そら兼好法師もこの阿倍野区に庵結ぶわ。ええとこだらけの阿倍野区。|文・藤本和剛

著: 藤本和剛
 冬が持ち時間を使い切ろうとしている。
 外周の桜が、葉を落とした頼りない姿に飽きていた。モクレンの蕾は微かな南風と遊びながら、根明な顔のスイセンが朝礼するのを見下ろしている。浮島の浅瀬をしきりに出入りする鴨はどれも楕円(だえん)形にふくふくとしており、緑青色に煌めく尾羽すら、このシックな住宅街の真ん中にある公園に似つかわしく見えた。

 情景描写もこの通り、徒然なるままに優雅になってくる。そら兼好法師もこの阿倍野区に庵結ぶわ、なんて考えながら、閑静が極まった万代池公園をぶらつく。後ろ手に組んでいい調子で石橋を渡っていると、噴水が噴水の見本のような形で盛大に開いた。びっくりしたのが妻子にバレないよう、自分は鯉を集める振りをした。

「今日は阿倍野区のハシからハシまで歩きます」
 立春の朝、寝起きでスウェット上下を同時に脱ぎながら号令したオトンに向き直った妻子は、そのまま不思議そうに上着に袖を通した。こういう唐突な提案は大体執筆がらみであることを彼らは察している。阿倍野区の南端から北端まで歩くこと、距離が4〜5㎞くらいであることを伝え、最寄り駅から路面電車に乗り帝塚山三丁目駅で降りる。この時点で南に越境して正確には住吉区なのだが、藤本家では「何かあったら万代池」となっているので、名誉阿倍野区扱いで問題ない。

 父や兄と野球をしに来てファンタグレープを飲んだ藤棚。実をたくさん付けるセンダンの木の下で、制服姿のまま詩を書く日もあった。病院の帰りに妻と手を合わせた地蔵の厨子は、よく焚かれていっそう味を増している。最近は、静まり返った池の畔まで夜に走って来て、かつて逆上がりを練習した鉄棒で腕立てをしている。万代池は、いつ何時でも訪れる人の一方的な愛着を裏切らない。

 この街で生まれ育ち、何度か大阪市内の繁華街に住んだほかは、ずっとこの街で暮らしてきた。勝手知ったる街ほど、まいどな場所にしか行かないのは人情だが、10年前、結婚を機に実家近くの長屋に戻ってからは、地図を塗りつぶすように、路地をほじくるように歩き始めた。家賃の支払いが滞るほど金がなかったせいもあるが、古巣の月刊誌から異動になり、上京を諦めたモノトーンの情動を、散策でなんとか誤魔化していたのだ。そのうちに身についた「街を歩くように書く」のが性に合っているから、今日も愛する街を歩く。

 藤棚を背に公園を北側に出ると、建て売りでない戸建てが軒を連ねる住宅街で、ファサードウォッチャー垂涎の街並みが続く。物心がつく前からある南港通のロイヤルホストは界隈不動のランドマーク。信号を北に渡ったそこから阿倍野区となる。今日はコスモドリアよりお好み焼きの口だから、腹減ったゲージ85%という息子をなだめて、府道30号線・通称あべの筋を北上する。

 区を縦貫しているあべの筋は、前述の路面電車が寄り添って走る熊野街道や、大阪メトロ御堂筋線を地下に抱いたあびこ筋と並ぶ幹線だが、道沿いにはもはや街のインフラと化している老舗に交じって、心惹かれる新鋭も割拠しているからまったく油断がならない。特に大阪屈指と思っているコーヒー店「COFFEE LONG SEASON」の隣に、長年通っているバーの系譜を継ぐ店「ハイボール小路」が移転してきた時は、感動のあまり「2階に事務所借りたろか」と真剣に考えたほどだ。
 
「ここでいつもオニゴしてんねん」と息子が指差す空き地の傍には、彼が毎週通っている英会話教室がある。腹減ったゲージ95%ながら、鼻を膨らませて教えてくれる様子に、鬼ごっこにかけてきた情熱を感じる。よしよし後で一緒にやろう。そう言いかけた刹那、道の向こう岸に10年前の自分を見つけた。息子の生家でもある例の長屋はこのあたりで、近所を通ると、もがいていた当時の自分が、マリオカートのゴーストのように現れることが未だにある。自分だってそれなりにすべきことを全うしてきたんだ、そう唱えるうちにゴーストは路傍に溶け出し、やがて消えていく。妻が支えてくれたおかげで、この街に抱えていたアンビバレントな気持ちは、今では愛にしっかり偏っている。

 人を吸引する巨大なスーパー・ライフを過ぎて、あべの王子商店街に続く路地へ入る。「99%です!」と、辿り着いたお好み焼き「多門」の前で、ちょうどゲージを忖度してくれる息子が愛おしい。お稲荷さんの横にあるその店は、いわゆる街のお好み焼き店とはひと味違う瀟洒(しょうしゃ)なお店で、書道教室を営む奥様の書が掛かる和風の出で立ち。普段の雑誌編集の仕事では絶対に使わない表現「隠れ家」、これを生後初めてここに書き記そう。注文はいつだってモダン玉、牛スジのねぎ焼き大、えびそば&瓶ビールである。日曜のランチとしてこれ以上のぴったんこがあるなら教えてほしい。キャベツひとつから食材を吟味されていて安いとは言えないのだが、ポイントカードのリターンがかなり強力なのも付記しておきたい。

 店を出てすぐのあべの王子商店街のある王子町や、歩いてきた阪南町は、なんでも大正末期から昭和初期にかけて区画整理事業を受けたそうで、碁盤の目状の地割りで歩きやすい。Google マップを見ると、路面電車の東西で道が好対照な模様になっているのがわかる。自分が住んでいた築年数不明の長屋も、100年前に多く建てられたもののひとつなのかもしれない。商店街の賑わいは、母と通っていた昭和末期と比べるべくもないが、このところは阿倍野区と周辺区域の約120店舗を糾合した「Buy Local」という活動が盛んになっており、街を歩くと協力店が着実に増えているのが肌感でわかる。表現として正しいかはわからないが、移住者と先住民が手を組んで、問題を自分で解決しようとしている姿はとても頼もしい。今、阿倍野区が住みやすい街として定評を得て、移住者やいい店が増え続けているのは、文教地区で治安良好という属性以上に、こうした小さなコミュニティが健全に機能しているのも大きいように思う。

 壁に寄っていく息子の手を引っ張って救出する「俺を守れるかゲーム」をしながら商店街を東に外れ、古書店で100円の文庫本を買った。それから、三角屋根が5つ連なる洋風長屋や、有形文化財の長屋が店として再び息を吹き込まれ、人を集めているのに目を細める。昭和町駅から庚申街道を上がれば、村野藤吾最初期の作と言われる「日本基督教団 南大阪教会」の塔屋が古色蒼然とそびえていて、建築好きもカバーできる懐の深さに誇らしくなる。そのまま北上していくと、天を衝く「あべのハルカス」が道の先に現れ、それを目印に阿倍野駅まで歩く。路面電車と再開した頃、息子の体重に耐えてきた腕は死にかけていた。ゲームを勘弁してもらうには、もう「嶋屋」のポテトしかない。

 阿倍野区民の定番おやつを聞かれたら、ここの大学芋に「あたりきしゃりき堂」のドーナツ、「ポアール」のプチシューの御三家だい、文句あっかと言い切ってしまおう。特に嶋屋のそれは、大ぶりカットの芋を綿実油で揚げ、氷砂糖の蜜で絡めるという菓子の原点みたいな代物で、年齢性別趣味嗜好(しこう)を問わない聖なるカロリーとして甘やかに存在し続けている。映えパフェと対極に位置する素朴な有り様は、昨今の芋ブームの有象無象と歴史が違うことを静かに伝えてくれる。

 芋を持ち向かった天王寺駅南西の一角は、かかった時間は40年、損失実に2000億円と言われる再開発地区で、阿倍野区で最も様相を変えた場所だ。街の来歴ごとデリートキーで消し去るような仕方には反対だったが、高層マンションの隙間にできた公園で芋を食べていると、そして子どもたちがブルルンルンとストライダーで走り回っているのを見ると、これで良かったんだな、と思う。食べ終わって、そのまま3人でオニゴをした。花や木は乏しくても、澄んだ風の感触が顔に心地よかった。

「つうてんかくいこ!」
『逃走中』好きの息子が、両親を見事に確保して突然、息を切らせながら言った。おお、行こう!と一家の気持ちは正三角形を描き、ドン・キホーテ前の信号を渡って天王寺区へと進入する。昨日「天王寺動物園」に行っていた息子は、近くて遠い存在であり続けた街の象徴を見て、思いを新たにしていたらしい。

 人だらけの「てんしば」をすり抜け、特設のスケートリンクや工事中の「大阪市立美術館」を横目に、動物園を跨ぐ陸橋へ。本来の語意は違うのだろうが、「獅子吼(ししく)」や「猿叫」としか言えない動物たちの野性の証明が、新世界へのアプローチに響き渡っていた。記念撮影を楽しむインバウンド客を縫って、ソース二度漬け禁止のたすきをかけた謎のゆるキャラが愛想を振りまいている。例え串カツと射的の街に見えたとしても、自分はこの街の地肩の良さを知っているから嫌悪感もない。
 辿り着いた新たなゴールの通天閣は何とも悩ましい40分待ちで、後ろの用事までギリギリだがここは勝負だ。つづら折りの列にきっちり並んで期待値は青天井。寿司詰めのエレベーターが開くなり一気に目前が明るくなって、3人同時に声を上げた。

「どうぶつえん、ハルカス! ちんちんでんしゃ! いえあのへん!」

 息子はガラスに取り付いて、傾いた暖色の光を瞳に映した。その時我々は、今日5時間かけて歩いてきた阿倍野区の全てを目にしていた。

 観光地で買い集めている記念メダルを手に入れて、ふくふく顔の息子。妻も念願叶った彼を見て嬉しそうだ。自分は射的で手に入れたマルカワのマスカットガム4個を口に一気に流し込んで、もう一度眼下の阿倍野区に向き直った。

 もしかしたら、この街で死ぬまで暮らすのだろうか。不意に浮かんできた自分でも意外な想像にたじろいで、打ち消すように思いきり風船を膨らませた。風船越しの世界で、色とりどりの路面電車が行き交っている。
(2024年2月4日 曇りのち晴れ)

著者:藤本和剛

藤本和剛

編集者。1980年大阪生まれ。大学卒業後に出版社に入社し、月刊誌の副編集長として、特集企画・ファッションページ・広告制作に携わる。現在は雑誌・書籍・Web全般の制作をする傍ら、出版レーベル『poolside books』を設立し、『プールサイド』(写真家・新田君彦さんとの共著)をリリース。食文化や古典芸能といったクラシックなテーマからファッションまで、大阪を拠点に幅広く編集・執筆活動を続けている。
Instagram:@kazutakafujimoto

編集:ツドイ