知っているはずの街も、書物を通して見るとまた違った景色が広がるかもしれません。新企画「街を読む」では、毎回一つの街やエリアを軸に、選者の方に独自の観点から書籍をご紹介いただきます。初回となる今回は、ライター三土たつおさんの「地形と暗渠(あんきょ)から谷根千を読み解く5冊」をお届けします。
谷中・根津・千駄木。隣接するこれら三つの地域は、近年「谷根千」という愛称で親しまれている。実際に訪れた人のなかには、その下町風情を残した街並みに惹かれたという方も多いのではないだろうか。
しかし、谷根千の魅力は地形や土地の歴史をひもといていくことで、よりはっきりと見えてくるかもしれない。このエリアの過去と現在、そして未来予想などが描かれたいくつかの本のなかから探ってみたい。
谷根千の特徴は地形にあり?『まち歩きガイド東京+』

『まち歩きガイド東京+』(TEKU・TEKU著、学芸出版社)
まず谷根千地域の特徴を『まち歩きガイド東京+』に見てみたい。本書は、都市計画や建築の専門家を中心に構成された活動体「TEKU・TEKU」による東京のいろいろな街のガイド本だ。主に建築や街路、都市計画などの観点から、谷根千ほか下北沢や代官山など16のエリアの魅力が紹介されている。
この本において谷根千は、まず文章の冒頭で「3つの地区が特色ある自然地形を介して隣合っている街である」(P82)と紹介されている。そう、他のなによりもまずは地形なのだ。私の実感としてもそう思う。

谷中・千駄木・根津のそれぞれの場所と地形を図にしてみた
地理院地図(電子国土Web)を加工*1
この地図では低い場所が緑色に、高台はやや茶色に描かれている。見ると、千駄木と谷中は低地と高台を半分ずつ持ち、低地で隣り合っており、根津はほぼ低地であることが分かる。
起伏があることによって風景には変化が生まれる。低地のしみじみした雰囲気も、坂を見上げる光景も、高台から遠くを見渡す風景もそれぞれいいものだが、それはこうした地形的特徴があってこそなのだ。谷根千は、街歩きを飽きさせない。
また、具体的な魅力として本書では「生活感溢れる路地」などが挙げられている。「生活感溢れる」というのは、公の場所に「私」がちょっとはみだしている景色のことだろう。

これはメインストリートである「よみせ通り」から脇へ入った道だ。狭い道に自転車やバイクが置かれ、鉢植えの植物が若干はみ出している。「はみ出し」の多さは、住人が街に対していかに打ち解けているかを表しているように思う。
オフィス街を想像すればいい。整然とした街では素の自分よりも社会的なふるまいを要求され、いささか緊張するのではないだろうか。はみ出しの多い街ではその心構えが解除され、ほっとできるのだ。
へび道を歩く楽しさ『はじめての暗渠散歩 ──水のない水辺をあるく』

『はじめての暗渠散歩 ──水のない水辺をあるく』(本田創/高山英男/吉村生/三土たつお、筑摩書房)
次に見るのは『はじめての暗渠散歩 ──水のない水辺をあるく』。私も執筆に参加している本書は、もともと川だった道が街にいかに潜んでいるか、その見つけ方や楽しみ方を紹介する本だ。この本のなかで、谷中と千駄木の境に流れる川について触れている。

先ほどの地図の拡大版
地理院地図(電子国土Web)を加工
この地図は、地域の境界付近を拡大したもの。谷中と千駄木の境は低地の真ん中にあり、ずいぶんくねくねしていることが分かる。
実は、そこにはかつて藍染川という川が流れており、だから谷中と千駄木を隔てる境界となったのだ。現在は道路となっているものの、川だった時代の面影は残しており、歩いてみると表通りの喧騒とは違う雰囲気が感じられる。そうした暗渠ならではの特徴として、本書ではこのように記述した。
例えば、谷中のへび道とはこんな道だ。

この場所は、谷根千エリアのメインストリートが川跡だと気づくきっかけの一つだろう。なぜこんなにも曲がりくねっているのか? という疑問が過去の姿を推測させる。曲がっているということは、もしかして川だったのではないか、と。

この道はまっすぐ不忍池方面に進むと、こんなふうになる。急に狭くなる。なんという狭さ。しかしこれが心地いいのだ。
川跡の道は、街の奥まったところをひっそりと通ることがある。その雰囲気は表通りとはまったく違っている。こんな場所がこの街にあったんだという新鮮な感動がある。谷根千はそんな場所に溢れているのだ。
藍染川の歴史『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』

『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』(谷根千工房)
※写真は其の十です
では、現在は暗渠となっている藍染川は、かつてどんな姿だったのだろうか。以前の姿を知る人へのインタビューが季刊誌『地域雑誌 谷中・根津・千駄木 其の三』に載っている。
そもそも谷根千エリアのことを「谷根千」と呼ぶようになったのはこの雑誌の影響だ。「其の三」は1985年に発行された号で、特集は藍染川。昔の姿を知る人への貴重な証言が載っている。いくつか引用してみよう。
まずは川がきれいだったのか、汚かったのか。
証言2:明治末まではあさりやしじみが採れ、小魚が釣れた。子どもは泳いだり水浴びをした(P7)
証言3:ここらでは大溝(おおどぶ)と呼んでいた。ガラスだの瀬戸物だので危ないから中へ入って遊ぶていうような川じゃなかったわねえ(P5)
証言4:リボン工場があって、よく色水を川に流してたのは覚えてますね(P8)
証言1と2からは、川がきれいだった様子が伺える。トンボや蛍を捕まえて遊んだという証言もある。一方で、証言3と4からは川に物が捨てられ、きれいではなくなっていく様子が見えてくる。
これは、お互いの証言が矛盾しているということではおそらくない。時代や場所によって状況が違っていたということを示すのだろう。
実際に明治時代の地図には、上流周辺に田畑の広がる様子が描かれている。本書にも、上流付近には洗い場があり、農家の人が野菜を洗っていたとの記載がある。たいして下流では時代が下るにつれ、「川を利用した仕事」として工場などが増え始めたのだという。
ほかに本書には、雨と水害についての証言もある。
証言6:雨が降ると金魚屋から金魚が流れ出して子どもたちは大喜び。しゃくって遊んだもんです(P10)
証言7:大正5年、大雨が降り続いたが、川沿いに二階家が少なく、天井裏に寝起きしたり素人づくりの筏まで出た(P7)
頻繁に水が溢れていた様子がよく分かる。こうした背景から、地域の人々の請願により排水をよくするための工事が行われ、次第に暗渠化されたということだろう。
ここには、川と都市の関係がよく現れている。川の通りみちに街ができると、次第に川は都市の一部に取り込まれ、管理の対象となる。そしてそれは暗渠となったり、開渠のままでも堤防がつくられたり流れが変えられたりして、次第に姿を変えていく。
川があったということを後から知ると、失われてしまったことを寂しく思う。しかしそれは、そこで川に親しみあるいは苦しんだ人々が、地域の都市化の過程で必然的に選んだことなのだ。
特徴的な地形が生まれた歴史『対話で学ぶ 江戸東京・横浜の地形』

『対話で学ぶ 江戸東京・横浜の地形』(松田磐余、之潮)
もっとさかのぼろう。藍染川やこの地のさらに昔の姿はどうだったのだろうか。そもそも、この特徴的な地形はどうやってできたのだろうか。
『対話で学ぶ 江戸東京・横浜の地形』は、東京の地形について、私たちのような地理を専門としない一般の人に向けて分かりやすく解説している本だ。そのなかで谷中、根津、千駄木地域や、藍染川についても触れられている。
一般的に、谷は川に削られてできる。なので、現在の谷中や千駄木の谷を削ったのも藍染川なのではないかと、私のような素人は思う。しかしそれは正しくない。もともと谷根千の谷を削ったのは、かつての石神井川だという。
最初の地図をもう一度見てみる。現在の石神井川は王子のあたりを東に進んでいるが、かつては南に進み、現在の不忍池を越えて南に進んでいたのだ。それが古石神井川と呼ばれており、その際につくられたのが上の地図を南北につらぬく谷というわけだ。
藍染川は先輩である石神井川が削った谷を後から流れている後輩にすぎない。むしろ、藍染川は谷を埋める作用(=堆積作用*2)をしているのだ。
ところで、地名からも伺えるように根津はかつて海の入り江のようになっていたという。木更津、沼津など「津」で終わる地名はいずれも海のそばで、津とは港という意味なのだ。今の谷根千の姿からはにわかに信じがたいが、どこまでが入り江だったのだろうか。
このエリアの地下を調べると、千駄木駅より上流の地層には植物片を含んでいるという。つまり、海の底ではなく地上だったと分かる。
また、千駄木駅より下流では傾斜がゆるくなる。同書の57ページには、神田川でも同様に最下流部の傾斜がゆるくなっている様子が示されている。縄文時代に海面が上昇した際、河口付近に土砂が堆積し、結果として最下流部が緩傾斜になったものだそうだ。つまり、入り江は緩傾斜の区間内にあると考えられる。
以上のような理由から、はっきりとは判断できないものの、根津駅と千駄木駅の間までが入り江だったと考えられるという。
根津駅に立って南を見て、その先に海が広がっている光景を想像してほしい。根津はじっさいに「津」だったのだ。歴史を深くさかのぼり、当時の景色に思いを馳せることで、その街の景色も変わって見えるのではないだろうか。

根津駅出口からの風景
これからの谷根千『東京裏返し 社会学的街歩きガイド』

『東京裏返し 社会学的街歩きガイド』(吉見俊哉、集英社)
最後に、再び谷根千の現在に戻ろう。このエリアの最新の動きはなんだろうか。そしてそれはどのような未来を予感させるだろうか。
『東京裏返し 社会学的街歩きガイド』は、上野や谷中など、山手線の右上のあたりを中心とした街のガイドだ。とくに江戸時代以降の歴史的経緯や、今後への提言に重点が置かれている。
谷中について触れた章で触れられる問題意識はこうだ。少子高齢化が進む東京で、タワーマンションのような「より高く」という志向を続けるままでよいのか、維持できるのだろうか。
そのうえで、谷中でいま注目すべき場所の一つは「HAGISO」だという。築60年以上の木造アパート「萩荘」を、藝大出身の建築家たちが改装してアトリエやカフェ、宿泊施設として運営しているものだ。

HAGISOの外観 (C)hyo yikin
また、初音小路のそばにある「未来定番研究所」も紹介している。築100年近くの木造家屋をリノベーションして、なんと大丸松坂屋百貨店のオフィスとして使っているのだ。人の生活にフォーカスする、とあえて谷中を選んだのだそうだ。

未来定番研究所の内観。普段はオフィスとして使用されている
一般的に大規模再開発では街の過去や周辺地域との分断を生じやすいと指摘した上で、本書ではその対比として谷中の事例を次のように紹介している。
地域の空洞化が進み、空いた土地は次々に駐車場になるという光景がふつうになっている。しかしそんな隙間に、駐車場や、都心にみられる大規模再開発とは異なる新しい価値を生み出すこともできるのではないか。そんな動きが谷中で次々と始まっているという。
2020年11月現在、東京の街はふたたび活気を取り戻しつつある。しかしオフィスビルには灯が消えたままのフロアも残っている。この先、いままでの流れの延長でよいのか、それとも別の道があるのか。それに先駆ける動きが、このエリアで始まっているということなのかもしれない。
著者:三土たつお
ライター。1976年茨城県生まれ。地図好き。好きな川跡は藍染川です。著書に『街角図鑑』『街角図鑑 街と境界編』『はじめての暗渠散歩 ──水のない水辺をあるく』など。
編集:はてな編集部