さよなら東京。ないものだらけの「岡山」で、おだやかな自分になれた|文・本郷結花

著: 本郷結花

東京行きの新幹線に揺られながらキーボードを叩いている。

4年間過ごした東京から、地元の岡山に移り住んでもうすぐ2ヶ月。月に一度、3時間かけて仕事のため東京へ向かう。

バスは1時間に1本。次の電車が来るまで30分。
岡山での生活はなかなか不便だ。
でも今は、この暮らしがけっこう愛おしい。

田舎者の自分が、まさか東京だなんて

岡山県の北部、田舎町で生まれ育った私は大学卒業後、愛媛県の出版社に就職した。

小学生の頃から壁新聞を作るのが得意で、写真やタイトル、文章をレイアウトしてまとめることが好きだった。お絵描き用の自由帳には目次やノンブル(頁番号)を振っていたし、放課後はチラシの裏紙にアベイルやしまむらのモデルを切り貼りして、中綴じにしてお手製のファッション誌を作って遊ぶような子どもだった。

念願の出版社勤務。“中央誌”と呼ばれる全国流通の雑誌ではなく、愛媛県内だけで販売されているタウン誌の編集部で、憧れていた雑誌編集の仕事に就くことができた。

県内を西へ東へと社用車で走り回り、店を数軒取材してはオフィスに戻って原稿をまとめる毎日。想像を遥かに超えてハードだったけど、それ以上に地域の人たちとの出会いは刺激的で面白かった。

編集部に入って1年ほどでメイン特集も担当した。一から企画した「パン特集」が書店に平積みされて、お客さんが手に取っていく姿を見たときの喜びは忘れない。毎月刷り上がった雑誌が届くたびに、紙とインクの匂いを嗅いでうれしさを噛み締める。まさに天職だった。



入社から4年。仕事にも慣れてきた頃、編集者として雑誌だけでなくウェブのスキルも身につけたいと思い東京を拠点に転職活動をはじめた。30歳まであと3年、漠然としたなにかに焦っているときだった。

無事転職先も決まり、27歳で遅めの上京を果たした私は、職場にアクセスの良い東急東横線の新丸子駅(神奈川県)の近くで狭いマンションを借りた。家賃が高くてびっくりした。

知り合いなんてほとんどいない。慣れない環境に一人で飛び込み、新しい仕事を必死で覚えた。スキルと人脈を増やすため、編集者やライターが集まる講座やイベントにも毎月のように顔を出していた。その度にどっと疲れて家に帰る。自信どころか、大きな案件を担当している同世代の編集者やライターと自分を比べては落ち込む毎日だった。

帰り道、駅からすぐの丸子橋(神奈川と東京を結ぶ橋)まで散歩して、多摩川の向こうに見える東京の夜景を眺めながら少し泣いた。そんな繊細な2年間を新丸子で過ごし、30歳で大田区へ引っ越した。正式にはここでやっと東京都民になる。

上京する前は、2年くらい東京で頑張って、落ち着いたら岡山か愛媛に戻るつもりだったのに。仕事にも慣れて東京暮らしが楽しくなってきた頃にはすでに4年が経っていた。

東京での「落ち着いたら」なんて、きっとないのだ。
時間は溶けるように過ぎて、気づけばずっと住んでしまうのが東京。強い意志と計画性がない限り、東京から出ることはないのだと知った。

4年サイクルで訪れる人生の転機

東京で4年を過ごした私は31歳になった。同棲して1年半の彼と別れたばかりのタイミングで誕生日を迎え、新たな街で一人暮らしを始めようとしていた。地元の友達は結婚・出産して、マイホームを建てているというのに、私は一人で暮らすためのワンルームを探す日々。何度でもやり直せる東京で、新生活がはじまる期待とは裏腹に、これからの行き先が見えないことに少しだけそわそわしていた。


そんな7月にとある出会いがあった。

アプリをきっかけにやりとりが始まった、なにかと話が合う男性。共通の趣味や話題が多く、好きなラジオや本の感想など、長文のLINEを毎日のように送り合った。お互いに会おうと言わないまま、ただただLINEを続けていたこともあり、私は心地よい “文通友達”ができたような気持ちでいた。

そんな文通友達と、とうとう会うことになった。対面でもやっぱり話題は尽きなくて終電になるまでずっと話していた。何度か食事をして、8月の終わりには恋人になり、年が明けて1月頃には、二人で岡山へ移住する話が出るようになった。

彼の転職先がなんと岡山に決まったのだ。「一緒に来てくれますか」というプロポーズには迷わず「はい」と答えた。穏やかで優しい彼と歩む人生は楽しいに決まっている。

それから2ヶ月で家や車を決めて3月末には引越し。4年間過ごした東京にあっけなく別れを告げ、あれよあれよという間に岡山県民になった。そして、この春に入籍して彼は夫になった。
人生何が起こるかわからない。

「ある」東京から、「ない」岡山へ

バタバタでスタートした岡山での暮らし。出身県ではあるものの、県南で暮らすのは初めてだった。

私が暮らす倉敷市の公共交通機関は、地図上で横に走る「JR山陽本線」と、倉敷駅から水島工業地帯までを縦に結ぶ「水島臨海鉄道」、あとは「路線バス」と「コミュニティタクシー」という主要施設をぐるぐる巡っているワゴン車みたいなものがある。

充実しているように思えるが、住む場所によってはこれらの公共交通機関はあまり頼りにならない。現に自宅からJRの最寄り駅までは徒歩20分かかるし、バス停までも徒歩15分。倉敷駅へ行くまでに小1時間かかってしまうことも。ターミナル駅以外は無人駅も多く、駅前にタクシーが停車していることも少ない。やはり岡山は車社会、不自由なく暮らすには車が必要だった。

4月に車が納車されてからは生活が一気に充実した。ロードサイドには飲食チェーンが密集しているので、外食には全く困らない。幸いなことに二人ともチェーン店が大好きだ。ファミレスは「ジョイフル」比率が高めだけど、大好きな「ロイヤルホスト」もあるので安心。

大通りは5km圏内に「くら寿司」「スシロー」「はま寿司」が軒を連ねているので、回転寿司は気分に合わせて選び放題。

地元の魚を使った岡山ローカルの寿司屋もいくつかあって、どこも新鮮でおいしい。山陽町にある「弁天丸」の海老の握りを食べたときはその食感と甘さに小躍りした。教えてくれた父に感謝したい。

岡山はスーパーマーケット天国

岡山へ引っ越してから、平日は毎晩自炊をするようになった。そこで驚いたのが、スーパーマーケットの多さだ。

家の近所だけでも3〜4軒。車を走らせればそこかしこにスーパーがある。ニシナ、エブリイ、ディオ、マルナカ、ハローズ、天満屋ハピーズ、ザ・ビッグ、なかやま牧場ハート、新鮮市場きむら……。それぞれに魅力があり、どの店もレベルが高い。

余談だが、私の実家は食料品店を営んでいて、いわゆる“スーパーの娘”として生まれ育った。家で飲み食いするものはすべて自店で供給されていたため、一人暮らしを始めるまでは、スーパーへ行って買い物をするという経験がなかった。

その反動(?)もあってか、大人になった今、スーパーで買い物をするのが楽しくて仕方ない。引っ越してから2ヶ月、いろいろな店を巡ってたどり着いた3つのスーパーがある。

肉を買うときは「なかやま牧場ハート」。広島と岡山に3つの牧場を持つ「なかやま牧場」が運営するスーパー。牧場直営というだけあって、珍しい部位の肉も種類豊富に揃う。牛タン、ホルモン、センマイ、レバー、ミノなど焼肉屋で出てくる部位もずらりと並ぶ。なかでも自社工場で丁寧に加工されているというホルモンは新鮮でクセもなく、おいしかったので、わが家の定番になるだろう。

魚は「新鮮市場きむら」。香川に本店を持つチェーンで岡山県内には4店舗ある。魚の仕入れは市場で店舗ごとに競り合うらしく、地元産の新鮮な魚が手に入る。さわらが旬を迎えたときは塩焼きにした。あまりにふわふわの食感に驚いた。旬の魚やおいしい刺身を食べたい日にはきむらに行っておけば間違いない。

そして岡山生活でなくてはならない存在なのが、業務スーパー「エブリイ」。野菜や豆腐、乳製品など毎日の基本の買い物はこの店に定着した。野菜の鮮度と安さ、業務スーパーならではの品揃えなど魅力的なポイントが多い。

食品とは全く関係ないけど、店内で流れるストアソング「ラブリイ エブリイ」が好きなのも通ってしまう理由の一つ。「お買い物しよう、お買い物しよう、今日のおかずはコレ♪」の歌詞から始まるポップなビートサウンドは、夕方で疲れていても一緒に口ずさんでしまう、まさに買い物欲を掻き立てるような素晴らしい楽曲だ。

これはまさに「エブリイ」の戦略であり、買い物をしながらお客さんがワクワク、心が躍るような曲にしたいという、担当者の想いを形にしたストアソングなのだと記事 で読んだことがある。岡山・香川では馴染み深い、OHK岡山放送局の「OH!体操」を歌っているローカルユニット・ケダマが制作を担当していることはあとから知った。

このほかにも岡山はストアソングに力を入れているスーパーが多い。「まーるい愛をショッピング〜♪」とCMでも流れる、マルナカのストアソング「ナカマカナ」は、なんと演歌歌手の水森かおりが歌っている。「ディオ」「ラ・ムー」で流れる曲も、味わい深いナイスなストアソングなのでぜひ聴いてみてほしい。

岡山で見つけたおいしいもの

まだ暮らし始めたばかりの岡山で、いくつかお気に入りもできた。

くらしき塩屋の「田舎粒味噌」

豆のつぶ感が残った、ちょっぴり甘めの田舎味噌。例えるなら、もろきゅうに添えてある味噌のような味わいで、コクと旨みが強い。出汁が適当でもしっかりおいしい味噌汁に仕上げてくれる。

倉敷の寿司屋で出てきた魚のアラ汁があまりにもおいしく、店のおかあさんに尋ねて教えてもらったもの。わざわざ厨房からパッケージを持ってきてくれて、丁寧に説明してくれたのですぐに買いに行った。

インダストリーの「ホットサンド」

週末は早起きして、夫と一緒に少し遠くのパン屋へ行く。総社市にある「インダストリー」はハード系のパンが評判の店。「ホットサンド」は注文が入ってからカリカリに焼き上げてくれる。ハム、チーズ、ピクルスが惜しみなくサンドされていて、これが600円ほどでいつでも食べられてしまうのだから、岡山に来て本当によかったと思える。

こなや

冬に帰省したとき、とても寒い日にたまたま通りかかった岡山市のおでん屋「こなや」。ひょうたん型の鍋から湯気がもくもくと立ち昇るカウンターに吸い込まれ、おまかせ盛り合わせと瓶ビールを注文した。味の染みた熱々のおでん。出汁の効いたスープは透き通っていてあっさりしている。

追加でたけのこ、とろろのおでんとだし巻き卵も食べた。なかでも、とろろのおでんがシンプルで好きだった。ずずっと飲んだら一瞬でなくなる。

おだやかな自分でいられる、平凡な日々

東京から岡山へ来て、生活が一変した。まず朝型になった。夫が7時前に家を出るので、その時間には起きて植物に水やりをする。

イオンモールで買った観葉植物と、ベランダに植えたトマトとなす。ホームセンターの切花コーナーで買った花。東京はどの駅にも必ずといっていいほど花屋があったが、今住んでいるエリアは家の近くに花屋がない。

朝のうちに掃除と洗濯を済ませて、朝ドラの時間にゆっくりと朝食を食べる。9時には始業。今は東京の制作会社に在籍したまま、岡山でフルリモート勤務をさせてもらっているので、オフィスは毎日自宅だ。

19時前には仕事を終わらせて夕飯を作る。仕事終わりの夫と、他愛のないことを話しながらゆっくりと食べる。ほぼ毎日湯船に浸かって、23時には布団に入る。


東京にいた頃は、毎朝混み合う電車に乗って、中目黒のオフィスへ通っていた。仕事終わりは同僚とビールを飲んで終電で帰宅する。週末は新しくできたカフェでお茶をして、好きな写真家の展示を見るため美術館へ足を運ぶ。

見たいものや欲しいものが、電車に乗ればなんでもすぐに手に入った東京。憧れの人にも会えたし、面白い仕事もたくさん経験させてもらった。


当たり前だった生活が変わっていく。今はこの通りチェーン店ばかり行くし、足りないものがあればとりあえずイオンモール。会いたい人にすぐに会えない、欲しいものもすぐには買えない。そんな岡山で平凡な毎日を繰り返している。

それでも今の暮らしがとても気に入っている。
今の自分が好きだ。


「ダイソーで買った300円のパキラが小さな新芽をつけた」
「車に落ちた鳥のフンがまんまるでかわいかった」
「夕方の空にうっすらと細長い三日月が見えた」


ないものだらけの岡山だからこそ、気づけるものが少しずつ増えている。
愛媛で4年。東京で4年。今まで暮らしてきた場所に愛すべき思い出があるように、これからこの街で新たな店と出会い、人とも出会うだろう。

そんな街で、4年後の私はどうしているだろう。新しい景色が見えているといいのだけど。

著者:本郷結花

本郷結花

1991年生まれの編集者。深夜の料理とラジオが好き。ウェブメディア、雑誌、企業SNSのコンテンツ作りをお手伝いしています。企画・取材・撮影、たまに執筆も。RIDE Inc.所属。
Instagram:@ukape

編集:ツドイ