暮らしやすい街とはなんだろう。黄色い電車、西武新宿沿線の風景。|文・見汐麻衣

著: 見汐麻衣

絶対に安全な場所はないけれど、備えあれば憂いなしの物件探し

「この辺り、地盤は固いですか?」
2007年、土地勘の全くなかった私が都内で物件を探す時、不動産屋でまず最初に聞いていたのは部屋の広さでもなく、家賃の相場でもなく、交通の便でもなく、地盤の固さだった。2005年3月20日、福岡県早良区で暮らしていた当時、最大震度6弱の福岡県西方沖地震を経験し、そのころ勤めていた博多区の映画館では最大震度5強を観測したのだが、突然の激しい揺れに身構えることもできなかった。自宅に戻ると家の中の本やレコード、食器類が散乱し、部屋の壁に少しだけヒビが入っているのを目にして、その日はひとりで家にいるのが怖くなり友人の家で一晩を過ごした。

九州でも大きな地震が起こるのかと思うと怖くて仕方がなかったが、友人が「まぁ、そんなに怖いんやったら地盤が固いか調べてそこに住めばいいんやない?」と何気なく言った言葉が頭に残っており、冒頭の発言に繋がるのだが、私がお世話になった不動産屋の男性は「かしこまりました。少々お待ちください」と言い、待つこと数分「正直、都内でも地震は頻繁にありますし、絶対に安全な場所というのはないものだと前置きして、この辺りなら地盤が台地で揺れが増幅されにくいのではと思います。新宿へも電車一本で出られますし、自転車をお持ちでしたら高円寺や阿佐ヶ谷にも10分ちょっとで行けますし、鷺ノ宮駅からはバスも走っているので交通の便はいいと思いますよ」そう言って中野区鷺宮の物件を紹介してくれた。

まぁ、都内で暮らしていれば(いや、日本で暮らしていれば)頻繁に起こる地震は避けがたいものだと百も承知でいるけれど、備えあれば憂いなし。迷うことなく紹介された物件の内見に出向き、駅から歩いて数秒、線路沿いに新しく建ったばかりのお薦めされた部屋に決めたのだった。

生活の拠点、自分の住む街を愛せないと乏しい暮らしを招いてしまう。

最寄駅は西武新宿線の都立家政駅。これからお世話になる街に対する敬意と、暮らしていく場所に対するご挨拶も兼ねて引越しが済んですぐ、近所をくまなく散策してみる。「まず、自分の住む街を愛せないと乏しい暮らしを招いてしまう」と何かで読んだ文言に触発されて以降、これまで佐賀、福岡、兵庫、大阪と暮らしてきたどの街でも散策しながら好きな店を見つけ、場所を見つけ、その街の住人しか知らないような路地や暗渠(あんきょ)、通りを見つけては街の歴史に思いを馳(は)せ、出会えた人や物に対し愛着が湧いていた。

当時の私は、これから暮らしていく街に住んでいる人達が紡ぎだす音や匂い、目にする風景が自分にとって気持ちいいものであればそれだけで充分だった。「気持ちよさ」は、言い換えれば快適に暮らしたいということであり、それは住みやすさに繋がっていく。初めての東京暮らし、不安もあったが新たに生活を始めた場所は気持ちのいい街だった。

週に3回程通うことになる蕎麦屋の大将の仕事っぷりの気持ちよさ。魚屋のおっちゃんとの何気ない会話のやりとりに含まれる気持ちよさ、部屋の窓を開け放ち眺める風景が四季の移ろいを匂いや色彩で教えてくれる気持ちよさ。黄色い電車の車輪が生むリズムの気持ちよさ。日当たりのいい部屋も気持ちがいい。

駅前の南北600mの両側にいろいろな店舗が並ぶ商店街は、ただ歩いてるだけで楽しかった。何も用事がない休日、「深川 伊勢屋」のお弁当で昼食をとる。和菓子がメインのお店なのだが、おにぎりやお弁当も充実している。ハンバーグ弁当にするか、鮭弁当にするかいつも迷い、結局ふたつ購入するのが日課になっていた。北口を出てすぐ向かいにあった「藤吉郎」のたこ焼きも一緒に購入する(現在は閉店)。タコが大きくて癖になる味だった。昼過ぎに起きた日、パジャマの上にカーディガンを羽織り「麺や七彩」(現在は「食堂七彩」)へ駆け込む。当時、メニューにあった塩らーめんとかけらーめんが好物だった。

生姜焼きを食べたいなら「キッチン ひろ」、晩酌をするなら「キッチン酒場 まあちゃん」、美味しいおでんを食べたいときは「ちび太ン家」、向かいにある「バルめし山田」もよく通っていた。お通しで出てくる生の白菜サラダが新鮮で美味しかった。どの店もひとりでフラッと入っても放っておいてくれる。少しの会話のやりとりの中でも執拗(しつよう)にコチラを詮索するようなことはない、大将や女将さんの距離感も含め居心地のいいお店ばかりだった。

仕事が早く終わった日、ひと駅前の野方で下車。オープンと同時に「秋元屋」に入店し小一時間ほど晩酌。ほろ酔いで歩いて家まで帰るのだが、夏が近づくころになると沿線沿いに咲く花々が風に揺れ微かな甘い匂いを運んでくる。その匂いを目一杯吸いながら、黄色い電車が過ぎて行く瞬間に生暖かく強い風が身体を包むように撫でていく。「あぁ、こういうのが幸せってやつですよ」独り言も多くなる。

無機質なイメージだった「東京」にある、豊かな表情や四季の移ろい

また別の日、新宿から急行に乗って鷺ノ宮駅で下車。駅前にある「中央フラワー鷺ノ宮店」で季節の花を購入し、家まで歩く道すがら、大きなお屋敷(現在は集合住宅)の前を通ると、青々と茂る草木の匂いと夏の虫たちの合唱が聞こえてきてしばし立ち止まり「もうすぐ夏本番ですねぇ、楽しみだねぇ」独り言。の筈だったのだが、向かいで野良仕事をしていたお婆さまに「本当だねぇ、この辺はよそより緑が多いから去年よりは過ごしやすいといいんだけどねぇ」と返され「夏場の草むしりなんか本当に、しんどいですもんね」と答えると「ほんとうに。熱中症にも気をつけなくちゃいけない。私はもう婆さんだからね」と、数秒のなにげないやりとりの後、会釈を交わして歩き出す。「あぁ、私はこの街の住人になったのだな」と、ふと感じたことを今になって思い出す。

2011年3月11日正午。高田馬場でバンドのリハーサルを行っていた。14時46分、今まで経験したことのない程の揺れが起こり身の危険を感じて外に出た。街自体がぐわんぐわん揺れている。恐怖で身が竦み、福岡での地震がフラッシュバックする。揺れが収まるも、携帯は繋がらず、スタジオのロビーに置いてあったテレビを皆が食い入るように見ている。大変なことになっている。電車は復旧の目処が立たないという。仕方がないので高田馬場から都立家政まで歩いて帰ることにした。普段ならあり得ない、ひしめく歩道をとぼとぼ歩きながら2時間かけて家に辿り着き、部屋に入ると物ひとつ落ちていない。今日、家を出たまま、そのままの光景だった。

「正直、都内では地震は頻繁にありますし、絶対に安全な場所というのはないものだと前置きして、この辺りなら地盤が台地で揺れが増幅されにくいのではと思います」不動産屋の人に言われたことを思い出した。4年前この部屋に決めた理由のひとつをすっかり忘れていた。「やっぱり、備えあれば憂いなしですよ」小さな独り言のあと、「まぁ、そんなに怖いんやったら地盤が固いとこ調べてそこに住めばいいんやない?」と言った福岡の友人に安否の確認とあの一言があってよかった旨のメールを送ると「ひとまず無事でなにより。私、そんなこと言った? 覚えとらん」と返ってきたのだが、この夜に感じた不安や恐怖を軽減してくれたことに間違いはない。

テレビをつけて改めて、ことの重大さを知ることになり、私個人の体験など語る由(よし)もないものなのだと解りつつ、それでも定住の住処(すみか)を持たない身からすれば、暮らしやすさを何に求めるか、不安なことは事前に極力潰しておきたいと思うことは自分自身の暮らしの基盤を、その上で成り立つ生活を無下にしないためにも必要なことなのではないかと思っている。

2015年10月。8年間暮らしたこの街を離れる時、最後に商店街をゆっくり歩いた。親密に交流していた人や店があるわけではなかったが、言葉を交わさなくとも生まれる淡い交わりの心地よさというものは、ある。この街で過ごした日々を含め、常に忙しなく、今日が何曜日かも忘れてしまう程日々を乱暴にやり過ごしてしまいそうになった時でも、駅に降りて束の間、身体も心もホッと一息つける場所がこの街にあると思うと、暮らす前は無機質なイメージだった東京という街にも、豊かな表情があるのだと解り、愛着も湧いてくる。

最後は部屋に戻り、毎日窓から眺めていた線路沿いの風景を見ながら一服。二重窓を閉めて最後、部屋を出る時「今までありがとうございました!」お辞儀をして「さようなら」独り言。

引越しを繰り返しながら、毎日暮らしていた場所が徐々に懐かしい街になることへの寂しさと、ふと思い出す場所や風景が増えていくことの嬉しさを感じつつ、いまだに終の住処(すみか)は決められないでいる。

著者:見汐麻衣

見汐麻衣

歌手、シンガーソングライター。 2001年「埋火(うずみび)」のヴォーカル、ギタリストとして活動を開始。2014年解散後、同年より、石原洋プロデュースによるソロプロジェクト「MANNERS」を始動。その他ミュージシャンのプロジェクトに参加する一方、映画、演劇、CMナレーションや楽曲提供、エッセイ・コラム等の執筆なども行っている。ソロ、Mai Mishio with Goodfellasとしても活動。2023年5月27日に初のエッセイ集『もう一度猫と暮らしたい』(Lemon House Inc.)を発売。また、2023年7月26日には、7inchシングル「夏の顔たち The Faces Of Summer」をリリースする。
HP:https://mishiomai.tumblr.com
Instagram:@mai_mishio
Twitter:@mishio_mai

見汐麻衣著『もう一度 猫と暮らしたい 』好評発売中

シンガーソングライター見汐麻衣が日々の暮らしの中で書き溜めた記録。見汐麻衣、初のエッセイ集『もう一度 猫と暮らしたい 』(Lemon House Inc.)。見汐さんが2009年ごろから書き留めていた文章から抜粋したものに、書き下ろしを新たに加えた35編のエッセイ。暮らしの中のなんの変哲もない日々のことや、台所にて思い耽ること や、家族のこと。偶然出会った名前も知らない人たちとの会話や 日々の些事......。彼女が丁寧に繋ぐ言葉によってリズムが生まれ、 物語が紡ぎ出されていきます。

編集:岡本尚之