山手線で1番無名でもいい。それでも大好きな「田端」で生きていく

著: 櫻井寛己 

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僕は田端で生まれて4代目、田端以外に住んだことのない生粋の田端っ子。

ウチは先祖代々ずっと田端で自営業をしてきた。曽祖父の時代から「魚屋」、「飲食店」、そして僕が子どものころに「コンビニ」へ変わった。

そんな僕は新卒で入った会社を辞め、親父と共にコンビニ経営をする道を選んだ。地元民からは苗字である櫻井から「櫻井ローソン」という愛称で親しまれ、今年で26年目を迎える。街や時代と共に業態を変えつつも、田端という土地は変わらず商売を続けている。
 
小さいころから両親だけでなくご近所さんにも可愛がられながらこの土地で育ってきた。いいことも悪いこともご近所さんは何でも知っていて、女の子と歩こうものならすぐに噂になってしまう。常に誰かに見られているというプレッシャーを子どもながらに感じたこともあったが、田端歴30年にもなると慣れたものだ。

山手線で1番無名な駅「田端」

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ずっと地元に住んでいる人が言わなければ、嫌味にしか聞こえないこの「山手線で1番無名」という自虐的なキャッチフレーズは誰が言ったわけでもなく僕が考えた。


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▲イラストも自分で描いたLINEスタンプ『田端』、賛否両論あるかと思っていたが、この街の人たちは意外にも気に入っているみたいだ


田端は山手線が通っているのにもかかわらず、東京のような華やかさや恵比寿のようなオシャレさもない。渋谷のように最先端なものが入ってくるわけでもなければ、浅草のような下町っぽさもない。
 
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▲無人改札の田端駅南口に降りてしまった人の驚きは隠せない


よく田町や蒲田などと間違われることも多い。住んでいる僕からするとそこまで知名度がないの!?と疑うこともあるが、それが田端なのかもしれない。
 
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名前すら覚えてもらえない何をとっても中途半端な街。地方出身の友人が田端に初めて降り立った時には「田端って山手線なのに何もないんだね!」と笑いながらバカにされることもあった。

実は「文豪の街」や「鉄道の聖地」として知る人ぞ知る場所でもあるが、たしかに田端駅前にはこれといって目立つものがほとんどない。9年前にできた駅ビルの「アトレヴィ」ぐらいだろうか。
 
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アトレヴィの中にはTSUTAYAが入っており、オープンしたときには僕を含め田端民が歓喜した。

TSUTAYAができる以前はリバティという赤い会員カードのレンタルショップによく通っていたものだ。
 
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▲現在は閉店してしまったビデオ・CDレンタルショップ「リバティ」


スマートフォンやMP3プレイヤーがなかった中学生のころ、リバティでCDをレンタルしてはMDに焼いて入れた。

先生に見つかると没収されてしまうMDを胸ポケットに忍ばせ、イヤホンを学ランの袖から通して授業中に無理やり聞いていたあのころが懐かしい。


「笑顔咲く 君とつながってたい」


中学2年生のときに流行った大塚愛の「さくらんぼ」。男子校で彼女のいない僕は歌詞に共感することなんてなかったけれど、「さくらんぼ」は偶然にもじいちゃんがつくった今の会社と同じ名前だった。

新たに始めるこの街での活動

田端には僕の好きな場所がいくつもある。

焼き鳥屋「鳥幸」さんはいきつけのお店の一つ。子どものころから家族で行っていたこのお店のママさんから「あんちゃんは障子を破るから大変だったよ!」と行くたびに笑いながら話しかけてくる。いつまでも元気にお店をやっている姿を見るとこちらまで元気をもらえる。
 
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▲今年で50年を迎える老舗焼き鳥屋「鳥幸」おしゃべり大好きなママさんがクセになる


小学生のときによく駄菓子を食べていたおもちゃ屋「ぐぅふぃー」。今でもお店の前を通るとジュースを飲みながら雑談をするのが僕の楽しみ。大人になっても遊んでくれる店主のとしちゃんは昔から変わらない。
 
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▲おもちゃ屋さんだが、街の駄菓子屋として親しまれる「ぐぅふぃー」のとしちゃん


大好きな喫茶店テラスさんのランチセットは絶品。2種類あるなかから僕が必ず選ぶのはトマトソースのパスタにアイスティー。注文を取りに来てくれるママさんからは「いつものでいい?」と言ってもらえる。

ランチを食べにいくと「サボってんじゃねーよ」なんてマスターが冗談交じりに言いながらパスタを大盛りにしてくれ、暇な時間には僕の前に座っていつも話しかけてくれる。こういった喫茶店がいきつけのお店としてあるのも僕がこの街を好きな理由の一つだ。
 
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▲38年続く老舗喫茶店「テラス」のマスター


ほかにも挙げだすとキリがないのでこれくらいでやめておくが、田端にはまだまだ知られていない魅力的なお店がいくつも存在する。

そんな田端情報を発信するべく昨年、『TABATIME(タバタイム)』というローカルメディアをつくった。


www.tabatime.net


また先日『タバタバー』という飲食店も新しくオープンした。
 
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bar.tabatime.net


この街で新しく人が集まれる場所をつくり、街の人を巻き込んでこの地域を盛り上げていきたい。

決してこの街を繁華街や観光地にしたいという野望をもっているわけではない。今住んでいる人たちがこの街のことをもっと好きになってほしいという思いから田端でいろんなことにチャレンジをしているところだ。

田端で過ごした日々を振り返る

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せっかくなので田端で過ごした日々を振り返ってみることに。

僕は田端で生まれて育ったけれど、学校がずっと田端だったわけではない。実際に通ったのは小学校だけ。
 
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幼稚園は谷中だし、私立に行かせてあげたいという親心から僕は中学受験を選択した。

地元が嫌いになったわけでもなく、地元を捨てたわけでもないのに環境が変わることで自然に田端と疎遠になっていた。まるで「上京する地方出身者」に似ていたと今だから思える。

中学生最後の夏、野球の大会で敗れて高校入学までやることがなく暇を持て余していたそんなとき、田端の友人が急に家へとやってきた。


「なにしてんの? 遊ぼーよ!」


ほかの私立に通っていた友人が僕のことを遊びに誘ってくれた。これを機に小学生のときよく溜まり場になっていた家へとまた集まるようになる。田端と疎遠になっているという感覚がなくなった瞬間だった。

その家にはゲームや漫画だけでなく、ビリヤード台も置いてあり毎日のように遊びに行った。
 
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このころちょうど両親が別居を始めた。思春期だった僕は親の前で泣いてワガママを言うほど子どもでもなく、つらさを誰かに共有できるほど大人でもなかった。

最終的には親父と田端に残ることを決意したものの、家で一緒に過ごす時間はどこか気まずく、部活のなかったこの時期はとにかく家に居たくなかった。

そういったときに遊びに誘ってくれた田端の友人には感謝してもしきれない。友人と過ごしたこの時間だけは遊びに夢中になって、離婚間近の親のことを忘れることができた。

もしこの友人の誘いがなければ、田端の人とはずっと疎遠だったのかもしれないし現在している田端での活動もしていなかったかもしれない。


この街を繋いでくれたのは人であり、この街をつくっているのも人。この街を語る上でこの街の人たちは切っても切り離せない。

僕にとって田端は人を繋いでくれた街。これからも誰かにとって田端がそんな場所であってほしいと願う。

田端を初めて離れた経験

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新卒で入社したお菓子メーカーに勤めてすぐ、工場研修のため新潟へと向かった。年齢=田端歴な僕だが、この1カ月という期間だけ田端を初めて離れることになる。

社会人になった僕は、仕事をすることよりも田端を離れるということに不安を感じていたように思う。街を歩けば誰かしらに会うこの場所を離れるのはどこか寂しく感じた。実家の一階にいつもあるあの青いコンビニがないことも僕にとっては新鮮だった。

製造工場ラインの一人として働き、せんべいに酔うという味わったことのない経験をしながら研修を終え田端へと帰宅した。思っていたよりはあっという間に1カ月という時間が過ぎていた。
 
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実家のドアを開けると聞こえてくる笑い声。親父と友人が酒を交わしている光景が目に入ってきた。

「おかえりー!」と言ってくれる人がこの街には家族だけではなく友人にもいる。着慣れていないスーツを脱ぎ捨てお酒の席に交じっていくとまた上の階からも笑い声が聞こえてきた。

これまた兄と僕の友人が別用でお酒を交わしていたのである。どちらの友人からも事前の連絡はなく、僕がこの日に新潟から帰ってくるということを友人たちは知らなかった。ウチの家族と友人が飲んでいるこの光景を見たとき「田端に戻ってきたなぁ」という感じがした。

子どものころ、友人の家へ遊びに行くのにわざわざ電話で連絡することなんてなかった。中身が子どものまま僕たちは大人へとなっていったのかもしれない。

子どもたちだけでなく家族ぐるみの付き合いが生まれるこの街はどこか田舎っぽく、村っぽい一面をもっている。
 
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▲地域のこれからについて一緒に考えてくれる仲間たち


そんな田端も最近はマンションが多く建ち、新しい人がどんどん増えている。昔ながらの人付き合いも残しつつ、少しずつ新しい街へと変わりつつあるのだ。

たしかにこの街は新しく住み始めた人にとっては何もないように見えるかもしれないし、初めて降りる人にはバカにされることだってある。

でも、僕はこの街の繁華街とは違った落ち着いた雰囲気も好きだし、街ですれ違う人たちが「こんにちは!」と話しかけている光景をよく目にするのもたくさんの魅力のなかの一つだ。チェーン店が少なく個人店が多いのでいきつけのお店をみんながみんなもっている。

これからもこの街で商売を続けて、そんなたくさんの魅力を発信し続けていくのが僕の使命なのかもしれない。


最近できた彼女も田端によく遊びに来てくれる。遊びに来るというより飲みに来ていると言ったほうが正しいかもしれない。どうやら田端のお店、田端の人のことを気に入ってくれたみたいでなによりだ。

そんな彼女が夕暮れ時に田端駅の改札を出てふと僕にひとこと言った。

 
「田端は空が広くて好きなんだよね」


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ずっと住んでいる僕にはない新しい視点でこの街の好きなところを教えてくれた。


「もし遠い未来を予想するのなら」


ふいにあのときの歌詞がよぎった。この街で生きていくしかない僕はいつか彼女と結婚して、この街で新しい生活を始めるかもしれない。



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著者:櫻井寛己

櫻井寛己

TABATIME編集長。田端のために生きる人。田端のためならライターもやるし、イラストも書くし、クリエイターにもなる。

Twitter:@pirorin39