たとえお金がなくても。豊かな心を育んでくれた街「水戸」

著: オミソ・シルコ

偕楽園

茨城県と言えば、あなたは何をイメージするだろうか。納豆、水戸黄門、はたまたマイルドヤンキー?

もしかしたら、「ダサい」なんてイメージもあるかもしれない。都道府県魅力度ランキングで7年連続最下位を取り続け、「日本三大ブス」の産地とまで呼ばれている茨城は、残念ながらマイナスな印象が強いはずだからだ。

しかし、そこで生まれ育ったわたしの実感から言えば、茨城は確かに観光地としての魅力には欠けているかもしれないが、住むには最高の街だと思っている。

高級住宅街のなかにある小さな平屋

今から約30年ほど前、わたしが生まれたのは茨城県の県庁所在地「水戸」だ。水戸駅北口から徒歩で20分ほどに位置する水戸京成百貨店の裏の高台に住んでいた。

その地域は、いわゆる高級住宅街と呼ばれるエリアだった。とはいえ、当時わたしが住んでいたのは古くて小さな平屋。2畳ほどの台所と、6畳の和室が二間、それに細い縁側があるだけのこじんまりとした造りだった。

洗濯機は二槽式で、電話は当時すでに少数派だった黒電話。夏場には台所の勝手口からのこのことクワガタが入ってきて、おまけに縁側の大きな窓はガタガタ揺らすと鍵が徐々にゆるんで開いてしまう……。

その後両親が家を建てるまで、そんなセキュリティーのセの字もないような家で、絵に描いたような貧乏生活を送っていた

高級住宅街だから、当然周りは裕福な家庭ばかり。今考えると、やさぐれてもおかしくなかったような状況だと思うが、不思議といつも心は豊かだった。

水戸駅

それは、お金がなくても楽しめる文化や自然が身近にあふれていたこと、街の人たちが優しく見守ってくれていたことが大きかったのだと、最近確信するようになった。

今回はそんなわたしを育ててくれた水戸の街を、かつての思い出とともに紹介したい。

暮らしのなかにある湖や庭園

水戸の中心部は、水戸駅の北と南で色合いがハッキリと別れているように思う。

もともと殺風景だった駅南は、再開発により駅前に大きな商業ビルやシネコンが立ち並ぶようになり、新たな街の風景をつくりだしている。

ペデストリアン・デッキには大きな納豆像があり、その前で学校帰りの女子高生たちが「〜たっぺ?」とテレビカメラに向かって流暢な茨城弁を披露する姿はもはや日常だ。

水戸駅

そんな変化する駅南にあって、わたしが幼いころから変わらず存在し続けるのが豊かな自然だ。

振り返ってみると、コンビニにふらっと立ち寄るような感覚で自然に触れられたことは、自分の人格形成に大きな影響を与えたような気がする。

桜川

水戸駅南口にある商業施設「水戸サウスタワー」10Fのサイゼリヤから見た景色

南口のロータリーを出ると、目の前に幹線道路が真っ直ぐに伸びているのだが、それを横切る形で流れているのが桜川

名前のとおり、川沿いに桜並木が延々と続いており、辺り一面をピンク色に染める春の景色は圧巻だ。大学の春休みには、徐々に垢抜けてきた同級生たちと再会し、水戸駅周辺で遊ぶのが定番だった。明け方までカラオケを楽しみ、桜並木の土手に横になりながら、始発が出るのを待った日もあった。

千波湖

桜川を西側に向かって歩いていくと、15分ほどでたどり着くのが千波湖(せんばこ)

千波湖

日本三名園の一つである偕楽園の下に広がるこの湖は、3㎞ほどの外周がランニングコースとして整備されており、水戸のオアシス的な存在としていつも近隣の人たちでにぎわっている。

千波湖

水面には、白鳥だけではなく、鴨やカモメなどの水鳥が優雅に泳いでいる。“ブラックスワン”と呼ばれる、珍しい黒鳥も当たり前のようにいるから驚きだ。

高校時代にお世話になった学年主任は、毎朝野鳥の写真を撮るのが文字どおりの日課だった。わたしが部活の大会に向かうため千波湖の脇を自転車で爆走した翌日など、「土曜日の朝、自転車で走ってたっぺ?」と言われるのだから恐ろしい。どんだけいつもいるんだよ。定年退職した今は、野鳥たちをより一層かわいがっていることだろう。

千波湖
幼少期には、家から自転車で毎週末のように訪れては、袋いっぱいに摘んできたクローバーの葉を野鳥にあげ、夢中で餌を食べる様子を眺めていた。

この習慣は高校生になってからも続いていて、部活が早く終わった土日には、水戸駅へ遊びに行く途中に千波湖に寄り、売店で買った餌を鯉の大群に向かって投げ、水面が鯉の開けた口で埋め尽くされる様を楽しんでいた。

千波湖

偕楽園

偕楽園

千波湖を見下ろすようにして隣接するのが偕楽園(かいらくえん)だ。

総面積は13.8ヘクタール。敷地には梅の木が100種3000本植えられ、早春には観梅を楽しむことができる。

庭園とは言うものの、市民にとっては近所の公園感覚で気楽に訪れることのできる場所であり、幼少期には園内へお弁当を持ってピクニックをしたり、シャボン玉をして遊んだりしていた。

中高生になってからは、友人と夜梅祭(よるうめまつり)というイベントに遊びに行くようになった。梅の木がライトアップされるだけでなく、園内がキャンドルで彩られ、普段の偕楽園とは一風変わった幻想的な雰囲気が味わえる。大学時代には、わたしの母に着付けをしてもらい、ルームメイトと二人で着物で庭園散策をすることもあった。

偕楽園左手に偕楽園拡張部、正面に桜山、常磐線を挟んで右手には偕楽園がある

水戸の街には、海や山はないが、豊かで程よく整備された緑と穏やかな淡水がある。

水戸の中心街に当たり前のようにあった緑や水辺は、空間のゆとりだけではなく、知らず知らずのうちに心のゆとりも生んでくれていた。それは、どこにいても感じるこの街の風通しの良さにつながっていると思う。

コンサート、企画展……文化への扉は開かれていた

一方の北口は、南口とは逆にかつてのにぎわいが若干鳴りを潜めているが、美術館やライブハウスなどの文化施設のほか、古き良き商店街も健在だ。

なかでも、幼少期から何度となく通っていたのが「水戸芸術館」。小澤征爾(おざわせいじ)が館長を務め、1990年に開館した同館は、コンサートホールATM/ACM劇場/現代美術ギャラリーの3つを擁する巨大な文化施設だ。

水戸芸術館

休みの日になると、母と一緒に近くの木村屋というパン屋でシナモンロールと、ハムとチーズと卵の入ったコッペパンサンドを買ってから向かうのがお決まりだった。

水戸芸術館

もっぱらのお目当ては、週末にエントランスホールで開かれるプロムナード・コンサート

ホールにはチケットカウンターやクロークが並んでおり、普段は自分の息を吸う音が聞こえるくらいにしんと静まり返っている。しかし、ひとたびパイプオルガンの演奏が始まると、11mもの高い吹抜けの空間に荘厳なパイプオルガンの音が響き渡る。

事前に買ってきた木村屋のパンを広場で食べ、お腹を満たしたわたしと母は、この景色を見上げてパイプオルガンの音色に耳をすませていた。子どもながらに、この経験がおそらく特別であることやその時間の贅沢さ、高尚さを感じ取っていたように思う。

水戸芸術館

もう少し大きくなってからは、現代美術ギャラリーの展覧会にもよく通った。基本的に中学生以下は無料で入場できたのだ(現在は高校生以下に対象が広がったとのこと)。

特に印象的だった企画展は、2001年に開かれた『川俣正 デイリーニュース』。展示室は150トンもの新聞紙で埋め尽くされ、新聞の山を登りながら進んでいく鑑賞スタイルはあまりにも衝撃的だった。

当時小学生だったわたしはその異空間にテンションが上がり、アスレチックで遊ぶような感覚で階段のように段々に積み上げられた新聞紙の上を駆け回ってしまった。

当然、近くの学芸員さんにすぐさま注意されたのだが、その口調は驚くほど優しく、その後「罪悪感」と「感謝の気持ち」が入り混じり、お気に入りのメモを剥がして交換し合ったのを覚えている。

「自分の好きなメモ帳を相手にあげること」は、小学生女児に特有の相手に好意を示すコミュニケーションの一つだったのだ。年齢も立場もまるで違う相手と意思疎通が図れたことがうれしく、未だに強く印象に残っている。

水戸芸術館

水戸芸術館には、ぐにゃりとねじられたような形が特徴的なシンボルタワーがある。

あまりに特徴的だからか、水戸エリアのテレビの中継などでは必ずと言っていいほど映し出される。遠く離れた地にいても、このタワーをTV画面から見つけ出すと、「ああ、故郷の景色だ」とホッとする。

新旧入り交じる泉町・大工町の商店街

北口から1.2kmほど離れた泉町・大工町エリアには、水戸京成百貨店を中心に新旧さまざまなお店が立ち並ぶ。

水戸駅北口北口のロータリーから見た夜の水戸駅付近の景色

この辺りに住んでいた幼少期のころから、大人になった今でもどれもお世話になったお店ばかりだ。特に印象に残っているお店をいくつか挙げてみる。

和菓子の「伊勢屋」は、一口大のお餅とあんこがパックにぎっしり詰まったあんこもちが人気メニューで、お土産に買って帰るとあっという間になくなってしまう。泉町近くの平屋を引き払ってからも、母がこの辺りに用事があると決まってここの豆大福やよもぎ餅を買ってきてくれていた。和菓子好きなわたしの原点はここから始まっている。

「cafe RIN」は、ガパオやタコライスなどのご飯ものからケーキまでハズレがないカフェ。古民家を改装したような店内には、遊び心をくすぐるような家具や雑貨が置かれ、大学進学を機に水戸を離れたあとは、帰省した際に地元の友人とお茶をしながら近況報告をするのにもってこいな場所だった。

裏路地を入ったところにある居酒屋の「小粋」は、一つひとつの料理の味や盛り付けが凝っていて、近隣のオフィスで働くサラリーマンに人気だ。お酒の味を覚えてからは、友人としっぽり飲みたいときに行くことが多かった。店内の落ち着いた雰囲気は大人がお酒を飲みながら熱く語り合うにはぴったりなのだ。

中華そば すずき暖簾がかかっているのが開店している合図

そのなかでも特にお気に入りなのは「中華そば すずき」。地元民でも知る人ぞ知る名店のひとつで、メニューはラーメンとチャーシュー麺のみ。ラーメン並は一杯250円という破格の安さだ。

あっさりした醤油ベースのスープに中細の縮れ麺。具はチャーシューとメンマと海苔とナルト。それに、ねぎではなく、玉ねぎのみじん切りが乗っている。唯一無二の美味しさだ。

幼いころは父親に連れられて姉と3人でよく食べに来ていたが、今は姉がすっかり実家に寄り付かなくなってしまった。お店に暖簾がかかっている間に、またこの中華そばをそろってすすれる日は来るだろうか。

ダサくても不器用でも、ここがわたしの帰る街

水戸を離れてから10年、最近帰省するタイミングと言えば、もっぱら友人の結婚式だ。偕楽園と隣接した場所には常磐神社があり、昨年の初春には大切な友人がそこで結婚式を挙げた。

わたし自身も数年前に結婚した。顔合わせのために初めて水戸に義両親を連れて来たときには、かつて通っていた小学校の通学路にあった泉町仲通り商店街へと繰り出した。

馴染みの居酒屋「とり一」でお酒を飲んでいるとき、ふと昔の記憶が蘇ってきた。イチゴをくれたお寿司屋さんのことだ。

§

わたしがまだ小学生だったあるとき、友達と曖昧に遊ぶ約束をしたまま当日を迎えたことがあった。その友達はお父さんが泉町仲通り商店街でお店をやっていて、迷いながらもわたしは友達の家まで向かった。しかし、案の定友達はいない。諦めて帰ろうかなと思った矢先、突然土砂降りの雨が振り出した。

水戸

やむなく雨宿りをしていると、向かいにあったお寿司屋さんの引き戸がガラガラと開き、「少し寄っていきな」とわたしに声をかけてくれた。

恐る恐る店内に入ると、お寿司屋さんらしい群青色の小鉢が目の前にトンと置かれ、そこには大ぶりなイチゴが何粒か乗っていた。どんな会話をしたのかはハッキリと覚えていないが、呆気に取られながらも、わたしは目の前の大きなイチゴにかぶりついた。

イチゴを食べ終わり、「ごちそうさまでした」とふたりにお礼をし、引戸を開けると、さっきの土砂降りが嘘のように晴れ、濡れた地面はキラキラと輝いていた。

§

久しぶりにお店の前まで行ってみたけれど、当然お店は閉まっていた。わたしが大学生のときに、お店はとっくにたたまれていたのだ。

大人になってから、直接あのご夫婦にお礼をすることは叶わなかったけれど、わたしにできることは、水戸の商店街のお店にできるだけお金を落とすことだ。そう思い、今では水戸に帰れば友人とこのあたりに飲みに行くようにしている。

いつだって水戸の自然や文化、近所の人たちがわたしを受け止めてくれたから、今のわたしがいる

もしかしたら、水戸は対外的なアピールは下手なのかもしれない。でも、わたしはこのダサくて不器用な街を愛している。


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著者:オミソ・シルコ (id:uminekoblues)

オミソ・シルコ

関西在住。いつもくだらないことばかり考えている人。文鳥とお酒(焼酎以外)と珈琲が生き甲斐。写真と街歩きとエッセイを書くことが好きです。

ブログ:ぬか漬けは一日にしてならず Twitter:@misoooshiru

編集:はてな編集部