ああ、帰ってきた。
金沢21世紀美術館に学芸員として着任し、金沢に移住して1年弱。いつのころからか、車内チャイム『北陸ロマン』が流れ、「次は終点、金沢です」とアナウンスされる度にそう思うようになった。最初は、実家のある東京に帰る度に「帰ってきた」という感覚があったのに。
私はこの『北陸ロマン』という曲が無性に好きである。金沢に来た友人の何人かにすでに布教しているくらいには好きである。
この楽曲は、2015年の北陸新幹線開業記念のキャンペーンソングとして谷村新司が制作したもので、北陸新幹線W7系と特急サンダーバードで車内チャイムとして聞くことができる。車内でなくとも、YouTubeや音楽ストリーミングサービスにオフィシャル音源がアップロードされているのでぜひ聞いてみてほしい(とはいえ車内のものとは雰囲気がいささか異なるので、リアルな車内チャイムはぜひ電車で聞いてみてください!)。
しかし、この車内チャイムを聞いた大多数が、その楽曲の醸し出す陰鬱な雰囲気に旅への気持ちが削がれる、と思うらしい。実は、移住当初の私もそう思う1人だったが、今となってはこの曲が自分のホームに戻ってきた証となっているから不思議だ。
鉄道通でもないのに、冒頭から長々と車内チャイムについて語ってしまったが、それは、私にとっては街と自分の関係性を表現するときに、「移動」が肝要になってくるからだ。その街で起こった出来事を描写するよりも、自分がその街の中を、あるいはその街に向かって、移動しているときに思索していることを書き留めるほうが、その街に対して抱いた心情をより鮮やかに表現することができるように思う。そんなわけでまずは「移動」の話をしたいと思う。
金沢での「移動」は穏やかな気持ちになる
東京から北陸新幹線に乗っても、大阪からサンダーバードに乗っても、金沢は終着駅だ。どれだけ車中で寝ても乗り過ごさないという点も、いつでもどこでも寝られる(というか隙間時間があれば寝ていたい)私にとって重要なポイントだ(しかし、2024年には敦賀まで北陸新幹線が延伸されるので、来年以降寝過ごしてしまわないか心配である)。
今日も、金沢駅に着く手前に流れる『北陸ロマン』を耳の中にぼんやりと入れて、目をこじ開ける。ホームに降り立ち、帰路につく。
ふと、街の景色に目を遣ると、金沢には、東京や大阪といった大都市とは違い、広告が少ないな、と思う。逆に大都市では、コンプレックス広告の過剰さに閉口することも多い。東京に帰って電車に乗ると、脱毛を促す美容サロンの広告、二重手術を促す美容整形外科の広告(この前電車に乗ったらティーンをターゲットにした二重手術の広告があり、血の気が引いたのも記憶に新しい)にあふれていて、精神がいたく摩耗する。
これらの広告は、私たちにやすやすとお仕着せの美の基準を植え付けてくるからだ。「この基準から逸脱した人間は、社会から弾かれる」。そんな不安と恐怖を私たちに与える。常に女性性を押し付け、それを消費するような視覚文化。それらは大都市の公共交通機関の中や、道の目立つところに氾濫(はんらん)していて、そこに溺れながら私は常に怒っていた。
金沢では、公共交通機関がバスのみ(郊外には電車もあるが、私のような市の中心部に住んでいる人にとっての足は基本的にバスだ)であるため、バスでしかほとんど広告を目にしない。そしてバスの中の広告も必要最低限(というかほとんどゼロに等しい)なので、視覚情報のノイズが少なく、移動が心地よいのだ。
移動の心地よさ。「金沢の良さを一つだけ挙げなさい」という質問が来たら、真っ先にこう答えるだろう。金沢を歩くとき、バスで移動するとき、常に穏やかな気持ちになるのだ。
無論、東京で感じる怒りを無下にしたいわけではない。怒りという気持ちが湧き上がるのは、その怒りの対象に対して自分の気持ちを整理できていることの証左だ。しかし、この怒りを感じない環境というのは、私には必要だったと思う。怒りの対象がない、健全な環境。
それを経験できたのは金沢に移住したからこそ得られた幸福なのだ。
加えて、金沢には全国展開しているチェーン店が少なく、個人経営のお店が多い。チェーン店特有の、客を誘うためのどぎつい原色の看板が目に入らないのも心地よさの一端だ。そしてなんといっても一つひとつのお店のファサードの、そして店内の、細部まで行き届いた美がすばらしいと感じる。その美を目の当たりにしたとき、人間の感性というものを取り扱う職業に就けて良かったと改めて思う。
他県よりも身近に存在する「水」。そこに堆積する街の記憶
その街に対する印象や記憶が自分の心に堆積すればするほど、その街が自分にとっての心のよりどころになってくるように思う。
どんよりとした空。人っ子一人歩いていない路地裏。道を覆う誰にも踏まれていない雪。街灯があまりにも少なすぎて自分の身体を包み込んでくる夜闇。街の静けさ。それとは対照的にごうごうと水を流す犀川。
そう、金沢は水が身近だ。どこかしらで水が流れる音がする。先述の犀川しかり、浅野川しかり。犀川は、金沢市内南部を流れて日本海へと注ぎ、その流れが急なことから「男川」と呼ばれる。一方、市北部を流れる浅野川は流れが穏やかなので「女川」と言われているようだ。激しいと男、穏やかだと女、というこの安直な二項対立に違和感を覚えるが、ひとまずこの議論は別の機会にするとする。
せせらぎ通りという鞍月用水が流れる商店街では文字通り、用水のせせらぎに心を奪われる。また、私の住んでいるところからバスで2〜30分ほど揺られれば日本海が見える。当然、外食先のレストランには魚介料理が豊富である。
毎回日本海を見るたびに、なぜこうも太平洋と異なる姿をしているのだろうと、思う。この感情が、杉本博司が『海景』シリーズを制作する所以なのだろうと烏滸(おこ)がましいかもしれないが、思う。
そもそも、私は水と無縁の生活をしてきた。生まれてから10歳まで住んだ町は埼玉県狭山市というところだった。
小学生のころ、友人の家に招かれた際、その友人のお父さんが、「群馬県、栃木県、埼玉県、岐阜県、長野県、山梨県、奈良県、滋賀県にないものなーんだ?」というクイズをいきなり出した。そのころは今よりももっと井の中の蛙だったので、埼玉県にないものなんてあるっけ……? と純粋に思ってしまったが、答えは海だった。私が今住んでいる埼玉という県は、海という大きな存在を持ち合わせていない県なのだという衝撃が身体を走った。
確かに海をあまり見たことがなかったし、加えて魚料理(特に刺身)をあまり食べたことがなかった気がする(家族の嗜好もあるかもしれないが)。
10歳になると、いろいろあって実家が東京・高円寺へと移った。ここにもあまり水はなかった。東京23区のほぼ最西端なので海は遠く、自転車で行くと見える善福寺川は、川というよりは開渠(かいきょ)という印象だった。
今は、水が人生で一番身近だ。
職場からの帰り道、たまに犀川の岸辺へと寄り道する。犀川は、近代日本を代表する詩人・室生犀星の名前の由来にもなった河川だ。犀という字は、動物のサイの他に「するどい」という意味があるらしい。しかし、男川と呼ばれるほど、そこまで激しい流れかと言われるとクエスチョンマークだった。
あるとき、浅野川の岸辺まで自転車で行ったことがあった。浅野川沿いの「remref(レムレフ)」というケーキ屋が美味だという噂を聞きつけて店まで行ってみたのだ。remrefの閉店時刻が迫っていて、私は必死に自転車を漕いでいた。途中浅野川にかかる橋を越えたが、頭の中はケーキでいっぱいで、川を見ている余裕は全くなかった。
閉店5分前に店に到着。そのころは秋だったので、いちじくのタルトを買った。そういえば、石川県はいちじくが有名らしく、以前いちじくハントに誘われたこともあったが、いちじくと言えば秋、秋といえば芸術——つまりいちじくが穫れる季節は、美術館学芸員は必然的に忙しいので行けずじまいだったことをこの文章を書いていて思い出した。今年こそは行きたい。
念願のタルトをゲットし、ほくほくした気持ちでお店を出ると、辺りは日の入り間際で夕焼け色に染まっていた。金沢は降雨量がかなり多い地域として知られているが、この日はたまたま晴れていて、外で食べられそうだった。
川縁(かわべり)の欄干にタルトの箱を置き、浅野川を眺めながらいちじくを頬張った。適度に熟していて、口の中に香りがじゅわっと広がる。味覚の幸福に満ちあふれている中、ふと視線を下に向ける。浅野川の水音が聞こえてくる。確かに犀川の雄大さや轟音と比べると浅野川は大人しく、流れがゆったりとしているような気がした。タルトによる幸福感とともに、せせらぎを聞けるというその環境の豊かさに、今まで味わったことのない満足感を覚えた。
水の近さが、私の暮らしにこれからもどれほど作用してくるのかは、まだわからない。ただ、自分が自らの選択で来た街で得た記憶や印象の堆積が、犀川の、浅野川の、日本海の底に見える気がしている。そしてその堆積物は水流に抵抗することなく流れていき、そこで私はまた新たな堆積物をつくる。そのことを水は示唆する。のかもしれない。
再び「移動」について——コンパクトな街並みと軽やかな移動手段
最近は「ワーケーション」や「テレワーク移住」といったワードを頻繁に耳にするようになった。実際、金沢を移住先として考えている人も多いのではないだろうか。東京から金沢へ移り住んで約1年。私の金沢生活の、よりプラクティカルな面を、私なりに少しまとめてみようと思う。私は金沢で働いているので、ワーケーションやテレワークを実践している身ではないが、参考になれば嬉しい。
まず、いい意味で街がコンパクトなので、生活がしやすい。金沢の観光名所である近江町市場、ひがし茶屋街、金沢城、兼六園はそれぞれからそれぞれに歩いていける距離であるくらいにはコンパクトだ。住民としては、歩いてすぐに買い物に行けるし、若干歩くには遠いなと思う場所でもバスや自転車で気軽に行けるのが素晴らしい(もちろん住む場所による)。
電車が市の中心部に通っておらず、基本的にバス移動なのは、都市部出身者からすると少し億劫(おっくう)に感じるかもしれないが、バスはかなり本数も多いし、終バスもそこまで早くないので、意外と便利だと感じる(ただこれも住む場所による)。ただ、たとえば北陸鉄道バス、ふらっとバスの難点は全国交通系ICカード(Suica、 ICOCAなど)が使えないということ。現金あるいは「ICa(アイカ)」という北陸鉄道独自のICカードでないと運賃を支払えない(しかし昨年10月から、一部の路線で全国交通系ICカードが利用可能になった)。
急ですが、問題です。ICaにお金を追加することをなんというでしょう?
答えは「積み増し」です。「チャージする」という言葉に慣れていたので、この聞きなじみのない熟語を覚えるのにかなり苦労した。が、大学時代イギリスに留学していたときに現地の交通系ICカード「oyster」にお金を追加することを“top up”と言っていた。top upと積み増し、なんだかイメージが似ている……と思うのは私だけだろうか。兎にも角にも、この思い出のおかげで最近では運転士さんにすんなりと「積み増しお願いします」と言えるようになっている。
そして特筆すべきは自転車である。街のいたる所に「まちのり」というシェアサイクルのポートがあり、スマホのアプリ一つで電動自転車を気軽に借りて返すことができる。
引越し初日にママチャリを購入したので、つい最近までこのシステムを利用したことがなかったが、私の大好きな文筆家・安達茉莉子さんのエッセイ『臆病者の自転車生活』(2022年、亜紀書房)における電動自転車の描写が、ついに私がこのシステムを利用する契機となる。
“あくまで、私が漕げばそれを手伝ってくれる。自由意志を、尊重されている……足元に、自分以外の動力がある。そしてそれは、坂をものともしない大きな力なのだった”(『臆病者の自転車生活』p.15)
自由意志を尊重してくれる乗り物。自分の脚力「だけ」だと行けない場所に、自分の脚力を「使って」どこかに行ける。この文章を読んで、私は電動自転車に乗ってみたい気持ちになった。でも電動自転車をいきなり買うのは私のお財布が許してくれない。そうだ、まちのりに乗ればいいんだ! というわけで仕事終わりに早速乗ってみた。
……? なんだかペダルが重い。それもそのはず、そもそも電源を入れていなかった。電源を入れたら、自転車が私の力をサポートしてくれる、安達さんが言っていたあの感じ。どこまでも漕いでいけそうな錯覚を味わわせてくれた。それが、街のいたる所にある。確実に金沢の強みの一つである。
ただ、雪のときは自転車は危険だ。つまり、金沢の冬の足から自転車は外される。もちろんまちのりも利用受付を停止する。そんなときの移動手段は徒歩である。雪に足をとられるので通常の二倍もの時間がかかるが、誰も踏みしめていない真っ白い道を歩くのも、悪くない。
今日も街を移動する。バスで、自転車で、徒歩で。風が身体の横をすり抜ける。風の爽やかさと景色が一貫している。車があったらより良いのかもしれないが、ペーパードライバーなので安全性に問題があるのと、そもそも運転に気を取られて景色を堪能できないかもしれないと思い、まだ車での移動はチャレンジできていない。今年の目標は、車で金沢の街を移動することに決めた。車窓から感じる風は、果たしてどのようなものなのだろうか。
著者:原田美緒
1995年東京生まれ。東京大学文学部美学芸術学専修卒業後、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科キュレーション専攻修了、平山郁夫文化芸術賞受賞。2022年より金沢21世紀美術館アシスタント・キュレーター。パフォーミング・アーツやジェンダー・スタディーズに関心がある。(photo by Aya Kurashiki)
編集:岡本尚之