日々「好き」が更新される高円寺の暮らし|文・碓氷ユミ

著: 碓氷ユミ

銀杏BOYZ「銀河鉄道の夜」と高円寺への憧れ

自分でいうのは少しダサいかもしれないけれど、わたしは結構愛着心が強く、何かを好きになる力も強い。生まれ故郷である栃木県・那須町も、高校時代を過ごした黒磯という地域も、上京して姉と住んだ八王子の片倉町も、初めて一人暮らしをした立川も、今住んでいる高円寺も、すべての街が大切で大好きだなと思う。

ただ、この中で憧れて住んだ街は、今住んでいる高円寺だけ。片倉町は姉とわたしのそれぞれ通う大学へのアクセスの良さで選んだし、立川も大学への行きやすさと街自体の利便を重視して住んだ(駅ビルも多く、ちょうどIKEAができた時期だった)。高円寺は上京する前からその名前を知っていて、自分の「憧れ」という気持ちから居住地として選んだ街だった。


早朝のパル商店街。高円寺を代表する商店街のひとつ

高円寺に引越したのは大学4年生の頃で、そこからもう丸8年ほど経つ。きっかけは大学進学のために上京する妹と同居することになったからで、妹が比較的都心にある大学に通うため、渋谷にある企業への就職を控えていたわたしも多摩地区から出ることにした。

母や妹と相談しながら、大学の授業のない日に不動産屋に足を運び、いくつか内見をした。LINEを開いて当時のやりとりをみると(8年前のやりとりが残っていてびっくりした)、清澄白河や新中野、初台なんかも候補に上がっていた。そのやりとりの中に、妹の大学や自分のバイト先へのアクセスの良さを語って、高円寺をささやかにプッシュしている自分がいる。

なぜ高円寺に惹かれていたのかというと、銀杏BOYZの「銀河鉄道の夜」(GOING STEADY時代の2001年に発表)に高円寺の地名が出ていたことが大きかった。銀杏BOYZがすごく好きだったのか問われると自信はないけれど、上京前からなんとなくずっと聴いている曲で、東京の高円寺という地名に憧れが生まれたのもこの曲がきっかけだった。

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中学・高校時代は雑誌の「Zipper」も読んでいて、ときどき登場する高円寺には下北沢と並んで“古着”のイメージがあり、洒落てる、サブカルっぽい街だと思っていた。

だいたいなんでも揃う新宿への距離もメリット

新宿へのアクセスがいいところも大きなポイントだった。多摩地区に住んで、京王線や中央線ばかり使っていたため、沿線のターミナル駅である新宿へのアクセスは重視していた。今も新宿に行けば大体のことはなんとかなると思っているし、実際新宿は便利だ。その点でも高円寺は新宿まで中央線快速なら7分で着く。それからなにより、見つけた物件の家賃がほかの地域より安かったことが決め手になった。そんな風に、憧れと実利が合致して高円寺に住み始めた。


環七から見える中央総武線の線路

高円寺に住むまでは、1〜2年に1度くらいのペースで引越していた。高円寺が憧れの街とはいえ、引越した当初はずっと住み続けるイメージを持っていなかったと思う。長くても妹の大学卒業までと思っていたし、自分は地方出身者だからか、なんとなく東京に住んでいていても居候のような気持ちがあって、どの街に住んでも「いつか出ていくんだろうな」と、あくまで通過点のように感じているところがあった。

だけど、あっという間に8年も経っていた。20代のほとんどを高円寺で過ごしたことになる。18歳まで暮らした地元に次いで長い時間を過ごすことになるなんて、ぜんぜん思っていなかった。その間に妹も無事大学を卒業して社会人になったし、高円寺は「憧れの街」というと気恥ずかしくなるくらい日常の街に変化している。どこかで引越そうと思えばできたはずだが、まだまだ高円寺に住んでいる。

繁華街と住宅街が入り混じる不思議な街

なんで住み続けているのかと考えたときに、そもそも不満が生まれづらいということがある。移動への不満も少なく(都心部で終電を逃したら、タクシー代がちょっと高くつくな……という感じ)、生活面でも駅の南側には「オーケー 高円寺店」や「西友」なんかの安い価格帯のスーパーもあるし、北口を出てすぐに八百屋さんがあったり、ドラッグストアもいくつか選択肢があったりする。

美味しい個人店もたくさんあって、リモートワーク中、ちょっと気分転換でUber Eatsなんかを使うときにご飯の選択肢がたくさんあるのも、コロナ禍で自宅から出づらい時期に気づいた利点だった。


また、繁華街と住宅街が入り混じっている高円寺の街は、どの時間帯もわりとガヤガヤとしているのも、わたしにとってはうれしかった。

終電を過ぎた時間帯でも、駅前の「大将」で陽気に酔っている人がいたり、北口の駅前広場で歌っている人なんかもいたりする。最初は「にぎやかな街だなぁ」という印象だったけど、就職して会社員になり、終電間近や過ぎた頃に帰ることが多かった時期には、その光景がひとつの安心に変わっていた。

夜の深い時間でも静かすぎず、各々のペースで活動していることがひと目でわかるのは心強いし、いつでも存在する人の気配に、高円寺駅に着いた瞬間から「ただいま」と、自分の家に帰ったような気持ちになれる。


繁華街なんていうと治安も気になるところだが、だからといって怖い思いをしたことはない。駅から徒歩10分ほどのアパートに住んでいて、周りは比較的静かな住宅地だけど、ほんの少し歩けば居酒屋や大きな通りがあるし、コンビニなどの明るいお店も点在していて、比較的安心して歩くことができる。

かつて、ほかの街で閑静な住宅街の真ん中に住んでいたときは、深夜になるとすっかり街が静まりかえり、昼間と違う土地のようで怖くて、そそくさと帰っていた。女性だけで暮らすにしても、案外快適で安心できる土壌があることは、暮らし始めて気づいた高円寺の大きな魅力だと思う。


多様な視点を与えてくれた書店「文禄堂」に救われた

お店や場所に焦点を当てても、大切な思い出が多くある。駅前の「文禄堂 高円寺店」という本屋さんもわたしを支えてくれるお店のひとつ。文禄堂は、新卒1、2年目のころ、社会人の生活に慣れないままギリギリのところで足掻(あが)いていた自分にとって、大げさじゃなく人間らしさの生命線のような存在だった。

さまざまな本が並ぶ店内をぐるっと見渡すと、ここだけでない、いろんな世界があることがわかる。仕事の辛さにばかり焦点が当たっていた自分に、いろんな世界があると感じさせてくれる場は尊かった。

仕事で疲れていても、憂さを晴らすように飲んでヘロヘロになっていても、当時25時まで開いていた文禄堂の明るい店内に引き寄せられた(現在は営業時間が変更されて23時閉店になった)。わたしが高円寺で一番足を運んでいるお店で、今後高円寺を離れることがあっても、「遅くまでやっている本屋があるか」は、居住地選びの条件になると思う。

手ぶらでふらっと立ち寄れる銭湯「小杉湯」

銭湯が好きな人の間で名が知れている「小杉湯」も好きな場所のひとつで、リモートワークをした日などにふらりと足を運ぶことがある。シャンプーやボディーソープ、クレンジングや化粧水などが一式揃っているので、手ぶらでいけることもかなり魅力的。いつも人で賑わっているものの、浴室がきれいで明るく、快適に広いお風呂を堪能できる。


熱い湯と冷たい水風呂に交互に入る「反復浴」を提唱している銭湯で、42度〜45度くらいの熱いお湯でしっかり体を温めたあと、静かに水風呂に入ってじっと待っていると、冷やされた血がふっと脳に届くような瞬間があって、気持ちが良い。

水風呂を出て、洗い場の椅子に腰掛け、なんとなくシャワーのカランを見つめていると、自分の肌と空気の境界線が消えていくような感覚になる。サウナでは整うという感覚を味わったことがないわたしも、「多分これが整っているんだな」という気持ちになれる。

ときどき、一緒に湯船につかるお子さんと話したり、銭湯に初めて入る海外の方に入り方を聞かれることがあったりと、銭湯ならではのコミュニケーションが発生することもままあって、ほっこりする。個性豊かな飲み物も販売されていて、お風呂から上がったあと、ときどき奮発して飲む「伊良コーラ」もおいしい。


いろんなドリンクがあり、気になって買ってしまう。妹と調子に乗って3種類くらい買って飲んでみた日

魅力あるお店が増え続ける高円寺

それから、高架下にある居酒屋の「馬力」は、仕事でミスをして半泣きだったときに偶然職場の先輩に会い、励ましてもらったお店だし、南側にある「山形料理と地酒 まら」は、お酒も料理もおいしく、店員さんも愉快で楽しいので、友達や会社の同僚、家族やパートナーなど、高円寺に来てくれた人をまず連れて行ってしまう(さまざまな番組で高円寺愛を公言している芸人の、三四郎の小宮さんが「まら」の前身の「音飯」というお店にいるのを見かけたことがあり、「高円寺っぽいな〜」と思った)。

都市開発が少ない街ではあるけれど、かといって何も変わっていないわけではない。昔からある居酒屋さんや喫茶店に加えて、新しく魅力的な店がいつのまにかできていて、飽きないな、と思う。

昨年できた「蟹ブックス」は、駅の南口からパル商店街を突き抜け、ルック商店街に入って左折したところにある本屋さん。こぢんまりとした店内には、いつもそのときの自分に刺さる本が置いてあって、たまに覗(のぞ)いては想定よりも本を買いすぎてしまう。


蟹ブックスの建物の壁にある「本」の看板。建物に比べて小さめでかわいい

わたしはカレーが好きなのだけど、カレー屋さんも8年の間に続々と増えている。最近は高架下に2020年にできた「エリックサウス 高円寺カレー&ビリヤニセンター」の「ベジタブル&パニールビリヤニ」にハマって、お店にいったり、配食を頼んだりして何度も食べては、そのまろやかさと改めて感じる野菜の味の奥深さに驚いている。


「ベジタブル&パニールビリヤニ」は炊けるまで時間がかかるので、「炊き待ちセット」と一緒に頼むのがオススメ

憧れていた街は今や日常の街になった

8年経とうがなかなか口ずさめないJR高円寺駅の電車の発着音(阿波おどりをイメージしているそうで、祭り囃子のようでテンションは上がるが、メロディが難しい)にも愛着がわいていて、音を聞くと「帰ってきたぞ〜」と思う。


高円寺の大好きなお店と大好きなところをつらつら書いてみて、街に飽きることがないまま8年も経っていたんだなと感じる。その間に、高円寺の暮らしに支えられ、励まされながら、わたしの憧れの街はだんだんと日常の街になった。

高円寺にいるカッパ。桃園川緑道にて

雪が降ることもたまにある

余談だが、栃木で生まれ育った父と母を持ち、栃木生まれのサラブレッドだと思っていたわたしだけど、実は、母方の祖父母も母を妊娠していたころに高円寺に住んでいたことがあったらしい。

2人とも他界していて、どうして上京していたのか、なぜ栃木にもどったのか、詳細を聞くことは叶わないけど、この街への不思議な縁を感じるエピソードだ。高円寺の南に住んでいたことは聞いていたので、駅から続く高南通りや、旧五日市街道なんかを歩いているときに、若い2人の暮らしに思いを馳せる。その瞬間、今はいない祖父母と今の自分の暮らしが重なるような気がして、「もう少しこの街で頑張ろう」と思えたりする。

街を歩けば8年分の記憶が点々とそこら中につまっていて、地図を開いて思い出の場所に色を塗ると、だいたい高円寺の形になりそうなほどになった。ただ、時間とともに思い出が増えるとして、その一つひとつが辛かったり悲しかったりするものでなく、とても楽しい記憶になっているところに、この街が好きな理由がつまっていると思う。

ある日の飲み会の帰り、久しぶりに、高校時代に聴いていた銀杏BOYZの「銀河鉄道の夜」を再生してみた。懐かしい思いとともに、日常になったこの街の情景に、掌をギュッと握りしめてみる。

いつか高円寺を出ることもなくはないと思うけれど、それまでまた、この街への愛を膨らませながら日常を過ごしていきたいなと思っている。

著者:碓氷ユミ

碓氷ユミ

1993年栃木県生まれ。エンタメ系企業に勤め、アプリ開発やWebサイト制作のディレクションを行う。書店巡り、カレーの食べ歩きが趣味。ときどきライター。

編集:岡本尚之