OCTPATH栗田航兵さんが語る、愛媛愛。メンバーカラーのオレンジは、みかん色

取材・編集: 小沢あや(ピース株式会社) 構成: 伊藤美咲 撮影: 曽我美芽

日本最大級のオーディション番組「PRODUCE 101 JAPAN SEASON2」の元練習生8名で結成されたボーイズグループ、OCTPATH。2月には5th single『OCTAVE / Daydream』をリリースし、7月にはNHK大阪ホールとLINE CUBE SHIBUYAにて『OCTPATH LIVE 2024 -UP TO THE SKY-』を開催することも決定しています。

メンバーの栗田航兵さんは愛媛県出身。地元にまつわる思い出や愛媛でよく行った飲食店、メンバーを連れて行きたい場所などを伺いました。

愛媛の少年は、BTSのライブを観てアイドルを目指すことを決意した


―― 上京する前は、東京に対してどんなイメージを抱いていましたか?

栗田:上京前は、BTSさんの東京ドームでのコンサートなど、エンタメを観に行っていました。僕にとって東京は、ライブを観に行く場所で、まさか自分が住むことになるとは思ってなかったんです。

―― 栗田さんが芸能界を目指したきっかけは何だったのでしょう?

栗田:僕は学生の頃から自分がサラリーマンとして働く姿が想像できなくて。将来どうしようかなと悩んでいたときにBTSさんのライブを観て、「かっこいい」とか「楽しい」より先に「自分もアイドルになりたい」と思ったんです。それからはファンではなく、ひとつの職業としてアイドルをじっくり観るようになりました。

―― 芸能界を目指すことに対して、周りの反応はいかがでしたか?

栗田:最初はアイドルになりたいことを誰にも言ってなかったんです。将来のことを聞かれたときもずっと「何するんやろうね〜」とはぐらかしていて。だから周りからしたら、突然オーディション番組に出た人。びっくりされたと思います。

アイドルが好きだった母からはもともと、小さい頃から「アイドルになってほしい」と言われてたんですけど、当時はまだ芸能界を目指してなかったので、断っていたんです。なので、オーディションを受けるときは「あんなに嫌がっていたのに自分から言うなんて!」とすごく喜んでくれました。

母はデビュー後も東京でOCTPATHのライブがあるときは絶対観に来てくれますし、大阪や福岡公演にも駆けつけてくれました。自分が頑張っている姿を見せられるのは表に立つ仕事だからこそですし、親孝行にもなっているのかなと思います。

―― すてきなエピソードですね。

栗田:オーディション番組を観た友達からも「芸能界、合ってると思うよ」「東京で活躍できそうだね」と言われることが多かったです。愛媛にも応援してくださる方がたくさんいるとわかってうれしくなりました。

―― もし芸能界に進まず、愛媛で就職するとしたら何をしていたと思いますか?

栗田:子どもが好きなので、保育士かな。学生時代の職場体験でも保育園や幼稚園に行っていました。もしくは、ファッションに興味があるので、アパレル系のアルバイトをしてたんじゃないかなと思います。

プリや買い物の思い出が詰まった「街」


―― 栗田さんは子どもの頃、どんなところで遊んでいましたか?

栗田:近所の竹藪や、実家のさとうきび畑で遊んでいました。僕の家は農家なんです。草を刈って、秘密基地をつくった思い出がありますね。自然が多い地域で育ったのは良かったなと思います。

―― 学生時代、愛媛ではどんなところに遊びに行っていましたか?

栗田:松山の大街道(おおかいどう)にあるゲームセンターでプリを撮っていました。買い物に行くときは、南銀天街(みなみぎんてんがい)のスピンズへ。周りの友達が黒の服を買う中、僕は赤や緑、オレンジ色とか派手な服を買っていましたね。懐かしい場所なんですけど、最近閉店しちゃったみたいで寂しいです。

大街道と南銀天街は隣同士なので、僕の周りではこのエリアを略して「街(まち)」と呼んでいました。愛媛の中では「街」が何でもそろうエリアなんです。

―― 栗田さんは、上京後の今でも地元時代の名残を感じることはありますか?

栗田:やっぱり、オレンジ色のものを選ぶようになりました(笑)。

―― みかん色ですね! 栗田さんのメンバーカラーもオレンジです。

栗田:メンバーカラーを決めるときも、最初は違う色の予定だったんです。でも周りからも「オレンジっぽい」と言われますし、親に相談したときも「愛媛出身やけん、オレンジでいいんじゃない?」と言われてオレンジになりました。

OCTPATHのメンバーを連れて行きたいのは夜空がきれいな「四国カルスト」


―― 愛媛のオススメスポットを教えてください。

栗田:「道後温泉」です。愛媛では有名な温泉なんですけど、上京前は地元だから後回しにしていて、行く機会がなくて。帰省したタイミングで初めて行ったんですけど、リラックスできてめちゃくちゃ良かったです。いつかメンバーも連れていけたらいいなと思います。

―― ほかにもメンバーを連れていきたい場所はありますか?

栗田:高知県と愛媛県の間にある、「四国カルスト」に行きたいですね。夜になると周りが真っ暗なので、びっくりするくらい星がきれいに見えるんですよ。

高校生の頃に兄が車で初めて連れていってくれた場所で、その後は運転免許を取得した友達ともよく行きました。僕は何もしない時間がすごく好きなので、ただ寝転がって揺れる草を見て過ごすのも心地よかったです。あとは僕の実家に来てほしいですね(笑)。

―― メンバーに食べてほしい愛媛の郷土料理は?

栗田:宇和島鯛めしです。ごはんに鯛のお刺身を乗せてお湯をかけて食べるんですけど、めちゃくちゃおいしいんですよ。ぜひメンバーにも食べさせたいですね。

―― OCTPATHが愛媛公演を開催するとなったら、何を差し入れますか?

栗田:スポンジであんこを巻いた「一六タルト」を持って行きます。みんなはタルトと言ったらフルーツが載っている洋菓子を想像すると思うんですけど、愛媛県民にとってのタルトは一六タルトなんですよね。上京してから洋菓子のタルトを見て、「偽物のタルトや!」と思いました(笑)。

愛媛にまつわる食の思い出とお気に入りの店


―― 栗田さんが愛媛でよく行っていた飲食店はどこですか?

栗田:「豚太郎」の味噌ラーメンをよく食べていました。かなり味が濃くておいしいんですよ。昔は全国チェーン店だと思ってたんですけど、四国にしか店舗がないと知ってからはより愛おしくなりました。お手頃価格でラーメンが食べられますし、学生時代は豚太郎でバイトしてる友達も多くて。身近なお店でした。

あとは中華料理屋の「チャイナハウスすけろく」。これも全国チェーンだと思ってたので、上京後は近くに店舗がなくてびっくりしました。特に天津飯とごまだんご、酢豚が好きです。天津飯でお米が食べられるくらい、味が濃いんですよ。

豚太郎とすけろくは、愛媛に帰るとよく食べに行きますね。

―― ほかに、愛媛ならではの食の思い出はありますか?

栗田:給食にみかんごはんが出ていたことを話すと、よく驚かれます。想像の通り、みかんの実が混ぜ込んであるんです。メンバーにも「何それ!? おいしいの!?」と言われました(笑)。給食にシンプルな白米が出ることがあまりなくて、ほかにもグリーンピースやむかごなど、何かしら入っていた記憶がありますね。

―― みかんごはんは愛媛特有の食文化ですね。あまりにも有名な名産ですが、ご自宅でもよくみかんを食べていましたか?

栗田:農家の実家でつくったものを毎シーズン食べていたので、みかんを買ったことはなかったですね。上京後もよく実家からみかんが送られてきます。一人暮らしなのにダンボール2箱分届くので、練習やイベントのときにメンバーやスタッフさんに配ってます。

愛媛を離れても恋しい味と、地元でかなえたい野望


―― ほかにも、実家から送られてくる荷物に愛媛アイテムは入っていますか?

栗田:マルマサの醤油は絶対に入ってますね。甘口でとろみがあって、醤油だけでも飲めるくらい好きなんですよ。小さなスーパーではあまり見かけないんですが、僕はマルマサの醤油しか使えないくらいお気に入りなので、なくなり次第愛媛から送ってもらってます。自炊するときにも使っています。

―― マルマサの醤油はどんな料理に使うのがオススメですか?

栗田:ハンバーグのソースにオイスターソースと一緒に入れたり、照り焼きにするときに使ったりしますね。一番のオススメは、たまごかけごはんです。醤油の味がよくわかるので、みなさんにも絶対に食べてほしいです!

―― 最後に、栗田さんがOCTPATHのみなさんと地元でかなえたい夢を教えてください。

栗田:やっぱりグループとして凱旋ライブは夢ですね! 育った場所でメンバーとライブをして、自分の育った場所にTHme(OCTPATHのファンネーム)を連れて行きたいです。実現したら、泣きます!


お話を伺った人:栗田航兵(くりた こうへい)

2002年生まれ、愛媛県出身。日本最大級のオーディション番組「PRODUCE 101 JAPAN SEASON2」の元練習生8名で結成されたボーイズグループ・OCTPATHのメンバー。2024年7月に『OCTPATH LIVE 2024 -UP TO THE SKY-』を開催することが決定している。

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取材・編集:ピース株式会社 構成:伊藤美咲

徳島で、今日も渦巻いている。|文・田丸まひる

著: 田丸まひる

徳島と東京が意外と近いことを、みんなは知らない

友達に会うために久しぶりに東京に行ってきた。自分なりのおしゃれを楽しんでいるのを見せ合ったり、言葉に対するときめきをあれこれと話し合ったりするのには心が躍った。それぞれの暮らす場所で、みんな色々なことに立ち向かったり傷ついたりしてきている。

東京と徳島の間は、飛行機を利用すれば一時間と少し。わたしの住んでいる鳴門は空港からも近いし、仕事なら日帰りもできる時間距離だ。陸路なら、高速バスで神戸や大阪まで出て、新幹線に乗り換えると便利だし、夜行バスもある。意外と簡単に行き来できるんよ、と思う。

行けばぽんとたどりつくのに「遠くからようこそ」を今日もたっぷり浴びる


けれど、徳島には電車が走っていない。鳴門にも、どこにも。これから電車が走るであろう見込みも今のところはない。わたしも含めて地元の人たちが「汽車」と呼ぶディーゼル機関車が、架線のない線路を走っている。「駅前で遊ぼな」と約束をする高校生たちに駅前と呼ばれるのは、ほぼ確実に徳島駅周辺のこと。駅、少ないから。

徳島に帰る飛行機を羽田空港で待ちながら、この先しばらくは使わないであろう乗換アプリを消去した。自動改札機もまだないところに帰るために。

色んな記憶や気持ちごと渦に飲み込んでいく


鳴門は今日も風が強くて、渦巻いている。なにが正しいのか、なにが間違っているのか分からないようなことも飲み込んでぐるぐると回っている。鳴門は今日も渦巻いていて、風が強い。鳴門に引越してきた人にはついつい「風が強いですよね」と言ってしまう。別に風が強くてもなんでもないはずなのに、風にあおられた前髪が数本気に食わないだけで、ああもう今日は終わったと思う思春期の感覚が、大人になっても残っている。

このWebメディアで、他の皆さんが素敵な路地裏などを紹介されているのを見て、なんだか申し訳ない気持ちになった。田舎あるあるで高い建物がほとんどなくて、空がぽかんと広い。

「空です!」「海です!」「川です!」「橋です!」みたいな光景がどこまでも続いている。子どもの幼稚園の送り迎えには橋を渡って海沿いを走るし、なんなら渡し船で通勤通学をしている人もいる。友達が徳島に来た際に、そうとは知らずにわたしの家の近所で写真を撮って、「何にもない!」とSNSに投稿をしているのを見たときは膝から崩れ落ちた。

なにがあったら何もないって言われずにすむんでしょうか白波のあわ


でもまあ、鳴門には観光地として有名な渦潮があって、あのぐるぐると回る渦を、毎日ニュースの冒頭の映像で見ている。派手な施設ではないけれど、渦潮のメカニズムや鳴門海峡に架かる大鳴門橋の構造などを知ることができる、大鳴門橋架橋記念館 EDDYは面白いし、大鳴門橋の橋桁内に造られた海上遊歩道である渦の道は、ガラスの床から渦潮を見下ろすことができて迫力がある。

その近くには、陶板で名画を複製し、教会などの壁画なら環境空間ごと再現している大塚国際美術館もあって刺激的だと思う。学校の遠足で訪れているのも見かけるが、しっかり見ようと思うと丸一日いても足りないような圧巻の広さと作品数だ。地元の人あるあるで、「2018年大晦日のNHK紅白歌合戦で、米津玄師さんが生中継で歌った場所」と説明したくなる、ミケランジェロが手掛けたシスティーナ礼拝堂があるが、最近はそれに加えて「2023年4月の『FRaU S-TRIP』の表紙がシスティーナ礼拝堂に佇む白石麻衣さんなんですよ」と続けているのはわたしだけだろうか。この誌面には渦潮とまいやん、後述のくるくるなるとで食事をするまいやんの記事もあって、このようなところに来てくださってありがとうございますとひれ伏したい。

他にも、戦後モダニズム建築家の一人である増田友也の遺作となった鳴門市文化会館は美しい建物だが、現在は耐震化の改修のため、休館している。ここではかつて、モーニング娘。のライブも行われていた。かつてと表現せざるを得ないほどまあまあ前なので、モーニング娘。の皆さん、ハロー!プロジェクトの皆さん、そしてハロプロを卒業したエムラインクラブの皆さん(わたしは元Juice=Juiceの宮本佳林さんのヲタクです)ぜひともまた鳴門に来てください。本当に来てください。どこに拝めばいいんですか。

アイドルのきらめきだけは残されて中野サンプラザだろうここだって

観光客を豊かな食でもてなすスポット「くるくるなると」


さて、ぐるぐるじゃなくて、「道の駅 くるくるなると」は2022年にオープンした、鳴門の食のテーマパーク的な存在だ。徳島県内外の人たちがたくさん訪れて、鳴門産の食材を使った料理を食べられるし、お菓子やパン、お惣菜やお土産もこれでもかというほど揃っている。

オープンしてから2年経つが、今でも駐車場に入るための車の列ができていることがあって、活気を感じる。なると金時のオブジェの前で、というか、輪切りのなると金時の中で写真を撮っている人が多くて、見かけるたびに分かる入りたいよねと思う。屋上にはジップラインもあって人気だけど、スリルに関しては分からんごめんなさいなので、わたしは体験したことはない。

個人的には、こんなに大量にお刺身を盛ってもいいんですかと聞きたくなるような海鮮丼がお勧め。鳴門の鯛はとにかく新鮮なうちに食べてほしい。それから、鳴門の渦潮を生み出している激流で育ったわかめは、肉厚で歯ごたえがあって、いくらでも食べられる気がする。鳴門のお店のわかめの味噌汁は、お椀の中がほとんどわかめで埋めつくされていて、どうしてこんなに入っているのかと驚かれるけれど、たぶん鳴門の人は家だとさらに追いわかめもしている。わかめ、主食じゃないかと思うことがある。

いやもっと地元っぽいお店がいいという場合には、あらし、びんび屋などの定食屋、北灘漁協直送 とれたて食堂などをお勧めする。鳴門の魚は新鮮で、地元のスーパーでも、その日の朝に獲れましたという魚が普通に並んでいる。

日常に馴染む店もたくさんあり、手土産にも困らない

そして、もちろん観光とは違う日常が、どこの町にもあるようにここにもある。けれど、朝から仕事に行って、帰ったらばたばたと子どもの世話をして、子どもが寝ついた後にこんな風に何かを書いたりしている毎日に特別なことなんてそれほどなくて、最初はここに何を書けばいいのか分からなかった。知る人ぞ知るおしゃれなカフェで、たまたま常連さん同士が出会って少しのおしゃべりを楽しむなんていう生活に憧れるし、先日岡山を訪れた際に実際にこの通りの状況を目の当たりにして驚き、心がうずいた。


日常。日常といえば、にちにち雑貨店にはちょくちょく訪れている。ユニークな雑貨に加えて地元の作家や社会福祉法人の事業所のブローチやピアスなどのアクセサリーが取り扱われていて、友達へのちょっとしたお土産を買いに行くことが多い。藍染のポーチや、すだちを抱いたパンダなんていうちょっと笑えるブローチもある。


店主さんが気まぐれに焼いている四国の形の皿はガイドブックの「るるぶ大塚国際美術館」の表紙にも掲載されていた。「四国皿」、まだ自分では使ったことはないのだけど、見かけるたびに「四国、お皿のかたちにぴったりやん」と思う。ちなみに箸置きもある。


食べるのが好きな友達には、ここで扱われているKAWAZOE FRUITの無添加のジャムやシロップ、BAKASCOというゆずと柿酢のペッパーソースを買って持っていくことが多い。わたしがいちばん推しているのは梨の紅茶ジャムで、そのまんまだが梨と紅茶の風味の組み合わせがくせになる。鳴門は梨も美味しい。

昼下がりの小さな雑貨店にしか届かないひかりがあるって知ってる?


KAWAZOE FRUITの商品はインターネットでも扱っているが、鳴門を訪れることがあればぜひお店に寄ってほしい。車でないと行くのは難しいかもしれないお店の中は洗練されていて、ジャムやシロップをゆっくり選べるのはもちろん、夏にはシロップを使ったかき氷が食べられるし、クラフトコーラの「ナルトコーラ」や、量り売りのドライフルーツ、ナッツも美味しい。

車じゃないと行けないというつながりで言えば、人気のドライブルートである鳴門スカイラインの展望台の隣(海が見渡せて本当に眺めがいい)には、どうしてこんなところにこんなにおしゃれな場所が、と言いたくなるカフェのフレンチモンスター 瀬戸内フードアートがある。なると金時のクリームサンド「月へ鳴門へ」も人気だ。


なると金時のおやつとしては、鳴門のいも屋の「芋棒」という大学芋も推したい。なんて潔いネーミングだろう。世間ではねっとりした甘いさつまいもが人気でわたしも好きだけど、なると金時はほくほく感が魅力で、大学芋によく合う。芋棒は冷凍されているので、常備することができて、お客さんが来た時にちょうどいい具合に半解凍して出すことができる。温めて食べるのも美味しい。無限に食べられる系の大学芋なので、買い過ぎに注意。

ほくほくと笑っていられる話だけ選んでいたい朧月夜は



ついつい美味しいもの、しかも甘いものの話ばかりしてしまうが、老舗和菓子店のことらやも、遠方から訪れる人も多くいつも賑わっている。あん巻というあんこたっぷりのお菓子や甘みと酸味が絶妙ないちご大福が有名だが、あんこ好きとしてはここのあんこは、どら焼き、お饅頭とそれぞれに味わいが違って、どれも美味しいので、どれを買おうかいつも迷う。夏限定のかき氷も舌触りが最高で、友達が遊びに来たら絶対に食べてほしくて店に連れて行くようにしている。


ベーグルをメインにしたパン屋のbakery nook、そのパンを買って食べることもできる3軒隣のnook standもパンが好きな友達には紹介していて、一緒に行くこともある。個人的なお勧めのベーグルは、紅茶とりんご、いちじくとくるみだけど、種類が多いのでその日の気分に任せることが多い。ちょっとした日常だと思う。

どこにだってその土地の生活が渦巻いているのに

日常。なんでだろう。意識していないと、田舎での日常なんて色褪せたものになりそうだと誰に追い詰められているわけでもないのに思う。東京などに行って帰ってくると、とりわけそう思ってしまうのは、きらきらとした場所への憧れかもしれない。どこにだって、そこでしか見ることのできないきらめきも、その裏の影もあって、どこもたぶん渦巻いているのに。


幼稚園に子どもを迎えに行った帰り道。大塚製薬の工場の壁にポカリスエットやボンカレーが大きく、まるで本物のように描かれている。人が直接描いているこの壁を毎日見ているだけでも、なんだか特別なことかもしれない。「おうちにポカリンある?」(なぜかンがつく)と子どもが言う。あるよ、と答えて、なぜかそこから「ポカリ、りんご、ゴリラ……」としりとりが始まる。渦巻きながら、もうすぐ家に着く。

書いた人:田丸まひる

1983年生まれ。歌人、精神科医。「未来短歌会」「徳島文学協会」所属。「七曜」同人。短歌ユニット「ぺんぎんぱんつ」の一人。趣味は宮本佳林さんとハロー!プロジェクトの応援。好きなサンリオキャラクターはこぎみゅん。歌集に『硝子のボレット』『ピース降る』(ともに書肆侃侃房)共著に『うたわない女はいない』(中央公論新社)など。

編集:小沢あや(ピース株式会社

西荻の街が好き過ぎて「西荻案内所」を運営していた夫婦が語る西荻窪の魅力とは

著: 玉置 標本

西荻窪の魅力を発信すべく、2013年から2016年にかけて西荻窪駅周辺をボランティアで案内するスペース、その名も「西荻案内所」を運営していた奥秋圭・亜矢夫妻に、古さと新しさが混在する西荻窪の紹介をしていただいた。

偶然と必然が生んだ西荻窪での新生活

今回、西荻窪を案内してくれる奥秋夫妻の出身地は、デザイナーである圭さんが山梨県、そしてディレクターの亜矢さんが愛媛県。どちらかが、あるいはお二人ともが地元民だと勝手に想像していたのだが、全然違った。

西荻窪とはまったく関係ないところで生まれ育ち、それぞれが東京にある別の大学へと進学し、卒業後に共通の趣味である演劇を通じて出会ったという間柄。

そんな二人が、なぜ「西荻案内所」を運営することになったのだろうか。まずは西荻窪に移り住んだ理由から伺ってみた。

在りし日の西荻案内所、2016年4月頃。写真提供:奥秋圭

 

奥秋圭さん(以下、圭):「上京してからは都内や東京近郊を流れ流れて、僕が33歳、亜矢さんが30歳のとき。結婚をするというタイミングで、そろそろ本当に住みたい街に住んでもいいんじゃないと、中央線沿線で物件を探しました」

奥秋亜矢さん(以下、亜矢):「その時に住んでいたエリアは埋立地につくられた新しい街だったので、それはそれで便利なんだけど、どうせ引越すなら、本とか映画とか演劇の話ができる友達をつくれそうな街にしようって」

――バンドをやるために高円寺に住む、みたいな話ですかね。中央線沿線にはたくさんの駅がありますが、なぜ西荻窪駅にしたのですか。

圭:「僕は国立に住んでいたことがあって、やっぱり中野、荻窪、吉祥寺は家賃が高いイメージがあった。

それで最初は、ネットで見つけた三鷹のおもしろそうな部屋を見学したんですよ。駅から近く、家賃が安く、部屋もバルコニーも広く、楽器もペットもOK」

――いいじゃないですか。

圭:「行ってみたんだけど、一階が飲食店で年に二回は害獣駆除をやりますと。できれば猫を飼ってくださいっていう部屋だった」

――チュー多線……いやなんでもないです。

亜矢:「不動産屋さん曰く、新婚さんにはお勧めしませんって。これはこれでおもしろいかなとも思ったんだけどね」

圭:「ちょっと考えますと保留にして、電車に乗って帰る途中、ついでに西荻窪駅あたりもちょっと見てみようと降りたんです。西荻は通過する電車が多いので、若干家賃も下がる印象があったし」

――特に土日に来ようとすると、乗り換えがややこしいですね(土日祝は快速が通過してしまう)。

亜矢:「今でもたまに間違えます。気がついたら吉祥寺だったり。私は大学時代に中野に住んでいて、西荻窪にはちょくちょく骨董屋と古本屋をぶらつきに来てたので、いいとこだっていうのはなんとなく知っていました」

――古本屋のイメージはなんとなくありますけど、骨董屋の街でもあるんですね。

圭:「それで駅前にあった不動産屋に飛び込みで入って、紹介された一軒目の物件が、今住んでいるところです。もう18年目ですね」

――18年!

木土藍楽と書いて「きどあいらく」と読む。この店がある道を骨董通りというそうだ。山形県出身の御主人がおもしろい人だった

最近は外国人観光客がこけしなどをよく買っていくとのこと

――その物件はどのあたりですか。

圭:「西荻窪駅から北西側にある善福寺公園の近くにあるマンションです。徒歩20分くらいかな。

吉祥寺の井の頭池から神田川が始まっているように、善福寺川の水源になっている善福寺池っていうのがあるんですよ」

駅から15分ほど歩いたあたり。昔はダイコンやウドの栽培が盛んで、沢庵工場などもあったとか

関東大震災後の住宅供給を担った同潤会住宅の面影が残る街並み。西荻窪に詳しい二人との散歩だからこそ見えてくる景色だ

善福寺池の下の池から善福寺川はスタートして、中野で神田川と合流している

亜矢:「すぐに内見できますからと不動産屋さんの車で向かったんだけど、大家さんが電話に出てくれない。とにかく外観だけでも見ましょうかと行ってみたら、大きなケヤキの木の下でおばあちゃんが一人でサトイモを延々剥いていた」

圭:「なにしているんですかって聞いたら、『明日は餅つき大会だから!イモを剥いているんだよ!』って、ちょっと怒り気味に言われて」

――見てわかるだろと。わかんないけど。

亜矢:「私たちは23区内に引越して来ようとしているのに、この光景はなんなんだろうと。これはおもしろそうだぞと思ったら、なんと、そのおばあちゃんが大家さんでした」

圭:「皮むきで忙しいおばあちゃんに部屋の鍵を開けてもらって内見したら、家賃の割に部屋も広いし、素敵な公園もあるし、ここいいじゃんって契約して18年」

――まさに運命の出会いですね。

亜矢:「ここは一応、最寄り駅は西荻窪駅だけど、吉祥寺駅からも西武新宿線の上石神井駅からも、早歩きでだいたい20分ちょっとくらい。毎日電車で通勤する人には微妙な距離だけど、私たちはフリーで基本的に在宅だから全然いいよねって」

圭:「今ではその餅つき大会を毎年楽しみにしています」

「こういう公園がすぐ近くにあると全然違いますよ。コロナの期間も全然心持ちが違いました」と圭さん

ちょうど桜が咲き始めた日曜日で、たくさんの人が公園を訪れていた

圭:「餅つき大会とかがあるから住人同士も仲良くなる。話してみると、自分たちと同じような人が多いんですよ。フリーの編集者だったり、お店をやっている人だったり。

それで『なにか一緒にやりましょうか』となることもあるし、助け、助けられての18年。大きな地震の時も連絡を取り合ったりできる、そういう心強いマンションです」

日本野鳥の会を設立した中西悟堂氏が善福寺池の近くに住んでいたため、「野鳥の聖地」とも呼ばれているとか

西荻案内所が生まれた訳

――そんなこんなで西荻窪に導かれてきた奥秋夫妻が、西荻案内所を立ち上げるまでの経緯を教えてもらえますか。

圭:「僕らが引越してくる前から、作家の北尾トロさんが創刊した『西荻丼』というフリーペーパーがあって、それの編集チームに参加するようになったんです。

そういう媒体に関わると、街に知り合いが一気に増えるし、向こうもこっちが何者なのかをわかってもらえる。

そのうちに『西荻まち歩きマップ』という無料で配布している地図をつくっている人とも出会って、その制作も引き継ぐことになりました」

『西荻まち歩きマップ』は改札を出たところにある「なみじゃない、杉並!」のラックや掲載店舗などで入手しよう。ウェブ版はこちら

この地図を読み倒してから、もう一度西荻を散歩したい

亜矢:「そんな流れで、西荻のコミュニティスペースみたいな場所をつくろうと、知り合いが紹介してくれた店舗を友人たちとDIYでそれっぽくつくって、『西荻案内所』としてオープンさせたのが2013年。そのビルが建て替わる2016年まで運営していました」

――西荻窪に引越して、数年で案内をする役割を自ら担うってすごいですね。

亜矢:「道案内とかお店の紹介だけでなく、そのうち『姪っ子に結婚相手を探しているんだけど』とか、『いい老人ホームはないかしら』とか、そういう相談も来るようになりました」

――案内の幅が広い。

圭:「西荻の誰かが聞かれて困ると、とりあえずこの案内所を紹介していたみたいです。交番でここを紹介されたって言う人もいたよね。

他にも西荻を舞台にした『西荻婚』という結婚式を企画して、人力車で街をパレードしたり、古い公民館の大広間で宴会をしたり」

ビルの建て替えに伴い、惜しまれつつ閉鎖された

西荻案内所があった場所は人気のジェラート屋「Mondo Gelato」になっていた

桜とりんごキャラメルのダブルを注文

圭:「2014年には商店街の会長から依頼を受けて、西荻の観光ガイドブック『西荻観光手帖(販売終了)』をつくりました。

私たちは情報誌とかテレビの取材協力もよくするのですが、おいしい店とか、おしゃれな雑貨屋さんの情報を求められます。でも西荻に住んでいる側からすると、おもしろいのはそこだけじゃない」

亜矢:「どうしてもお店って入れ替わりがあるし、お金を使い続けないと楽しめない場所だけ紹介するというのも好きじゃない。それ以外にもおもしろいことってあるんだよって、街の情報を細かく掘り起こして、自然のこと、建築のこと、文学や歴史のこと、そういう切り口でまとめました。

西荻へ遊びに来た人が読むというよりは、西荻に住む人があらかじめこの知識を持っておいて、来た人に説明できるようにするガイド役のあんちょこ的な本です」

「西荻は観光地ではありません」と書かれた西荻観光手帖。残念ながら販売終了

普通の観光ガイドとはちょっと違う切り口で西荻を案内している。見本誌が後述する「ことカフェ」にあります

「西荻案内所」から「西荻のこと」へとつながれたバトン

2016年に西荻案内所という場所がなくなった後も、暗渠マニアと組んで西荻窪の暗渠を巡る街歩きを企画したり、住民側の目線で街の再開発を考えたり、西荻窪と奥秋夫妻の関わりが途切れることはなかった。

圭:「2019年には善福寺公園で行われている『トロールの森』というアートイベントの場で、『ニシオギ空想計画』という公募を行いました。

駅の東側から北に延びる北銀座通りの拡幅工事によって路面店が消えてしまうかもしれない。さらには飲み屋街が連なる南口周辺も再開発で高層ビルになるのではという噂が流れてきた。

このままだと街の様子が一変する。これは西荻の住民としては受け入れがたい。でも地権者でもない僕たちが、このまま残してくださいとは言えない訳ですよ。南口あたりの建物は築80年とかを超えているから、このままではだめだというのもわかっているし」

亜矢:「そこで、ただ反対の声をあげるのでなく、この先どうするかを一緒に考えましょう、未来を担う子どもたちも含めて、みんなで西荻の絵(未来図)を考えましょうというコンテストを、アートイベントという場を借りてやったのが『ニシオギ空想計画』です」

――どうせ開発するのであれば、住民側の声にも耳を傾けてほしいと。

圭:「こういう方向もありますよねと、みんなで考えることを共有することで、どうにか双方にとって良いベクトルに動かす可能性を探る。反対か賛成かだけで片付かないものはあると思うから」

道路の拡幅工事がすでに進んでいるという北銀座通り

現在の南口の様子。歴史があるからこその雰囲気が醸されている。その文化的価値と不動産的価値をどう折り合わせるべきか

西荻窪は飲み屋街が魅力的すぎやしませんか

ちなみに西荻窪の富士そばは4号店で、現存する最古の店舗だそうです(詳しくはこちら

圭:「この活動はアートイベント終了後も続けないともったいないよといろんな人から言われて、2020年に任意団体『西荻のこと研究所』を不動産屋や建築家と一緒に立ち上げ、『西荻のこと』についていろいろ話し合ってきました。

そこで出た意見に説得力を持たせるためには、我々が西荻のプレーヤー(当事者)になって行動をしていかないといけない。そこで13人が出資をして『株式会社西荻のこと』を設立し、建物を一棟借りて『ことビル』と命名しました」

亜矢:「古い建物をうまく生かす事例ができれば、開発の流れが変わるかもしれない」

ことビル。二階の手すりがかっこいい!

入り口には「本日の出店」が貼られている

圭:「道路拡幅や再開発で、戸建ての個人商店だった場所がビルやマンションに変わると、どうしてもテナント用の店舗サイズが大きくなってしまい、資本のあるチェーン店くらいしか入れなくなる。ただ西荻での店舗需要は、一人か二人でやれる小さな店が多い。スモールビジネス用が圧倒的に人気です。

このミスマッチが続くと、空きテナントが増えるし、お店をやりたい人も西荻を諦めて去ってしまう。この問題を現場レベルでどうにかできないかなと話していた時に、ちょうどここが空いたので、スモールビジネスを応援するシェアスペースとして『西荻のことカフェ』をやってみようと」

――ひとつの店としてはちょっと広すぎるカフェスペースを、複数の店舗でシェアして運営していく訳ですね。

亜矢:「すでにイベントとか出張で営業していて、これから店舗を出したいと思っている人とかが、ステップアップの場として使っています。あるいはもうお店をやっている人が定休日に新メニューを試してみたり。

出店している店は日替わりで、焼き菓子屋さん、コーヒー屋さん、サンドイッチ屋さん、ジェラート屋さん、雑貨屋さん、手芸のワークショップなど」

――来るたびに違う店というのは、お客さん側としてもおもしろいですね。

亜矢:「ここでお試し出店をして、この地域のニーズと顧客を掴んで、西荻にオープンした店が、すでに二つありますよ」

この日はコーヒー屋さん、焼き菓子屋さん、インド雑貨屋さんが出店していた。スケジュールが空いていれば一日からでも出店でき、貸切営業や二階での上映会なども可能

ゆったりとした客席で、日替わりメニューならぬ日替わり店舗の料理やドリンクが楽しめる

飲食店だけでなく、ワークショップから整体まで様々な店が日替わりで出店している

気になる人は問い合わせをしてみてください。私も西荻在住だったら製麺ワークショップをやったかもね

圭:「我々は西荻の開発に対して絶対反対という立場ではない。でも古い建物にはそれだけの価値があると思っているから、街の中に新しいものと古いものがうまく共存してほしい」

亜矢:「それが西荻の持ち味だと思っているから、こういう建物(ことビル)みたいなところを一つの事例として維持しつつ、おもしろくやっていきましょうと日々実験中です。

でもやっぱり古い物件って維持費がかかるから、取り壊して新しい建物を建てちまえってなる気持ちもわかりますけどね」

――住民からプレーヤー側に立ってみたからこそわかる葛藤ですね。

圭:「最近はことカフェの運営が忙しくて、西荻案内所としての活動は、X(旧Twitter)のリポストくらい。あんまりがんばらないことが継続の秘訣なので」

亜矢:「ことカフェの店番をしている日もあるので、その時は何でも聞いてください。私たちがいついるかは運任せですけど」

ことカフェで並んで出店していた二つの店が、たまたま空いていた二つの場所に入ったそうだ。左がPalms Park Coffee、右がcacika(この日はお休み)

Palms Park Coffeeの二階席が最高だった。もし西荻で誰かをインタビューをする機会があれば、是非ここを指定したい

チャイを思わせるスパイシーなジンジャーラテが晴天の下でとてもおいしかった

ぶらり西荻散歩

――西荻の住み心地はどうですか。18年住んでいる人に聞くのも野暮ですが。

圭:「とてもいいと思います。街がコンパクトで、徒歩圏内で大体なんでも揃う。スーパーは以前だと西友の一強状態だったのが、今はサミット、オオゼキ、ライフができて戦国時代。品揃えが良くて安い八百屋さんも多いです」

――スーパーのハシゴができる環境は最高ですね。

亜矢:「学校もたくさんあるけど、需要に対してファミリー向けの賃貸物件が少ないから、子どもが大きくなると引越してしまう家族も多いです。最近は家賃も高くなったみたいだし」

――物件がないことはないんでしょうけど、人気が高まってきたからこそ相場がちょっと上がっているのですかね。ちなみにおすすめの料理店はどこですか。

圭:「駅からちょっと離れますけど、コッポドヂーア(copo do dia)というポルトガル料理のお店は、タコがすごく柔らかいので一度食べてみてください。あと『西荻まち歩きマップ』に載っている店は、全部自信をもってお勧めできます!」

西荻在住なら誰もが知っている内田秀五郎像との記念写真

――野暮ついでに聞きますけど、西荻窪に移り住んでよかったですか。

圭:「人生が変わりましたね、そりゃあ」

亜矢:「住む町によるよね」

圭:「でもそれは僕らが積極的に、自分の体に吸収していこうって最初から住み始めているから。ただ寝に帰るのではなく、昼も夜もに居続けるつもりで住んだので、結果として素敵な人とたくさん知り合えた。そういう人との出会いが本当に大きいですね。会う人、会う人がおもしろいんですよ」

亜矢:「18年住み続けているのは、まずは大家さんの人柄を含めた物件の良さ。もう少し駅の近くの物件も紹介されたのですが、そっちだったらここまで長く住んでいなかったかもしれない」

――駅からちょっと遠いからこそ、そこを往復する間に素敵な個人商店との出会いがあったり、そこでの立ち話から物語が生まれるのかもしれないですね。

 

自分が住みたい町に引越したからといって、理想の人生がスタートするとは限らない。奥秋夫婦の場合、繋がりたいタイプの人や活動がしっかりとあり、そこへ積極的に自分たちができることをプレゼンしてきたことで、西荻窪という街と歯車がかみ合ったのだろう。

ポルトガル料理の柔らかいタコがすごく気になるので、例の地図を読み込んだ上で、また西荻に来ようと思う。

 

以下、お二人に案内してもらったスポットです。

ニヒル牛に行きましょう」と言われて、焼肉屋かと思ったらとても濃い雑貨屋だった

この日はタコの展示をしていた。ギャラリー的な店が多いのも西荻の大きな魅力。それにしてもタコがでかい

マイロード商店街の炭火焼鳥ちゃーりーでお土産を購入。気軽に本格的な焼き鳥を買えるのは羨ましい

紅茶とこけしの店、西荻イトチ。こういうニッチな店が成り立つのも西荻窪の奥深さ

ことカフェの近くにあるBREWBOOKSという個人書店。その奥は素敵な花屋、その向かいは動物に特化した文房具屋と、この付近だけでも気になる店がたくさんあってなかなか進まない

この規模の本屋だからこそ店主の価値観との距離が近く感じられ、自分に必要な情報が目に留まる。そういう店が西荻窪には多い気がする

この日は取材中に奥秋さんの知り合いと5回くらい遭遇した。どれだけ西荻に馴染んでいるんだ

 

西荻案内所

西荻案内所のX(旧Twitter)

西荻のこと

 

【いろんな街で捕まえて食べる】 過去の記事 

suumo.jp

著者:玉置 標本

玉置標本

趣味は食材の採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は古い家庭用製麺機を使った麺づくりが趣味。同人誌『芸能一座と行くイタリア(ナポリ&ペルージャ)25泊29日の旅日記』、『伊勢うどんってなんですか?』、『出張ビジホ料理録』、『作ろう!南インドの定食ミールス』頒布中。

Twitter:https://twitter.com/hyouhon ブログ:https://blog.hyouhon.com/

私の大好きが詰まった街・京都 祇園祭と自然とコーヒーとケーキとか|文・てらいまき

写真・文: てらいまき
大文字山から望む京都市

ただの幼なじみ程度の関係だった京都

私は結婚して家を出るまでずっと京都の中京区で暮らしてきた。中京区は錦市場(京都錦市場商店街)があったりお寺も多く、八坂神社があり祇園祭とも関係が深い地域なので、クラスメイトには、囃子方*1や旅館の跡取り、和菓子屋の⚫︎代目など京都と縁のある家柄の子がたくさんいた。

でも私の家は継ぐものがない一般家庭だったので、京都が歴史ある街であり、日本を代表する観光地であることに気づいたのはだいぶ時間がたってからだったように思う。

京都っぽいところといえば家の造りが町家だったことくらい。でもそれも夏は暑くて冬は激サムの古い木造の家という認識であった。

二条城のまわりを体育で走らされることはあっても中に入ったこともないし、京都御苑(地元民は「御所」と呼ぶ)もとてつもなく大きな公園という認識だし、成人するまで金閣寺も見たことなかったし、地元の友達もみんなそんな感じだったのである。

成人して地元の友達と京都巡りをしていたとき、その場にいた全員が初めて金閣寺を見たレベル。「本当に金色やん!!」と誰でも言うセリフをみんなで口にした。ちなみに金閣寺は3回しか見たことがない。

両親も生粋の京都人で、2人とも京都が大好きなのでいろいろ連れて行ってもらったような気もするが、興味がないのでまるで覚えていない。奈良公園の鹿に会いに行ったのは覚えているのに!

唯一「京都っぽかったのでは?」と思うのが人気お土産の「阿闍梨餅」にパン屋「SIZUYA(志津屋)」のカルネ、老舗パン屋「まるき製パン所」のコッペパンサンドや6月30日に厄払いをするために食べる「水無月」が朝ごはんに出ていたことかも。どれも全部テンションが上がる朝食だった。それは今も同じ。

ということで京都に興味がなかった私は、10代の思い出のほとんどが「新京極(新京極商店街)と寺町京極商店街」あたりに集約されている。新京極とは四条通と三条通の間に位置する、南北に延びる500mほどのアーケード型商店街で中高生が遊びに行くならこのあたりが鉄板。観光地とか寺とかそんなことはどうでもよくて新京極で遊べたらただそれでよかった。

左が寺町京極商店街で右が新京極。寺町京極商店街と新京極は隣にあるので行き来することができる

御所や鴨川にも遊びに行くけどそれよりも新京極〜!! 飛行機をぶった切ったようなオブジェが目を引くゲームセンター「京都オリンピア」で待ち合わせして、今はなき「河原町ビブレ」で文房具を買い、「河原町オーパ」で服を買って、プリクラを撮るかカラオケに行く。それしかしていなかった。

ゲームセンターの「京都オリンピア」。ここは子どもの頃から外観が全く変わらない。今はプリントシール機がたくさん置かれている

よく覚えている出来事といえば2001年、新京極に映画館「MOVIX京都」ができたこと。その時私は中学生で友達と「ディズニーランドの匂いがする!!!!」とはしゃいだのを覚えている。なぜなら1階の売店でキャラメルポップコーンが売られていたから。

映画好きな両親ともよく映画を見に行ったし、友達とはポップコーンだけ買いに行くこともしばしば。暗く見える建物の中で、オレンジの照明がピカピカ光っている感じもアトラクションぽくてワクワクしたし、座席の指定ができる映画館は私の人生初のことだったので心の底から「すごいものができた……」ととにかく興奮した。

高校生の時には新京極公園の近くに大型古着店の「ハンジロー(Hanjiro)」ができて、そこが特別おしゃれだった。

クラスのみんなが「ハンジロー行った!? インコとシマリス見た!?」と話していて、実際行ってみると古着屋なのにガラス張りの飼育スペースがあり、そこでインコとシマリスが飼われていてびっくり。あとは大きなバスタブの中で金魚が泳いでいたのにもダブルで驚いた。今はもうなくなってしまったけど、今でもその建物には古着屋が入っているし、雰囲気もわりと当時のまま残っている。

入口からすぐ階段を登る仕様になっているのだけど、とっても天井が高い。天井からたくさんランプがつるされているのも昔のまま。初めて見た時はおしゃれすぎて腰抜かしそうになった。

現在は「スリースター」という古着屋さんが営業している

そして京都を語る上でやっぱり「祇園祭」は外せない。

7月に入ったらず〜っとワクワクしっぱなし。2014年に後祭が復活する*2までは7月14日、15日、16日に屋台が出ていたので必ず3日間街に繰り出した。*3

四条通が歩行者天国になり、道の真ん中に立つと遠くまで山鉾(やまぼこ)がたくさん立っているのが見えて気持ち良かった。

『セーラームーン』の影響で今でも月鉾(つきほこ)が好き

鉾に乗っている男子が中学と高校のクラスに数名いたので、祇園囃*4を奏でる友達に手を振ったり、好きな男子に祇園祭で遭遇できるんじゃないかと友達とひたすらウロウロしたり、3日間が夢のように楽しくて毎年光の速さで過ぎていった。

ちなみに囃子方は祇園祭の目玉である7月17日に行われる*5山鉾巡行*6中は、学校を休むことが許されていた。そんな特別感と鉾に私も乗りたかったから、とてつもなくうらやましかったことを覚えている。授業の一環で山鉾巡行をクラスのみんなで見にいくのだけど、ただただ囃子方の子に羨望のまなざしを向けていたなぁ。

中高生あたりまではこんな感じで大体の思い出が寺町京極商店街・新京極あたり(&祇園祭)に集約されている。今思うとだいぶ狭い世界で暮らしていた。

京都についてちょっと興味が出てきたのは20代

大学は滋賀だったが、みんなが集まりやすい京都で大学の友人と遊ぶことが増えた。

相変わらず新京極や四条河原町あたりで遊んでたけど、中高時代と違うのはカフェ好きな友達がいたこと。そこで初めて京都のカフェ文化に触れたような気がする。

カフェといえば定番の「リプトン」か「前田珈琲」にしか行ったことがなかったので「京都ってカフェ多ない?」ってことに在学中に気づいたのである。

特に有名な「スマート珈琲店」「フランソア喫茶室」や「六曜社珈琲店」もドキドキしながら行ったのをよく覚えてる。

朝イチで行ったスマート珈琲店でカフェオレを飲んだときに、身体がシャキッと目覚めるのを感じて、それ以降大好きになったり、フランソア喫茶室の豪華客船をイメージしたという内装やかっこいい赤いビロードの椅子に「おおっ」となったり、六曜社珈琲店のドーナツがさくっとしていて素朴ながらも本当に美味しくて感動したり。すてきなお店がこんなにあったのか〜と衝撃を受けて京都のカフェ文化にどっぷりと漬かるようになっていった。

六曜社珈琲店のドーナツ
フランソアのコーヒー(クリーム入り)と豪華絢爛な店内

こんな感じでじわじわ〜っと「京都」に興味が出てきた。地元としての京都は大好きだけど、みんなが思い描くような「京都」については全然知らないことに「このままでええんか?」と思うようになったのもこの頃。

「私って京都のこと何も知らんと死んでいくんかな、子どもができても地元のこと何も伝えられへんのとちゃうか」と思い立ち、カフェ巡りだけじゃなくて両親と神社や庭園巡りをしたり、「ミッドナイト念仏」に夜中の午前3時に参加したり、清水寺の「胎内めぐり」や南禅寺の水路閣や琵琶湖疏水*7などいろいろと巡った。

両親が毎年行っているという行事にもついて行った。壬生寺(みぶでら)へ炮烙(ほうらく)を納め*8に行ったり、お盆には六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)へ行ってお精霊(しょうらい)さんをお迎えしたりなどなど。

ちなみに個人的に一押しの行事はミッドナイト念仏。ミッドナイト念仏とは、法然(ほうねん)上人が亡くなった日に知恩院で行われる法要のこと。1996年(平成8年)から始まった比較的新しい行事で、午後7時〜午前7時まで念仏を唱えながら木魚を叩き続ける、というなかなかパンチの効いた法要であり、近年人気がすごいことになっている。

普段は公開されない三門楼上(さんもんろうじょう)に入ることができるので、そこもポイントの一つ。大勢の人が一斉に木魚をたたいて念仏を唱えている光景は圧巻。そこでしか味わえない異空間である。薄暗い部屋の中でぼんやりと浮かび上がるお釈迦さまと十六羅漢像(じゅうろくらかんぞう)は痺(しび)れるくらい神秘的だった。

夜中の4時に友人と知恩院で待ち合わせして木魚をたたき念仏を唱え続け、そのまま朝を迎えて朝日に照らされながら歩いて帰ったのが最高に楽しかった。

あとは伝統行事である八朔(はっさく)へも見学に行った。八朔とは8月1日に舞妓さんが黒紋付を着てお師匠さんや日頃からお世話になっているお茶屋さんへあいさつまわりをする行事のこと。

この日は舞妓さんが祇園のいろんな場所から出現するので、それを追いかけるファンもいて、映画『舞妓Haaaan!!!』の世界だ!と知らない京都を垣間見ることができて驚いた。

京都に住んでいると舞妓さんとすれ違うことって結構あるけど、八朔の日はまた特別感があり、黒紋付を着ている舞妓さんが凛としていてとってもすてき! そしてとにかくかわいい……。その感動が忘れられなくて八朔は何度か見学しに行った。

こうやって過ごしてみると京都ってお祭がずっと続いている、というか一年中楽しい。どの季節も何かしらお祭や行事やイベントがあって、巡る場所も数え切れないくらいあるからずっと飽きないのだ!

30代の今となってはもう、どっぷり

そして現在30代。結婚して子どもが生まれ、現在は下京区在住。実家がある中京区も徒歩圏内なのであまり環境は変わってないが家族が増えて、行動範囲は昔とがらっと変わった。けど、今も変わらず京都が大好き! LOVE!

今リアルに住んでいて「京都ってええとこやな〜」と思う点は「街がコンパクトで自然もほどほどにある」ことだと思う。

京都御苑(御所)や鴨川・糺の森(ただすのもり)のような自然スポットが街中にあり、水族館・植物園・動物園・博物館・美術館・幼児でも登れる山があり(大文字山)、カフェやパン屋の選択肢も無限にあるのが最高。

現在は子ども中心の生活なので、よく行くのは御所。コロナ禍以降、最近はどこもかなーり人が増えて「ひえ〜」と思うこともしばしば。

ただ御所だけはとてつもなく広いのでいつ行っても全然混んでいないし、カフェもあるし遊具もある。川も流れていて自然もいっぱいで、子連れの身からするとありがたすぎて涙が出てくるレベルの場所なのである。

春は毎年御所でお花見をするのも自分の中で決定事項だ。御所が広すぎるあまり、場所取りに必死にならずとも桜の木の真下で花を楽しむことができる御所って最高〜っ!と声に出して言いたい。秋は紅葉も美しい。

そして土日はできればどこかへ行きたいタイプなので、京都各地で行われている催しも家族みんなで行く。最近のお気に入りのイベントは糺の森で開催される「左京ワンダーランド Prsents 糺の森ワンダーマーケット」。左京区の面白いお店が集まっていていつでも新しい出会いがあるイベントである。

糺の森とは下鴨神社境内に広がる賀茂川と高野川が合流する三角州にある森のこと。森の中なので空気が澄んでいて、足を踏み入れるだけで気持ちがいい

活版印刷のワークショップに参加したり、おいしいおはぎを買ったり、クッキーやチャイ、コーヒー、スパイスカレーにホットドッグ……!!

きのこに扮(ふん)した人たちがゲリラ的にきのこ踊り?を踊っていてワクワクいっぱい。気づいたら5時間くらいたっているなんてことも。

京都大学の熊野寮も出店していたので、何を売っているのだろうとのぞいたら、マムシ酒の匂いをかぐだけのスペースだったのもなんかほっこりした。

そして熊野寮のちょうど横のスペースに「家族写真撮ります」という看板が出ていたのが気になって、家族写真も撮ってもらった。

この写真は宝物で、待ち受けにして毎日眺めている。ちなみに下鴨でフォトスタジオを営んでいる「こめじるし」さんに撮ってもらった。その後もこめじるしさんには息子のランドセル写真を撮ってもらったり、今度は実家まで出張撮影を頼んでいるので両親の写真を撮ってもらう予定。こういう出会いがうれしいなあ。

京都には私の好きが詰まっている

食べることが大好きな私は、おいしいお店を常に探している。人との出会いと同様、すばらしいお店との出合いも京都の大きな魅力の一つだ。

ただ子どもを産んでから、以前よりお店を巡る頻度は減ってしまった。

現在はテイクアウトできるお菓子やコーヒー豆を買って家で楽しむ方向にシフトしていて、仕事場にエスプレッソマシーンを導入してからは、コーヒー豆ごとの飲み比べを楽しんでいる。

京都は数え切れないくらい喫茶店があるので、コーヒー豆も選び放題だ!

よく買っているコーヒー豆のお店ラインナップ

そして現在進行形でハマっているおやつは「キャロットケーキ」と「どらやき」の二つ。

日本でもじわじわはやりかけているキャロットケーキが個人的にアツい!

4、 5年前に神宮丸太町の「ミスリム(MissliM Tea Place)」さんで食べたことがきっかけで好きになり、メニューで見つけると必ず頼むように。

キャロットケーキは端的に言えばにんじんが入っているケーキなのだが、店によって見た目も、入っているスパイスも全然違うのが面白い。京都にはキャロットケーキを置いているカフェもたくさんあるのでありがたい。

個性があって楽しい京都で食べられるキャロットケーキたち

このほかには「サラサ3」や「松之助 京都本店」「センティード(Sentido)」も最近食べに行ったり、テイクアウトしたり。でもまだまだ行けていないお店がたくさんあるから、もっといろいろ食べ比べがしたい。

コーヒー豆にキャロットケーキだけでもこの選択肢の多さ……やっぱりLOVEだよ京都!

そしてどら焼きだけど、ハマっているというより、すごく好きなお店ができたという方が正しいかも。

そのお店の名前は京都のどらやき専門店「Wrap」。生地がモッチモチで本っ当に美味しい。たまたま見つけたお店だけど、りんごシナモンやチャイラテ味など少し変わったどら焼きが並んでいて、「どら焼きってこんなに自由で良かったんや〜」と気づかせてくれたお店だ。

季節限定の味も全て制覇する勢いで通い中。今人生で一番どら焼きを食べているかもしれない。この前のバレンタイン限定のどら焼きもおいしかったなあ。

京都のどらやき専門店「Wrap」のバレンタイン限定どら焼き

食べ物以外だと最近できてヤッタ〜!と感じたのは京都高島屋S.C.にある「nuunu KYOTO」。

アーティストの作品制作時のラフや実験的に描いた作品がレコード店のように陳列されていて、1枚1枚取り出して作品を探す時間にものすごく癒やされる。

手に取りやすい価格なのもアートが身近に感じられてうれしいし、逆に欲しい作品がありすぎて困るくらいだ。悩んで悩んでずっと買えなかったのだが先日ついに購入!

原画には作家のパワーが込められている気がして、眺めるだけで元気になれる。

そう、京都は私の好きなものが至る所にあり、好きが詰まった街なのだ。

どの年代も楽しめる街

こんな感じでいろいろと書いてきたが、紹介したスポットの全てが自転車で行ける距離感である。そこが京都の一番好きなところかも。全部手が届く範囲にあるから移動のハードルも低い。なのにこんなに魅力的な場所があって楽しい〜!

「京都から出たことないくせに」と思われるかもしれないけど、つまらない街だな〜と思ったことは一度もない。

どの年代も常に楽しく過ごせる場所なのではと思っている。両親も2人でよくどこかへ行っていて「今はどこどこで限定公開の仏像がある」とか「25日やから天神さんへ行く」など今もフレッシュに京都を楽しんでいる。

「将来私もこうなるんかな?」と何となく想像がつく。

だから何歳になっても「百万遍(ひゃくまんべん)の手作り市」*9に行っているだろうし、カフェ巡りしてるだろうし、南禅寺の琵琶湖疏水から蹴上インクライン*10まで夫と散歩してると思うし、鴨川沿いも自転車で走ってるだろうし、死ぬまで京都を楽しんでいると思う。

筆者:てらいまき

食べ物イラストが得意な京都在住イラストレーター。著書『めんどくさがりやの自分の機嫌を取る暮らし』『北欧フィンランド 食べて♪旅して♪お洒落して♪』『アイスランド★TRIP』『子育てがぐっとラクになる「言葉がけ」のコツ』絶賛発売中!
X(旧Twitter):@maaki888maaki

編集:はてな編集部

*1:はやしかた・祇園祭で鉾に乗って音楽を奏でる人

*2:1966年〜2013年まで合同化されていたが、2014年に祭本来の形を取り戻そうと「前祭」「後祭」が復活した

*3:現在は7月15日、16日の2日間、屋台が出店されている

*4:祇園祭で鉦(かね)、横笛、太鼓で奏でる各山鉾が演奏する音楽

*5:現在は17日(前祭)と24日(後祭)の2回行われている

*6:23基の山鉾が順番に、四条通、河原町通、御池通、新町通をゆっくりと練る祇園祭のハイライト

*7:琵琶湖の水を京都市へ流すために明治時代に作られた水路

*8:節分の時期に参拝者が素焼きの器「炮烙」に願い事を書き、奉納する行事がある

*9:百萬遍知恩寺で行われる雑貨、陶器、衣類、食品に至るまで、そこにしかないオリジナルの手づくり品に出会える

*10:全長582mの世界最長の傾斜鉄道跡

神楽坂、家賃2万7千円。誰とも出会わなかった1年半|文:荒田もも

著者: 荒田もも

自分だけのポストが欲しいと思ってひとり暮らしをはじめた。自分宛てに届いた手紙やハガキを、誰かが先に読む可能性のない、自分だけのポストが欲しいなと思った。

誰も入れない部屋

ひとり暮らしをはじめて間もなく、部屋の鍵をなくしてしまった。

その日通った場所を遡るようにたどったが、見つからない。気づいた時にはすでにだいぶ遅い時間になっていた。交番にも届けられていなかった。ぼんやりと灯りがともった交番で遺失届を書きながら、どうしようかな、と思った。部屋に入ることができない。

鍵開けの業者を電話で呼んで家の前で少し待つと、狭い道に軽自動車が入って来るのが見えた。軽自動車の扉が開くと、そこにはありとあらゆる道具が並んでいて、とても安心したのを覚えている。

15分後、鍵開け師が言った。
「だめだ。原始的すぎて開けられません」

わたしの住みはじめたアパートは、神楽坂駅から徒歩5分、家賃2万7千円の築85年(当時)、風呂なし、トイレ共同、アパート名にはベタに「荘」がついていて、不動産サイトの謳い文句は「トランクルームとしてオススメ!」。つまり、かなりのボロ家だった。

次に、鍵開け師は庭側に回り、2階のわたしの部屋の窓を指差した。
「窓の鍵、もしかして開いていたりしませんか?」
「あるいは開いているかもしれません」

そのひとはわたしの返答にうなずくと、建物のそばに植えてあるヤシみたいな木に上りはじめた。ゆさゆさとすごい音をたてて木が揺れる。雨どいに足をかけると、バキンッと大きな音が静かな夜の神楽坂に響いた。うまくいかずにずり落ちる。また上る。メガネの位置を直そうとしてまた木から落ちる。繰り返す。SASUKEの練習みたいだ。その人が背中にかく汗に対応するように、自分もじんわりと汗ばんだ。

もぎゅ……、もう、だいじょうぶです……! あわてて小声で謝った。その方は悔しそうな表情で、本来は鍵が開かなくても支払うはずの出張費も受け取らずに帰っていった。バックライトを見送る。

途方に暮れて、24時間営業のファミリーレストランに入った。

疲れ果ててうとうととしていると、店員に声を掛けられる。あっ怒られる、と身構えると、「そこは監視カメラの死角なんで、もしなにかあったら悲しいので。あっちの席のほうがあったかいし、安心なので」と、違う席に案内してくれた。

深夜とも明け方とも言えない微妙な時間帯のファミレスは、思ったよりにぎわっていた。わたしは、さっき自分の部屋の鍵を開けようと頑張ってくれた愛らしいひとのことを思い出す。

そして、自分の部屋の、原始的であるがゆえに頑強な、かわいいセキュリティーについて考えた。あの部屋は、わたしが手にした、容易に他人が入ることのできない、生まれて初めてのプライベートな空間だと思った(いまは自分すら入れないくらいなのだから!)。あの部屋に届く手紙を読むのは、自分以外にいない。

輝かしい生活のはじまりだ。心の底からわくわくして、頬杖をついて半分眠りながらにやけた。

結局、それから引越すまでの1年半、待ち望んでいた人物から手紙が届くことはなく、ポストには廃品回収などのチラシがねじ込まれるだけだった。

ひとりはたのしい

25歳でひとり暮らしをはじめた。選んだ街は新宿区の神楽坂。理由は、会社に近いという簡単なものだった。

この地域は出版社が多く、それに伴い印刷会社も多い。当時わたしは印刷会社で営業職をしていた。営業職といっても、なにかを売り込みに行くことはほとんどなく、出版社の編集者に原稿の進捗を確認して自社のスケジュールを調整したりする、いわゆる進行管理役だった。

わたしは、取引先の出版社の、漫画や小説の編集さんたちが大好きだった。自社にも、自分が「一番最初の読者」であることに誇りをもっているDTPの作業者が多く、尊敬していた。書籍を世に出すために、毎日深夜まで働いた。

ひとり暮らしはずっと前から、したかった。とはいえ奨学金の返済と、家に入れているお金が合わせて月に10万円、それに家賃を加えるとなると、贅沢を言えないことはわかっていた。

不動産検索サイトで地域を選択、「安い順」に並び替え、一番上に出てきた家を内見して、その場で決めた。賃貸の契約を終えてからIさん(母親にあたるひと)に伝えた。Iさんの車に荷物を詰めて、手伝ってもらいながら引越しをした。

神楽坂は、「日本のパリ」とも呼ばれる上品かつ華やかな街だが、一本裏道に入ると、そこには確実に人の生活が広がっている。銭湯も多く、風呂なしアパートに住む自分にとってはありがたかった。

実際に住みはじめると、思ったよりも壁が薄く、隣室のNHKラジオの音が筒抜けだったが、なぜか嫌ではなかった。

初めてつくった野菜炒めは洗剤の味がした。

洗濯板で服を洗うのは無理だと悟り、コインランドリーに通うことにした。

なにもかもが困難だったが、にやけながら過ごせた。

朝起きると、四畳半の部屋がとても広く感じる。共同の流しで歯を磨いていると、向かいの建物の屋根でねこが寝ているのが見えた。

銭湯に行くのも最初はおっかなびっくりだった。

人前で裸になるのが恥ずかしくて、タオルで体を隠しながら脱いでいたけど、慣れてくると服を脱ぎ捨てるのが快感になった。

仕事が終わったあとも開いている銭湯は、白銀町にある第三玉乃湯。神楽坂に芸妓さんがいるなんて都市伝説かなと思っていたが、第三玉乃湯には御髪を綺麗に結った、所作の美しい方たちが来て、髪はそのまま、首から下を丁寧に洗い、また街に帰っていくのだった。帰って布団に入ると、体からまだ香る薬湯の匂いに安心して眠れた。

夜中は、隣の部屋のNHKラジオの音が、アパート全体に染み渡るように広がった。この期間、わたしは一切音楽を聴かなかった。パソコンも前の家に置いてきていた。周囲の環境音と、脳内で再生する好きな曲が、音楽のすべてだった。テニスコーツの「まあるいひと」と、ANBBの「One」をひたすら頭の中で流していたと思う。

この時期の自分には、「One is the loneliest number」という歌詞がとても甘い響きに聴こえた。

ひとりはさみしい

以前から自分は、気持ちが沈み、鬱々とすることがあった。毎日仕事で疲れていたこともきっと関係していたけれど、それだけではない。

わたしは、ずっと昔から、自分の居場所のなさ、所在のなさを感じて、ほとんど足場がない場所を歩いているような不安な気持ちで過ごすことが多かった。それが極まったある日、脳内であんなに鮮明に再生できていた好きな曲もぱったりと止まった。ぽっかりあいた穴を埋めるように、わたしは手当たり次第、食べものを吐くまで食べるようになってしまった。

助けを求めたかったけれど、頼れる大人もいなかった。自分で選んだはずなのに、ひとりはひどくこたえた。気がつくと、部屋にいるのに「帰りたい、帰りたい」とうめいていた。でも、それは前の家でも何度も口をついて出た言葉だった。わたしはもう、自分がどこにいるのか、存在するのかわからなくなってしまっていた。

腹落ち

とある深夜、ぼろぼろの格好で食材の買い出しに出た。精神的に追い詰められていて、坂を上る足が重かった。神楽坂駅近くのKIMURAYAというスーパーの前を通ると、なぜかたくさんの人が集まっている。唐突にカウントダウンの声が上がり、クラッカーが鳴らされる。ひとりが小さなプラスチックカップをわたしに手渡した。

「よかったらどうぞ! 今日はボージョレ・ヌーボーの解禁日ですよ!」

わたしは「いやいや、わたし買えませんので……」と手を振る。その時には、少ない貯金を切り崩して過食するための食べものを買っていた。それに、何日も風呂に入っていない、ひどい見た目の自分にワインを渡すことがシュールで変だと思ったのだ。

わたしの表情を見て、その人は、「?」という顔をした。

「別に買わなくてもいいんです。ほらほら」

受け取って、飲んだ。本当にいろいろな人がワインを飲んで笑い合っているのを見ながら、わたしはぼんやりと、でも明確に、自分が他人との間に引いてしまっている線のようなものに気づきはじめていた。誰に対してもフラットに向き合いたいと思っていたのに、自分は、収入の違い、坂の上と下、美醜などによって人をわけているらしい。なぜなら、自分みたいな人間が神楽坂という街に受け入れられることはないと、誰と擦り合わせるでもなく、たったひとりで思いこんでいたから。

もちろんわたしがワインを買うことはなく、逃げるように帰った。ボジョレー・ヌーボーがめちゃくちゃに高価なワインではないと知ったのも後日だった。そりゃ孤独になるはずだな、と思った。

 

部屋に帰って、また天井を見上げた。

もうひとつ、先ほどの出来事で腑に落ちたことがあった。自分は、人が集まってできる組織の中での居心地の悪さ、居たたまれなさに強い苦しみを感じていて、それをなんとか克服しようと、場所を変えたり、自分の心持ちを変えたりすることに努めた。しかし、どう上手く転んだとしても、その苦しみが今後、完全になくなることなんてないということだ。自分には故郷やホームは存在しないのかもしれない。そう思うと、不思議とスッキリとした気持ちになった。

翌朝、ずっと読めていなかった漫画を抱えて新潮社にほど近いベローチェに向かった。取引先である漫画の編集さんから「よければ読んでみてください」と借りたものだった。「1話から最終話まで、挫折などを描かず、テンションが上がり続ける」ことを裏テーマに書かれた物語は、読み進めるごとに自分の気持ちも上向きになっていくのを感じた。最終話は涙が止まらなくなるほど素晴らしかった。漫画を閉じると、はす向かいのお客さんと目が合った。

たまった洗濯物を取りに戻って、コインランドリーに向かう。

どの洗濯機も使用中だったので、洗濯物を抱えて待つ。ほどなくしてひとつから洗濯が終わった音が鳴り、腰をかばうようによいしょっと立ち上がったひとが取り出したのは、くたびれたトイレマットだった。洗ってもなお、かなり汚い。入れ替わりに、わたしは自分の洗濯物をそこに入れた。なんだか面白くて気分が上がった。身体を念入りに洗い流して、銭湯の大きな湯船に漬かった。あったかくて、気持ちよかった。

変なひとたち、不確かな記憶、大切なもの

ある金曜日、会社の同期と朝まで飲んだ。このまま家に帰ったら確実に寝てしまうし、たぶん夕方まで起き上がれない。土曜日をつぶすのはもったいないと、わたしは喫茶店コパンに入った。コーヒーとクッキーを頼んで席に着くと、そんなに柔らかくないはずの椅子のクッションにお尻がぐんぐん沈んでいき、わたしは意識を失ってしまった。

目を覚ますと、同じテーブルの向かいの席に、全身ピンクの知らないひとがにこにこして座っていた。白い髪はステンレスタワシみたいな素材でできている。

その人はわたしが目を開けると同時に、勝手にしゃべり出した。

最近まで歌舞伎町で水商売をしていて、「切った張った」をたくさんやったこと。最近の歌舞伎町は闇がなくなってしまい、自分はいられないと思ったこと。昔はわたしもあなたのようにひ弱な人間だったこと。あなたはかっこうつけてたばこを吸ってるように見えるからやめたほうがいい、「それ、ふかしてるでしょ?」。ある時、多摩動物公園に行って動物を見たあと、近くの友人の家に一泊するつもりで三カ月滞在したこと。いまは、神楽坂でテレビ・新聞・週刊誌がある居酒屋(「テレビ・新聞・週刊誌がある居酒屋」……?)をやろうと思っていること。

そして、物件を探すと言って店を出ていった。神楽坂は昼も夜もさみしくて、意味がわからないんだなと、わたしはにやけながら泣きそうだった。

この街で新たに出会い、関係が続いた人はほとんどいない。

ただ、本当にあったんだろうかと疑うような不確かな感触の記憶や、都合よく改変された脳内の思い出に自分は救われてきた。

閉館してしまった名画座「ギンレイホール」。お得すぎる年間パスを利用して、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』を5回見に行った。

エマ・ストーン演じるサムが未知に遭遇した際の、驚きと戸惑いとわくわくのない交ぜになった、あのニヤケ顔を見るため映画館に通っていたと言っても過言ではない。それに近い表情を、自分はこの街でたくさん浮かべたと思う。

時折、希薄な、しかし自分にとっては強烈で大切な出来事があれば、自分は故郷やそれに準ずる土地を持たなくても生きていける。この街が最初にそう思わせてくれた気がする。

結局、神楽坂に住んだ一年半、あのポストには誰からの手紙も投函されなかったけれど、自分が自分宛に送った「この話、おもしろいから聴いてよ」「マジで辛くて死にそう、たすけて」みたいな声は、あそこにたくさんたまっていたのだと思う。

いま、わたしは編集やライティングの仕事をお手伝いしている。うまく言えないけれど、これは、そんなふんわりとしていて形をもたない声や記憶たちを扱う仕事なのではないかと思っている。このエッセイで、わたしは自分の曖昧な記憶を、言葉にすることでここにとどめた。形にすれば、忘れなければ、言葉はいつでも引き出し、再生することができる。そのスキルは、孤独を生きていくための道具になる。おそらく。

 

結婚を機に、わたしはこの街を離れた。

自分を受けとめようと努めてくれる、世界で一番尊敬するパートナーを得て、緊張の糸がぷっつりと切れたようにわたしはベッドから起き上がれなくなり、会社を辞めた。

著者: 荒田もも

ライター・編集者。下北沢にある日記の専門店でお店番をしたり、スコーンを交換するユニットを組んだりしています。
Twitter:@arata4771
Instagram:@inoue_q

編集:友光だんご(Huuuu)

だいたい吉祥寺、だいたい武蔵関。練馬区立野町の優しい人形たち|文・寺井奈緒美

著: 寺井奈緒美
上京してから30歳になるまでの数年間、吉祥寺のはずれに住んでいた。故郷愛知の友人に聞かれた際は「吉祥寺に住んでるよ、井の頭公園のあるところ」と格好つけて答えていたけれど、実際の住まいは吉祥寺駅と西武新宿線の武蔵関駅の、ちょうど真ん中あたりだった。

駅から20分近く歩かなくてはならない場所を、吉祥寺と呼んで良いのだろうか。というか、実際は練馬区立野町だ。あぶない、吉祥寺のイメージが強すぎて練馬区民だったことを忘れかけていた。

私は短期・長期記憶共にぼんやりしたところがあり、当時の記憶を辿るためにも住んでいたアパート付近に向かうことにした。行きたい場所もあるのだ。慣れ親しんだ景色が見えてきて、こんな短歌を思い出した。


なくなれば美しくなる でも僕は電線越しの空が好きです
(歌集『アーのようなカー』より)

電線っていいなと思ったのは東京に来てからだ。見上げていると指を突っ込んであやとりをしたくなる。立野町といえば、アパートの近くの鉄塔の印象が強い。風情のある井の頭公園や賑やかな吉祥寺の駅前とは違い、何の変哲もない住宅が並ぶ。

ふっと、近くに「暴れ風鈴の家」があったことを思い出した。涼しげに「ちりん」と音を奏でるガラス風鈴ではなく、金属製の風鈴だった。台風の日などはチンチンチンチン狂ったように暴れて近所の住民の不安を煽っていた。ある日ぴたっと風鈴の音がしなくなり、なくなって良かったとホッとしたのだった。電線には肩入れするくせに風鈴には薄情である。

吉祥寺まで歩いて行けて、程よく刺激があるエリア

上京してすぐは観光気分で吉祥寺の街中をうろついた。浮かれてハモニカ横丁の立ち飲みバーで洒落たカクテルを飲んだこともあったが、憧れていた行きつけの飲み屋は最後までつくれなかった。そもそもどの店も盛り上がっていて入る勇気さえ出ず、うろうろした末にコンビニで酎ハイを買って帰るのが常だった。

プラザビル地下にある「翠蘭」に行ったときには、つゆそばや春巻きの上品で繊細な味に、やっぱり東京は違うわ〜!と感激した。愛知にいる両親が来た際には絶対に連れて行こうと思っていたのに、先日行ったら閉店して名古屋名物「幻の手羽先」でお馴染みの「世界の山ちゃん」に変わっていた。この時ばかりは山ちゃんのことを憎々しく思ってしまった。吉祥寺は諸行無常を感じる街だ。
  
なんだかパッとしない記憶しか出てこなかったが、吉祥寺には良い刺激ももらった。一番はショップ&ギャラリー「にじ画廊」で様々なアーティストの作品に触れたことだ。すっかり感化された私はヨドバシカメラでラミネートの機械を買って、絵をラミネートして栞(しおり)を作ることからスタートした。「ラミネーター期」である。

次は100均でマグネットシートを買って、加瀬亮の絵を書いて加瀬亮マグネットを作る「マグネッター期」、その後「ユザワヤ」でオーブン粘土に出会い、土人形づくりを始めた。あの頃は、まさか自分がhabotanという名前で土人形の作家活動をするようになるとは思わなかったし、まさか加瀬亮が北野武映画『首』であんなゴリゴリな尾張弁の信長を見せてくれるとは思いもしなかった。ありがたいことだ。

すずめベーカリーのメロンパンと私の野望


当時を振り返りつつ懐かしいアパートを通り過ぎ、目と鼻の先にある最初の目的地に到着した。2018年にオープンしたパン屋さん「すずめベーカリー」だ。土鳩やハシブトガラスではなく、「すずめ」のイメージがしっくりくる小さくて可愛らしい店内には、すずめの人形やイラストが飾られていた。

ショーケースには北海道の国産小麦を100%使用した無添加生地のパンがぎっしり並ぶ。引越した後に出来たお店なので思い出の味ではないのだが、ここのメロンパンのサクサクの皮にはいたく感動したので紹介したい。メロンパン愛が極まって詠んだ短歌がある。


メロンパン2つくっつけ球体にして丸かじりするのが野望
(短歌とエッセイ『生活フォーエバー』より)

実際に「すずめベーカリー」のメロンパンを2つくっつけて齧ったら、歯が幸せすぎてどうにかなってしまうと思う。前歯分のサクサクで幸福の許容量が満タンだからだ。一番人気の焼きカレーパンと、塩バターパンも購入した。

芋を食べている間、憎しみと悲しみは消えていく


5分ほどで到着したのは昭和43年の創業以来地元に愛される和菓子屋さん「紅梅堂」だ。テレビでも紹介された「かりんとう饅頭」は手土産に大人気だが、私の目当てはこちらのスイートポテトだ。


ご自愛をする訓練で和菓子屋にスイートポテトを買いに行こうよ
(『現代短歌パスポート2 恐竜の不在号』より)

まさに「紅梅堂」のことを想って昨年詠んだ短歌である。心がくさくさした時、ご自愛アイテムとして真っ先に思い浮かんだのが「紅梅堂」のスイートポテトだった。そのまま食べても美味しいし、電子レンジで20秒ほどあたためると芋感が増し、枯れた心がほくほく蘇る。

前々から思っていることだけれど、人は芋をほくほく食べているときに誰かを憎んだり、人を傷つけたりすることはできないんじゃないだろうか。芋というのは遺伝子レベルで根源的な生の喜びを想起させる。

「紅梅堂」の愛すべきポイントのもう一つが、実家のような安心感だ。いたるところに貝殻でできた人形が潜んでいる。シーサーに見えるので沖縄土産だろうか、あるいは自作という可能性もなくはない。特に水曜定休日と書かれた子と三色団子を持った子は何の動物なのか分からず、おかんアートっぽさがある。

小休止にほどよい甲殻類がいる公園

貝殻人形も購入できたらいいのに……と後ろ髪を引かれつつ、お土産に冷凍保存できる「コーヒー大福」と「カフェ生どら焼き」を買い、「武蔵野市立北町子ども広場」に向かう。テイクアウトグルメを公園でゆっくり味わおうという作戦である。

立野町のアパートに住んでいた頃、1Kの部屋に2人暮らしだった。新鮮でたのしい生活だったが、自分のスペースがないと当然ギスギスしてくる。それでもう少し広い家に引越すことになったのだが、空気が重い時にはよく住宅街や公園を散歩した。

ここは小学生に人気の公園で、白熱のドッジボールが繰り広げられていた。砂場にぴったりのヤドカリと蟹の遊具。こんな蟹の短歌がある。


車庫入れをするかのように巣に入る蟹の操縦席に乗りたい
(歌集『アーのようなカー』より)

甲殻類はどこかロボっぽくて、スターウォーズのようなスペース・ファンタジーの世界観が似合う。巨大な蟹のお腹がパカっと開くと階段が出てきて、乗り込むと操縦席があるところを想像するとワクワクする。

ヤドカリと蟹に別れを告げ、5分とかからない距離にある「みやび青葉公園」に移動する。広々としているのに空いている穴場の公園である。2頭のアシカが寄り添っている遊具の前のベンチで「すずめベーカリー」の焼きカレーパンにかぶりつく。油で揚げていないのであっさりしていて、どんなに弱っているときでも食べられそうなやさしい甘口カレーだ。丁寧で、誠実で、繊細な店主さんなのだろうとパンから人柄が伝わってきて、襟を正したい気分になった。

人形たちがいる店はどこも優しい

最後は初訪問の、2023年7月オープンの新しいお店「cafe222」へ。

店内に入るとテーブル席に、いかにも濃厚であることが分かる芳醇な香りのミートソーススパゲティが運ばれていくところだった。カウンターにはぬいぐるみたちが居心地良さそうに並んでいて、シルバニアファミリーの「ペルシャネコのふたごちゃん」がいるあたり親近感を抱かずにはいられない。「すずめベーカリー」にしろ「紅梅堂」にしろ「cafe222」にしろ、この辺りは人形を愛でるあたたかい心の持ち主が多いように思う。

UFOに乗り込むたぬきを持ち帰り、またこの街を歩きたいと思う

さて、締めくくりは「ネオたぬきケーキ」だ。たぬきケーキは昭和50年代頃に流行したといわれるケーキで、今や絶滅が危惧されている。私は今までたぬきケーキに遭遇したことがなく、土人形で作るほどたぬきケーキに恋焦がれていたのだ。売り切れていませんようにと恐る恐る「ネオたぬきケーキ」を注文すると、にっこり笑顔で「こんな感じに入れておきますね」と、透明なUFOに乗り込んだたぬきケーキを見せてくれた。


嬉しくなって「北町子ども広場」に戻り、ファンシーな花が咲いている花壇の前で撮影会をした。パンに和菓子にたぬきケーキ、エコバッグの中はちいさな喜びがころころ溢れていて自然と頬がゆるむ。わーわーとドッジボールは相変わらず大盛り上がりで、見ると公園の入り口に皆の輪には入らず立ったままゲームをしている子たちがいた。「みやび青葉公園」ならベンチでゆっくりゲームできるよ、と思ったけれど、私がハモニカ横丁に憧れてうろうろしていたように、彼らもやはり人気スポットに居たいのかもしれない。


家に帰り、紅茶を入れて「ネオたぬきケーキ」をいただいた。さすがは「ネオ」、甘すぎないガトーショコラの土台に酸味のあるクリームが絶妙なバランスで、子ども騙しではない大人のたぬきケーキだった。かつては華やかな吉祥寺に憧れて、胸を張って言えなかった練馬区立野町。今では「でも好きです」とハッキリ伝えたい。手の平サイズの幸福が見つかる、行きつけにしたい街だ。

書いた人:寺井奈緒美(habotan)

1985年ホノルル生まれ。愛知育ち、東京在住。趣味は粘土で縁起のよい人形をつくることで、habotan名義で土人形作家活動もしている。著書に短歌とエッセイ『生活フォーエバー』(ELVIS PRESS)、新鋭短歌シリーズ『アーのようなカー』(書肆侃侃房)がある。
https://habotan.info/

編集:小沢あや(ピース株式会社

23歳、千駄ヶ谷。初めての東京生活を支えた“気”の良い街|文・阿部栞

著: 阿部栞
「東京で初めて住む場所が千駄ヶ谷なんてかっこいいね。そこは東京を知り尽くした人が最後に選ぶ街だよ」

上京したての23歳、新卒1年目だった私は、二回りほど歳が離れているだろう男性の言葉にピンと来ず、「そうなんですかぁ」と適当に返事をした記憶がある。

生まれ故郷である宮城県・利府町から就職を機に上京し、初めての一人暮らしで住んだ街は千駄ヶ谷だった。入社した会社のオフィスが千駄ヶ谷にあり、近所なら家賃補助が出るという理由で、どこの街とも比較検討せずに決めた。

宮城の山の上から、いきなり渋谷にも新宿にも徒歩で行けるような場所に住む人間になれるなんて。ミーハー心を募らせて住み始めたが、千駄ヶ谷は想像していた「大都会」とは違っていた。

「都会は空気が汚い・緑が少ない・治安が悪い」と故郷の大人たちは声をそろえて言っていた。けれど、ここは新宿御苑や明治神宮の大自然と明るく澄んだ空気で満たされている。喧騒に囲まれているのに、ここだけが突然シンした静けさに包まれているのだ。

千駄ヶ谷1年目の私は、煌びやかな飲み屋街や大きな商業ビルなど「都会っぽいもの」がないことに少し残念な気持ちさえもち、「東京を知り尽くした人が最後に選ぶ街」の言葉にあまり共感できずにいた。

しかし、1年、2年と住めば住むほど千駄ヶ谷の魅力を実感し、最終的にはここ以上の街を見つけることができないまま...... 私は新卒から7年もの年月を千駄ヶ谷で過ごすこととなったのである。

徒歩圏内には新宿御苑を中心とした四季折々の風景が

宮城の実家は、目の前に山があり、休日になるとよく父が山菜を採ってきてくれた。夕飯に採れたての山菜で天ぷらを食べるような、自然が生活の一部に存在する日々を過ごしていた。そんな私を、都会なのに広大な緑地に溢れる千駄ヶ谷はスッと受け入れてくれた気がする。

千駄ヶ谷には新宿御苑がある。この広大で美しい国民公園の存在は、千駄ヶ谷を離れることができなかった大きな理由の一つとして大きい。ここがとにかく美しくいつ来ても多幸感に溢れるパワースポットなのだ。一歩踏み込めば都会のど真ん中にいることを忘れてしまうほど、どこを見渡しても花や木々に溢れる風景で視界がいっぱいになる。

特に春は、お花見目的の観光客で溢れ返る。しかし千駄ヶ谷住民必携の年間パスポート(たった2000円で買え、4回行けば元が取れる破格の値段である)があればお花見のシーズンも新宿御苑に行き放題。友達と桜を見ながらピクニックをしたり、御苑内のスターバックスからコーヒー片手に桜を1人で眺めたりして、しみじみと幸せを感じる時間が好きだった。

春以外にも、千駄ヶ谷には季節を感じる風景やイベントが多い。夏は「神宮外苑花火大会」があり、毎年のように浴衣の着付けとヘアセットを予約して浮き足立ちながら外苑前を歩いた。秋は千駄ヶ谷駅前の銀杏並木が圧巻だ。ふかふかの銀杏の絨毯を歩くことは、毎年の小さな楽しみだ。


東京っぽい場所が大体30分圏内の便利さ

初めての東京一人暮らしで、生活するだけでこんなにもお金がかかることを知った。家賃に光熱費に飲食費、新卒の給料では手元に大して残らない。そんななけなしのお金を使って、仕事を19時に終わらせた金曜日の夜に同期と外に繰り出し、「今日はタクシー乗っちゃう?」と乗り込む夜がキラキラとした思い出として強く残っている。

千駄ヶ谷を語るのに圧倒的な立地・交通の便の良さは欠かせない。タクシーに飛び乗れば、渋谷、表参道、代々木上原にだってすぐに行けてしまう距離だ。

使える路線は3つもある。JR総武線 千駄ケ谷駅、大江戸線 国立競技場駅、東京メトロ副都心線 北参道駅。渋谷・新宿・六本木に2駅で着いてしまうのだ。都心エリアの大体の場所は30分以内で行ける便利さに慣れてしまっては、なかなか引越しを考えることができなかった。

また、千駄ヶ谷から少し歩けば青山や明治神宮などのおしゃれなお店が立ち並ぶエリアにも行ける。天気の良い土日は足を延ばして、国立競技場方面の緑を眺めながらそちらまでランニングしたり、「ロンハーマンカフェ」まで歩いて少しお値段の張るサラダを食べたり。少し背伸びして、私が思う「おしゃれで優雅な東京の土日」を過ごす度に私のミーハー心が恥ずかしいくらいに満たされていくのを感じるのだった。

気取ってないけどハイセンスなグルメスポットたち

初めての東京と社会人生活は、毎日が目まぐるしく過ぎていった。

私は、誰も上京しないような東北の地方国立大の文学部を卒業し、周りが公務員や銀行員になっていく中でひとりITベンチャーに就職を決めた。学生時代の友人がほぼいない状態での新生活の始まりだったため、さまざまな人間関係がここ千駄ヶ谷でゼロから紡がれていくことになった。千駄ヶ谷で人と過ごした時間を振り返ると、その思い出の中にはいつも素敵な飲食店があった。

仕事で悩んだ時は、平日ランチに女の先輩を誘っていつも列が並ぶ人気店「タンタボッカ」へよく行った。いつものパスタランチセットを食べながら仕事や、人間関係についてゆっくり相談した。ランチセットについてくる燻製ホイップバターとパンのセットが、一度食べたら忘れられない絶品だ。

東京に慣れた頃、恋人ができたりお別れしたりもした。ちょっとした記念日ディナーに朝穫れの鮮魚をいただけるイタリアン「ボガマリ・クチーナ・マリナーラ」へ行くのが好きだった。ショーケースから気になる魚介を選び、どう調理してもらいたいかをその場でシェフにオーダーするスタイルはなんだか自分が特別な存在になれたような気持ちにさせた。

そういえば、千駄ヶ谷は原宿へ近いこともありアパレル関連のショールームやオフィスが密集していて「アパレルの街」とも呼ばれている。そのせいかセンスの良い人が集まり、ポツポツと並ぶカフェやちょっとしたビストロも、肩肘張らずに小慣れ感のある洗練された雰囲気のお店が多い。

ハイセンスな個人経営店ばかりだが、どのお店も不思議と都会っぽい冷たさは少なく、住民への繋がりや愛を感じる暖かい雰囲気もあるのが魅力だと思う。

飲食店を介した千駄ヶ谷住民のコミュニティ形成を一役買っているお店といえば、千駄ヶ谷で15年以上愛され続けているミルクティー専門店「モンマスティー」。

朝の7時から0時までの長い営業時間中、いつの時間帯も学生や地域の人、フラッと立ち寄る大人で賑わう。行けば誰かしらと軽く話せるような、長年愛されているお店にしか醸し出すことができないフレンドリーで唯一無二の空間だ。上司とちょっと外で歩きながら話したいとき、夕方のスーパーの買い物の帰りに通りがかったとき、一日中家に篭っていて誰かと話したいとき。いつ行っても変わらずに受け入れてくれて、濃厚なミルクティーを楽しめる空間は地元のような安心感に包まれていた。

隠れインテリアストリート in “ダガヤサンドウ”

千駄ヶ谷に住んで5年が経った頃、いわゆるコロナ禍で家にいる時間が増えたのをきっかけにインテリアにハマっていった。インテリアを好きになってから気がついたが、千駄ヶ谷〜北参道エリア、通称”ダガヤサンドウ”には都内でも随一のアンティーク家具ショップや、雑貨のセレクトショップが集まっている。多分、アパレル関連会社のスタイリストが撮影等で一点もののおしゃれな家具を利用するからだろう。

ヨーロッパから買い付けたアイテムが大量に展示されている「CEROTE ANTIQUES」はちょっとした異世界に来たような、秘密基地のような店内にいつも新鮮にワクワクする。お手頃価格の掘り出し物を見つけることもできるので、ここで自分だけのとっておきのアイテムを見つけては家まで持って帰ることができるのは千駄ヶ谷に住む楽しみの一つだ。

駅近くにある「GENERAL FURNISHINGS & CO.」も、いつ覗いても欲しいものが見つかるライフスタイルショップ。他のインテリアショップでは見ない品揃えで、この都会で一番センスのある人がこだわり抜いて商品をセレクトしているのだろう……と窺い知れるラインナップである。給料日や、仕事で成果を出せた日に自分へのご褒美としてここでちょっといい器やインテリア雑貨を買って家に帰るのが嬉しく、毎日の仕事のモチベーションとなっていた。

トレンドと歴史のバランスを紡ぐ文化施設

美しい自然とハイセンスな人・店が集まる千駄ヶ谷には、なんだか全体的に余裕や豊かさを感じる。それを形成するのは、たくさんの文化的施設の存在だと思う。決して大きくないこのエリアに、東京体育館・国立競技場・国立能楽堂・将棋会館とスポーツから芸術まであらゆる文化施設が並んでいるのだ。

文化施設をカジュアルに利用できることも、生活に豊かさを感じる。オリンピックにも使われた東京体育館は、トレーニングルームとプールの利用で月額7000円と、民間のジムと比較するとかなりお手頃だ。ダンスや球技などさまざまな大会が週末に行われているので、土日の朝、「今日は何をしようかなあ」と考えながらとりあえずここに来て、馴染みのないスポーツの大会をフラッと見に行く、なんて過ごし方をよくしていた。

また、能楽堂や将棋会館があることで、カルチャーを楽しむ余裕のある人が集まり、それが街全体の豊かさやゆとりのある空気感を生み出していると私は思う。

最先端トレンドが集まる一方で歴史や文化を感じる施設もある。この絶妙なバランスが千駄ヶ谷を醸成しているのだと、長く過ごす中で自分の中で腹落ちした。


最後に選ばれる、”気”の良い街。だけど最初に住めて良かった

初めての東京生活で住んだこの場所に、結局7年も住んでしまった。23歳以降の20代全てを千駄ヶ谷で過ごしたことになる。その間、転職をしたりライフスタイルが変わったり、自身の変化はたくさんあったが、この街から引越す理由を見つけることができなかった。それどころか、東京で良いモノや他の街を知れば知るほどに、このトレンドと自然と文化の調和の希少さを実感し、愛が深まるばかりだ。

今、私は別の街に住んでいる。この間、久しぶりに千駄ヶ谷駅に降り立つと「”気”が良い街」とふと頭に思い浮かんだ。よくよく地図を見てみると西に「明治神宮」、北に「新宿御苑」、東に「明治神宮外苑」の緑地に綺麗に囲まれ、さらにその中央には鳩森八幡神社が構える。それは”気”が良いと感じるはずだ。

「東京を知り尽くした人が最後に選ぶ街」この言葉に今は共感する。立地や文化や自然、いろいろな条件を並べても最後には結局、「なんとなく”気”が良い」。そんな直感が人を千駄ヶ谷に向かわせるのだと思う。

でも、私はむしろ初めて住んだ街が千駄ヶ谷で良かったと思っている。若い時期に住むには、ここは少し贅沢で豊かすぎる街なのかもしれない。だけど、ここに溢れる明るく豊かなエネルギーは慌ただしく余裕のない20代を支えてくれたし、自分が住んでいる街をこんなに愛せたことは自分の過ごす日々、ひいては自分の人生を丸ごと肯定してくれたと思う。

数年後はどこに住んで何をしているのか想像もできないけれど、自分も自分の住む街も丸ごと愛していると、自信をもって言えるような未来にいることを願っている。

書いた人:阿部栞(あべし)

1992年宮城県利府町生まれ。韓国ITスタートアップでPMとして従事。インテリアと料理と漫画と美容が好きなインターネットOL。
X(旧Twitter):@abeshi_official

編集:ピース株式会社(小沢あや)