「お母さんのような宮崎に、お笑い文化を根付かせたい」宮崎出身コンビ「いぬ」の夢

編集: 小沢あや(ピース株式会社) 取材・構成: 山田宗太朗 撮影:小原聡太


お笑いコンビ「いぬ」の太田隆司さん(向かって右)と有馬徹さん(左)は、ともに宮崎県宮崎市出身。同じ高校のラグビー部で出会ったときからの仲良しコンビだといいます。2022年のキングオブコント決勝では独特の世界観と温かさのあるコントがインパクトを残し、審査員からは「禁じ手」と言われるなど話題になりました。

そんなおふたりにとって、地元・宮崎は「お母さん」のように温かい「帰る場所」だといいます。上京してからも地元愛が薄れることはなく、いつかは宮崎で冠番組をもつことを夢見ているんだとか。ふたりが愛する故郷・宮崎について、たっぷり語ってもらいました。

コントのような出会い方で、最初からコンビだった


―― 高校卒業まで宮崎で過ごしたおふたりが、お笑いを好きになったのはいつですか?

太田:僕は小学校のときからずっと好きでした。宮崎は民放のチャンネルが2つしかないけれど、その中でも『めちゃ×2イケてるッ!』や『爆笑オンエアバトル』を見てお笑いの真似事をしていたんです。

有馬:僕も小学校に入ったころです。親父が車の中で流していた嘉門達夫さんの替え唄メドレーが大好きで。それを学校で歌うと友達がみんな笑ってくれるんです。「人を笑かすのってめっちゃ楽しいな」と思って、将来は人を笑かす仕事に就きたいと思ってました。

―― 出会いは高校のラグビー部だそうですね。知り合ったときのことは覚えていますか?

太田:もちろん覚えてます。僕は高校に入学してからどの部活に入るか迷っていて、2カ月くらいしてから初めてラグビー部の練習に参加したんですけど、初練習の日がたまたま学外をランニングする日で、グラウンドに誰もいなかったんです。そんなことは知らなかったから諦めて帰ろうとしたとき、遅れてやってきた一年生がいて。それが有馬でした。「今から外走るけど、一緒に来る?」と言ってくれて。

有馬:僕のほうが先に入部していたから、教えてあげなきゃと思ったんです。

太田:「俺の後ろ、ついて来いよ」みたいな感じだったよね。それで有馬の後をついて走ってたら、途中で「こっちに近道あるから」って竹やぶの中に入って行くんです。そうしてだんだん山の奥に進んでいくのがわかって。おかしいなと思って有馬の顔を見ると、まだ走り始めて間もないのに表情がすごい険しい。「こいつ……道に迷ってるな」と(笑)。

―― 迷ってたんですか?

有馬:迷ってました(笑)。迷ったことを言えずに竹藪の中を走り続けていて。本当は近道なんて知らないのに「俺は近道を知ってるぜ」ってかっこつけたかったんです。

太田:このまま進んでもだめだと思ったので、「道、こっちじゃない?」と提案してなんとか山道から抜けることができて。そのときから僕らの間で微妙な上下関係ができたんです。だから有馬の第一印象は「なんだこいつ」って感じでした。

有馬:僕の太田の第一印象は「頼りがいがある人だ」でした。

―― コントみたいな出会いですね(笑)。それですぐに仲良くなったんですか?

太田:なりましたね。部活では僕らがお笑い担当みたいな感じでムードメーカーと言われていました。最初からコンビみたいなものだったんです。実際にコンビとして人前に初めて立ったのは、高校2年のときの吹奏楽部の定期演奏会で。「MCをやってくれないか?」と頼まれたんです。

有馬:進行役だからネタなんかやらなくていいのに、曲と曲の間にふたりで考えたショートコントを入れてましたね。

―― どんなコントですか?

太田:最初にやったのは……トイレのネタ?

有馬:トイレやね。ちょっとやってみます?


その場でネタを披露してくれてサービス精神がすごい

―― おおーっ、サンタさんのネタみたい! すでに、いぬの原型がありますね!

有馬:高校生が考えたネタだから今やるのは恥ずかしいけれど、当時はかなりウケました。

「いぬ」というコンビ名は、「ジョイフル」の置き物から

―― 「いぬ」というコンビ名を決めたときのエピソードも教えてください。

太田:コンビ名は宮崎の「ジョイフル」でふたりで考えました。九州を中心に展開しているファミレスなんです。最初はカタカナのかっこいい名前にしようと話していて、「リトルバイリトル」とか、それこそ「ジョイフル」とか候補を出していったんですけど、どれもピンとこなくて。

そのときふと、店にあった犬の置き物が目に入ったので、半ば適当に「『いぬ』っていいんじゃない?」と言ったら、有馬が「俺らっぽくてシンプルでいいな」と。それで仮でつけたのが「いぬ」だったんです。

有馬:カタカナのかっこいい名前を1時間くらい考え続けたあとで急に「いぬ」って言われたから、笑っちゃったんですよね。フリが効いていて。

太田:その仮のコンビ名を使い続けているうちに、だんだん愛着が湧いて今に至っています。あの犬の置物は何なんだろう。ジョイフルと何の関係があるかわからないけれど、店に置いてあるんですよ。白い犬の置き物、というか犬のランプ。

―― 調べたんですが、橋田裕司さんという大阪在住の照明デザイナーさんが1981年につくった作品だそうです。

有馬:へえー! そうなんですか! 結構古いんですね。

―― オイルショック後に省エネと節電の機運が高まり、世の中が暗い雰囲気になる中、節電していても楽しくなるようなのをつくりたい、そこにいるだけで和むような作品をつくろうと思って製作したものらしいです。「そこにいるだけで和むような」って、図らずも今のおふたりにぴったりですよね。

太田:そうなんですか! 知らなかった! めっちゃいいですねそれ、今度から使わせてもらいます(笑)。

「一緒に芸人になろう」となかなか言い出せなくて


―― 出会いの時点でコンビだったおふたりですが、本格的にお笑いをやろうと決めたのはいつでしたか?

太田:ふたりでMCを務めた定期演奏会の後なので、高2の冬だったと思います。有馬とは肌が合うというか、好きなお笑いが同じだったから一緒に芸人になりたいと思って。

有馬:僕も、将来的には太田とお笑いをやりたいと思っていました。

太田:でも「俺と一緒に芸人になろう」と誘うのは、ある意味では告白みたいなことじゃないですか。だからなかなか言えなくて。部活の合宿に行くバスの中で「将来、俺は芸人とか考えてるんだけど、有馬は何かやりたいことあんの?」とやんわり聞いたんです。そしたら有馬は、バスの窓に息を吹きかけて、曇った窓ガラスに指で『ドラゴンボール』の悟空の絵を描きながら「俺は、漫画家になろうと思ってる」って言ったんです。

―― 面白い伝え方ですね(笑)。

有馬:もう照れ臭くてしょうがなくて(笑)。お笑いがだめなら漫画家を目指そうと思っていたので、100%嘘ではなかったんですけど。

太田:有馬がお笑いをやりたいと思っていることはわかってたんですよね。でも俺もあんまり強く誘えなくて、そのときは「あー、そうなんだ」と流してしまって。いつかはちゃんと言わなければと思いながら、1カ月後にラグビーのスクラムの練習中に言いました。

―― スクラムの練習中に?

太田:スクラムは1対1で練習するんですけど、顔がくっつくほど密着して逃げられない状態になるんです。そういう状況をつくりたかったんだと思います。他の誰にも聞かれないふたりだけの空間ができるので、ここしかないと思って。

有馬:スクラム中は密着しつつも顔は向き合っていないので、照れることもないんですよ。

太田:その状態で、「俺たちってさ、頭も悪いし、顔も不細工やけどさ、お笑いやったらできるっちゃねえか」と。

有馬:僕は「そうやね」と返して。これで結成です。

太田:今思うと「一緒に芸人になろうぜ」とはっきりは言っていないですね(笑)。

有馬:でも、それでお互いの気持ちが伝わったんです。


当時の状況を再現してくださいました!

『M-1甲子園』宮崎県大会で優勝

―― 出会いといい、結成の瞬間といい、アプローチがすごく身体的ですよね。そのまま現在の芸風につながっている気がします。ところが、その後すぐに解散の危機に陥ったとか。

太田:高2の後半ごろ、僕に彼女ができたんです。初めての彼女だったから夢中になりすぎちゃって。高3になって進路を決めるとき、お笑いではなく彼女を選んで就職しようと思ったんです。有馬の家でそう説明して「こっちから誘ったけど、お笑いは一緒にできない。ごめん」と伝えました。

有馬:残念だったけど、太田が決めた道だから応援しようと思って、僕は自分だけ芸人になることにしたんですね。そんな話をしていて重い空気になってしまったので、テレビをつけたら、ちょうど湘南乃風さんの『カラス』のMVが流れていて。「やめてたまるか/お前と俺は/群れたカラスさ/一生懸けた!」って、まさに今の状況を表したような歌が流れてきて。隣を見たら太田がめっちゃ泣いてるんです。
太田:大号泣しましたね。でもそれで自分の決断が覆ることはなく、最後に思い出づくりのために『M-1甲子園』宮崎県大会に出場して、それで終わろうと思っていました。

―― しかしそこで優勝してしまう、と。

太田:宮崎市のイオンモール内の小ホールで開催されたんですけど、地元だから同じ高校の生徒がたくさん見に来ていて、ほとんどホーム状態で。たぶんお客さんの7割くらいがうちの高校の生徒だったと思います。そこで優勝しちゃったもんだから、「プロでもいけるな」って調子づいちゃって(笑)。ちなみに、ジェラードンのかみちぃさんもその宮崎県大会に出場していました。

有馬:でも全国大会ではスベリまくりだったんです。最初の「どうも、いぬです」が言えないくらい緊張してしまって。このときの惨敗が悔しすぎて本気になりましたね。見返してやろうと。

太田:ちょっと話が逸れるんですけど、宮崎のイオンモールには思い出がたくさんあります。当時の彼女とデートをするときはだいたいイオンモールだったんです。というか、当時はそこしかデートする場所がなくて。といっても何をするでもなく、ふたりで自転車に乗ってイオンに行って、イオンの中を一周して、マックで何か食べて、あとは休憩スペースで話して帰るくらいなんですけど。

有馬:イオンで俺らダブルデートしたよな?

太田:したした(笑)。

有馬:僕の彼女と太田の彼女が親友だったんです。どちらもバレー部の子で。

―― 青春エピソードですね……!

有馬:僕らは背が低いから彼女のほうが大きくて、ダブルデートしたときは周りの人にめっちゃ見られましたね。「なんだあのカップルは?」みたいな感じで。僕らがちんちくりんで面白かったんだと思います。

―― その後、有馬さんは鹿児島の大学に、太田さんは関西の大学にそれぞれ進学しますね。

有馬:本当はすぐにNSCに入ってお笑いをやりたかったけど、親と先生に猛反対されて。三者面談を10回ぐらいやった結果、「途中でやめてもいいから大学に行ってくれ」という話になったんです。

―― 大学時代はどんなふうに過ごしていましたか?

太田:大学時代は……一応、サッカーサークルに入って、アルバイトでは結婚式場の配膳をやっていたんですけど、都会に馴染めなくてあんまり大学生活を楽しめなかったんです。パチンコやスロットばかりやっていました。

有馬:僕は、大学で仲良くなった友達と学祭に出て漫才をしていました。とにかくお笑いがやりたくて。太田と芸人になるためにお笑いの腕を磨いていましたね。

―― そしてふたりとも、大学を中退すると。

太田:当時テレビでお笑い番組をたくさん見ていたので、駆け出しのジャルジャルさんを見つけたときに「めちゃくちゃ面白い! 有馬に教えよう!」と電話したんです。そうしたら有馬も「俺も面白い人見つけたんだよ」と言うので、お互い教え合おうと。

有馬:それがふたりとも同じジャルジャルさんだったんですよね。

太田:やっぱり有馬とは感性がまったく一緒なんですよね。僕らは高校生のころに当時のジャルジャルさんと似たようなことをしていて、しかもジャルジャルさんが若手芸人ランキングの上位に入っていたから、「俺たちも上に行けるんじゃないか?」と思って。そう考えたら、居ても立ってもいられなくなって「もう俺、大学やめてNSC行こうと思うんだけど、どう?」と聞きました。有馬も「じゃあ、行こう」と。

有馬:そうしてふたり同時に大学を中退するんです。卒業まで待っていられなくなっちゃったんですね。そこから半年くらいまずお金を貯めて、NSCに入るために一緒に上京しました。

絶対に食べるべき宮崎の「チキン南蛮」


―― 東京に出たからこそ再確認できた、宮崎の魅力はありますか?

有馬:やっぱりメシがうまいことですね。たとえば鶏料理。地鶏の炭火焼きとかチキン南蛮とか最高です。特にチキン南蛮は、宮崎と東京ではまったく別物でした。

―― どんなふうに違うんですか?

有馬:東京のチキン南蛮は、唐揚げに甘酢とタルタルソースをかけるだけですよね。宮崎のチキン南蛮は、鶏肉を揚げた後に甘酢に漬け込むんです。だから味が物凄く染み込んでいておいしい。鶏肉の味が全然違うんです。今でも宮崎に帰ったときは、チキン南蛮で有名な「おぐら」に行きます。初めて宮崎に行く人は絶対に行くべきです! あとは、海があるので魚もうまいです。宮崎では甘い醤油につけて食べるんですよ。

太田:うどんも全然違います。宮崎のうどんは、ふにゃふにゃなんです。

―― ふにゃふにゃ?

太田:そのまま飲み込めるぐらいふにゃふにゃです。舌で切れるから歯がいらないくらい。東京ではコシがあるほうが良いとされていますよね。だから東京で初めてうどんを食べたときは衝撃でした。「硬っ!」って。

有馬:宮崎辛麺も食べてほしいです。そば粉と小麦粉で練られた「こんにゃく麺」を使った宮崎のご当地ラーメンで、全国的にも人気です。あとはやっぱり焼酎ですね。特に『木挽BLUE』という焼酎がスッキリしていて飲みやすいので初心者にもおすすめです。黒霧島とかも宮崎の酒だし、宮崎は酒飲みにもおすすめです。

太田:あとおすすめは……「まち」じゃない?

―― 「まち」?

太田:東京で遊ぶとなると渋谷とか新宿とか、地名がたくさん出てきますよね。でも宮崎の場合、遊ぶ場所はだいたい1カ所で、宮崎市の中心にある歓楽街の西橘通りなんです。略して「ニシタチ」と呼ばれていますが、地元ではみんなニシタチのことを「まち」と呼ぶんです。

有馬:ニシタチは、どの居酒屋に入ってもメシがめっちゃうまいです。特定のこの店とかではなく、どこもおいしい。ニシタチで焼酎片手に炭火焼きを食べて、締めに辛麺か釜揚げうどんを食べてほしいですね。

太田:食べ物以外だと、青島がおすすめです。すっごくきれいな海岸で、そこにある青島神社もすてきだし、あと、モアイ像があるんです。青島の海道をまっすぐ行くと「サンメッセ日南」という観光公園があって、そこにモアイ像が何十体も置いてあって。世界で唯一、イースター島の特別許可を得てつくられたらしいです。

ふたりにとっての「お母さん」のような宮崎


―― 宮崎は食べ物と自然が魅力なんですね。

有馬:そうですね。自然が豊かで、空気がゆったりしていて、人が優しいんですよね。街の中心からでもちょっと歩けば田園風景が広がっているし、車で10分も走れば海に出られる。朝になると緑の匂いが充満していて、山の香りがします。本当に居心地が良いところです。

―― 今後、いぬとして地元・宮崎でやりたい仕事はありますか?

有馬:今、宮崎出身の芸人が増えてきているので、宮崎芸人を集めて宮崎の番組に出たいです。

太田:ジェラードンのかみちぃさんや蛙亭のイワクラとは、宮崎でコント番組をやりたいねと話しているんです。そうして宮崎にお笑い文化を根付かせたくて。今も『わけもん!!』(MRT宮崎放送)という番組でロケをやらせていただいてるんですが、スタジオもやってみたいです。

―― 最後に、おふたりにとって宮崎とは?

有馬:宮崎とは……お母さんですね。

太田:えっ! 俺もお母さんって言おうとしてた!

有馬:ほんとにあったかいんですよ。いつ帰っても、宮崎がニコっと笑って包み込んでくれるというか。絶対に裏切らない。安心できる場所です。

太田:言おうとしてたことがまったく一緒で鳥肌が立ちました。マジで宮崎ってお母さんだと思います。あったかくて優しくて、帰る場所って感じですね。

お話を伺った人:いぬ(有馬徹 / 太田隆司)

宮崎市出身の有馬徹と太田隆司からなる、お笑いコンビ(東京NSC15期)。昨年末、キングオブコント2022決勝進出を果たし話題に。

編集:小沢あや(ピース)