おれ、死ぬまで練馬がいいや。老若男女が「ちょうどよさ」に溺れる街

著: 安田理央
練馬駅西武池袋線、都営地下鉄大江戸線を擁する練馬駅

埼玉県浦和市(現・さいたま市)育ちの筆者にとって、練馬区といえば、子どものころ、親に連れて行ってもらった豊島園遊園地(としまえん、2020年8月に閉館)だった。

としまえん以外のかかわりができたのは、高校時代。当時組んでいたバンドのメンバーが江古田周辺に住んでいたことから、江古田に足繁く通い始めた。ドラマーの実家の離れに毎週のように集まり、昼間っから音楽の話や女の子の話を延々と交わしていた。

その流れで高校卒業後、一人暮らしをする時も、迷うことなく江古田に住んだ。

江古田は「将来を考えていない若者」に優しい

最初に住んだのは家賃2万円、風呂なしトイレ共同、絵に描いたようなオンボロアパートだった。地震があったら窓が開かなくなり、もう一度地震があったら開くようになった、と言えば、そのボロさが分かるだろうか。それでも毎晩のように友達が遊びに来た。
 
このころはフリーターのような生活をしていたのだが、家賃が安いこともあり、月に10万円も稼げば暮らせた。ラーメンと半チャーハンのセットが200円で食べられる中華料理店「愛情ラーメン」や定食メニューが250円からある定食屋「じゅん」などケタ外れに安い飲食店(両店ともすでに閉店)、10円で遊べるゲームセンター。そんなお店が何軒もあって、金をかけずダラダラと無為な時間を過ごすのに、江古田はもってこいの街だったのだ。さらに古本屋や中古レコード屋も多く、自分の好きなものは何でもあった。江古田から一歩も出なくてよかった。

適当にバイトをして、バンド活動に勤しんで、あとは近所をウロウロして。10代の終わりから20代のはじめは、そんな生活を続けていた。将来どうしようか、なんて全く考えていなかった。でも、そんな若者にとって、江古田という街は、居心地が良すぎたのだ。似たような人が、周りにもたくさんいた。

こんな日々がずっと続くような気がしていた。

給料日のお楽しみ、江古田の「ゴールデンコース」

23歳の時に、バイト先の出版社で現在の妻と知り合い、付き合い始めた。家にもちょくちょく遊びに来るのだが、そうすると、風呂なしトイレ共同というのは、さすがにかわいそうかな、と思ってオンボロアパートから引越すことを決めた。

ちょうどそろそろちゃんと就職しようかな、と思っていた時期でもあった。大手玩具メーカーの出版部に潜り込み、固定収入を確保して、少しだけマシなアパートに移り住んだ。といっても、6畳の1DKだが、ちゃんと風呂もトイレもある。武蔵野音大の近くだから、楽器演奏も可。ただし、特に防音設備があるわけではない。

住人たちがピアノや声楽を奏でる音がよく聞こえて来て、「ああ、いつも同じところで間違えるな」とか「あんなに熱心に練習してたのに、最近は聞こえて来ないな。何かあったのかな」などと思ったりしていた。

給料日の夜は、彼女とちょっと豪華に飲んだり食べたりして、その後ゲームセンターに行ったりカラオケ行ったりするのをゴールデンコースなどと呼んだ。休みの日は、古本屋で昔の漫画をまとめ買いして、持ち帰りのたこ焼きを食べながら、漫画を一緒に読んで過ごしたりした。そのころには、彼女もすっかり江古田にハマっていた。二人とも、気軽に行ける店が好きなのだ。毎晩のようにあちこちの店を開拓した。

江古田ゆうゆうロード江古田駅と新桜台駅をつなぐ商店街、江古田ゆうゆうロード

27歳でフリーライターとして独立。自宅を仕事場としても使うようになり、少し広い部屋が欲しくなって引越した。今度は2LDK。最初のオンボロアパートに比べれば、ずいぶん広くなったけれど、エレベーター無しの4階だったので、階段の上り下りが結構大変だった。

でも、他の街に引越すことは考えなかった。江古田以外に住むという発想自体がなかったのだ。

それから一年ほどたって、結婚することになった。付き合い始めて5年がたち、もうそろそろだな、という感じだった。「(結婚を機に)そろそろ江古田以外に住むのもいいかな」なんて気分で、西武池袋線で隣の隣にある椎名町に引越した。

仕事場となった江古田の住居に、椎名町から自転車で通う日々。生活の場と仕事場を分けるのは、気分の切り替えができて大変良い。通勤は面倒くさいが、それでもメリットのほうが大きい。これ以降ずっと、今に至るまで仕事場と自宅は分けるようにしている。

江古田は子どもにも優しい街だった

やがて子どもが生まれ、子ども中心の生活に切り替わっていった。そのころ、子育てのことを考えて、なじみ深い江古田に舞い戻った。今までで一番広い、だけど古いマンションを借りた。

マンションは、小さな子どものいる世帯が多く、老朽化のせいか空き部屋も多かった。なので、通路で子どもたちが遊んでいても、怒られることが少なかった。子育て中の家族にとっては、天国のような物件だった。

江古田のマンション在りし日の「子育て天国マンション」。現在は改築されてきれいになっている

そもそも、江古田〜練馬のあたりは、やたらと子どもに優しい人が多い気がする。飲食店に小さな子どもを連れて行っても嫌な顔をされるどころか、どの店もお菓子をサービスしてくれる。一度、会計時に店の人がおらず、少し待っていたら袋を抱えて戻ってきたことがあった。

店の人は息を切らしながら、こう言った。

ちょうどお菓子切らしてたから。

わざわざ買いに行ってくれていたのだ。

結婚前から二人で通っていた焼肉屋では、ママが「私が抱っこしてるから、ゆっくり食べなさい」と子どもの面倒まで見てくれた。

夏になると、毎週どこかでお祭りをしている。中でも、北新井公園での盆踊り大会は近所の子どもたちの一番楽しみだ。二番目に生まれた息子などは、この日が楽しみ過ぎて、朝早くから公園に行き、夜まで帰ってこなかった。たしか、高校生になっても、まだ通っていたはずだ。そんなに楽しい祭りなのか、あれは。PTAが出店しているような町内会の手づくりの祭りなのに。

北新井公園の盆踊り大会北新井公園の盆踊り大会の様子

練馬に骨を埋める覚悟

二人の子どもが大きくなると、それぞれの部屋が必要になってきた。2LDKだと、もう厳しい。しかし、3LDKになると賃貸物件が急に少なくなるのが江古田だ。じゃあ、もういっそ買っちゃうか。

40歳を機にそんなことを考えて、江古田で物件を探し始めた。しかし、コレという物件には出合えず。ダラダラと一年近く探して、もう諦めようかなと思った時、ある不動産会社の支社長が「ここ、いいんですよ」と、うれしそうに紹介してくれた物件。それが、江古田の隣、練馬エリアの中古マンションだった。

ここね、近くにいい蕎麦屋が三軒もあるんですよ! 最高でしょ!

それは、あんたが蕎麦好きなだけでしょう!

とは言え、紹介してくれただけあって、そのマンションはなかなか良かった。今の住居と間取りが似ていて、少し広くして一部屋増やした感じだ。

ちょうど、筆者が長年愛していた老舗が次々と閉店し、江古田が寂しくなりつつあった。この際、練馬にホームグラウンドを移してもいいのかもしれない。

……というわけで、41歳で練馬に移った。もしかしたら、練馬が終の棲家になるのかもしれない。練馬に骨を埋めることになるのか、なんてことも考えた。

でもこの時点で、浦和よりも練馬区に住んだ期間のほうが長くなっていた。気持ちの面で、もう自分の地元は練馬区なのだ

練馬で見つけた「天国」の話

さて、練馬をホームグラウンドにし始めると、江古田に勝るとも劣らない面白い店が次々見つかった。特に、練馬駅南口の飲み屋街は個性的な店が集まっていて楽しい。

西武池袋線沿線の飲兵衛でここを知らなきゃモグリと言われるほど老舗の名店「金ちゃん」、タイ料理で立ち飲みができる「福道(ひょうたん)」、飲兵衛漫画の神様・ラズウェル細木先生行きつけの「旬味ふじよし」……。どの店もおいしく楽しく、そして安い。

そうしたお店に通ううち、近所に住んでいる友達と練馬で飲み歩くことが増えた。
 
一方で、「今、三軒茶屋で飲んでるからおいでよ」なんて気軽に誘ってくる知人に、「今、練馬で飲んでるからおいでよ」と言うと「えー、遠いなぁ」と嫌がられることが少なくなかった。交通の便で考えれば、三軒茶屋も練馬も都心からのアクセスのしやすさはそう変わらないはずなのに、なぜか練馬は「辺境の地」扱いされる

悔しいので、練馬での飲み歩きがいかに楽しいかをSNSで発信しまくった。われわれは練馬でこんなにごきげんにやってるぞ、と。

すると風向きが変わって、練馬で飲みたがる他区民も増えてきた。

10年ほど前に「大練馬会」と称して、練馬在住の友達を集めて宴会を行ったことがある。会場は練馬駅にほど近い、驚異のメニュー数を誇る居酒屋「たぬき」の二階。20人以上が集まった。

参加できるのは練馬区民、もしくは練馬区で働く人。友好区民として、隣接する中野区、豊島区、北区の住人は参加可にした。すると許可していない世田谷区民、杉並区民の友達までもが仲間になりたそうにやって来た。

練馬が勝利した、と感じた瞬間だった。

大練馬会はその後も断続的に開催され、現在は江古田の老舗パン屋「マザーグース」の横のレンタルスペース「フェアリーテイルズ」を貸し切って行われている。通称「パン横会」。参加者の練馬区民縛りはなくなっているので、かなり遠方からも友達がやって来る。

マザーグースでの「大練馬会」の様子2019年の「パン横会」の様子

各々料理や酒を持ち寄って、機材を持ち込んでDJをする者もいれば、製麺機で中華麺をつくる者もいる。夏には流しそうめんもやった。子連れで来る友達も多い。

自由すぎる、幸せすぎる空間。もし、本当に天国があるのなら、パン横会みたいなところだったらいいな、と思うのだ。

練馬で過ごす老後って、いいな

気がつけば50歳をとうに過ぎていた。江古田で一人暮らしを始めて35年、練馬に移ってからも13年がたった。

二人の子どもも成人した。自分は18歳で家を出たが、子どもたちはまだまだ家を出ていかなさそうだ。都内に家があれば、そりゃそうか。というより、二人とも練馬が好きで、あまり都心へ遊びに行かないのだ。せっかく東京に住んでいるんだから、もっとあちこち行けばいいのに、というのは東京ネイティブじゃない人間の感覚なのかもしれない

いい加減そろそろほかの街に住んでみてもいいかなと、ふと考えることもある。しかし、じっくり考えても、練馬のほかに住みたい街が具体的に浮かんでこない。

なんでそんなに自分は練馬が好きなんだろう。

まず挙げられる理由が「ちょうどよさ」だ。都会過ぎず、田舎過ぎない。都会も田舎も、たまに行くにはいいけれど、ずっと暮らすと疲れてしまいそうだ。練馬の「どっちつかずのゆるいムード」は、ちょうどいい。

飲み屋街も立石ほど渋くなく、赤羽みたいにハードコアでもなく、なんとなくゆるい空気が漂っている。個性豊かな個人店も多いけれど、チェーン店もだいたいそろっていて、バランスがいい。そして、どの飲食店も基本的に安い。料理の量も多い。せんべろとまではいかないが、2000円もあれば十分に飲める。

そして、あまり語られないけれど、練馬の突出した魅力だと思うのが「交通の便のよさ」だ。練馬駅からは西武池袋線と大江戸線、そして有楽町線、副都心線も直通。池袋はもちろん、新宿、渋谷、六本木へも乗り換えなしだ。さらには秩父や横浜中華街へも一本。ビジネスに観光にと便利すぎる。

加えて、忘れてはいけないのがバス。バスを使えば、高円寺や中野、赤羽までも行動範囲に入ってくる。

練馬駅のバスターミナル練馬駅のバスターミナル

余談だが、筆者夫婦は最近、バスで十条銀座へ行くのにハマっている。あそこに売っている商品の安さは練馬以上だ。行くたびにいろいろと買い込んでしまう。バスなら家の近所の停車場に停まるので、荷物が多くても行き帰りが楽でいい。

そう考えると、練馬で骨を埋めたいと思ったのも、あながち冗談ではないな。年を取った時に、練馬のゆるいムードは一層心地よく感じられるだろうし、体力的に移動がツラくなっても、練馬内でだいたいなんとかなる

最近は隣の桜台も飲食店の面では、練馬より盛り上がっているくらいだし、その隣の古巣・江古田も老舗が減って寂しくなった分、新しい店が次々とオープンして、ちょっと小洒落たカルチャーの街へと生まれ変わりつつある。反対側の中村橋にある練馬区立美術館は、かなり尖った展示が多く、美術ファンからも注目されている。徒歩圏内で十分楽しく過ごせるのだ。
 
たまに練馬の外へ出たくなっても、それほど苦労なく、どこへでも行ける。
 
うん、いいな、練馬で過ごす老後。なんだか年を取るのも楽しくなってきたぞ。
 
おれ、もうずっと練馬でいいや。いや、練馬がいいや。

著者:安田理央

安田理央さんプロフィール画像

1967年、埼玉県生まれ。ライター、アダルトメディア研究家。美学校考現学研究室(講師:赤瀬川原平)卒。主にアダルトテーマ全般を中心に執筆。AV監督やカメラマン、またトークイベントの司会や漫画原作者としても活動。主な著書に『痴女の誕生 アダルトメディアは女性をどう描いてきたのか』『巨乳の誕生 大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』『日本エロ本全史』(すべて太田出版)、『AV女優、のち』(KADOKAWA)などがある。 最新刊は『ヘアヌードの誕生 芸術と猥褻のはざまで陰毛は揺れる』(イースト・プレス)。

編集:はてな編集部