30歳手前にしてできた第二の故郷 富山県朝日町|文・なつめ

著: なつめ
「老後はのんびり田舎で過ごしたい」
そんな想いを10代の頃から抱いていたが、老後まで待てなかった。
27歳の夏、わたしは猫と共に東京から富山県朝日町に移住した。

一番大切にしたいものは「穏やかな暮らし」だった

東京で暮らしていた頃は、都心へのアクセスが便利な中野区のアパートに4年ほど住んでいた。
しかし休日には必ず山奥へひとりキャンプをしに行ったり、広大な芝生がある新宿御苑まで自転車を走らせて昼寝をしに行ったり、常に身体が広々とした自然を求めていた。
都心のワンルームのアパートに安くはない家賃を払いながら、休日には自然を求めて遠出をする。何かがおかしいと思った。

さらにコロナ禍で外出ができない日々が続いて、自宅でひとり内省する時間が増えた。
「世間一般的に言われる”幸せ”ではなく、自分が求める”幸せ”とはなんだろう」
そのとき「自然豊かな環境で猫とこころ穏やかに暮らしたい」という正直な思いが浮かんできた。
老後の地方移住を夢見ていたが、老後まで待つ必要はないのではないか。そう思い立って自分が求める自然がある地域を探すようになった後に辿り着いたのが、富山県朝日町だった。


富山で出会った人に、東京から移住をしてきた話をすると「なぜ富山へ?そして朝日町に?」といった質問は必ずといっていいほど聞かれる。
まず移住先として、海辺の町に住みたいと思っていた。学生時代にひとりで鉄道旅をしていたとき偶然目にした冬の荒々しい日本海が、当時抱えていた「生きづらさ」みたいなものを一瞬綺麗に洗い流してくれて、こころがフッと軽くなった経験を強く覚えていたからだ。

そこで移住先の候補として、東京にも帰ってきやすい北陸地方に絞って検討し始めた。新潟や石川には観光で訪れたことがあったけれど、その間にある富山には一度も足を踏み入れたことがなかった。富山にはいったい何があるのだろう?と気になり、インターネットで調べたときに海越しから望む立山連峰の写真を見て、日本にこんなところがあるのか、とこころが揺さ振られた。
それからとにかく富山に移住したいという気持ちが先走って、どの地域に住みたいとか、仕事も家も決まっていない状態で都内の移住相談窓口に出向いたところ、ご縁があったのが新潟県との県境に位置する富山県朝日町だった。

四季によって変わる自然遊び

移住してからはとにかくはじめての体験の連続で、毎日が刺激的で充実していた。

まず移住して初めてできた友人は72歳の陶芸家のおじいさんだった。未だに人見知りでなかなか新しい環境に馴染むことが得意ではないわたしが、町で一番はじめにこころを許すことのできた大人だ。
ある夏の日、おじいさんの陶芸のアトリエ近くの川辺でひとり水浴びをしていたら、鮎釣りやってみるか?と声をかけてくれたので、喜んで誘いに乗った。
その日黒いサングラスをかけて、タバコを吸いながら鮎釣りをするおじいさんはキラキラと光る川面に照らされて最高にクールだった。教えてもらった友釣りという方法で、その日は1時間で2匹釣ることができた。はじめてにしては上出来だと褒めてくれた。

おじいさんのアトリエに遊びに行くと毎度必ず冷たい麦茶とお茶菓子を出してくれる。
鮎釣りから戻ってきた日には、わたしに麦茶を差し出したあと「オラも麦ジュース飲もうかな」と言って500mlの缶ビールを開けてぐいっと飲んでいた。最高だ。
他にも蛍鑑賞や年に一度だけ咲く月下美人という花が咲く夜にもアトリエに招いてくれたり、小学生の夏休みのようなノスタルジックな気分をたくさん味わわせてもらった。


さらにこちらの遊びで衝撃を受けたのが「魚突き」だ。
ひと昔前のバラエティー番組でお笑い芸人が「とったどー!」と言って、魚にモリを突き刺して仕留めている様子をテレビでよく見ていたが、まさか現実でアレをしている人たちがいるなんて想像もしなかった。
深く吸った息を止めて静かな海に潜って行くとき、身体が海に溶け込んでいくようで、なんとも言えない自由な感覚を味わうことができる。そして魚を仕留めたときの快感。
大人になってこんなに夢中になれる遊びに出会えるとは思ってもみなかった。

海から上がったあとは漁協の仲間たちが我が家に集い、自ら獲ってきた魚を捌いて刺身や煮魚にして振る舞ってくれるのも恒例のイベントとなっている。(気づけばわたしも漁協の準組合員となっていた)
こんな特別な体験ができるのは、朝日町に住み素敵な仲間たちに出会えたからであって他の地域では絶対に経験できないことだと思う。


深夜2時、ホタルイカは爆湧きする

これらのエピソードだけで十二分に暮らしの楽しさが伝わると思うが、わたしが朝日町で一番楽しいと感じた遊びは「ホタルイカ掬い」だ。

東京で暮らしていた頃、居酒屋でホタルイカの沖漬けをつまみに飲むこともよくあり、好きな食べ物の一つだった。そのホタルイカを無限に獲ることができる夢のようなボーナスイベントが春先に数日やってくる。
富山湾では「ホタルイカの身投げ」といって、産卵のために浮上したホタルイカが浜辺まで流れてやってくる自然現象が3〜5月の新月前後に発生する。自然現象のゆえ、大量に発生する「爆湧き日」に当たるかは完全に運任せ。どんなに天候などの良い条件が揃っても、1匹も獲れないこともある。さらに浅瀬にやってくる時間はだいたい深夜2時ごろなので「爆湧き日」を目撃することは容易ではない。しかしわたしは海まで車で5分程度の家で暮らしているため、シーズンの間は連日のように真夜中の海に出向いた。

そして地元民でも、なかなか目にすることはないという「爆湧き日」を運よく目撃することができた。深夜の海とは思えないほど多くの人で賑わっていて、人々のライトによって明るく照らされた海岸。地元のおばあちゃんたちと「足もとにいるよー!」と協力し合いながら少しずつ波に流されてやってくるホタルイカを金魚すくいのように虫取り網で掬っている時間も非日常感を味わえて最高に楽しかった。
そして深夜2時をすぎると、徐々にホタルイカの数が増えていき、最終的には足もとを網でひと掬いすれば、網にたっぷりとたまるほどの大量のホタルイカが海を覆い尽くしていた。
大の大人たちがキャッキャとはしゃぎながら笑顔でホタルイカを一生懸命に掬っている様子は最高にハッピーな空間だった。

北陸の長く厳しい冬を乗り越えた人々への、自然界からの最高の贈り物だと思った。


瑞々しい幸せを感じる家庭菜園

移住してからやりたいことの一つに「家庭菜園」があった。
我が家には家庭菜園をするには十分な広さの畑があり、さらにイチジクと渋柿の木が植わっている。夏にはナス、ピーマン、トマト、きゅうり、じゃがいも、ブロッコリー、パクチー、しそ。冬には白菜、キャベツ、レタス、ほうれん草を育てた。

夏の朝、庭できゅうりやトマトを収穫し、塩やマヨネーズなどをつけてそのままかぶり付く瞬間。秋の朝、イチジクの木から実を捥ぎ、視界を遮るもののない田園風景を眺めながらイチジクを半分に割りシャクシャクと頬張る瞬間。
なんて豊かな暮らしなんだろうと涙が出るほど強く幸せを感じる。何を幸せと感じるかは人それぞれ異なるが、わたしにとっての豊かで幸せな暮らしというのは、まさにこういった瞬間を大切にしていくことなのだと実感している。


何にもないって言うけど、それがいい

町の人たちは「こんな何にもないところに来てくれてありがとうね」などと謙遜をするが、わたしにとっては最高の遊び場であり、豊かな暮らしが実現できる大好きな町になった。
ちなみに移住した当初は賃貸で借りていた古民家を今年の春に買取った。この地に骨を埋める覚悟でいる。

東京で生まれ育ったわたしは当たり前のように、ずっと東京で暮らしていくのだろうと数年前までは思っていた。世の中の当たり前が変わってきている今、住む場所ももっと自由に広く選択肢を持っていいのではないだろうか。当たり前にとらわれて身動きが取れなくなっている人に伝えたい。

朝日町の好きなところの一つとして、高い建物がなく空がとても広く感じられるところがある。
広々とした視界の開けている町に暮らし始めたことで、自分自身の人生の視野も少しずつ広がってきているように感じている。

著者:なつめ

なつめ

1995年生まれ。2022年夏、猫といっしょに東京から富山の古民家へ移住。現在は民泊経営の準備中。
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編集:ツドイ