横浜のハズレから想う、なんだかんだで「ヨコハマシカ」|街と音楽

著者: サイプレス上野

自室、スタジオ、ライブハウス、時にはそこらの公園や道端など、街のあらゆる場所で生まれ続ける音楽たち。この連載では、各地で活動するミュージシャンの「街」をテーマにしたエッセイとプレイリストをお届けします。

 

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俺が住んでいる街は横浜です。2021年の8月には41歳になります。

一時期、東京の永福町や藤沢に住んでいたこともありましたが、41年間ほとんどの間、横浜に住んでいます。

ちなみに現在は横浜駅から3駅隣の戸塚駅に自宅と、生まれ故郷であるドリームハイツにヤサ(スタジオ兼作業場)を構え、その2つを行き来する毎日です。

まさか自分が戸塚駅のそばに住居を構えるとは思ってもいませんでした。が、大人の責任として後輩たちに「ラップだけでも頑張りゃ駅チカに住めんぞ」と伝えたく虚勢を張って購入しました。大ヒットが出ない限り、死ぬまでローンですが(笑)。

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さて、この記事を読んでいる方は、横浜に対してどのようなイメージをお持ちでしょうか。

有名なところで言えば、元町中華街、みなとみらい、横浜スタジアム、山下公園、CRAZY KEN BAND、横浜高校(出身校。手前味噌ですみません)などなど。お洒落な街として、そのイメージが君臨していると思われます。

他にもよい場所はまだまだありますが、地方から友達が遊びに来たときは、大体そこらへんを紹介し、家系ラーメンにも連れていきます。でも横浜が誇る家系ラーメンの総本山『吉村家』に並ぶような経験は、もう20年以上ありません。

味がおいしいのはもちろんわかってますし、来浜されたら絶対に行くべきお店なのですが、どこか俺たちには「横浜生まれだからすぐに食べに行けるし、昔からとっくに並んでたし」とたかをくくっている部分があると思います。

それなのに他から参入してきた赤文字系家系には絶対的な断絶。断固拒否。本流の家系への意地とプライド、でも好きな味でもハマっ子としては並びたくないしサクッと行きたい、というジレンマが我々には常に襲って参ります。でも、耐えます。

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いきなり家系ラーメンという横浜代表のような話をしましたが、俺自身が産まれた土地は「横浜」と呼ぶにはおおよそ相応しくはないような場所でした。

そこは横浜の外れ、あらゆる意味で“ハズレ地区”である横浜ドリームハイツ。かつて、「横浜ドリームランド」という遊園地が存在し、周辺に大型住居が23棟並ぶいわゆるマンモス団地です。

遊園地が開園した当時は大船からモノレールが開通し、俺の両親もワクワクして購入したと言います。

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しかし、そのモノレールも不具合が発覚してわずか数年で廃線。ドリームの住民の夢を打ち砕きました。なぜならドリームに来るには戸塚・大船といった主要駅からはバスで30分以上、ときには神奈川最恐渋滞地区である原宿交差点を絶対に通過しなくてはならないため、下手をしたら一時間以上掛かるのです。

それでも購入した以上は、我が上野家並びに住民の方は容易に手放すことはせず、生きていきます。そして俺が産まれました。

 

この坂を登るとドリームハイツ

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急な坂を登った先にあるその街は完全に他の街と隔離されており、遊園地・パチンコ屋・ゲームセンター・ボーリング場などの遊技場、個人スーパーや居酒屋にディスカウントストア、横浜銀行などすべてがそろっています。

つまりそこから無理に出なくてよいのです。小学生のころはそこから出なくてもぜんぜん困らないし、友達も団地の仲間だけという生活をおくっていました。 

その後、俺は横浜中学に進学、朝から放課後までは地元を離れます。そこで出会ったのは圧倒的にカッコイイ、ドリームでは見たこともないような先輩方たち。中高一貫校で、学校には6歳上の方までいるので、地元では見たことのない「ビシキマ(ビシッとキマっている)」な人たちに溢れていました。

もちろんドリームの先輩にもヤバい人はいるのですが、みんな「友達の兄貴」や「近所の幼なじみ」で恐怖以外でリスペクトが生まれない状態だったのです。

そんなドキドキな世界に迷い込んだ、ガキんちょな俺。怖いもの知らず、というかバカだったので、果敢に先輩方に話しかけ、ここでは書けないことも含めた色々な情報を伺います。相当生意気なガキだったハズですが、みんな優しくしてくれて、いわゆる「横浜」を知ることができました。

それまでの自分たちにとっては、自転車で戸塚駅か大和に行くのですら冒険だったのに、突然その範囲が横浜駅や元町まで拡がり、さらにはレコードを買いに渋谷にまで足を運ぶようになりました。

とはいえ、知らない街はめちゃくちゃ恐いし、カツアゲにも遭うこともあります。それでも自分の歩ける範囲を拡げる行為は快感以上のなにものでもなく、地元のドリームでは得られない物を手に入れた気分に浸っていました。 

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ドリームハイツに見られるグラフィティー

ある日バスに乗っていたら、隣町のやんちゃな知り合いと鉢合い、車内に緊張が走ったことがあります。しかし、渋谷にレコードを買いに行こうとしていることを彼に伝えると、「お前はすごいな。都会は危ないから気をつけろよ……」とだけ返され、事なきを得ました。

単身で都内に行った経験のない彼からすると、きっと尊敬に値する行為だったのでしょう。これはDISとかではなく、俺たちが住んでいる横浜の「ハズレ地区」はこのような場所で、ここだけでの優越の話がすべてだったのです。

ただ俺自身は、横浜の中心部に行くことを自慢するわけでもなく地元が1番だと思っていたし、なぜか受かった横浜中学校への通学は、音楽を聴くための楽しい時間でした。

それぞれが大人になりかけたとき、中には「こんな場所いたくないわ」と地元を離れ、渋谷のライブ会場で再会した友達もいました。彼らとは今でも東京でしか会いませんし、地元にも帰ってきません。でも、それはそれで各々の人生。地方の人が東京に飛び出すのはこういう気持ちなのかな、と思うこともあります。

 

東京と横浜の距離感

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横浜から東京には電車で20分ほど。戸塚から渋谷までも湘南新宿ラインに乗れば、40分で到着します。それでも東京のアーティストを横浜に招くときは「やっぱ横浜遠いね~」と言われてしまいます。いや、俺毎週仕事で東京行ってんだけど!つか、車でも第三京浜ですぐっしょ!

つまり、横浜は東京に1番近い地方都市なのです。横浜のアーティストが曲名に“横浜”や“BAY”や“045”など各所の名前を入れているのも、横浜にこだわりを持ち、東京をライバル視しているためかもしれません。でもこの街に流れている抜けのよい空気があるからこそ、排他的にならず、どこかスーッと吸収してもらえるのだと思います。

ただ横浜の「ハズレ」に住むものとしては、ランドマークタワーや横浜中華街といった有名な観光名所が「憧れの地」であることも事実。

昔、駅前ビブレ側のレコード屋でバイトしていましたが、行ってはすぐに帰っての生活だったため、いまでも桜木町ではドキドキしてしまい、山﨑まさよしさんばりになにかDIGするフリをします。

ラジオの仕事で隔週はランドマークタワーに通っているのに、最上階には一度も行ったことがありません。野毛の飲み屋も常連面できるところもありません。横浜スタジアムに入ったらワクワクします。横浜駅のまわりを歩くたびに「ああ、ここは横浜だな」と思い返します。

「中区」と「西区」を除いたらすべて田舎者の横浜市民ですが、「横浜」を愛しているのが伝わってくる人ばかりで、最高です。

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横浜ビブレ

そんな横浜を愛してやまないうちの一人である俺ですが、一時期は東京に住んでいたこともあります。それが冒頭で書いた杉並区の永福町です。

なぜこの街に住んでいたかというと、『スペースシャワーTV』という音楽専門テレビ局でナレーションの仕事をいただいたのがきっかけでした。

収録スタジオがあるのは六本木。月曜から金曜まで毎朝11時から録音が行われ、下手したら最短10分で終わることもざらにありました。とはいえ都内に出たところで友達も全然いないし、昼の12時過ぎから遊んでくれる人なんていません。

ラッパーやクラブ界隈の人間なので都内に友人が多いと思われがちですが、実際、家に泊めてもらえるような友人はわずかで、自分のライブ帰りに泊まったことは数回しかありません。華やかに見える舞台の裏側はそんなものなのです。

ドリームから往復3時間以上かけて通うことの費用対効果に悩みはじめたころ、ナレーションの仕事が延長となり、いよいよ都内で暮らしてみっか~という流れになりました。

もちろんドリームハイツにヤサはあり、二重生活になるので、できる限り、家賃は抑えたい。そこで都内の友達を頼って「DJのあいつとあいつが2人暮らしをしていて、部屋が余ってる」という情報を手に入れ、彼らに連絡をすることにしました。

歳は一つ下の2人ですが10代からの友達で、速攻で「千代くんなら全然いいよ」と承認をもらい内見(というか遊び)に行きました。ちなみに「千代くん」とは俺が10代のころに名乗っていた「上千代 the 闇スナイパー」という物騒なMCネームで、その時代を知っている人が使っているあだ名です。失礼しました。

家を一通り見たあと「俺の部屋はどこ?」と聞くと、案内されたのは玄関すぐの物置でした。大量に積まれたヒップホップ専門誌やファッション雑誌。当然クーラーもなければ暖房もありません。おまけにすぐ隣が小学校なので、朝からにぎやか(笑)。

結果的には、起きるのに丁度いい目覚ましになったのですが、都内に住んで睡眠時間が増えたはずが、逆に早起きになるという現象が起きました。

最初は一瞬ためらいましたが、彼らと毎日遊べるのと、すぐ新宿や六本木に出れるのは魅力だったので居候になることを決めました。

 

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その後、なんの問題もなく春が過ぎ、ナレーション仕事のあとには昼間っからのんびり寝転がり、週末はライブで地方をまわりヤサに戻る。今振り返ってみても最高の日々でした。しかし、幸せな時間は簡単に長くは続きません。そう、梅雨&夏の到来。

俺の住んでいた部屋は元々物置として使われていたため、クーラーを付ける場所もなく、ムシムシとした空間。さらには大量の荷物。「寝れるだけでいい」という約束で格安にしてもらった手前、当然文句は言えませんが、それでも暑すぎて寝れず、クーラーのあるリビングで暮らす日々でした。

 

真夏を迎えたある日、当時仲のよかった女の子が関西からライブに訪れ、翌日そのまま家に泊まりたいということになりました。

しかし、いざ部屋につくと当然「信じられない」といった表情。1人でも手狭な物置部屋は完全な蒸し風呂。同居人たちは気を遣って部屋から出てきませんが、リビングを占領するわけにはいきません。

物置の窓を全開にすると、隣の小学校から日曜のクラブ活動の声が鳴り響き、それをBGMに2人は向かい合っているだけなのに汗だく。とてもラッパーのアフターアワーズとは思えないまったく甘くない時間でした。 

あまりの暑さに自分の中のアントニオ猪木がブチ切れ、浴槽に水を溜めて氷水風呂を敢行。その子にも「一回入ったらスッキリするぞ!」とおすすめしたところ、浴槽の冷水よりも冷たい視線をぶっかまされ「ちゃんと1人で住める人になってな」と荷物をまとめて関西へお帰りになりました。

まさかの事態に愕然としていると、寝ずに起きてきた同居人がリビングにやってきて、昼ごはんを買いに駅のほうへ行くことに。文句を言いながらダラダラ歩いていると、ケンタッキーを発見。即座に購入して家に持ち帰り、リビングで1人ムシャムシャチキンを食べていると、ふと変な感情が生まれました。

 

「俺って徒歩圏内にケンタッキーある生活してたっけ!?」

 

そう、ドリーム周辺にはケンタッキーはもちろんファーストフード店がまったくありません。最近は環状線が通ったため、いわゆるロードサイド的なお店ができはじめていますが、自分たちが過ごした青春時代にはケンタッキーとは「バスで戸塚まで出た猛者が食べられるもの」という認識でした。

それなのに俺はいま、徒歩圏内で買ったケンタッキーを食べている。どうかしている。これは俺じゃない。俺は本当にこのままでいいいのか?

そんな不安感に襲われ、自問自答しながら、なんだかんだで完食しました。

本当にくだらない話ですが、当時はマクドナルドも吉野家も、「戸塚駅のお土産」としか食べたことがなかったのです。さらには戸塚駅から自分の家までバスで30分以上かかるので、食べるころにはすべて「しなしな」。

上野家は電子レンジの導入が非常に遅かったので、冬は家族みんなが足を突っ込んでいるコタツで温めていました。そう、俺の青春の味は「しなしな」なのです。

その精神というか、ヤングトラウマが蘇り、いよいよ東京からの撤退を決めることになりました。

 

やっぱり地元でぶっかます!

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戸塚駅の馴染みの飲食店仲本食堂にて

こうして振り返ってみると、俺は便利すぎるのが苦手なのかも知れません。

いまでもヤサには戸塚の家から60分、湘南台駅から30分かけて歩いて向かいます。バスもほとんど使いません。それでも不便と感じることはなく、もともと不便な場所で生きているのだから、それがないと自分じゃないって気持ちになるのです。

ハッキリ言って時間的には無駄の塊ですし、都内や地方からゲストで遊びに来た人たちは遠すぎて苦笑いします。ただ、その無駄な時間こそが誇りであると、胸をはって言えるのです。

ちなみに藤沢にもヤサと並行して長く住んでいたのですが、ドリームの坂を降りた瞬間に藤沢市になります。そしてドリームランドのキャッチコピーは『湘南あそびヶ丘・横浜ドリームランド』という、どっちなんだよ!?という間柄。子どものころから一番の都会は横浜よりも藤沢だったのです。

横浜をテーマにした曲をたくさん出しているけど、じつは隅っ子の俺、サイプレス上野。不便だけどこんな楽しい街で俺を産んで育ててくれて、両親には感謝しています。

 

最後に、今回の寄稿前に母ちゃんに下調べをしたら「あんたが生まれる前はビブレ横のダイエーのマンションに住んでたよ」と言われました。

横浜の一等地じゃねえか!そこにずっと住んどけや!!  

 

<サイプレス上野のプレイリスト>

横浜を中心に神奈川の先輩、友達の曲をセレクトさせていただきました。自分が住んでる横浜の“ハズレ”と隣り合わせの藤沢市の仲間から、ドキドキワクワクしながら向かう、みなとみらいや中心部で掛かってそうな(青春時にかかっていた)イケイケな楽曲を聴いてもらえたらと思います。よっしゃっしゃっす〆

 


著者:サイプレス上野

サイプレス上野

サイプレス上野とロベルト吉野のマイクロフォン担当。通称『サ上』。 『横浜ドリームランド』出身の先輩と後輩でサイプレス上野とロベルト吉野を結成。 ロックイベントへの出演やアイドルとの対バンなど、ジャンルレスな活動で人気を集めている。その他、TV、ラジオへのレギュラー出演、ナレーションなど多方面で活躍中。

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 「街と音楽」過去の記事

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編集:日向コイケ(Huuuu)