芸人人生の序盤を過ごしたあたたかな街「新中野」|文・岩崎う大(かもめんたる)

著: 岩崎う大(かもめんたる) 

芸人としてのスタートを切った街・新中野

僕が初めて1人暮らしをした街が新中野でした。もともと西東京市の実家で暮らしていた僕は、大学を卒業すると同時に家を出ることになりました。この時の僕は、お笑い芸人として大成することを目指した1人の若者でした。

みんなが就活を始める大学3年生で吉本の養成所NSCに入った僕は、結局紆余曲折あって大学卒業時には5人組のお笑いグループWAGEのメンバーとしてアミューズという大手芸能事務所に所属していました。芸人としては珍しく給料制で、お小遣い程度の月給でしたが、お笑いでお金をもらえる事実がとても嬉しかったのを憶えています。

苦しいお給料事情でしたからもちろん、ギリギリまで実家に居座る魂胆でいたのですが、母親から「芸人になるのはいいけど、家を出なさい」と言い渡されてしまいます。僕はアルバイトの才能が全くなかったので、途方に暮れていたのですが、とてもラッキーなことに、当時祖母が所有していたアパートの一室に住めるということになったのです。

そのアパートが新中野から徒歩数分の今はなき「青葉荘」という風呂なし共同トイレのアパートでした。そこから僕は新中野でおよそ6年の時を過ごすことになります。

だいぶ空気が違う中野と新中野

早稲田大学に通っていた僕は、学生時代によく中野には行っていました。東伏見から西武新宿線で、高田馬場まで通っていて、たまに新井薬師前で降りて、中野ブロードウェイまで歩いて、そこでフィギュアや、漫画や服を買ったりしていました。今でも僕は中野に住んでいるのですが、中野という街は当時から混沌としていて、僕にぴったりな街だと思っていました。

ただ、新中野には一度も行ったことがなく、母親と一緒に青葉荘を下見に行きました。もう20年前の春のことです。中野駅の南口を出て、中野通りをまっすぐ南に歩いて行きました。

とても天気の良い日で、中野駅前の喧騒が落ち着き、静かな町並みを歩きながら、未来のマイタウン新中野へ近づくにつれ気分が高揚したのを憶えています。青梅街道と中野通りがぶつかる交差点に差しかかるとパチンコ店や、喫茶店、本屋さんなどが見えて、一気に都内の駅前の華やかさが広がり、まだ近所に畑のある西東京市出身の僕の興奮はMAXになりました。

新中野には有名な鍋屋横丁、通称「鍋横」という商店街があります。今も、スギ薬局、サミット、松屋などの大手チェーン店や個人経営の喫茶店、和菓子店、カラオケスナックなどが仲良く並んでいますが、かつては非常に栄えていて映画館もあったそうです。僕が初めて訪れた20年前にはすでに今あるわりとおとなしめの商店街になっていました。

青葉荘は鍋横の外れにあって、玄関も共同の古いアパートでした。そのころ、たまたまテレビで戦前からあるアパートが焼失したというニュースがやってたんですが、青葉荘にそっくりだったので、恐らく戦前からあったのではないでしょうか。

部屋のドアは、建物が歪んだ際に前の住人によってぶった切られたようで、上がガタガタでした。入るとすぐに異常に小さな台所があって、ガラスの引き戸を開けると、四畳半の部屋が二つ続いていました。場所によっては床が傾いているのを体感できましたが、日当たりが良かったのと、壁が漆喰で感じ方によってはぬくもりがある部屋といえなくもないところが気に入りました。ただ冬は異常に寒く、布団で寝てても水の中にいるのかな?と思うほど寒かったのを憶えています。

その日は、母と駅前のきしめん屋さん丸福で食事をして帰りました。当時でも、昭和感のある古いお店でしたが、ここが今も健在なので、近いうちに20年ぶりに行ってみたいと思います。

「俺の冷蔵庫」だった、スーパー丸正

丸福さんの名誉のためにもお伝えしておきたいのが、当時の僕は本当にお金がなくて、自炊ばかりで外食をほとんどしていなかったのです。そんな僕を支えてくれたのが、スーパー「丸正」でした。

当時の鍋横といえば丸正といっても過言ではなく、商店街のど真ん中にどっしりと鎮座した丸正の赤い看板は、丸ノ内線の赤と合わせて新中野のイメージカラーだったのではないでしょうか。

丸正を「俺の冷蔵庫」呼ばわりし、「最近は野菜が高くてやんなっちゃうわ」と調子をこきながら丸正に通っていたのが懐かしいです。実は、丸正でバイトすることを考えたこともあったのですが、何か不始末をして二度と出入りできなくなったら死活問題なのでやめたという経緯があるぐらい丸正さんにはお世話になってました。

寂しいことに丸正は数年前に鍋横からなくなってしまいましたが、今の鍋横にはサミットがあり、さらに駅周辺には三徳、まいばすけっと、そして24時間営業の肉のハナマサなどもあるので自炊派のみなさん安心してください。

ということで、リッチな外食派のみなさんにご紹介できるお店をあまり知らないことをここで謝っておきます。

40円の激安パン屋「ミルクロール」と僕のプライド

それでいうと、新中野には有名な激安パン屋さん「ミルクロール」がありまして、ここでは自家製パンがなんと40円から買えるのです。青葉荘からも、100mと離れていない場所です。

味もおいしく、大人気なので常に人が並んでいます。貧乏な僕に非常にありがたい存在だったはずなのですが、他のお客さんがたくさんパンを買う中で、並んだうえで40円のパン一つを買うのはなかなか難しい行為でした。

僕も利用する際は、数百円分は買わないと恥ずかしかったので、結局常連にはなれませんでした。こないだ劇団で使った稽古場が中野富士見町にあったのでここで大量にパンを買って差し入れすれば良かったと今になって後悔しています。ちなみにクリームチーズという、レーズンとクリームチーズが入ったパンがおすすめでこれは70円でしたが、当時の僕にとってはぜいたく品でした。

ウマが合わなかったけれど思い出す、バイト先の店長

さて、売れない芸人ですからバイトもしないといけないということで、新中野駅近くのとある飲食店でバイトをすることになったのですが、そこの店長さんとは激モメしました。

今思うと世間知らずだった僕に全責任があるのですが、店長が僕を注意してくるときに僕の二の腕を突いてくるようになったので、これはもうダメだと思いました。今でも憶えている店長からのパンチラインに「もっと明るく返事して! ここは工場じゃないんだよ!」というものがあります。なかなかセンスがある人だったのかもしれません。

そんなこんなで関係が悪化したある日、僕が「ちょっと一回話し合いましょうか?」とこれまた誰が言うてんねん的な発言をして、店長から「そんな時間はない!」と返された2時間後に、「もう帰っていいよ。クビだから」とクビを宣告されたのでした。

僕は、午前中の鍋屋横丁をてくてく歩きながら、「売れる準備が整ったぜ」と負け惜しみを言っていたのだからどうしようもありません。振り返ると、そこで働いていたのはわずか1カ月でした。

半年ほどたったころ、母が僕の部屋に遊びに来た帰り、そのお店の前でばったり店長に会ってしまいました。店長は笑顔で「また機会があったら手伝ってよ」と素敵な様子で話しかけてくれました。その時僕は「忙しいので、難しいです」と返して、後から母親にこっぴどく怒られました。あんなダメダメな若造を新中野の街はどう見ていたのでしょうか?

風呂なしアパート生活を支えてくれた「大黒湯」との縁

青葉荘は風呂なしだったので、鍋横からちょっと入ったところに今もある大黒湯という銭湯によく行ってました。大きくはないですが、白いタイル張りのきれいで良い匂いのする素敵な銭湯です。熱い湯船に入りながら、ネタを考えたり、人間観察したり、新中野で青葉荘以外でゆっくりした時間を過ごしたのはこの大黒湯と、駅前のサイゼリヤぐらいですかね。サイゼリヤでもよくネタを考えました。

実は、大黒湯にはもうひとつ縁があって、当時付き合い始めた今の妻が僕の部屋に転がり込んでからすぐに、そこでアルバイトをするようになったんです。

大黒湯のおばあさんが編み物をされる方で、紫の手編みのニット帽を妻がもらってきて、主に僕がかぶっていました。かもめんたるのネタで、銀行でおじいさんがケータイ片手にお金を振り込もうとしているのを、銀行員が目撃し、振り込め詐欺に引っ掛かってると思って助けようとすると単純にエロDVDを買ってお金を振り込んでるおじいさんだったというネタがあるんですが、僕がかぶってるのがその時の帽子です。YouTubeにあるのでよかったら観てください。

当時は金欠で新中野を満喫する余裕がなかったけれど、今でも訪れる魅力がある街

新中野での最後の一年間は怒涛の日々でした。まず僕が所属していたお笑いグループは活動を休止。しかし、メンバーだった小島よしおが半年後に社会現象になるほど大ブレークし、僕は同グループにいた槙尾ユウスケとかもめんたるの前身となる劇団イワサキマキオを結成します。さらに当時まだ恋人だった妻の妊娠も発覚し、それと同時期に青葉荘の取り壊しが決定。僕は追われるように隣町の中野富士見町に引越します。

青葉荘、そして新中野とのお別れはそのまま新しい人生のスタートとなったわけです。実は新中野にはもう一つとてもお世話になっていることがあって、長男も次男も長女も、新中野にある産婦人科で産まれてます。いろいろ縁があるんですね。

僕は基本自転車移動なので今でも鍋横をよく通ります。だから僕にとって全然過去の街ではないのです。住んでる時には行ってなかったのですが、最近では駅前にある家系ラーメンの武蔵屋中野本店にもハマってます。

20年前にあったお店の数々はなくなってしまいました。あんなにお世話になったスーパー丸正をはじめ、腐るほどあった時間を埋めてくれたたくさんの映画を借りたレンタルビデオ屋さんも、駅前の本屋さんもとっくになくなっちゃいました。諸行無常ですね。

新中野には、当時いつか行ってみたいと思いながらお金がなくて行けなかったお店もたくさんあります。なんか今無性に新中野を再発掘したくてたまりません。ディグりたいです。「お陰で立派になりました」と、あのころダメダメオーラを隠しもせず過ごした新中野に、今度は背伸びして顔を出したいです。きっと喜んでくれる気がしています。

著者:岩崎う大(いわさきうだい)

岩崎う大(いわさきうだい)

お笑いコンビ「かもめんたる」で活動しながら、役者、漫画家、演出家などの顔を持つ。「キングオブコント2013」優勝。作・演出を務める劇団かもめんたるの作品が第64・65回岸田國士戯曲賞にノミネートされる。2023年8月12日~20日に「座・高円寺1」にて劇団かもめんたるS.ストーリーズ公演『S.ストーリーズVol.2』を開催予定。詳細は公式HPにて。

編集:小沢あや(ピース)