本を読む、川を見る。一人だけの暮らしですこしずつ自分を取り戻した話【大阪・北堀江】

著者: 山本莉会

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大阪に堀江という場所がある。堀江という住所はないのだけど、この一帯を指してみんなそう呼ぶ。セレクトショップやカフェ、家具店が立ち並び、SOHOなどの個人オフィスが軒を連ねる。心斎橋・難波・アメ村と隣り合っているのに、喧噪からはほど遠い不思議な街。私は昔、ほとんど家出同然に実家を出て、そこで暮らしていたことがある。

 

昔から本が好きだった私は、大学を出たら文章に携われる仕事に就こうと思っていた。出版社はすべて筆記試験で落ち、運良く受かったのはライター職のあるベンチャーの広告代理店。人事に「新卒でライター職の配属はないよ」と言われていたけど、「この先、可能性があるならいいんです」と、入社した。

配属先は大阪、営業職だった。営業は嫌いじゃなかったし、一緒に働く人はいい人ばかりで上司にも恵まれた。けれど、一年二年と経つうちに解消できないそれが私の中でくすぶり始めた。

 

 

前向きに働こうとすればするほどつらくなった。クライアントにプレゼンしている最中、何度も空中から俯瞰して自分を見ている気分に襲われた。仕事が終わった後は誰とも話したくなくて、家に帰ってボロボロ泣いた。次第に日中のやる気のなさが超過勤務になって現れた。ある日の残業中パソコンの画面を見ていると手も頭も動かなくなり、漁火を見ているような気分でエクセルを眺めていた。

気がつくと夜中3時。自分が進みたい方向と逆向きに、全力疾走している気分だった。

 

とにかくお金を使いたかった日々

実家に住んでいたので、毎日の帰りが異常に遅いことを心配された。実家から会社までは電車で30分ほど、タクシーだと深夜料金で4〜5000円。虚しいお金だと思ったけど、もったいないという思考がどこかにいってしまって、お金を使うのがただ気持ちよかった。

そこから私はおかしくなった。お金を使いたい気持ちが止められなくなった。物欲はなく、ただお金を使いたいのだ。店に入って、何に使うかも分からないものを買い漁った。会社帰りに一人でホテルに泊まることもあった。自分が怖くなって、生活費だといって親に毎月15万円ほど渡すようになった。手元にあると使ってしまうから。

 

ある日、新大阪で一人暮らしをしている友人の家に遊びに行った。快適そうでいいなと思った。聞けば、大阪では中心地近くでも5万円あれば部屋が借りられるのだという。安定して毎月お金が出ていくのを、うらやましいと思ってしまった自分が怖かった。

家で会話もしなくなった私を両親が心配した。仲が良かった母にも冷たい態度を取る私に、父は仕事を辞めて結婚したらと言い始めた。見合い相手を探してきてやるからとまで言われ、この数年必死に頑張ってきたことを全否定された気分になった。

 

そんなとき、ふと一人暮らしをしている友人のことを思い出した。誰にも干渉されない暮らしが欲しくて、ふらっと不動産屋に入り、まるで服や鞄を買うように部屋を契約した。

それが堀江だった。最寄駅は西長堀。エリアでいうと、北堀江に分類される場所だ。橘通りやアメ村、南船場まで徒歩で行けて、会社にも近かった。5万円あれば住めると聞いていたのに、9万円の部屋を契約した。

 

親は何も言わなかった。ほとんど逃げるようにして、私は北堀江の部屋に移った。なんの計画もなく移り住んだので、カーテンも照明もない部屋で3日過ごした。真っ暗闇の中ベッドに座っていると、ようやく息ができたような気がした。

 

木津川の流れと北堀江の暮らし

北堀江の家を思い返すとき、最初に浮かぶのは川だ。

 


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街を流れる木津川

 

木津川は流れの緩やかな、ありふれた川。雨が降った後に、川の水位が上下するのをベランダから見るのが好きだった。北を向くと中央線が見える。川のおかげで視界を遮るものはなく、空が広く見えた。夕方になると湊町のあたりから出る観光船が走った。ゆるやかな川を見て「今日も流れているな」と思った。


部屋には本棚を置かなかったので床に積み上げ、休日は一日の大半を、小説を読んで過ごした。

 


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近くに中央図書館があったのも、この物件に決めた理由だった。読む本がなくなればすぐに借りにいけた

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あのころの部屋の写真が出てきた。勢いで買った2万円のハンモックはただ吊るされていた

 

ときどき、友人を家に招くこともあった。テレビも、家具らしい家具もない部屋を見て、友人たちは「悪人のアジト」だの「闇を感じる」だの好き勝手言った。

新大阪に住む例の一人暮らし仲間が、酒を片手にやってきたこともあった。夜中まで飲んで、近所の天下一品まで行ってラーメンを食べた。

北堀江には、会社の同僚たちも多く住んでいた。IKEAの家具を組み立てようとしたら工具がないことに気付き、近所に住む先輩の家を尋ねドライバーだけ握りしめて帰ったこともあった。

 


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先輩たちとよく行った「かすうどん山本」。夜しか開かない

 

相変わらず仕事では思い悩むことばかりだったけど、心は以前より軽くなった。ふと気がつくと、あの「お金を使いたい」という気持ちが消えていた。

 


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しょっちゅう通っていたのは「D&DEPARTMENT DINING OSAKA」。窓側で山本珈琲の文字を見ながら、グリーンカレーを食べた。今は、もうない

 

ときどき、サンダルをひっかけて今はなきアメ村の「スタンダードブックストア」に行ったり、立ち読みしたあとは「シネマート」で時間の合う単館映画を見たりした。

 


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「シネマート」の入っているビッグステップ。レイトショーは一人きりになることもあった

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 大きなバッグやスーツケースを引く旅行客がいるアメ村の中を、財布をポケットに突っ込んだだけの身軽さで歩くのは心地いい。

 

中学の先輩が働いている大正区の「シャークアタック」へ、自転車で遊びに行くこともあった。木津川を渡ると、雰囲気が下町っぽくがらっと変わるのも好きだった。照明やチェスト、ほかにもいろいろ買った気がする。帰り道には京セラドームの前でコンサートへ向かう人だかりに巻き込まれたり、松島公園の草野球の声を聞いたりしながら、マンションへ向かった。あのとき買ったヴィンテージ家具は、メルカリでびっくりするくらいの高値で売れた。

 


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少し北にある野田エリアも、下町っぽい雰囲気がある

 

自転車があればどこへでも行けた。朝早く起きた日は、中央卸売市場のゑんどうで寿司を食べた。もちろん梅田へも自転車で行けたし、靱公園や中之島もすぐだった。

 


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中央卸売市場の近くにある、何が出るか分からない10円自販機。50円自販機もある

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この日は10円自販機で梅ドリンクが当たった。「ほんまか!」と言われ隣を見ると、50円自販機から出てきた梅ドリンクを手にしたおじさん。「40円損したわ」と言いながら去っていった。衝動的に声をかけてしまうのも、大阪だなぁと思う

 

ただぼんやりと、堀江をうろつく日もあった。学生時代から週5で通っていた橘通りは、目をつむってでも歩けそうなくらい、ますます身近なものになった。

 


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あのころは「A.P.C.」や「AMERICAN RAG CIE」などのブランド路面店が両側にずらりと並んでいた。お金を使いたい気持ちがなくなった今は、穏やかな気持ちで店を見てまわれる

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湊町リバープレイスの階段に座っては、お笑い芸人たちのネタ合わせを聞いていた。「リバーカフェ」に入ったら、テラス席に座ってここでも川ばかり見ていた

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雑居ビルの3階にある「Cafe mode」。オレンジジュースとエスプレッソを混ぜた不思議な飲み物をいつも注文していた。久しぶりに行くと、味が変わっていた


仕事は割り切ることを覚えた。今目の前のことを一生懸命やってさえいれば、いつかやりたい仕事についたとき、役立つことが一つくらいあるはずだと言い聞かせた。やりたい仕事につけなかったらと思いそうになるたび、また川を見たり本を読んだり、何かから逃げるように自転車にまたがったりして気を紛らわせた。

 

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転機は突然訪れた

ある日、会社でびっくりする話を聞いた。ライターの部署が縮小するのだという。役員や東京のメンバーに確認して、どうやら本当だということが分かった。縮小というよりは、解散に近い。力が抜けた、というより、もうここにしがみつく必要がなくなったと、どこかでほっとした。

同時期、昔から知っていたとある東京の編プロが偶然にも採用を始めた。すぐに連絡を取り、履歴書を送った。

 


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仕事を抜け、履歴書の写真を撮りにOPA裏の写真スタジオ「Pix-do!」へ走った

 

そこからは、驚くほどのスピードで話が進んだ。書類選考を通過してすぐに面接日が決まり、面接の帰りの新幹線で採用が決まったと連絡をもらった。面接から合否決定まで早すぎないか、何かの詐欺じゃないかと思ったけど、新大阪に着くころには「ここで過ごしてきたあの自暴自棄な毎日にはもう戻らない」と心を決めた。

 

会社の人たちに話すと、めちゃくちゃ喜ばれた。上司なんてほとんど涙目でおめでとうと祝福してくれた。「もっと引き止めて〜!」と冗談で言っていたけど、日ごろから「ライターになりたい」と口ぐせのように言っていたので、「夢が叶ってよかったね」と心からお祝いしてもらった。

 


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会社があった南堀江

 

ずっと避けていた親にも連絡した。母親に転職すると話すと「引越し代がもったいない」と、叔父(母の弟)を引き連れてやってきた。全然荷造りが終わっていない部屋を見て、ひょうきんな叔父は「そっからかい!」と適切なツッコミを入れて片付けを手伝ってくれた。荷物を積んだ叔父のバンを見送り、母と二人で電車で帰った。いつも部屋から見ていた中央線で、何を話したか覚えてないけど、転職おめでとうと言ってもらえたような気がする。

 

* * *

 

上京してしばらく経ち、母にあのころの話を聞いたことがある。実は、父は一人暮らしに反対していたそうだ。

「家から通えるところに会社があるのに一人暮らしをするなんて」と言う父に、「娘はもう子どもじゃないし、親が娘の人生をコントロールしようとすると二度と家に寄り付かなくなる、あの子はそういう子だ」と話した母。

 

東京へ戻る深夜バスの中、申し訳なさがこみ上げてきて思わず泣いた。母はすべて分かっていたのだ。今を変えるために親は何もできないことも、全ては私が自分でどうにかしないといけないことも。

ずっと、一人でがむしゃらだった。けれど、いま振り返ると全然そんなことなかったのだ。

 

全ての出来事をつい最近のことのように思っていたけど、気がつけば10年近く経っている。私はその後、東京でライターとなり、結婚し二児の母になった。毎日子どもを追いかけるバタバタした日々を過ごしているけど、一人で北堀江に来ると、たちまちあのころの私に戻る。

焦燥感を抱えたまま過ごしていた、切ない街の記憶。そういう街があることが、今の私を支えてくれているのだと思う。

 

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著者:山本莉会

山本莉会

1986年大阪生まれ。 大阪で川を見る生活を経たのち上京し、編集・ライターになる。趣味は地図を眺めること。好きな場所は図書館、座右の銘は「借りたものは早く返そう」。

動いてないけど生きている
Twitter:@yamamoto_rie

編集:Huuuu inc.