坂の記憶【坂の記憶】

著: TUGBOAT 麻生哲朗

「都心に住む by SUUMO」で、2009年10月号~2018年1月号まで連載されたTUGBOAT・岡康道氏と麻生哲朗氏による東京の坂道をテーマにした短編小説「坂の記憶」をお届けします。

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 母の店は繁盛している。身内ながらすごい才覚だ。母が立ち上げた地元神楽坂のイタリアンバルで、僕はバイトをしている。大学卒業後は、母が経営する外食プロデュースの企業で、いずれ幹部として働くことになると思う。

 母の結婚は早く、大学在学中にインターンで通った商社で、社員だった父と出会い、結局就職せず、卒業と同時に結婚。僕と弟を産んだ。住まいはずっと神楽坂。朝日坂沿いに立つ古い一軒家を両親は丁寧に改築し、僕たちはそこで暮らした。若くて活発で、客観的にも美人の部類に入る母は、僕と幼い弟のちょっとした自慢だった。母は自転車の後ろに息子を乗せ、古い街を潑剌と、現代の風を吹かせて生きている感じがあった。10年前に父が病気で他界し、母の本領はさらに発揮された。知人の外食事業を手伝いながらノウハウを蓄積し、着実に、しかも迅速にステップアップして独立、今は都内に幾つも店を出す、その道の顔だ。母は機を見るに敏というか、結婚も、学生時代の恋人とスパッと別れて父と結婚したと聞いたことがある。神楽坂でこの店という発想も、ここにいい頃合いで異文化を差し込めば受けるという嗅覚の賜物だ。母が手がけると、当たる。

 今日は最初に4組、小さな店なのでこれで満卓になる。そのうちの1組は、僕の大学の先輩の予約を取った。なんだかんだ、強烈な母の大きなご加護のもとで育てられた自覚のある僕が、自分、そしてほかの人とは違う空気を感じる先輩で、よく話を聞いてもらった。父と食事するんだけど、知り合いの店のほうが落ち着くからと連絡があり、二つ返事で席を確保した。

 


 

 父に会うのは2年ぶりだ。僕が小学校に上がるタイミングで両親が離婚したから、もともと父の記憶は鮮明ではない。浦安の自宅から父が出て行った後、入れ替わるように母方の祖母が越してきたあたりの記憶すら曖昧で、失った寂しさを覚えていない。母の勧めで中学受験し、中高一貫の私立に通ったこともあって、真剣に進路を考えたのは大学進学のときだ。そのとき初めて、僕の父と呼ばれた人はどんな仕事をして、今何をして生きているのか、僕から母に尋ねた。父は早稲田大学を出て、皇居近くの出版社に勤めている、今は大学時代慣れ親しんだ街で、おそらく一人で暮らしている、そんな最低限の情報だけを母から聞いた。父の悪口を言わなかった母は偉いと思う。見えなかった父の人生に寄り添うためなのか張り合うためなのか、僕も結果的に早稲田に進学した。卒業までの学費は、その父が出してくれた。それもあって、入学の報告は父に直接した。それが再会だった。この人が父なんだ、それをただ受け入れ、僕が息子です、それを受け入れてもらうしかなかった。

 僕は父とは異なる理系に進み、海外事業に積極的な住宅メーカーに就職した。今日は、オーストラリア転勤が決まった僕に、壮行会がてらごちそうするという父からの誘いで、久しぶりに食事をすることになった。君の好きなところにしていいと言われ、後輩の母親が経営し、後輩自身がアルバイトしている神楽坂のイタリアンバルを選んだ。

 


 

 息子が指定してきた店は神楽坂だった。気を利かせて、私の通勤途中で選んでくれたのだろうか。息子と別れて20年近い。こっちの勝手な都合だ。彼には私と暮らした記憶はない。半ばオトナになって、お互い父でした、息子でしたと関係が始まったようなものだ。

 息子から転勤の報告を受け、しばらく会えなくなるからという口実で、そのまま会えなくてもそれなりにお互いやっていけることも分かりながら、食事に誘った。居心地の悪さと権利のない愛着が交錯し、逃げ出したくも長居したくもなる。それでも結局会ってはおきたい。少し遅れるとメールしたら、先に飲んでますと返信があった。

 息子もおしゃべりではなく、きっとさして盛り上がりはしない。神楽坂といえば数年前、学生時代の恋人を偶然見かけたことがある、しかも車で信号待ちしていた目の前の横断歩道を、子どもを乗せた自転車で横切ったんだ、そんな昔話でもしてみようか。その彼女とは卒業まで付き合ったのに、卒業後彼女はすぐにほかの男性と結婚したという後日談までつければ、オトナになった息子は笑うだろうか。真面目な男が無理にオチをつけて話そうとするほど痛々しいことはなく、うける自信はない。息子がさほど笑わなかったら、それはそれで、いやむしろそのほうが、私の息子だなと、思えるのかもしれない。

 柔らかい灯りが漏れる窓から、立派に育った青年が、私に手を振っている。何を話そう。いや、まずは乾杯だ。

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朝日坂
住所:新宿区神楽坂6丁目50番と58番の境界を南西に上る
アクセス:東西線神楽坂駅徒歩約2分

楽坂を矢来町方面に向かって上り、神楽坂6丁目50番と58番の間の道に入って南西方面、横寺町へと上る坂。坂の名の由来はかつて存在した泉蔵院という寺の中に朝日天神(朝日天満宮)があったことから一体が朝日町(旧・牛込朝日町)と名付けられたこと。この町名は1869年(明治2年)、近隣にあった竜門寺、正定寺、長源寺といった寺の門前町と合併して牛込横寺町(現・横寺町)となった。坂上にはかつて作家・尾崎紅葉が住んでおり、横寺町に引越してきた後の文芸評論家・作家である島村抱月が紅葉の自宅を探したエピソードも残っている。



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著者:麻生 哲朗

あそう・てつろう/株式会社TUGBOAT CMプランナー。1996年株式会社電通入社(クリエーティブ局)。1999年「TUGBOAT」の設立に参加。主な仕事にライフカード「カードの切り方が人生だ」シリーズ、NTTドコモ「ひとりと、ひとつ。」、モバゲーなど。CM以外にも作詞、小説、脚本などに活躍の場を広げている


写真:坂口トモユキ

都心に住む by SUUMO」2018年1月号から転載