海の近く|文・椎名うみ(漫画家)

著者: 椎名うみ

どこに帰ろうか?

わたしは生まれ育った家族とうまくいかなかったから、帰る場所がなくなっちゃった。

だから自分で自分の帰る場所を選んでいい。

根無草のなんて軽やかなこと!

もう、誰のことも喜ばせなくていいし、愛されなくていい。

子どもの頃は家から閉め出されたら、もうお終いなんだと思ってた。

だけどそうではなかった。

家の外側からドアの施錠のガチャリという音を聞くとき、それはこの世界のどこにだって行っていいという、祝福の合図なのだ。

 

どこに帰ろうか? どんな所に帰ろうか?

どんな所に帰りたい?

 

わたしはひとまず、海の近くに住みたいなと思って、湘南に住んでみることにした。

 

満月の海

歩くのが好きだ。

ただただ歩いてると、その間、過去も未来も現在もなくなって、リズムだけの存在になるから。体がバラバラになるまで歩きたくなっちゃう。体がバラバラにはならないけれど、家から往復すると、気持ちいいヘトヘトに満たされるくらいの距離に海岸がある。

ところでわたしは猫を2匹飼っている。スミレ10kgとモモ2.5kgだ。2匹は満月と新月になると、まるで狼男みたいに興奮しだして、10kgはドスドスと巨体を揺らしながら、2.5kgは影絵のように音もなく飛び回る。何で? って思うけど、自然界の謎が、何もかも分かるわけがないんだから。

そしてその2匹を見ていると、実はわたしも満月と新月になると興奮していることに気がついた。

それで満月の夜、体の中の興奮を柔らかくするために、海に向かった。

興奮した体にもっと! ガツン、ガツン興奮する音楽をかけて、わたしはたぷたぷの満潮! いつもよりもっとリズムだけの存在になって、海までの道を歩く。

海までの道のりはなんだか有名な道路みたいで、昼でも夜でも交通量が多い。だのに歩道はとっても狭くて、体すれすれにビュンビュン車が通り過ぎていく。わたしも車が怖いけど、車もわたしが怖いと思う。

硬い車体ギリギリに、柔らかで頼りない体が通り過ぎて行くんだから。みんなで一緒に怖い思いしよう。わたしはリズムだけの存在だからご機嫌。

散々コンクリートと車を通り過ぎたあと、突然海岸が広がり、すぐそこに海が生きている。

海はとっても興奮していた。

波がしぶいて細かな汗を飛ばしてる。なんだか攻撃的で、エッチだ。

海岸はしばしば、人か、もしくは犬がジョギングしている。最近の犬は暗闇で事故に遭わないように七色に光っているのをよく見かける。あれ、大好き。すごく縁起がいい感じがする。

この日も数人の人影や七色の光の気配があった。だからちょっと恥ずかしかったけれど、わたしは靴を脱いで裸足になって砂浜に降りてみた。季節は4月。全然寒い! 砂がずぷずぷとわたしの足首を掴んでいく。安定しない。フラフラする。笑けてくる。とっても楽しい。地球が子犬になって、可愛くわたしにじゃれてるみたい。裸足になって良かった。

わたしは寒さに耐えながら、柔らかい砂浜をゆっくり歩いて、小波に近づいた。

大きな満月がてらてらと海面を照らしてる。

ああ、本当に海の近くに越してきて良かった。

海の存在してる感じって、本当だけの、剥き出しの命みたい。

わたしはいつも、寂しくて、誰かと心と心で出会えることを心底望んでいる。

だけど人と心と心で出会うのって難しい。

まず安全な二人だけの領域を用意しなくちゃいけない。そして安全な二人だけの領域を用意することができたとしても、それが「安全な二人だけの領域」であるが故に、簡単に危険な場所になってしまう。

だけど海となら、海岸からなら比較的安全に、心と心で出会える。海はいつでも本当だけの存在になってわたしの前に現れてくれるし、わたしが本当だけの存在になっても怖がらない。

 

こうゆう存在が、海以外にわたしにはもう一つある。それは漫画を描くこと。

漫画はフィクションのクッションを通して、顔も知らない読者と心と心で出会える。

海と違って読者はしばしばわたしの漫画を怖がるけれど、どうやら怖がるのが好きな読者がわたしの漫画を読んでくれているみたいだから、大丈夫。

海と、漫画があって良かった。

足先で小波に触れてみる。冷たくて死んじゃいそう。

10秒も耐えられなくて、薄暗がりの中でニコニコしながら背中を丸めて退散した。

足裏についた濡れた砂は、案外ポロポロと落ちてくれて泥のようにはまとわりつかない。粉に塗れた揚げる前の唐揚げみたいな足を、靴下で包んで帰った。

 

カフェでネーム

窓からとっても大きな富士山が見える。

海はわたしの体を飲み込んで一つになるような怖さがあるけれど、山はわたしを圧迫する、神か、王みたい。自分が圧倒的に小さいのだ、と自覚することは安心するけれど、揺り籠みたいでこそばゆい。

以前、静岡に旅行した時、富士山があまりにも大きくてびっくりした。日常的にこんな圧迫を受けて暮らしたら、わたしは今までの自分とは違う何かに変容してしまうかもしれない。

だから湘南から見える富士山の大きさが、わたしには丁度いい。

この丁度いい大きさの富士山が見える窓が大好きだ。

とにかく家が心地よいことがわたしにとってとても重要で、どんな部屋に住むか、どんな使いやすいレイアウトにするかはとてもこだわっている。好きな色、好きな肌触り、緑とお花を並べ、丁寧に掃除して、空気を入れ替える。黄金の飴玉を最後まで頬の中で転がすように、いつまでも巣作りして、うっとりしている。

居心地のよさは、要塞だから。

だから自分の家は大好きなのだけど、仕事をするとなると、なかなか気持ちを切り替えられない。

わたしの仕事は漫画を描くことで、これは自分の裸の心を使う仕事だ。

つまり家の中だけではなく、仕事でも裸で過ごすことになるのだけど、家にいる時はうとうと日光浴をするための裸で、仕事をしている時は、一切の服を脱ぎ捨てなければ地下に降りていけないので顕になった裸だ。

裸の意味が違う。

だから家だと、どうも切り替えられないので、ネームをする時は大抵、近くのカフェに行く。

ネームとは、アニメでいう『絵コンテ』みたいなもので、コマ割り、構図、セリフ、キャラクターの配置などを大まかに表した漫画の設計図のことだ。

湘南は程よいカフェが沢山ある。

観光地にも素敵なカフェがあるけれど、わたしの住む町は子育て世帯が多いので、気取ってない、ゆったり過ごすことを目的としたカフェがそこかしこにある。

こうゆうカフェが仕事をするのにとても良い。

しっとりした椅子にお尻をはめて、とろとろしたカフェミュージックが満ちた空気に体を溶かしていると、店員さんが温かいカフェオレを持ってくる。

要塞が整った。

わたしはとりあえずシャーペンを握り、ぼんやり手を動かし始める。

 

ネームを描くことは、身投げみたいだなと思う。

これが健康的なことなのかは、ちょっと分からない。生身の心を紙の上に載せて知らない人に開示することを、わたしは必要としているけれど、同時に傷ついてる感触もある。

癒やしと傷が両輪を成している。

昔、仲良くしていたけれど疎遠になってしまった友人がいて、彼女はある代表的なYA(ヤングアダルト)小説が大嫌いだった。

その小説の結末が、自殺した主人公が、「自殺しなければ良かった」と悔いるというものだからだ。

穏やかで控えめな人だったのに、その小説の話をする時は爛々とした目で怒っていた。

その人は本当は激しい人だった。

わたしはその激しさが好きだった。

彼女は死にたかったんだと思う。

死にたい気持ちは彼女の一番奥の聖域だったから、彼女の気持ちを理解できない人間に気持ちを否定されることが、聖域を土足で踏み荒らされるような心地だったんじゃないかと思う。

最近、9年ほど連載していた『青野くんに触りたいから死にたい』という話を終えた。

青野くんという幽霊になった男の子が、どうして、どうやって死んだのかを巡る話だった。

この話を描いてる間、ずっと彼女の怒りが頭の片隅にあった。

「自殺をしてはいけない」と言う世の中への、彼女の怒りを想像してみる。

 

死にたい気持ちを、否定しないで。

この最後の絶望が最後の希望。

この絶望の希望まで取り上げられたら、どうしたらいいの?

その時、絶望じゃなくて、ひどく惨めなパニックがやってくる。

 

死んでしまいたいと願うような現実にいる人に、その『浅はかさ』を叱り、そして限界まで頑張った人に「頑張れ」と言って、死んでしまいたいと願うような現実に置き去りにすることは、愛なのだろうか?

 

わたしはあのYA小説が好きだ。

主人公の「自殺しなきゃ良かったな」は、それでも作者の、世界への愛だと思う。

なぜなら、それはシンプルに「わたし達の命には価値があるよ」という話だったから。

 

この二つの側面は、両方とも現実に存在していると思う。怒りを感じることも、愛を感じることも、とても真っ当なことだと思う。

わたしは死にたい気持ちを、けして否定したくなかった。そして生きることもけして否定したくなかった。わたしなりにそのことと向き合ったのが『青野くんに触りたいから死にたい』だった。

彼女や、他の死にたい気持ちを持つ人達や、生きたい気持ちを待つ人達に、誠実であれたかは分からない。

だけどわたし自身には最大限誠実であれたと思う。

わたしの身投げみたいな漫画の描き方は、もしかしたら死の擬似体験なのかもしれない。

わたしは先を決めずに、底の見えない穴に飛び込むような気持ちで漫画を描く。

何もかも台無しになるかもしれなくても、物語をコントロールすることを、諦める。

そうすると、わたしの知らなかった本当のわたしの心に出会うことができる。

死ぬことを受け入れないと、生まれ変わることができない。

死ぬことと生きることは同じことなのだと思う。

死ぬことに許しを、生きることに祝福を。

 

 

著者: 椎名うみ

漫画家。2014年『ボインちゃん』で「アフタヌーン四季賞 秋のコンテスト」で四季賞を受賞。2016年から「アフタヌーン」にて『青野くんに触りたいから死にたい』を連載し、2025年12月号にて完結。コミックス全14巻、好評発売中。
X:@shinaumiumi 

編集:荒田もも(Huuuu)