳥取県立美術館が完成して、アンディ・ウォーホルの『ブリロ・ボックス』という箱が来ました。箱が3億円なので賛否両論あったみたいですが、俺はうれしくてしょうがない。倉吉に帰る度にその箱を観ています」


西村さんが里帰りの度に訪れる鳥取県立美術館。写真提供:西村まさゆき

――箱、ちょっと気になりますね。あとは倉吉だけに倉があるとか?

西村:「倉なら倉吉白壁土蔵群という国重要伝統的建造物群保存地区があります。お金持ちに見えないように作られた商家建築で、道路側から見ると質素だけど、奥に行くと立派な倉(蔵)があるんですよ。割と最近まで地元の人が観光地として認識していなかったけど。

倉吉は昔から商人の街で、米を脱穀する『千歯こき(せんばこき)』を全国に売り歩いていたのが倉吉の商人。江戸時代に米の取引で大儲けをした大阪の豪商の淀屋ってわかりますか。淀屋橋という橋を自費で作ったくらい儲けていて、その番頭だった牧田仁右衛門の墓が倉吉にあります(詳しくは『倉吉淀屋物語』という漫画をどうぞ)。


白壁土蔵群の詳しい記事はこちら。写真提供:西村まさゆき

あと『南総里見八犬伝』のモデルとなった里見安房守忠義と8人の家臣の墓もあります。それに明治天皇の高祖母にあたる大江磐代(おおえいわしろ)を祀った神社とか。こういう話を知ったのは、俺も東京に来てからなんですけどね」

――なにもないといいつつ、聞くと色々出てきますね。

西村:「温泉だったら倉吉市の周辺は多いですよ。倉吉の関金温泉、三朝(みささ)町の三朝温泉、湯梨浜町のはわい温泉に東郷温泉。

海に面している北条町の北条砂丘ではブドウを育てていて、北条ワインが有名です。もちろん梨もあります。鳥取の砂丘は鳥取砂丘だけじゃないんですよ」

はわい温泉の看板。写真提供:西村まさゆき

――だんだん行きたくなってきました。

西村:「来てくださいよ。東京と倉吉を結ぶ高速バスがなくなっちゃったので、安く行くルートがないんですけど」

――大阪に行ったときにでも、西村さんが車掌をやっていたバス経由で倉吉まで行こうかな。

和風のドリンクで一息つきながらのインタビュー

――倉吉から西村さんが上京した経緯を教えてください。

西村:「初めて東京に来たのは高校生の時。友達がコミケに行くっていうので一緒に。まだ晴海でやっていた頃。

入場の待機列に並んでいたけど昼過ぎまで入れなくて、『もう俺いいわ』って別行動になって。それで地下鉄の丸ノ内線に乗ったんですよ。すげえ、これはすげえって。

知識としては知っていたけど、路線図をみたら東京の有名なところ全部地下鉄でいけるじゃんって。まだ丸ノ内線の電灯がたまに一瞬切れる頃。

バスが均一料金で乗り放題なのも大感動。田舎のバスは値段が上がるじゃないですか。都バスはどこまで乗っても同じ。160円だったかな。これは素晴らしいって乗りまくった」

――乗り物が好きだったんですね。

西村:「地元の高校を卒業して、東京に進学したかったけど、親父に『大学にやる金はねえ』って言われて。その親父が勤めていた地元のバス会社にコネで就職して、倉吉と大阪を結ぶ路線バスの車掌をしていました」

――乗り物好きだけに。でも運転手ではなく車掌ですか。

西村:「『となりのトトロ』にも出てきますが、昔のバスは車掌がいたんですよ。倉吉から大阪までだいたい3時間ぐらい。午前午後に4便ずつあったので、朝6時とか7時に出社して、昼頃に大阪に着いて、3~4時間休憩して、夕方から夜に大阪を出発する。

休憩中、だいたいの運転手とか車掌はバスの休憩所にたむろしてタバコ吸ったりしているんですけど、俺はできるだけ大阪のいろんなところに行っていた。あれは楽しかったな」

――毎日大阪日帰り旅行だ。運転手になろうとは思わなかったのですか。

西村:「免許を持っていなかったから。ひねくれていたんですよね。18歳になるとみんな取りに行くじゃないですか。それまで学校や社会のルールに歯向かっていたヤンキーとかも、当時の教官にありがちな高圧な態度にも耐えて、交通ルールにかしづく訳ですよ。それが許せなくて」

――ちょっとわからないです。

西村:「お前らロックじゃねえなって。別にロックが好きという訳でもなかったけど」

――はあ。

西村:「それで今50歳なんですけど、46歳でようやく中型バイクの免許を合宿で取って、一昨年に車の免許を、去年は大型バイクの免許を取りました。乗ってみたら楽しいですね。実は運転が嫌いじゃなかった」

――だって西村さん、絶対に乗り物が好きじゃないですか。

西村:「30年間やせ我慢していたんですよ。切符を買って船に乗ったり飛行機乗ったりするのもいいけれど、自分で運転するのもおもしろいなって。

この辺りは駐車場代が高すぎるのもあって車は持っていないけど、バイクは110ccと250ccの2台持ち。昨夏は倉吉までバイクで2往復しちゃいました」

――山陰は遠いなー。

西村:「京都まで休憩しながら10~13時間。そこで一泊してから倉吉へ。がんばれば一日で行けるんだろうけど、もう年なので無理はしない。今度一緒にツーリング行きましょうよ」

――すみません、バイクの免許持ってないんですよ。それでいつ上京したのですか。

西村:「ライターになりたくて21歳で退職しました。いろんなところに行って、いろんな話を聞く仕事がやりたかった」

――ライターですか。好きな雑誌があったとか?

西村:「そういうのはあまりなくて、意外と文学青年だったんですよ。中学、高校の頃は、太宰とか芥川とかばっかり読んでいた。

それで東京にあるライターの専門学校に入学して、新聞奨学生になって、巣鴨の新聞販売所に住み込みながら通ったんだけど、さすがにきつくて学校をやめちゃったんですよ。今思えば2年くらいがんばって行けよっていう話ですけど」

――あらー。

西村:「そのあとは倉吉に帰らず、東京でいろんなバイトをしていました。東名阪のテレビ番組を録画したテープを見て、CMがちゃんと放送されているかをチェックする仕事とか。退屈ではあったけど大阪の深夜番組とか見られて楽しかった。当時はTVerとかないから。地方CMにも詳しくなりましたよ。名古屋の美宝堂とか。そのバイト先が勝どきでしたね。だから30年くらい縁のある土地なんですよ。

25歳くらいで編集プロダクションに潜り込んで、アニメ雑誌とかの編集を10年くらいやっていたんですけど、あまりにも仕事ができなくてクビになって。雑誌の編集って難しいんですよ。どうにか食らいついて10年やったんですけど、どうしても校閲ができなくて。必ず見落としがあるんですよね。だから未だに誤字脱字は多いです」

――ライターデビューのきっかけはデイリーポータルZですよね。

西村:「そうです。2010年に採用してもらって。今はフリーライターなので、当初やりたかった『いろんなところに行って、いろんな話を聞く』っていうことができているんだけれど、それだけじゃすまねえなっていう現実はありますよね」

――仕事はそこそこあるけれど、収入はあんまりないっていう不思議な状況になりがち。

西村:「毎月赤字が凄いです」

購入した中古マンションがすぐに建て替えになってしまった

最後に寄らせてもらった西村さんの自宅は、中古マンションを買ったという話だったが、2階建てのアパートみたいなところだった。どういうことだろうと思いつつ話を続ける。

――このエリアに、最初はどういう経緯で住み始めたのですか。

西村:「巣鴨の新聞販売所を出て、駒込とかで一人暮らしをして、結婚して東武練馬に住んでいたんですけど、26歳の時に勝どきの都民住宅の抽選に当たって。家賃が3LDKで9万円くらいだった」

――お安い。

西村:「でも都民住宅って年収が上がると出て行かないといけないんですよ。うちは共働きだけど俺の年収が一向に上がらないから居られたんだけど、長く住んでいると家賃が上がるシステムでもある。

最終的に15万円くらいになって、毎月15万払い続けるなら買ったほうがいいなと、2020年に近くの中古マンションを買いました」

――それがここ……じゃないですよね。

西村:「買う時に『建て替えの予定はないよ』って聞いていたんだけど、引越してすぐに建て替えの決議が可決されちゃって。俺も賛成したんだけどね」

――なんで賛成したんですか。

西村:「マンション価格がどんどん上がっているから、新築に建て替えてもらった方が儲かるんじゃないかと。ただ引越してくるときに、ビルトイン食洗器をつけたり、壁一面に本棚を作ったり、内装工事に1千万くらいかけているから、たぶん全然儲からない」

――うわぁ。

西村:「結局そこには4年しか住んでいなくて、半年前このアパートに引越し直しました。マンションの建て替え工事って5年とか掛かるんですよ。

今の家は食洗器もないし本棚もない。どうせまた引越すから段ボールを開ける気にもならない」

――5年はまあまあ長いけど、仮住まいの家をどうにかしようというやる気はでないですね。

西村:「ここの家賃とマンションのローンを両方払っているから、めちゃくちゃ大変です。仕事ください」

――がんばって。そもそも都営住宅を出て家を買おうとなったとき、またこのエリアにしたのはなぜですか。

西村:「どうせ引越すなら家賃の安い地域はどうだろうって検討もしたけど、やっぱり勝どきとか月島周辺がいいなって。銀座もお台場も近いし、新宿も池袋も電車で一本。面倒な引越しの手続きも、出る区と入る区が一緒だと同じ区役所でできるじゃないですか」

――やっぱりこの街がいいぞと。

西村:「もうちょっと田舎なら大きな家に住めるんだよなあとも思いますが。

どこに行くのにも便利なんですよね。移動好きとしてはそれが大きい。羽田空港の朝6時台のフライトも電車で間に合うし、成田空港も銀座まで行けばリムジンバスがあるし」

――田舎に住むと、その街での生活をいかに楽しめるかという話になるけれど、ここなら移動の拠点として考えられる。

西村:「そう、どこかに行きたい人だから。どこに行くにも本気(マジ)で便利。俺はフリーライターだから通勤はないけれど、都心に住むメリットってやっぱり大きいんですよ。家賃とローンは大変だけど、まあそれはがんばれば」

旅行好きの西村さんが、なんで家賃の高い大都会に住み続けているのか謎だったが、なんとなくその気持ちがわかったような気がした。江戸時代には海だった埋立地に住み、今も日々変わりゆく街の様子を眺めながら暮らすのは実に西村さんっぽいかもしれない。

同世代で同じ仕事をしているけれど、趣味の方向性がまったく違う人との話はとても楽しかった。新居への引越しが完了したら、大量の自作レバーフライでも持って遊びに行こう。4年くらい先の話だけど。

 

西村まさゆきのX

著者:玉置 標本

玉置標本

趣味は食材の採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は古い家庭用製麺機を使った麺づくりが趣味。同人誌『芸能一座と行くイタリア(ナポリ&ペルージャ)25泊29日の旅日記』、『伊勢うどんってなんですか?』、『出張ビジホ料理録』、『作ろう!南インドの定食ミールス』頒布中。

Twitter:https://twitter.com/hyouhon ブログ:https://blog.hyouhon.com/