ノー銀座、ノーライフ【わたしの好きな街】

著: 小野寺史宜

2019年12月に刊行された『わたしの好きな街――独断と偏愛の東京』(SUUMOタウン編集部 監修/ポプラ社)の刊行からもうすぐ一年が経ちます。今回は本書の中から特別に、小説家・小野寺史宜さんのエッセイを掲載させていただきます。

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 好きな街は銀座です。

 と言うと、よく誤解される。お金持ちだと思われる。僕はお金持ちではない。残念ながら、小金持ちですらない。銀座が好きだと言うたびに、僕に好かれたところでいいことはないよなぁ、と銀座に対して少し申し訳ない気持ちになる。

 もうかれこれ30年、銀座と付き合っている。30年好きでいるというのは、なかなかのことだ。人との関係は壊れることもあるが、街との関係は壊れない。そういうことかもしれない。

 僕は千葉県に住んでいたので、東京都の玄関口はそのもの東京になる。わざわざ山手線に乗り換えて有楽町に行きはしない。銀座へは、東京駅から歩いていく。端の一丁目からするりと滑りこむ。

 例えば新宿や渋谷に行ったとしても、帰りは銀座に寄り、カフェでコーヒーを飲む。初めから銀座に行ったときは、カフェでコーヒーを飲み、用事をすませてからまたカフェでコーヒーを飲む。これは昔からそう。

 銀座と親しくなったきっかけは、大学時代に串焼き屋でアルバイトをしたことだ。

 バカ高い店ではなかったが、安い店でもなかった。豚肉のしそ巻きとモツ煮込みが絶品だった。いい会社に勤めていそうな中年男性がクラブの女性と二人で来たりしていた。ごく稀にチップをもらったこともある。

 仕事を終えると、店があった六丁目から営団地下鉄の銀座一丁目駅まで歩いた。午後11時。銀座で夜だなぁ、と思った。店は、今はもうない。

 その後もずっと銀座が好き。

 何故好きなのか。

 せっかく頂いたいい機会なので、考えてみた。

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 地理的条件から言うと。ここからここまでが銀座、とはっきりしているのがいい。地図で見ればわかるが、東京高速道路と首都高速都心環状線の高架できれいに囲まれているのだ。

 そのなかにあるのは地下鉄駅のみ。それもいい。地上駅がないから、東口側と西口側、といったように街が分断されてしまうことがないのだ。JRの有楽町駅があるのは囲いの外。でも近いことは近い。その距離感もまたいい。

 街が清潔で区画整理されているのもいい。外堀通りと中央通りと昭和通りが縦に走り、晴海通りがそれを横に貫く。区切られた各ゾーンには細い通りが並ぶ。

 僕が特に好きなのは、五丁目から八丁目のクラブ街を含む派手ゾーンではなく、一丁目から四丁目のどちらかといえば地味ゾーン(失礼)だ。

 並木通りを一丁目から四丁目まで歩き、銀座レンガ通りに移って四丁目から一丁目へ戻る。次いで銀座ガス灯通りに移って再び一丁目から四丁目へ。そんな散歩を何度もした。そうやって、街を全身で感じた。要するに、感じたくなる街だということだろう。

 夜歩くのも好きだ。

 新宿や渋谷とちがい、銀座にはきちんと夜が残されている。高い建物がないので、きちんと空も残されている。

 三日月。満月。下弦の月。夜空に浮かんだその時々の月を眺めながら歩を進める。今も年に一度はホテルをとって酒を飲み、深夜2時3時の銀座を歩く。そんなふうにして、夜が残されていることを確かめる。ビルとビルの隙間を覗き、夜がきちんと隅々にまで行き渡っていることを確認する。

 今この隙間に足を踏み入れたら本当に自分が夜に溶けこめるかもなぁ、と思う。そう思わせてくれる感じが、銀座にはあるのだ。僕の如き者でも裏口からひっそりと入れてくれるような感じが。入れてくれたうえでほうっておいてくれるような、いい意味で無機質な感じが。

 音楽でも服でも食べ物でも人でも何でもいい。とにかく好きなものを挙げろと言われたら。銀座と夜、どちらも挙げる。その二つは、セロニアス・モンクのソロピアノや豆腐に交じってベストテンの上位にくるはずだ。何なら1位2位になるかもしれない。

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 そんな僕だから、可能なら銀座に住みたいとさえ思っている。普通、人は銀座を住む街とは捉えないが、僕は捉えてしまう。

 歩いていて、あ、これはマンションだな、と気づいたりもする。ワンルームや1Kの物件も、実は結構ある。さすがに家賃が10万を超えてしまうので、小金持ちですらない僕にはちょっとキビしい。が、小金持ちになったら住もうとは思っている。思いに思って30年。レ・ミゼラブル。ああ無情。

 小説は、20代のころから書いている。会社をやめた次の日に秋葉原でワープロを買い、書きだした。新人賞に応募しては落ちまくる。暗黒時代が続いた。そのあいだも、ちょこちょこ銀座には出ていた。カフェを三軒はしごしてプロットを練ったり、思いつきをミミズのたくり文字でノートに書き殴ったりした。

 鳴かねえわ飛ばねえわで、書くのをやめるわけではないが、30代で再び会社に勤めることにした。それは僕にとって言わば後ろ向きな前進だった。

 明日から出勤という日、僕は銀座に出ていつものカフェに行った。日曜日の午後8時すぎ。店は空いていた。お客は僕一人だった。

 今も覚えている。奥のテーブル席に座り、いつものマンデリンを飲みながら、出入口の向こうに見える外堀通りを眺めた。ひんやりした気持ちではあったが、ガスコンロのそれのような小さな青い炎が自分の内で点るのを感じた。ならばだいじょうぶ。そう思えた。

 それからもなお時間を要したが、今、どうにか小説を書かせてもらえている。日曜夜の銀座のカフェ、は常に頭の隅にある。迷ったらまた行こう、と決めている。

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 この文章を書いている時点で、出させてもらった小説は21冊。調べてみたら、そのうちの13冊に銀座という言葉が出てくることが判明した。笑った。

 確かに僕の小説の登場人物たちは、何かっちゃ銀座に行く。銀座でコーヒーを飲み、銀座でビールも飲む。銀座でバイトをし、銀座の会社に勤める。銀座でライヴをし、銀座で映画を観る。銀座の神社に参拝し、銀座のホテルで結婚する。

 銀座を舞台にした『夜、街の隙間』という架空の映画も出てくる。しかも関連性のない二作で。その登場人物たちは一晩中銀座をウロウロするし、うちの一人はタクシーに乗ってまでウロウロする。

 ジャズクラブ『ナッティ』にカフェ『ジャンブル』に喫茶『銀』に鶏料理屋『鶏蘭』。架空の店もいくつもある。この店は何丁目のどの辺り、との具体的なイメージもできている。

 もちろん、すべて意識してやっていることなのだが、もはや当たり前になりすぎて、意識していること自体が無意識になってもいる。

 編集者さんたちとの打ち合わせも、場所を銀座近辺にしてもらうことが多い。理由は、銀座にいると気が乗るから。たとえダメ出しを食らっても、打ち合わせを終えてカフェを出れば外は銀座。そこの空気を吸えばどうにかなる。と、そう思わせてくれる感じも銀座にはあるのだ。あくまでも感じであって、ダメ出しのショックは消えないが。

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 結局はうまく説明できない。何であれ、僕は銀座が好き。いずれ銀座の小説を書こうと思っている。『夜、街の隙間』同様、舞台はがっつり銀座。銀座で生まれ、銀座で育った男の話だ。だから取材にかこつけて、たぶん、これまで以上に銀座を歩く。ウロウロする。夜に溶けこまんとする。

 付き合って30年が過ぎた。僕はまだまだ銀座に住むことをあきらめてはいない。


『わたしの好きな街』好評発売中

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SUUMOタウン編集部監修 / 1,400円(税別) / ポプラ社刊


小野寺史宜さんの新連載『銀座に住むのはまだ早い』がスタートします。第一回は11月30日に公開予定です。お楽しみに!

著者:小野寺史宜(おのでら・ふみのり)

千葉県生まれ。2006年、『裏へ走り蹴り込め』でオール讀物新人賞を受賞。2008年、『ROCKER』でポプラ社小説大賞優秀賞を受賞。『ひと』で2019年本屋大賞2位を受賞。著書は『ひりつく夜の音』、『縁』、『食っちゃ寝て書いて』など多数。エッセイ集『わたしの好きな街』(監修:SUUMOタウン編集部)では銀座について執筆した。

写真提供:著者

編集:天野 潤平