きっかけは先輩の一言。都心部への引越しからゆるやかに人生が好転した――小峠英二さん【上京物語】

インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真:関口佳代

小峠英二さん

進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。

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今回の「上京物語」にご登場いただくのは、お笑い芸人の小峠英二さんです。福岡県筑豊地区の田舎町に生まれた小峠さんは、小学生のころからお笑い芸人に憧れ、高校2年生の夏休みを利用したプチ上京を機にその気持ちが沸騰。しかし高校を休学して大阪へ乗り込むも、養成所の面接に通らず挫折。その後、晴れて芸人になってからも、なかなか芽が出ずもがいていました。

東京でくすぶっていた若手時代に、現状を変えるために郊外から都心部への住み替えを決意。以降は、ゆるやかに歯車が回り始め、今に至るブレイクへの道のりが少しずつ開けていったといいます。

「わんぱくだった」という少年時代から16年間にわたる下積み時代のこと、これまで東京で過ごした3つの街への思いについて、小峠さんに伺います。

「今すぐ芸人になりたい」と、高校を休学し大阪へ

――  小峠さんの地元は福岡県の田川。高校を卒業するまで暮らしていたそうですね。

小峠英二さん(以下、小峠):名前の通り田んぼばっかりで、その近くを川が流れている、絵に描いたような田舎町でした。僕がいたころはヤンキーが多くて駅前にたむろしてたり、週末は暴走族と、それを見学するやつらが集まったり。わんぱくな街でしたね。元々炭鉱で栄えた街なので、血の気が多い人が多かったのかもしれません。

――  小峠さんも高校時代は何度も停学になったと。やはり、わんぱくだったのでしょうか?

小峠:5回くらい無期停学になりました。最後の停学のときは先生に退学届けに名前を書かされて、「次にお前が何かやらかしたら判子を押す」と。だから、退学の一歩手前までいきましたよね。

でも、僕はヤンキーではなかったです。当時、活発なやつはヤンキーになるかバンドをやるかのどっちかで、僕はバンドのほうにいった。バンドをやってるやつらは、ヤンキーはダセーと思ってましたからね。停学の理由も、喧嘩やタバコではないです。

――  どんな理由ですか?

小峠:最初は高校1年の5月に、授業をサボって城を見に行き停学になりました。

小峠英二さん

―― 理由もさることながら、入学1カ月目でさっそく停学になっていることにも驚きです。

小峠:高校に入ったら授業をサボってみたかったんです。場所はどこでもよくて、ただ、「学校をサボる」ということがしたかった。あとは禁止されているバイク通学やアルバイトが見つかったり、僕の場合はそういうことが積み重なって退学になりかけましたね。

―― お笑い芸人になろうと思ったのは、そのころですか?

小峠:芸人になりたいっていうのは小学生のころから言ってたんですけど、それがマックスになったのは高2のとき。

――  そこまで気持ちを高ぶらせたきっかけは?

小峠:高2の夏休みに初めて東京に行ったんですよ。2カ月くらい野宿しながら、バイトしながら生活していて。そのとき「笑っていいとも!」の素人参加コーナーに、一緒に来ていた友達と出たんです。

初めてのテレビで、一発芸をやりました。そうしたらそれが面白くて、すぐにでもお笑いをやりたくなった。もう高校なんて行ってる場合じゃないなと思って、夏休み明けに福岡に戻った瞬間、親に「学校を辞める」と伝えました。

――  10代の勢いを感じますね。親御さんはなんと?

小峠:当然ですけど反対され、最後は渋々「やめるんじゃなくて休学だったらいい」と。とりあえず学校に籍だけ置いて、また戻ってこれる状態でやるならという形で許してくれました。その後、すぐに一人で大阪に行き、半年くらいそこで生活をして、満を持して吉本の養成所の面接を受けました。

で、落ちた。落ちたら田川へ戻る約束だったので、高2をもう一回やることになりました。本当は休学なんて都合のいいシステムはないらしいんですけどね。担任が学校側に頭を下げてくれて、本当は退学になるところを休学で戻してもらえたんです。

「4月1日、戎橋で会おう」相方・西村さんとの約束

―― その後、高校卒業後に改めて養成所へ入るわけですが、その前に相方である西村さんとの出会いがあったと。

小峠:初めて会ったのは自動車教習所です。高3のときに大分の教習所に合宿免許に行って、そこに西村もいました。3週間一緒にいたんですけど、そのときは一言もしゃべらなかったと思います。

――  では、どんないきさつでコンビを組むことになったのでしょうか?

小峠:それから半年後に大阪吉本の養成所の面接があって、あいつも受けに来ていたんですよ。僕らのときは600人くらい応募者がいて、土日の2日間に分けられて、さらに10分間ずつ10人の集団面接と、だいぶ細分化されたんですけど、たまたま同じグループに教習所のあいつがいる、と。

――  運命的ですね。

小峠:でも、そこではあえて連絡先を交換しませんでした。養成所に受かろうと受かるまいと、4月1日の夜7時に大阪の戎橋の真ん中で待ち合わせて、そこでコンビを組もうという約束だけして。

―― かっこいい……。ドラマチックな結成秘話ですね。

小峠:で、あいつ来なかったんですよ。

―― おっと。

小峠英二さん

小峠:なのに養成所の授業が始まったら、そこに普通に西村がいるんですよ。だからなんで来なかったのか聞いたら、実は面接で落ちたんだけど、親父の知り合いに吉本所属の演歌歌手がいて、そのコネでなんとか入れてもらえた。だから、その演歌歌手に挨拶に行かなくちゃいけなくて、その日がたまたま4月1日の7時だったから行けなかったと。

……まあ、ウソですよね。だって、時間くらい調整できるでしょ。でも、そこでまだ誰とも組んでないと言うので、じゃあ組もうかと。

三軒茶屋への引越しを決意させた先輩の一言

――  養成所卒業後は、そのまま大阪で4年ほど活動をしてから東京へ出てこられたそうですね。

小峠:大阪では月に一度、吉本のライブに出られるかどうか、という感じでしたね。吉本は芸人も多いですし、笑いの層が厚い。じゃあもう大阪吉本を離れて、東京へ行ったほうがいいんじゃないかと。僕はお笑いができれば場所や事務所はどこでもよかったので。

―― 東京への憧れみたいなものも、多少はあったのでしょうか?

小峠:いつか東京で有名にならなきゃという思いはあったかもしれない。高2で東京のテレビに出た直後に街で声をかけられたりして、影響力の大きさを感じましたから。福岡より大阪より、東京で売れないといけないんだなって。

それに、東京に対する印象もよかったんです。高2で2カ月滞在していたときに、お世話になったみなさんがいい人ばかりだったので。少なくとも東京は冷たいとか、怖いとかいうイメージはなかった。

――  東京で最初に住んだのが調布。どんな街でしたか?

小峠:緑が多くて、家の近くに多摩川が流れていて、住むにはとてもいい環境でしたね。好きな定食屋や豚骨ラーメンのお店があって、よく通ってました。

でも1年前に「昔住んでいたアパートを見に行く」というロケがあって、久しぶりに調布へ行ったんですよ。そうしたら、ディレクターから「当時のゆかりの店を案内してくださいと」言われて、その2軒にお願いしたんですけど、まさかのどちらもNG。このままじゃ尺が埋まらないっていうので、よく今川焼を買ってた駅前のお店へ行ったら、今度は潰れていて。

――  けっきょく尺は埋まったんでしょうか?

小峠:仕方ないので近くの多摩川でビールを飲みながら野良犬を見るという、当時の過ごし方を再現してなんとかしました。

小峠英二さん

まあ、そんな感じで行きつけの店もあり、落ち着いた雰囲気で住み心地はよかった。でも、今思えばお笑いをやるうえでは全然よくない環境でしたね。

―― 気持ちが穏やかになりすぎてしまうとか、そういうことでしょうか?

小峠:いや、単純に都心から遠いのがネックでした。遠いといっても新宿まで20~30分くらいですが、それでも先輩から呼び出されたときにすぐ行けない。特に下積みのころは、できるだけ先輩と遊んだほうがいいと思うんですよ。もっとこの人に近づきたい、一緒に仕事がしたいという思いは間違いなくモチベーションになるから。でも、調布に住んでいたころは誘われませんでした。そりゃ遠いやつなんか、はなから誘わないですよね。

当時は仕事も全然ダメで、オーディションに行っては落ち、ライブに出てはスベりの繰り返しでした。

―― その後、三軒茶屋に引越します。なぜ三茶を選ばれたのですか?

小峠:お世話になっていたザブングルの加藤さんが三軒茶屋に住んでいたからですね。加藤さんは調布に8年もいる僕に、「遠くにいると売れるものも売れない」と助言してくれて、三軒茶屋に来るなら費用を全部出してやるとまで言ってくれました。けっきょく、その20万円で引越しをして、それから5年後にキングオブコントで優勝。そのとき、ようやくお金を返すことができました。

―― 引越してから、生活や仕事の状況は変わりましたか?

小峠:やっぱり、先輩と飲む機会が格段に増えました。主に加藤さんとハリウッドザコシショウさんですね。加藤さんが銭湯好きなので、週2~3回は夕方から一緒に銭湯に行って、風呂上がりに飲んでました。三茶の銭湯は全部行ったんじゃないかな。

それ以外の日は朝から夕方までバイトをして、夕方から夜まで三宿のデニーズでネタを書き、下北沢の公園で西村とネタ合わせをする。あとは、同期の芸人が隣の駒沢に住んでいたので、一緒にトークライブをやるようになったりとか。

相変わらず仕事はなかったけど、ものすごくゆるやかに状況がよくなっている感じはありました。デニーズで書いたネタで、キングオブコントも優勝できましたし。

「売れ続ける」ために、僕には下積みが必要だった

―― 調布は8年、三軒茶屋は5年と、一つの街にわりと長く住んでいますよね。

小峠:今住んでいるところも、もう6年になります。考えてみたら上京から20年近く経っているのに、住んでいた街が3つだけって少ないですね。あんまりいろんな街や家に住みたいと思わないのかもしれない。

家へのこだわりも特になくて、強いて言えば日当たりくらい。というのも、大阪時代は全く日が当たらない部屋に住んでいたんですよ。家賃2万円のボロアパートで、唯一の窓を開けると隣の家の壁が30cmもないギリギリまで迫っていて、スキマから見上げないと晴れているかどうかすら分からない。そのときに、日が当たらないのは人間の生活としてよくないと思い、以降は日当たりだけは気にするようになりました。

――  芸人さんは無理してでも「いい家」に住んだほうが頑張れる、といったジンクスもあるようですが。

小峠:それ、よく言われるんですけど僕は全然信用してないです。安いところに住んでいても頑張るやつは頑張るし、高いところに住んでいてもサボるときはサボるから。身の丈にあった家に住むのが一番だと思いますけどね。

小峠英二さん

――  今は恵比寿にお住まいですよね。三茶や調布と比べてどうですか?

小峠:便利なものが、完璧に全部そろってますね。ジム、コンビニ、クリーニング。タクシーもすぐ拾えるし、飲み屋も多い。一番いいのは、「恵比寿で飲もう」っていうと誰も文句を言わないことです。

――  調布、三茶ときて、最高の場所が見つかったわけですね。一方で、最初から都心寄りの場所に住んでいたら、もっと早く売れていたかもしれないと考えることはありますか?

小峠:それはないんじゃないかな。調布に8年住んだことも含め、これまでの何かが欠けていたら今のような状況にはなっていない気がします。苦労した時間や無駄に思えた時間、世に出るまでにかかった16年間があったからこそ、お笑いで食えるようになったと思っているので。

――  それはいわゆる、下積みの大切さということなのでしょうか?

小峠:もちろん、若いときにぱっと売れて食えるようになるほうがいいと思うんです。ただ、一番難しいのはそのまま売れ続けること。売れ続けるためには、下積み時代の土台があったほうがいいような気がします。人や状況にもよるので難しいけど、少なくとも僕にとっては、まあ必要な時間だったと思っています。

自分の中に強い芯がないと、東京で夢は追えない

―― 長い下積み期は、「故郷を離れて過ごした時間」でもあります。改めて、地元にどんな思いを抱いていますか?

小峠:たまに帰ると、改めていいところだと感じますね。おだやかで、ほがらかで、のんびりしている田舎が地元っていうのは恵まれていると思います。

――  2017年には「福岡人志、」(FBS福岡放送)の企画で、松本人志さんが小峠さんの実家を訪れていました。

小峠:今のところ、「松本さんを実家に連れていった」というのが一番の親孝行、最大の恩返しになってますね。あとは地元にも貢献できた気がします。そんな機会でもないと、松本さんが田川に来ることなんてないですから。

――  いつか、また地元で暮らすことも考えますか?

小峠:いや、それはないかな。たぶん僕は東京に一生いると思います。ここには全部があるから、やっぱり面白いですよ。音楽が好きでライブにもよく行くんですけど、海外のバンドの日本ツアーでも間違いなく東京には来ますから。東京ドームや武道館でしかやらないこともあるし、それは他の都市にはない魅力かなと思います。

――  最後に、これから上京を考えている人に何かアドバイスをいただけますか。

小峠:遊ぼうと思ったらいくらでも遊べるし、流されてしまえばどこまでも流される。面白い反面、自分の中に一本の強い芯がないと、飲まれてしまうのが東京という街なのかなと思います。

ただ、間違いなくチャンスは多い。自分のなかでちゃんと分別がつけられるなら、こんなにいい街はないと思いますけどね。

小峠英二さん

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お話を伺った人:小峠英二(ことうげ えいじ)

小峠英二

1976年6月6日生まれ。福岡県出身。1996年、お笑いコンビ・バイきんぐを結成。2012年、『キングオブコント2012』優勝。レギュラー出演中の「有田ジェネレーション」(TBS)「ヒルナンデス!」(日本テレビ)「超人女子戦士 ガリベンガーV」(テレビ朝日)ほか、出演番組多数。
Twitter:@viking_kotouge

聞き手:榎並紀行(やじろべえ)

榎並紀行(やじろべえ)

編集者・ライター。水道橋の編集プロダクション「やじろべえ」代表。「SUUMO」をはじめとする住まい・暮らし系のメディア、グルメ、旅行、ビジネス、マネー系の取材記事・インタビュー記事などを手掛けます。

Twitter WEBサイト:50歳までにしたい100のコト

編集:はてな編集部