ゆっくり独自の大人になれた街・富士見ヶ丘|文・伊藤紺

著: 伊藤紺

苦しい時期に出会った、富士見ヶ丘の変な部屋


その家には玄関がなかった。と言うと必ず「窓から入んの?」と聞かれてしまうのだけど、ドアはあった。けど、玄関がない。正確に伝えるならばドアを開けて、靴を脱ぐスペースがなくて、ドアを開けたら即フローリングなのだ。

大きな窓だらけで開放的……というかほぼ外で、冬は極寒、夏は灼熱&アシナガバチの巣ができ、危ない。春〜秋は家の中で小さい虫を見かけない日はなかったし、外壁にはいつもヤモリがくっついていた。

なぜそんな部屋に住んでいたかと言うと、広くて日当たりがよくて、駅近だったから。京王電鉄井の頭線・富士見ヶ丘駅から徒歩1分。2分もあれば改札を通って、電車にも乗れる。南向きの角部屋。窓の外には生い茂る緑が見え、高校時代を過ごした大好きな浜田山駅の2駅隣というのもよかった。


富士見ヶ丘駅の第一印象は閑静な住宅街、という感じだった。駅前のチェーン店と言えば、ドトールとファミマ、ポニークリーニングくらい。商店街には新旧入り交じる個人店が並び、駅から徒歩3分の西友が、徒歩10分圏内で唯一のスーパーである。井の頭線の終着駅なのに朝までやっている店がなく、タクシーも通らない。緑の多い、穏やかな街。

広くて日当たりのいい部屋に住みたかった

もともと大学を卒業して、新卒で就職した会社に通いやすい土地に築浅のマンションを借りていたわたしは、半年で会社を辞め、止むを得ずフリーランスになった。

狭くて日当たりの悪い部屋で長時間過ごしていると気分が落ち込み「次こそ、古くてもいいから広々としていて、日当たりがよく、味わいがあって……欲を言えば窓の外に緑を望める部屋に住みたい……」と長く思っていた中で出会ったのが、前述の変な部屋である。


引越してすぐ、仕事のストレスで身体をがたがたに壊したわたしは、実家で療養後、頭を下げていくつかの仕事を降り、生活と向き合わざるをえなくなった。十分な睡眠をとること、朝日を浴びること、生活リズムをつくること、一人という単位を知ること。その部屋で始まった人生のリハビリは、少しずつ外へ、街へと広がっていく。

静かな街のよさを知る4年間

基本的に、富士見ヶ丘はよそから人が遊びに来る街ではない。流行で次々入れ替わる店もなければ(住んでいた4年間、ほぼ店は変わらなかったと思う)、若者の街特有の濃いめでわかりやすい味付けの飲食店とも無縁と言っていい。

チェーン店も少ないのだが、そのおかげで自分だけの好きな店が、その店との関係が、少しずつできていく。自分の生活を立て直すにあたって、この静かな街で暮らせたことが本当によかった。

手探りをしながら自分の生活を獲得し、自分の価値観を把握し、そのうちに大好きな友人たちができて、日々がうんと楽しくなった。拙著『肌に流れる透明な気持ち』『満ちる腕』のほとんど全ての歌を、この街のそのアパートのデスクで書いている。若くて拙いけれど、今のわたしを確立するのに欠かせなかった、小さくて、豊かな暮らしについて。

起床時間で決める朝ごはん


まず朝は、西友で買ってきた果物を食べる。季節の果物があればそれを、めぼしいものがなければパイナップル。夜に行くと小さなパイナップルしか残っていないが、朝行くと大きいのがたくさんあって、選びたい放題だった。スーパーの袋をズタズタに切り裂くそいつを連れて帰り、キッチンでざくざくと解体する。たっぷり食べて、コーヒーを飲む。朝日が差し込むキッチンに自分のために立つ喜びを知った。

もし起床が11時を過ぎたタイミングならば、迷うことなくヨシダベーカリーに向かう。真っ白い扉が美しい、カウンターだけの小さなパン屋さんだ。


ここのパンが好きで好きで、チェーンのパン屋やコンビニの菓子パンをいつのまにか食べなくなった。ブリーチーズ入りのハードパンのサンドイッチや、フォカッチャ、イワシのタルティーヌ、ミルクフランス、あんバターサンド……。見た目も小ぶりでうんとかわいい。

発酵して、成形して、焼かれて生まれるその造形、色の混じり合いの美しさ。よく食べる前に手のひらにちょこんとのせてそれを見ていた。家からすぐなので、袋に入れてもらうことなく、帰りは片手に財布、もう片方の手にパンを持って歩いた。

緑が豊かで散歩が捗る街


そのすぐそばに神田川がある。原稿が進まなかったり、どうしても気持ちが塞いで仕方がなかったりするときは川沿いを散歩した。時折止まって、鯉や鴨や白い鳥や、対岸の大きくてジブリの映画にでてきそうな家を眺めながら、緑が生い茂る道を歩く。

富士見ヶ丘は意外と散歩が捗る街で、4年かけて本当にいろいろなところを散策した。どんなお金持ちが住んでいるんだろうと思うような大きな家もあれば、そのすぐ近くに蔦が絡まる古めかしい家もある。畑や雑木林も結構あったし、井の頭線の線路の上にかかる橋もあって、電車が通るのを真上から眺めたりもできた。


散歩中よく泣いた。息抜きのために歩くのだけど、気が緩むからなのかどうしようもない強い感情がどっとでてきてしまうことがある。言葉にならない思いが涙になってぽろぽろ出てくる。

ひとつ鮮明な記憶がある。神田川沿いを高井戸方面に歩いていたとき、後ろからじーっという虫の声が聞こえた次の瞬間、自転車がわたしの横を通り過ぎていった。虫の声ではなく自転車のチェーンの音だったのだ。どんどん小さくなっていく自転車を見ていたら、突然フレーズが頭の中にふっと現れ、その時書いていた詩の冒頭にぴったりとはまった。

あのときの興奮と光景と、そのフレーズの意味するところがわからないのにこんなにもぐっとくる言葉が見つかった胸のときめきを忘れられない。それまでほとんどなかったのに、この日から散歩中に言葉を思いつくようになった。


人の優しい、いい店ばかり

とってもお腹が空いているときは、「HONG KONG DINING 彩」という香港料理屋によく行った。五目あんかけ焼きそばが絶品で、もし銀座だったら3000円で出てきても話題になると思う。硬めの麺の小麦と油の味がたまらなくおいしい。量もすごい。

ほろほろの牛肉とスパイスの効いたスープがたまらない牛バラ肉麺、石鍋で出てくる麻婆豆腐、香港回鍋肉、牛肉の激辛煮……。店長(だと思う)が優しくて、お店にいるときはもちろん、外で会ってもこんにちはと声をかけてくれた。

仕事が終わらないので、よくパソコンを持って行った。料理が出てくるまで仕事をし、料理がでてきたらパソコンをさっと閉じて、もくもくと食べる。食べ終わったらすぐにお会計をして、一言二言会話をして帰る。一人暮らしの寂しさを忘れさせてくれた店だ。


おやつどきは、今はない和菓子屋「四季の和菓子 美よし」によく行った。わたしは昔少しだけお茶を習っていたので、和菓子には多少うるさい。ここの和菓子は素朴な味が本当に素晴らしく、多いときは週5で行った。100〜180円程度のあん団子や大福、桜餅などの季節のお菓子を買って、家で一人で食べる。いつもひとつだけお菓子を買って帰るような若造にもやさしい店だった。

「パスティッチェリア バール ピノッキオ」というイタリア郷土菓子の店にもたまに行った。ここは馴染みがない、イタリアの不思議なお菓子を売っている。1つ100円とか50円とかで買えて、その日と次の日に食べる分だけ買ったりできた。

わたしはもともと外出しないタイプで、用がなければ5日間くらい外に一歩も出ないこともあったのだけど、その日のおやつをちょっとだけ買える店があることで、おやつのために外に出れるようになった。そうやって1日に一回くらいは外に出て日を浴びることの良さをすこしずつ体で学んだ。

心が塞いだり、もやもやしてどうしようもないとき、散歩が効かなければコーヒー屋に行くという手があった。慶珈琲というとってもおいしいコーヒー屋さんがあって、いつもクラシックが流れている。静かな店なので、必ず本を持って行った。注文は決まっていて、コーヒーの3番とチーズケーキ。

ここに来ると自分の芯が太くなって、全身が芯になったような感覚になれて、雑念がいつのまにか消えてしまう。控えめな店主と話すことはほとんどなかったけど、一度だけコーヒーの2番を頼んだとき「今日は2番ですか?」と小声で声をかけてもらったことを覚えている。

今でも行きたくて仕方がない、一番の思い出の店

わたしは一人でお酒を飲みに行く習慣がない。だから飲みに行くときは大体友達と大きめの街に繰り出すのだけど、相手が富士見ヶ丘まで来てくれる場合には、ほぼ必ず居酒屋・野武士に連れて行った。

そのあまりの名前の強さにしばらく入店を恐れていたのだけど、意を決して入ってみたら大当たり。素晴らしい居酒屋で、何を頼んでもおいしかった。アジやサザエを頼むと水槽から注文が入ったタイミングでお造りにしてくれて、アジの骨は骨せんべいにしてくれた。そこでお腹がはちきれるほど食べて、飲んで、20代半ばの体力でとにかくいろんな話をして、泣いたこともあって、いつのまにか一番の思い出の場所になってしまった。

しばらく行っていないので、今はメニューがいろいろ変わっているかもしれないけれど、あの場所で長くやっていると言っていた。厨房にはねじり鉢巻が似合う大将。たくさん頼むと漬物や一品をおまけしてくれた。今でも行きたくて仕方がない。

富士見ヶ丘に住んでよかった


書き出すと本当に止まらない。まだまだある。このどれもが家から徒歩2分以内の場所にある。 富士見ヶ丘駅に住んでいると言うと、何もなくない……? と聞かれることが多かったけど、こんなにも素敵なお店が揃ってて、しかも実は歩いて10分程度で久我山にも高井戸にも行けてしまうので、本当はもっと何倍も選択肢がある。

もちろん人が遊びにやって来る人気の街に住むのも当然素敵だと思う。だけど、そうでない街にはそうでない街のよさがあって、わたしは富士見ヶ丘に住んだ4年間で自分の芯を見つけた。こういうことが好きなんだとわかった。ゆっくり独自の大人になれた。富士見ヶ丘がどんな人に合うのかはわからない。けれど、わたしは本当にこの街に住めてよかったと思っている。

そういえば、冒頭のやばいアパートに引越してきたときに、管理会社のおじさんにこう言われた。「この部屋、漫画家の姉妹がふたりで住んでいたんですよ。漫画が売れて広いところに引越して空いたんです」。あのときは「へえ、縁起がいいな」くらいに思っていたけど、実際わたしもこの部屋を出て行くときは、住み始めたときとは比べ物にならないほど、楽しく自分らしく仕事ができるようになっていた。

結局、この街に住んで4年後、わたしも広い家に引っ越すことになった。お金に余裕ができたというよりも、自分の心はもっと広いところに住むべきだと思ったのだ。そういうことがわかるようになった。あのアパート、今はどんな人が住んでいるのかなあ。

著者:伊藤紺

歌人。著書に歌集『肌に流れる透明な気持ち』、『満ちる腕』(いずれも短歌研究社)、ミニ歌集『hologram』(CPCenter)など。文芸誌、ファッション誌への寄稿のほか、OSAJIヘア&ボディケアシリーズ「Fall Bouquet」等ブランドや企業への短歌制作も行う。

編集:小沢あや(ピース)