幼少の頃から早く大人になって一人暮らしをしてみたいと思っていた。私が生まれ育った家は世田谷にあった銭湯で、1階の天井の高さ(というか下からの上り)が部屋ごとに違っていた。台所と食卓のある部屋には風呂の湯を沸かす釜が鎮座していて、薪をくべすぎると湯気が立ち込めてあたりが見えなくなるくらいのスチームサウナ状態になった。その蒸気を一気に逃せるように上部に大きな横軸回転窓がついていた。木造瓦屋根の家で、居住スペースよりも風呂のほうが大きい、コーヒーと添え物のミルクが逆転しているような感じで、私は恥ずかしいようなでも面白いからみんなを家に度々招いていた。友達は忍者屋敷みたいと言っていた。
そんなこともあって私はとにかくいつか普通の家の暮らしを体験してみたかった。ドアというやつに鍵もかけてみたかった。職人さんが出入りするので実家の引き戸は常に開けっ放しだったので、鍵をかけて自分のスペースを守ってみたかったのだ。
早く一人暮らしがしたい私は学生の頃から不動産屋さんに貼ってある物件情報を眺めるのが大好きだった。結局目に付くのは実家に似た変な物件ばかり。その中でもひときわ異彩を放っていたのが、中目黒にある謎物件25万円。今思えば下宿物件のオーナー募集的な事だったと思うが、その間取りがとてもユニークだった。台所を中心に、放射状に6畳一間が5部屋くらい配置され、北西に風呂場が据えてある。これはすごいぞと思っていたら、バイト先のお姉さんもその物件を知っていて仲間を募って一緒に住まないか?というところまで話が進んだ。もたもたしているうちに結局別の人が契約したようだが、私にはひとつ気がかりがあったから少しほっとした。
それは風呂だった。私は生まれてこのかた一人で小さなお風呂に入ったことがなかったのだ。毎日好きな時間に何度でも銭湯に入れた自分にとって、一人でお湯を溜めて入って、、それで、、、何をどうするのか、、、暇すぎるし、、、眺める富士山の絵も無いわけで、、、手持ち無沙汰、、、。というか一人暮らしをするはずがなぜに共同生活?!といった具合で、新しい生活の場所探しは要領を得なかった。
それでも、そんな謎物件がある中目黒は一人暮らし候補地となった。高校時代、自転車での通学路の途中に位置した中目黒は代官山より庶民的で実家に似たような面構えの家が沢山あって安心したのだと思う。しかも、自転車でどこへでも行きやすい。山手通りをまっすぐ行けば池袋方面まで行けるし、行こうと思えば上野までだって自転車で行っていた。渋谷や青山、六本木は頑張れば歩けるし都内で終電がなくなってもどうにかなるのが中目黒。

中目黒は高架下の開発が進み、楽しい店も増えたけれど生活の場所として選ぶなら店の数より自分のお気に入りが3軒ある街がいい。私の場合、その一つは銭湯。「光明泉」は駅前にあり、年末年始がちょっとイレギュラーな営業時間になるだけでほぼ年中無休、しかも夜の12時半まで入店可能だから終電で帰ってきても間に合うという優しさの滲み出た営業時間。駅前という立地と営業時間で中目黒の魅力を爆上げしていると思う。

そして、「光明泉」の裏手には「丸二青果」。ここは季節の野草山菜がいろいろな産地から届き海外の珍しい野菜も並ぶなんでも揃う八百屋さん。葉物は悪くなる前にまとめて〇〇円でどう?とお店の人が気さくに話しかけてくれるから、買っておいて傍にいる人と分ければいい。

ちなみに3つめは、「吉そば」。立ち食いそばには、いつ何時でも口に合う安心感がある。

「銭湯が近くにあって台所がなるたけ広くて安い物件」というのが私の物件探しの条件。「古い、寒い、風呂がない」は私にとってはどちらでもよいことなのでマイナスポイントにはならない。
初めての一人暮らしに選んだのは大家さんの敷地内にあった離れの木造アパート。駅から徒歩5分くらいの和室6畳と台所4畳の風呂無し物件。15Aしか電力が無くて炊飯器と電子レンジは買わなかった。代わりに中華鍋と蒸し器を駆使するようになりその後の自分の料理のスタイルが作られた。
30代になり、離婚した時に安心できる場所に住もうと思いやっぱり中目黒に戻ってきた。今度も大家さんの敷地内だったが、その家は庭が広くて梅、柿、枇杷(びわ)が成っていて、小さな祠があり湧水もあった。蛇も棲んでいたようだった。カーナビには載らない、東京タワーの電波も届かない謎スポット。下に住んでいる人から「ここはUFOの駐車場になっているんだよ」と言われたりもした。中目黒駅からは徒歩10分圏内。恵比寿と代官山とも近かった。6畳間が2部屋と台所が2畳の築50年の風呂無し物件だった。
ここで私は3.11を経験した。今まで自分が、その代償も考えずにインフラの整った環境をあまりに能天気に享受しすぎていたことに愕然として、私生活にまつわるちっぽけすぎる悩みが一気に陳腐に思えてきた。
私には風呂は無いけれど中目黒には銭湯がある、近くにいい八百屋もスーパーもある、部屋に風呂が無く、隙間があるから湿気こもらず風通しが良い、「ならば近所のスーパーやコンビニを冷蔵庫に見立てれば自分の部屋に冷蔵庫なんていらないじゃないか、銭湯とおんなじ発想だ」と思い、電源を抜いてこの部屋の(外気とまるで変わらない)空気に身を委ねて食材を乾物や漬物にして(干したり漬けたりして放置しているだけ)自分の力以上に頑張らなくても快適に暮らすことこそが「都会的な良い生活の仕方なのだ」と決めて何もかもが変わっていった。
冷蔵庫を使わないことがこんなにも自分の思考パターンに直結してくるとは驚きだった。そしてこの部屋で『冷蔵庫いらずのレシピ』(ワニブックス)という本を書き、その本の出会いから「按田餃子」を共同経営し、ペルーアマゾンにも行くことになった。何もかもが自分の気持ちを優先する生活になり、目的を決めずに街を散歩することが増えた。
散歩道はいろいろで、目黒川沿いを目黒方面に歩いたり、蛇崩川暗渠を歩いて植物を観察したり、中目黒八幡方面にある古い木造のアパートがまだあるか確認しに行ったり。




ない感じがあってそれもすごくいい

思えば、銭湯にはマイペースな人が沢山いた。芸能人も度々来ていたが誰一人としてまるで気にしていなかった。私もフロントのお兄さんにうれしそうに「結婚するので今までお世話になりました!」と言った数年後に「戻って参りました!」と言ってまた何食わぬ顔して毎日お世話になっても空白を掘ってくる人はいない。それはなんとも都会らしい態度だと思う。だから按田餃子に有名人が来てもくれぐれもそっとしておくようにスタッフに口をすっぱくして言っている。
知らない人だけどほぼ毎日会う人と安否確認をできるのが銭湯のいいところ。断片的にお互いの素性が明らかになっていくし、ふとしたタイミングでその人らしい励ましをくれたりする。女湯でよく会う画家の先生は、「離婚してすぐに借りた物件を更新したらダメだよ」と教えてくれたけど私は中目黒が快適すぎて更新してしまった。キムさんは私が田舎から出てきて一人寂しい想いをしていると見たのか、正月は一人で寂しいだろうからとものすごく掃除の行き届いたアパートに招待してくれて「私の夫は働かなかった、働かないオトコはだめだよ。わたしはもう再婚しないよ」と言いながら、韓国式の正月料理を振る舞ってくれた。しかし、私の実家はキムさん宅から自転車で15分の所にあって、韓国料理でお腹一杯のまま実家に行ってさらにおせち料理を食べた。またある時期には、女湯のほとんどの人にまつエクが施されたことがあった。お客さんの一人が自分のサロンを持つべく、100人にまつエクを無料で付けているのだとか。無論私も人生で一度きりのまつエクをしてもらった。
中目黒自体が、私が若いころに見た放射状に部屋が連なる下宿物件のような、銭湯のような、異質なもの同士が緩やかなつながりを持つ雰囲気を帯びた街なのだと思う。


著者:按田優子(あんだゆうこ)

1976年東京生まれ。製菓製パン業、お菓子教室講師、カフェ店長などを経て独立。2012年から写真家の鈴木陽介と「按田餃子」を共同経営。食品加工専門家としてペルーアマゾンに通うこと8回。現在は三浦半島に移住し古民家に住んでいる。
著書に『冷蔵庫いらずのレシピ』『たすかる料理』など。2025年に刊行された『まぁまぁマガジン26号 按田優子という宇宙』が発売中。
https://www.instagram.com/andagyoza/
https://www.instagram.com/yukoanda/
編集:ツドイ
