「武蔵小杉」で立ち止まり、人生を立て直したあの頃。|文・紺野あさ美

著: 紺野あさ美

一番弱った頃に出会った街

こんなに都会だったっけ? 久しぶりに武蔵小杉に降り立って、少し呆然としました。

今からもう10年近く前ですが、私は一時期この武蔵小杉に住んでいました。テレビ東京のアナウンサーをしていた頃ですね。

その後は結婚を機に退社し、3人の子供たちの出産・育児に追われていましたが、2年ほど前から少しずつお仕事を再開するようになりました。そうすると「元アナウンサー」「モーニング娘。OG」など様々な肩書きで紹介され、「アイドルもアナウンサーも、夢を叶えてすごいね」「人生グラフずっと高いね」そんな言葉をかけられたりもします。

でも、私にも「へこたれていた時期」というのがありまして……。一度会社を休職させて頂いたこともありました。自分の人生の中で一番弱かった頃かもしれません。その時に引っ越した先が神奈川県川崎市の武蔵小杉になります。

利便性より、ゆったりした空気を求めて

14歳まで札幌で育ち、モーニング娘。に受かって上京してきてから、ずっと東京都内に住んでいました。最初は杉並区の中学校の近く。中学卒業後はだんだん仕事にアクセスしやすい場所、都内の中心のほうに寄っていきます。

ただ、仕事場に近いと、テレビ局の打ち上げやお付き合いの飲み会などいわゆる業界人の「庭」のようなエリアになるので、うまく切り替えができないような感覚を持っていました。

いつも仕事のことを考えている。それはある種、いいことなのかもしれないですが、プライベートな時間でも「誰かに会うかもしれない」「会食に誘われたら近いから断りにくい」なんて気疲れが出てきたりもして。家が職場に近い方は「ちょっとわかるよ」って思えますかね?

利便性を考えて住む街を選んだものの、都心部の空気感が、北海道育ちの自分の肌には合わなかったのかもしれません。少し心身ともに疲れてしまっていた時に、神奈川県川崎市の武蔵小杉に引っ越しました。

住んでみると、想像以上に「程よい」街

武蔵小杉は、今でこそタワーマンションが乱立している「超都会」な印象の駅ですが、当時はまだ少なかったんです。既にタワマンがいくつか建ち始めていたけれど、駅前には少し緑がありました。さらには自転車で行ける距離に、多摩川の河川敷もある。東京の都心部よりは自然もある中で、新しい商業施設ができて街としても更に充実してきていた頃でした。

東京都ではなく神奈川県なのも、なんだか「程よい」街という印象です。すぐに大好きな街になりました。川崎市とはいえ、電車に乗れば職場の神谷町までは、中目黒駅のホーム内乗り換えのみですし、実質1本のようなもの。都心部にもアクセスしやすいですよね。今、これだけ人気の街になっているのも納得です。

そんな武蔵小杉。引っ越してからはしばらく行くことがなかった場所だけど、先日、お仕事の関係で立ち寄りました。その時に当時通っていて大好きだった「自家製麺 然」というつけ麺屋さんへ。相変わらず、おいしかったなぁ。

住んでいたのはもう10年近く前なので、写真はほとんど今のスマホにはないんです。けれど、ここのつけ麺の写真とこの桜の写真はしっかり残っていました。落ち込んだ日、然でつけ麺を食べた後、桜を眺めながら帰ってきたのを思い出しました。

走り続けてきた私が、「休養」を選ぶまで

「禍福は糾える縄の如し」。災いと幸福は、縄のように表裏一体で交互にやってくる、ということわざです。10年前の私はまさに、そのような心境でした。念願のスポーツの世界大会の中継リポートに派遣されて喜んでいたけれど、生放送でカンペをそのまま読み上げたら「デリカシーのない質問だ」とお叱りを受けたことがあったんです。

念願の現場に興奮していた気持ちは急降下。今思えば、ロボットじゃないんだから「これは不適切な質問だ」と自分で判断できなければいけなかったなと思うんですけどね。

それ以外にも、自分の性格や考え方に自問自答の日々でした。幸・不幸、気持ちの浮き沈みが激しかった時期だったなぁ、と思います。あれから10年近く。もう私もミドサーです。30代半ばのことをミドサーというらしいです。知ってました? 結婚して、親になり人として成長した部分もあれば、相変わらず同じようなことで悩んでるなぁ。まだまだ、未熟な部分もあります。

経歴から自信満々な人だと思われることもありますが、ここまで書いてきた通り、実は自己肯定感が低い面というのもあって。自分の弱い部分を自分で許容できていないというか。そんな燻った気持ちを抱えていた20代半ば、この武蔵小杉で文字通り「休養」をとっていたんです。

疲れを癒し、自由気ままに過ごす喜びをくれた武蔵小杉

「仕事」から物理的にも、心理的にも距離をとることができた川崎市武蔵小杉。モーニング娘。、大学受験、大学に通いながらの芸能活動、就職試験、アナウンサーと走り続けてきた生活の中で“休職”という期間は今までにない時間でした。「今日は何しよう?」「何を作ろう?」それを自由に考えられる。心休まる人生の春休みのような時間をしばし過ごしていました。

とはいえ、人間は忙しいと暇が欲しくなり、暇ができると何かしたくなるものなのでしょうか。朝起きて朝食を作る、近所を散歩したり多摩川まで足を伸ばしたりして、お昼を外で食べる。スーパに寄って帰ってきて夜ご飯を作る。そんな予定のない時間を過ごしている中で、何かを残したい気持ちが湧いてきました。

昔から“食”、特に野菜が好きだったので、野菜の勉強をして、ジュニアベジタブル&フルーツマイスター(野菜ソムリエ)の資格をこの期間にとりました。武蔵小杉の「マルエツ」や、「ららテラス 武蔵小杉」にある「九州屋」という青果専門店によく行ってたなぁ。九州屋には、ちょっといい野菜があるんですよね。

東急フードショーの中にあった「ぐるチュロ」というスイーツも大好きでした。今はもう閉店してしまっていますが、ぜひまたどこかで再販して欲しい! と熱望しています。文字通りチュロスをぐるっと渦巻き状に巻いたお菓子なのですが、他にない唯一無二のご褒美スイーツでした。

本当、やたらとカラオケに行ってたなぁ。駅前の「コート・ダジュール」にすっぴんスウェット姿で出没して。飲み物は毎回ノンアルコールで、とにかく好きな曲をたくさん歌っていました。

ちなみに、あんなにも大好きだったカラオケも、今は全然行けていません。コンサートの練習で何度か行ったけれど、息子たちが5曲連続で「はたらくくるま」や「アンパンマンマーチ」を入れたり。6歳になった長女はYOASOBIさんの「アイドル」を歌いたがって、ちょっと気が合う感じになってきましたが(笑)、なかなか昔のように、ストイックに歌い続けるカラオケスタイルでとはいきませんね。

少し足を伸ばして、温泉施設にいく夜もありました。武蔵小杉からは離れますが「川崎・矢向 縄文天然温泉『志楽の湯』」には露天風呂があり、そこから空を見上げて頭を無にする時間が好きでした。温泉で、スマホと隔離された時間を過ごす。この時間がとても大切だったのかなと、今では思います。デジタルデトックスってことですかね。

今はスマホにパソコン、テレビと情報が多くて、無意識に何かしようとしてしまいます。プライベートの時間でも、仕事のために、自分の将来のために、こうした方がいいかな? これを調べておこう! と常に動いてしまって、心身を休められていなかったのかもしれません。

14歳からずっと走り続けてきて、休む時間がなかったことで助長されていた自分自身のマイナスな習慣や考え方の癖。この期間に、自分の思考とじっくり向き合うことができました。

その上で「ずっとこのままでいいのか?」という自問自答が始まりました。このまま仕事を休んでいる訳にはいかない。もちろん、休養したこの期間だけで、人付き合いや飲みの席が苦手な性格や、自分へのコンプレックスのようなものが消滅していた訳ではないけれど、それらと上手く付き合いながらグレーな状態で仕事をしていってもいいのではないか。

「やめる」でもなく「全て我慢する」でもない。苦手な事柄がある自分を否定せずに、「苦手だと思っていてもいいじゃないか」と自分を認めて受け入れてもいいのではないかという心境に至りました。

そんな武蔵小杉で過ごした休職期間から約3カ月後、復職します。先輩たちも温かく受け入れてくださり、本当に感謝しています。その後結婚を機に私が退社したあとでも食事など声をかけてくれたり……ずっと大好きな、そして憧れる先輩たちです。

子育てして更に感じるムサコの魅力

今、結婚してこの街を改めて見ると「子育てしやすい街なんだろうなぁ」と感じます。実際ファミリーの姿も多いです。

乗り入れる路線も多く、急行列車も停まるので都内へのアクセスも便利。また、車を持っていない人でも、生活用品の買い物は駅前でほとんど完結するんじゃないでしょうか? 私が住んでいた頃に建った「グランツリー武蔵小杉」は屋上庭園に子どもが遊べるスペースがありました。

また、当時は意識したことがなかったのですが、1階から4階まですべてのフロアにベビールームがあるんです。各階それぞれ可愛らしい内装になっていて、急に子どもの対応が発生しても、ベビーカーでフロアを行ったり来たり移動する必要がないようです。

今では、ボーネルンド監修の遊び場や、光と音で楽しめるボールプールやデジタルサーキットなど最新の遊びもできる「TOYLO PARK powered by リトルプラネット」もあって、公園に行けないような雨の日でも、子どもと目一杯楽しめます。

今度は仕事関係なく、ぜひ子どもたちを連れてまた武蔵小杉に遊びに行ってみたいなと思っています。

書いた人:紺野あさ美

2001年、モーニング娘。の5期メンバーとしてデビュー。グループ卒業後は、テレビ東京アナウンサーとして冠番組『紺野、今から踊るってよ』も担当した。2023年9月に国立代々木競技場 第一体育館で開催された「Hello! Project 25th ANNIVERSARY CONCERT」では総合司会を務め、OGとして歌とダンスも披露し、会場を盛り上げた。

編集:小沢あや(ピース株式会社)