
お笑いコンビ「男性ブランコ」のネタづくりを担い、独特の言葉選びと世界観で厚い支持を集める平井まさあきさん。2026年8月には、自身初となる小説集『生きとし生ける音』を上梓します。
本作に収められた物語の多くは、森や川、山の中といった「自然」や「田舎」が舞台。どこか現実離れした不思議な世界観と、静けさや寂しさが漂う描写は、平井さんがこれまで過ごしてきた「街」の記憶と深く結びついていました。
平井さんが生まれ育った兵庫県豊岡市から、相方の浦井のりひろさんと出会った滋賀県、そしてお笑いの道へ進みもまれた大阪・西成、現在暮らす東京へと至る「街の変遷」をたどりながら、ご自身のルーツと、これから思い描く理想の暮らしについてたっぷりとお話を伺いました。
自然の中で生き物と触れ合った兵庫県豊岡市での少年時代

―― 小説集『生きとし生ける音』を拝読しました。全体を通して、川や森、山の中といった「自然」や「田舎」を舞台にしたお話が多いようにお見受けしましたが、何か理由はありますか?
平井まさあきさん(以下、平井):僕は兵庫県豊岡市の出身で、10分も歩けば田畑や山があるような自然豊かな場所で育ちました。子どもの頃から生き物への興味が強かったこともあって、自然の中で遊ぶことが多かったですね。だから、街中よりも自然のある場所のほうが自分にとってなじみがあって、物語の舞台として書きやすかったのかもしれません。

平井さん初の小説集『生きとし生ける音』(KADOKAWA)。“音”を表現する言葉である「オノマトペ(擬態語・擬音語)」をテーマに描かれた13編の短編小説を収録。それぞれのオノマトペから生まれる物語は、優しさと驚きに満ちている
―― どのお話にも、不思議な世界観や、どこか「寂しさ」「静けさ」を感じさせる描写が多く登場します。都会よりも田舎の舞台のほうが、そういった空気感に似合うのでしょうか。
平井:確かにそうですね。都会の中で静かな場所を探すのは難しいですし、今こうして都会にいるからこそ、自然の中にいた時の「豊かさ」を再認識しているのかもしれません。
田舎って完全に無音なわけではなくて、今の時期ならカエルの声、夏の終わりからは鈴虫の声など、風景に溶け込んだ自然の音が聞こえるんです。そういう音を聞いていると落ち着くのは、人間のDNAに組み込まれた原初の記憶なんじゃないかなって思います。都会の車の音より、絶対になじんでいるはずですから。僕も18年間過ごした田舎から都市部へ出てきたことで、改めて田舎の静けさや良さに憧れを抱いている部分はあると思います。
―― 『わしゃわしゃ』というお話は、田舎のあぜ道などが舞台で、石の裏をめくるとたくさんの虫がいる描写がありました。大本に、ご自身の子どもの頃の体験があるのでしょうか。
平井:かなり反映されていると思います。田んぼの真ん中のあぜ道を歩いたり、小山にちょっとうらぶれた神社があったりする風景は、まさに豊岡の景色と一致しますね。

―― そんな豊岡市での、思い出深いエピソードを教えてください。
平井:僕が生き物に興味をもったきっかけでもありますが、祖父がよく車で20分ほどの津居山漁港へサビキ釣りに連れて行ってくれました。また、ある時は祖父に何か生き物を飼いたいと言ったら、「玄武洞」という観光名所の近くにある側溝に連れて行ってくれたんです。「この溝をスコップでジャッてやれ」と言われてやってみると、すごくきれいなサワガニが捕れて。「これ飼いや」と。発泡スチロールの箱に石と水を入れて飼育し始めました。カニの甲羅が顔に見えたりするのが面白くて、そこから生き物を近くで観察するのが好きになりましたね。
あとはアマガエルを捕まえたり、当時流行っていたバスフィッシングをしたり、小さな川にダムをつくったり。自然がすごく身近な遊び場でした。高校の近くにも「神武山」という小高い山があって、展望台から空を一望できるんです。そこでもよく虫捕りをしていました。
―― そんな生き物好きの少年が、いつ「お笑い」に目覚めたのでしょうか?
平井:子どもの頃からお笑い系の番組は大好きでした。『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系列)や『笑う犬の冒険』(フジテレビ系列)の全盛期で、『はねるのトびら』(フジテレビ系列)の初期も全部見ていました。 そうしたお笑いの世界を味わいたくて、みんなで「無謀なことをする」のがはやったんです。短パンでアスファルトの上をスライディングして、どれだけけがするかを競うみたいな(笑)。今思えば短絡的で全然面白くないんですけど、お笑いの「違う視点を表現して笑いを生む」みたいなものに影響を受けて、テレビのまね事をみんなでやっていたんだと思います。
彦根のマクドナルドでのコンビ結成と、ほろ苦い琵琶湖の思い出

―― その後、滋賀大学へ進学され、相方の浦井さんと出会われます。当時の滋賀での思い出や、お二人のエピソードを教えてください。
平井:浦井と出会ったのは、大学の合同演劇サークルの新入生歓迎バーベキューです。18歳の食べ盛りたちが肉に群がる中、浦井だけはずっと野菜を焼いていたんですよ。ひたすら野菜を焼き、せっせと食べていて。京都出身だから野菜好きなのかなと勝手に思っていましたが、なんだか上品な印象を受けましたね。
ただ、大学自体は違った(浦井さんは滋賀県立大学)ので、サークルの公演の時以外はあまり会う機会がなかったんです。でも、ラーメンズさんや『水曜どうでしょう』(北海道テレビ)など、好きなものが共通していたこともあって、なんとなく月に1回は会って近況報告会をするようになりました。彦根のベルロードという商店街にあるマクドナルドで会って、「最近見た映画で、なんかオススメある?」みたいな話をしていましたね。
浦井は2回生になる時に演劇サークルを辞めたんですが、その後も学園祭でコントをやる時に誘って出てもらったり。立川志の輔師匠の落語のチケットを取って、一緒に見に行ったりもしましたね。
―― そこから、どういった経緯でコンビを結成し、一緒にNSC(吉本総合芸能学院)へ行くことになったのでしょうか。
平井:まさにそのマクドナルドでコンビを組みました。大学4回生の時、僕は就職の内定を1つもらっていたんですが、やっぱり芸人になろうと思って辞退することにしたんです。それで浦井と会った時に、「実は芸人になるから内定断らせてもらったわ、NSC行こうと思ってる」と伝えました。
その時、浦井は浦井で、留年していた大学を辞めてNSCに行こうとしていたらしくて。「マジか、じゃあ一緒に行くんやったら組んで行こうか」と誘いました。お互いコントへの憧れがありましたし、浦井はお芝居をする上での身体性に長けていて信頼していたので。そこからなんだかんだで15、16年続いていますね。

―― 彦根のマクドナルド以外で、当時の思い出の場所はありますか?
平井:やっぱり琵琶湖ですかね。琵琶湖のほとりの「かんぽの宿」でバイトしていて、湖を眺めながら温泉に入らせてもらったりしました。あとは浦井との思い出ではないんですけど、当時、大学に好きな人がいて。彼氏がいることは知っていましたが、二人でご飯に行って彼氏の愚痴を聞いたりもしていたので、脈ありと勘違いしてしまって。琵琶湖のほとりに呼び出して「彼氏と別れて僕と付き合ってください」と告白しましたが、「いや、今の彼氏がいい」と。……そのまま「うわーっ!」と叫びながら自転車で湖岸を走り回りました。
―― 苦い思い出ですけど、青春ですね。
平井:どちらかというと琵琶湖には苦い思い出のほうが多いかな。大学に文化系のサークルをまとめる委員会があったんですけど、その委員長を演劇サークルから出すことになったんですよ。最初は別のやつが委員長になったんですが、仕事がいっぱいいっぱいになって飛んじゃったんです。そうしたら深夜1時に琵琶湖のほとりにサークルメンバーが呼び出されて。委員会の人から「演劇サークルから代わりを出せ」と言われ、みんなやりたくないから下を向いている中で、なぜか「平井くんがいいと思います」と押し付けられました。
そこから2年間、望まぬ委員長として週に何度も会議をして予算を組み立てて、本当に大変でした。思い描いていたキャンパスライフとは全然違いましたね。
―― 告白もそうですが、真剣な話をする時は、なぜか琵琶湖に呼び出されるんですね。
平井:確かに。関係あるかどうかわからないけど、地元の人たちは琵琶湖のことを「マザーレイク」って呼ぶんです。この場所ならどんな結論が出ようが、母のような広い寛大な心で全部受け止めてくれると思っているのかもしれないですね(笑)。
「巨大すぎる」東京暮らしの中で、ふと落ち着ける場所
―― 大学卒業後、NSC入学と同時に大阪の西成へ引越したそうですね。自然豊かな豊岡や彦根とは、かなり異なる環境ですよね。
平井:当時は大阪の街を全く知らなくて、吉本の人に教えてもらった中で、一番家賃が安かったのが西成だったんです。確かにそれまで暮らしてきた場所とはまるで違うし、治安の面でもいろいろ言われたりする街ですが、僕自身は知らないからこそ変な先入観もなく普通に入れましたね。近所の人もみんな優しかったです。
ただ、土日に線路沿いで開かれていた「どろぼう市」だけは衝撃的でした。ブラックマヨネーズさんがよく「ギザ十(縁がギザギザの10円玉)が20円で売られていた」というエピソードを話されていますけど、本当にそういう「誰が買うねん」という商品だらけの世界なんです。僕が「なんなん?」と思ったのは、ビデオのリモコンと剣道のお面がセットで3000円で売られていたことですね。「何用のセットやねん!」って(笑)。

―― それから数年を大阪で過ごし、2017年に東京へ進出されます。
平井:はい。東京で最初に住んだのは代々木です。駆け出しの若手芸人がなぜ代々木に住めたかというと、じつは「笑い飯」の哲夫さんの家だったんです。哲夫さんが東京に来る時に使う家で、「人が住んでいないと家が傷むから」ということで僕が住ませてもらいました。めちゃくちゃきれいな家で、立地も最高。本当にありがたかったですね。
―― 大阪も東京も都会ですが、何か違いは感じましたか?
平井:いまだに思いますけど、東京は「どんだけ巨大な都市があるんだ」って圧倒されますね。立川もバカでかいし、池袋もでかいし、なんなら埼玉に行っても大宮とか上尾とか、栄えている街が無数にある。大阪って基本的に梅田と難波の2つなんですけど、東京は山手線に梅田と同等くらいの駅がいくつもあって。東京の“都会度”には、ちょっとゾッとしましたね。
―― そんな都会での生活の中で、ふっと落ち着けるような場所はありますか?
平井:水族館は大好きです。自然の海だとその地域の魚しか見られませんが、水族館なら世界中のいろんな種類の生き物が見られます。それに、水族館ごとのサンゴ礁の配置のこだわりだったり、飼育員さんたちの「どうにかして生き物にストレスを与えないようにする」というプロの仕事に触れるのも楽しいんです。
―― ちなみに、東京でお気に入りの水族館というと?
平井:王道ですけど、「サンシャイン水族館」や「しながわ水族館」が好きです。特にサンシャイン水族館は、池袋のど真ん中にあるのに展示の工夫が素晴らしい。ケープペンギンが都会の空を飛ぶように泳ぐ「天空のペンギン」水槽など、詳しくない人も楽しめる工夫がされていますし、絶滅の危機に瀕しているペンギンの保全のためにクラウドファンディングを行うなど、種の保全にしっかり取り組んでいる姿勢もすてきだなと思います。

いつか気の合う仲間たちと、鎌倉の山奥でコントをつくりながら暮らしたい
―― 都会と田舎、両方の暮らしを経験してきた平井さんにお聞きしたいのですが、小説やコントのネタなど、ものづくりをする上ではどちらの環境のほうが適していると感じますか?
平井:難しいですけど、今は都会にいて、どうしても「ほかの人に勝つようなネタにしないと」「笑いの量をたくさん取らないと」という競争心に駆り立てられながら書いている部分があります。それはもちろん大切なことなんですが、理想を言えば、自然がある場所でもっと広い心で、自分のやりたいことを純粋に広げるようなものづくりをしてみたいなという願望はあります。ラーメンズの小林賢太郎さんのように、いつか自分のアトリエを構えてみたいですね。
―― 具体的にイメージしている場所はあるのですか?
平井:実はさっき、ロングコートダディの堂前さんと対談していたんですが、「将来はみんなで鎌倉の山の方に住んで、おじいちゃんになったら市民会館でキレキレのコントをつくってやろうぜ」って話してたんです(笑)。
鎌倉なら完全に田舎すぎず、東京での仕事にも無理のない範囲で行ける。気の合う仲間たちと自然の近くに住んで、おもしろいものをつくり続ける。そんな老後を迎えられたら、最高に楽しいだろうなと憧れています。

お話を伺った人:平井まさあき

1987年、兵庫県出身。大学の演劇サークルで出会った浦井のりひろと男性ブランコを結成。21年『キングオブコント』、22年『M-1グランプリ』それぞれ決勝進出。23年には『第八回上方漫才協会大賞』で特別賞受賞。2026年8月には、自身初となる小説集『生きとし生ける音』を刊行。
編集:SUUMO編集部
