友達、みんな引越してきて欲しい。若手芸人として推す「千歳烏山」|文・薪子(梵天)

著: 薪子(梵天)
京王線の千歳烏山駅(東京都世田谷区)には社会人4年目の冬に引越してきた。幼稚園からの幼馴染の家にルームシェアさせてもらう形で、私の千歳烏山ライフはスタート。

当時の私は相模原(神奈川県)で地域新聞の記者として勤務していたため、新居からは会社まで1時間以上かけて通勤していた。同僚には「会社の近くに住んでたのに、なんで遠くに引越したの?」と訝しがられていたが、「世田谷区に住みたくて……」と意味不明な理由で誤魔化していた。実際は同僚や友達に内緒で、都内にある太田プロの養成所に通っていたのだ。


初めてファンからもらった差し入れがうれしすぎて、千歳烏山の駅で知らんお姉さんに撮ってもらった写真

真面目な生き方をしてきた私にとって、「26歳から養成所に通っていて、そのまま芸人になるかもしれない」と周囲に告白することはめちゃくちゃ困難だった。

養成所に通っていることを知っていたのは相方である妹と東京に住んでいた弟、そしてルームシェアしている幼馴染の3人だけ。正直いって愚痴や悩み事は周りに話しまわるタイプの私にとって、この秘密は結構ストレスだった。

通勤時間は倍になるし、始めたばかりのお笑いは難しいし、この年齢から芸人になっていいのか? という不安の尽きない毎日。

京王線は新宿と橋本(神奈川県相模原市)を繋ぐ路線なので、朝の通勤ラッシュは新宿行きの電車はかなりの満員だが、橋本行きの電車はなんとか座れるくらいの乗車率だ。橋本行きの空いた車内で、「なんか逆走してるみたいだな、26歳で芸人になろうとしている私の人生みたいだな」と思って、ちょっと泣いたりしていた。

便利でおいしいチェーン店が勢揃いするまち、千歳烏山

養成所を卒業するあたりで、会社を辞めたら日中が割と暇になった。会社員のときは会社と家の往復しかしなかったから、千歳烏山の街をほとんど知らなかった。で、駅前を歩いてみてびっくり。わたしの大好きなチェーン店が勢揃いしている。

バーガーキング、松屋、大戸屋、バーミヤン、鳥貴族、松軒中華食堂、せい家など、ど真ん中の王道からちょっとだけ外れたチェーン店があるのはポイントが高い。れんげ食堂Toshuに至っては、なぜか駅前に2店舗ある。

私はこれまで3回引越しをしたことがあるが、「駅前に好みのチェーン店があるかどうか」って結構大事なポイントだと考えている。好みのチェーン店があるだけで、生活がとても潤う。

しかもカフェだとスタバ、ドトール、ベローチェ、珈琲館がひしめき合っている。私は基本的にベローチェにしか行かない(コーヒーが安いから)が、ルームシェアしている友人によると、「千歳烏山は個人店カフェがアツい」らしい。宝石のようなクリームソーダを出す喫茶店や、夜はバーになる昔ながらのお店、豆にこだわったコーヒースタンド、犬も一緒に入れるカフェなどがあるらしい。

コスパを追求するばかりに、これまでこの街の個人店が見えていなかった。教えてもらえて初めて、色んなオシャレなカフェが目に映るようになった。このエッセイのギャラが入ったら、どこかにかちこみたいと思う。


居心地がよく、いつもお世話になっているベローチェ

酒飲みの若手芸人にも優しいまち

また、千歳烏山は酒飲みにも優しいまちだ。駅前には「鳥貴族」や「ミライザカ」のような安定のチェーン店が揃い、一本奥に入ると味わい深い居酒屋が揃っている。

わたしが特に好きなのが焼き鳥がおいしい「仲屋」。店内は広くなく、飲み物も食べ物も安いのにクオリティが高い。お腹いっぱい食べて2000円ちょっとくらいなので、若手芸人にとっては非常に助かる。仲屋に一歩入ると、焼き鳥味の煙が視界が白っぽくなるほど漂っていて、空気さえうまい。

サワー系はキンキンに冷えたビンに入って出てくる。串は一本ずつ焼いてくれるので、ちょっと時間がかかるのはご愛嬌。そして着目すべきは「100円」の小鉢メニュー。やみつき玉ねぎと豚バラなんこつ煮が、めちゃくちゃおいしい。しかも結構満足できるくらいの量がある。全テーブルから注文が入るのか、秒で売り切れになることも多い。100円小鉢を店のウリにしてないのも、なんとなく朴訥(ぼくとつ)としていてかわいい。

隣のテーブルの人と肩が触れそうなくらい小さな店だが、そのざわざわ感も千歳烏山という感じ。ちょっと沖縄っぽいメニューもあって、沖縄出身の私としては「店長が沖縄出身なのかな?」とそわそわするけど、小心者なのでまだ聞けていない。

もう一店舗、思い出深い居酒屋は「鉄板魚串ごち」。私は妹と「梵天」というコンビを組んでいるのだが、その妹が芸歴1年目の夏に結婚した。M-1の1回戦と2回戦の間に、私に言わずに勝手に結婚した。「今日、結婚したわ」と聞かされて「マジかよ」と仰天して、とりあえず落ち着こうと母親に電話を掛けたところ「ほんとうに結婚したらしいよ。仏滅なのに」と母親も動揺していた。

そんな感じでキモすぎるタイミングで結婚した妹夫婦と、我らが両親、そして妹の夫のご両親が顔合わせを執り行った居酒屋が、何を隠そう「鉄板魚串ごち」だ。

わたしは妹に「今度両家顔合わせするから、姉ちゃんMCとして来てくれ」と打診されて「めっちゃ嫌だ」と断ったのだが、「姉ちゃんが行きやすいように千歳烏山のいい感じの居酒屋予約したわ」と言われて、渋々了承した。

ガチガチに緊張した両親をひきつれ、「鉄板魚串ごち」の奥の個室で顔合わせに参戦した。結果から言うと、コースのご飯がとてもおいしかった。みんな緊張して酒ばっかガバガバ飲んで、人狼くらい探り合いの会話を繰り広げる中、誰も手を付けなかった料理を端から平らげていった。魚の串、正直うますぎる。最後のキンメダイのお茶漬けに至っては腹パンパンにも関わらず2杯半食べた。

店を出たところで両家の父がハグしていたので「ご飯ばっかり食べていて分かんなかったけど、顔合わせも上手く行ったんだな」とジンとしていたら、私があんまり場をまわさなかったことに不満を持った妹に「ブタが座ってるのかと思った」とちょっと怒られた、思い出のお店である。


妹と串ごち

交通の便がよいだけでなく、あまりお金をかけずとも地に足ついた暮らしができる

千歳烏山は若手芸人にとってはとても都合がいい街だ。ライブハウスが多い新宿・下北沢・渋谷へは約15分。駅近くには「ライフ」や「まいばすけっと」「オオゼキ」など手頃なスーパーが並んでいるし、駅から離れるが「業務スーパー」にも頑張れば行ける。業務スーパーが生活範囲内にあるのはでかい。私は芸人になってから業務スーパーの冷凍野菜でしか栄養を取っていない。

結構うれしいのが図書館が多いこと、さらに区役所もある。本当にかゆい所に手が届く街だ。が、わたしが一番お世話になっているのは区役所前の広場だ。連休にはフリーマーケットや即売会みたいなイベントをやっているのをよく見る。そういうアットホームなものには参加したことがないが、夜の区役所前広場にはよく訪れる。

親子連れやわたしより賢そうな犬を連れたおばさまなどがいなくなった夜の広場は、親近感を抱いてしまうような大人であふれている。誰も他人を気にしていないので、涼しい時期は妹と二人でよくネタ合わせをしている。

女二人がわめいていても、誰も気にしない。漫才もしないのに一人で騒いでいるおじさんもいれば、多分付き合いたてのイタイ大学生カップルもいる。「誰が使うんだ?」と思うが、充電器がついた電灯とかもある。ちょっと変で、本当に過ごしやすい街だ。寂れている訳でも賑わっている訳でもないが、駅前は常に明るいので、漫才のネタ合わせをしたい人は千歳烏山前の広場をおすすめする。


「梵天」ネタ合わせ中

名物スポット「花束みたいな恋をした」に出てくる木村屋

そして最後に、私が一番「いいなあ」と思うお店が「木村屋」だ。「木村屋」は何を隠そう、映画『花束みたいな恋をした』にも出てくるパン屋さんだ。店内には菅田将暉と有村架純のサインが飾られている。

「千歳烏山ってなにがあるの」と聞かれたら、「『花束みたいな恋をした』に出てくるパン屋があるよ」と必ず答えることにしている。女友達ならほぼ食いついてくれるが、私がその映画を観たことがないから話題が広がった試しがない。ただ、黄色い看板と太文字の「木村屋」、ちょっと昭和っぽいレパートリーのパンたち。全てが「エモいな!」と興奮してしまい、前を通りかかるとついつい入ってしまう。おすすめは名物プリンパンと、でかいのに400円くらいの昔ながらのロールケーキだ。

引越したばかりの頃、「『花束みたいな恋をした』に出てくるパン屋があるらしい」と教えてもらったので、ミーハー心全開で飛んで向かった。入店するとおばちゃんが私の顔をみるなり「あっ、今日平日か~!」とフレンドリーに話しかけてきて、「常連だっけ?」となった。その後気付いたのだが、おばちゃんは誰にでもフレンドリーらしい。おばちゃんが何故わたしを見て「平日か」と思ったのか理由は不明。

レトロな外観とおいしそうなパンたち、常連気分を味わわせてくれるおばちゃんなど、素敵すぎて「そりゃ『花束みたいな恋をした』にも出るわ」としみじみ思う。早く映画を見てもっとしたり顔で木村屋に通ってみたいが、サブスクを開いた瞬間に忘れてしまって、未だに観れていないのが残念。

友達全員を千歳烏山に集結させたい

「友達が住んでいたから」という理由で引越してきた千歳烏山。街並みや土地柄にひとめぼれしたという訳ではないが、いまでは結構愛着を抱いてしまっている。都会過ぎないし、かといって閑静でおしゃれな街でもない、ちょっと雑多な感じが私に合っていると思う。

どれくらい気に入っているかというと、引越しを考えている同期がいると、千歳烏山への引越しを進めるくらい。ゆくゆくはわたしと仲が良い友達を全員千歳烏山に移住させて、最高の街をつくりたいという野望もある。

とにかく売れるまでは、新宿や下北沢に近くてリーズナブルなお店が多い、この街にお世話になると思う。このエッセイを読んでくれた人には、「梵天」というコンビ名と、「木村屋」のことだけでも覚えて帰ってほしいです。

書いた人:薪子(梵天)

太田プロ所属の姉妹コンビ「梵天」の姉。沖縄県うるま市出身。2023年にはコンビとして結成2年半で日本テレビ「女芸人No.1決定戦THE W」決勝進出を果たし、話題に。芸人になる前まで記者として神奈川県の地域メディアに勤めていた。有名人・スポーツ選手・政治家などへの取材経験を持つ。

編集:ピース株式会社(小沢あや)