―本屋は世界に必要ないのか― 出版の街「神楽坂」で校閲として考えたこと

著:柳下恭平

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バカじゃないのって僕は思った

その日、2014年4月7日は月曜日で、僕はいつものように会社に行こうと神楽坂を歩いていた。

坂上の交差点から神楽坂を登れば、道はなだらかに伸びていて、六丁目の角でゆるやかに曲がっている。

毘沙門天の裏、そのさらに奥の北町に住んでいた僕は、牛込北町の交差点をそのまま上がらずに、坂上の交差点から通勤するのが好きだった(コーヒーも飲めるしね)。

少しだけ遠回りだけれど、その日の予定を考えながら歩くのにはちょうどいい。

一日を本格的に始める前の、このちょっとした時間の隙間は、滑走路で暖機をとる双発の複葉機みたいだ。つまり、飛ぼうと思えばいつでも飛べるんだってこと。でも、僕はまだ飛ばない。

 

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坂を歩く——頭の中で今日の会議とアポイントメントを積み木みたいに並べてみる——どうやら大きな問題はないみたい——能動的というよりは受動的な一日になりそうだ——今日は天気がいいな——期末に新調したラップトップにそろそろデータを移さなければいけないね——あと母の日のギフトの用意をしたいな——恵比寿に行きたい——そうだ眼鏡もほしいな——でも週日は動かないほうがいいか——土曜日はコロッケつくりたかったな——坂を歩く

 

ぼんやりと、35%くらいの集中力で僕は歩く。そういうときは、なるべく思索に深く潜るのではなくて、発想を自由に浮かばせる。歩きながら考えるときは、これくらいがちょうどいい。

 

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だから、文鳥堂書店のシャッターが、固く静かに閉まっているのを、僕はうっかり見逃すところだった。視界に入った情報を、脳がすぐに理解できなかった。日常の中に紛れた非日常を咀嚼(そしゃく)するのに、わずかな時間が必要だった。

 

「シャッターが閉まっている? どういうことだろう?」

 

近づいたら、貼り紙があり、そこには、墨文字で閉店のお知らせが書かれていた。

 

「文鳥堂がなくなる? どういうことだろう?」

 

僕はとても混乱した。

 

僕のズボンのうしろのポケットには、先週末に文鳥堂で買ったばかりの文庫本が刺さっているのに。

今、読んでいる小説の次には、買ったその棚の表側に刺さっていた新書を読もうと思っていたのに。

 

 

僕の仕事と、この街の歴史

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僕らのオフィスは東西線神楽坂駅の早稲田側の出口にある。
校正・校閲といって、情報が世の中に出る前に、瑕疵(かし)を指摘して誤読の可能性を取り除く仕事をしている。

 

それは、もっと簡単に言うと「本の間違いを見つける仕事」だし、すごく簡単に言うと「本をつくる仕事」だ。その仕事を僕は神楽坂で10年以上も続けてきた。

 

江戸時代から置屋があり、大正時代に花街として隆盛の時を迎えた神楽坂は、昭和初期には出版・印刷の街という側面を持つようになった。出版流通の歴史もある。

 

本は版元がつくるものだけれど、野暮を承知で少し細かいことを言えば、実際に原稿を本というプロダクトにするのは、印刷所や製本所が行う。そして、それを本屋に届ける、出版流通を取次という。

 

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さて、もしも僕らが鳥だったならば、神楽坂はどのように見えるだろう?

翼を広げて風を受け、ぐるり、滑空をしながら、神楽坂の上空を旋回する。

 

すると、どうやら、眼下に防衛省市ヶ谷地区を中心とする同心円があり、その線上に印刷・取次が立っていることが分かる。印刷大手の大日本印刷も凸版印刷も、出版流通大手のトーハンも、神楽坂の周りにある。

 

そして外縁には版元がたくさん存在している。北側には護国寺・音羽町、東側には一ツ橋・神保町、そのあたりに出版社がたくさん固まっている。

 

あまり語られない、本の街としての神楽坂の歴史だけれど、これらすべては太平洋戦争に終焉(しゅうえん)を迎える、軍国だった日本の名残だったりする。

 

同心円の線上に、印刷・取次が集まっているのは、情報・思想を検閲するためで、戦時統制により土星の輪のような密度をもって関連会社が集められた。

 

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全国に多数あった大小の取次・出版流通は、1941年に解散させられて、統合という形で日本出版配給という国策会社になった。取次の大手、トーハン・日販(そして大阪屋)は戦後、日配が解体して生まれた会社だ。

 

取次と検閲が近くにあるなら、印刷・製本もその周辺にあるのが理にかなっている。油と紙はよく燃えるから、外濠や神田川があるのも消防用水として使える。市谷周辺に印刷・製本があるのはとかく有理だ。

 

そんな背景もあり、この街は出版・取次・印刷の関係者が好み、特に編集者やデザイナーは多く働き、住んでもいる。そんな環境だからこそ、神楽坂には書店も多かった。

 

 

本の街、神楽坂

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坂下には「深夜プラス1」というミステリ専門店があった。コンビニエンスストアの「am/pm」も実は本屋だった。新刊コミックと、新書・ビジネス書・文芸の売れ筋ランキングのみを扱うという、ある意味において潔い書籍コーナーがあったからだ。

 

飯田橋の五差路には、文鳥堂書店の別店舗があり。その棚ぞろえは、東京理科大学の学生さんにも向けてだろうか、理工書(特にコンピュータ書)が充実していた。複数フロアで専門書も一般書も販売されていた。

 

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しかし、これらの書店は、今はもう存在しない。

 

この十年ですべてなくなってしまった。

 

魯鈍(ろどん)な僕はそれでもまだ、それらに無感動でいられた。坂上の交差点のほど近くに、「文悠」という書店があり、会社の並びに「文鳥堂」があったので、本を買うのには困らなかったからだ。

 

「その、残った文鳥堂がなくなる? 本当に、どういうことなんだろう?」

 

僕は、まったく理解ができない。
そして、とても混乱した。


午前中の会議も上の空で、僕はインターネットを読み漁る。
そこには一次情報なんてあるはずもない。しかし、それでも読んでしまう。
どういうことだ、どういうことだ。
僕はその感情をはやく消化してしまいたかった。

 

やがて、時間が過ぎるにつれ、タイムラインに噂が流れる。噂は噂、確報ではない。クラウドには多くの閉店を惜しむ声があふれて、センチメンタルを礼讃している。

 

本屋がなくなるというニュースを嘆く声。
たくさんあふれるその声を読むうちに、僕は怒りを感じていた。

 

僕の脳幹は沸騰して、目の奥がチカチカする。
指先が震えて、僕は感情を抑えることができない。

 

僕の呼吸は浅くなり、吐いてばかりで、息を吸うのを忘れている。
座っていられない、だけど立ってもいられない。

 

「どういうことだ? どういうことなんだ!」

 

だから僕は思った。
バカじゃないのって僕は思った。

 

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誤解のないように書き添えると、バカとは僕のことだ。他人のことは知らない。
僕以外の誰かについては、僕ではないから分からない。

 

責難は成事にあらず。
正論を言って、代案も出さずに誰かを責めるのは簡単だ。

 

インターネットの編集されていない言葉。
それ自体に僕の感情が揺さぶられることはない。
みんな、個人の責任で個人で発言すればいい。

 

僕は、インターネットの編集も校閲もデザインもされていない情報は、つまりパブリッシュではないから、パブリックじゃないって考えている。たとえ友だちが発信した情報でも、情報の裏もとらないで、安易に同調も拡散もしない。

 

僕は書店が減っているということを知っていた。
1996年をピークとして、出版の売上高が下がっていることも知っていた。
僕は出版に育てられたし、ずっと本に携わって生きていきたいと思っている。

 

それなのに、なぜ。
僕は文鳥堂の閉店に、ここまで動揺しなくてはいけないのか。

 

「お前は、結論の決まった未来を、薄く細く延ばしているんじゃないのか?」
「お前は、ずっと売れないものをつくってきたのか?」
「お前は、自分の会社に入った希望に満ちた新卒に、この仕事が15年後にも存在すると言えるのか?」

 

お前というのは僕のことだ。
バカじゃないのって僕は思った。

 

本屋は世界に必要ないのだろうか?

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あとになって、僕はこの感情の近似値を思い出すことができた。
それは「セブン」という映画を観たときに似ている。

 

1996年に日本で公開されたこの映画は、若き情熱の刑事をブラッド・ピット氏が、ベテランの相棒をモーガン・フリーマン氏が好演し、暴食・強欲・怠惰・肉欲・高慢・嫉妬・憤怒という、キリスト教の七つの大罪になぞらえて行われた連続殺人犯を追うという物語だ。

 


セブン (字幕版)

セブン (字幕版)

 

まず僕は、この映画を観ることをおすすめしない。

 

脚本は最高の出来で、カメラワークもライティングもシンプルでとてもいい。
両俳優の演技は僕らを感情移入させて、映画が終わるころには呼吸が浅くなっている。
これまでに僕が観てきた映画の中でも、とてもいい作品だと思う。
でも、僕はこの映画を観ることを、決しておすすめしない。

 

本当に悲しい結末で、とても後味が悪いからだ。
こうして、20年前の映画なのに鮮明に覚えていることが、その証左かもしれない。
それくらい、強い映画だ。

 

作中で、人が殺されていく。
肥った男、弁護士、衰弱した男。僕は彼らが死んでいる映像を見て、かわいそうだなとは思っていたけれど、ドラマを外から眺めていた。話は進んでいくけれど、作品に集中しつつ、僕はまだこれはフィクションだからと、高を括っていた。

 

どれだけ人が殺されても、僕は冷静だった。これはつくり話だから。
しかし、そのつくり話のクライマックスで、主人公に近しい登場人物が殺される。
とても残酷な殺され方をする。

 

その時になって、僕ははじめて、強く感情を揺さぶられる。
関係ない人が大勢死ぬよりも、大切な人が1人いなくなるほうが、悲しい。


本屋も同じだと思った。

 

「書店の数が減っている」というニュースは、寂しいなと思うけれども、どこかフィクションみたいだ。

 

でも、どこか知らない街ではなくて、自分の街の本屋がなくなるという事実に、僕は比べようもないショックを受ける。これまでのニュースにも、それくらい悲しんでいるその街の人がいるかと思うと、つらい。

 

だから、僕は神楽坂に本屋をつくろうと思った。

 

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僕たちがつくっている「本」というものは、売れないものなんだろうか?
世間に必要とされていないんだろうか?

 

僕にはどうしても、そう思えなかった。


本に救われている人はたくさんいるし、もちろん、僕がそのひとりだ。
アイデアに、時間かけて理解を深めるという情報のパッケージとして、本はとてもクラシックだ。
本棚に収まった背表紙を眺めていると、自分の脳内をマッピングしたような高揚がある。

 

こんなすばらしいものが、世界に不要なわけがない。

 

誰に聞いても答えが出ないなら、自分でやってみるしかない。
本屋とはなんだろう。本とはなんだろう。


14年間、出版の世界で生きてきたけれど、そんな当たり前のことを疑問に持ったことはなかった。
本というものを、最初から考えなおして、僕は本屋をつくろうと思った。

 

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本を開いた形を上から見ると「かもめ」に見える。
だから店名を「かもめブックス」とした。

 

世界中の読者の手の中で、これからも変わらず、かもめが飛べばいい。

 

だから、僕はこれからも神楽坂で本をつくろうと思っている。

 

 

(おまけ)神楽坂を歩く

■かもめブックス

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この場所には、文鳥堂の前にもブックス・ミヤという書店があって、ずっと「神楽坂の駅前書店」という場所だった。やっぱり、ここに本屋がないのは間違ってるよね。

 

袖看板は文鳥堂時代のものを、そのまま残しました。クラシック。
3週間で店頭の特集棚が変わります。外の街から月に一度くるのもよし。

 

 

■りゅうほう

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かもめブックスの開店した日、僕のミスで釣銭がなくなってしまったけれど、それを聞きつけたりゅうほうの親父さんが、ビニール袋に1円玉と5円玉をたくさん入れて持ってきてくれた。

 

「これ使え!」と長靴で駆け込んできてくれた親父さんは、今はいない。さびしい。けれど、僕はここのチャーハンを食べるたびに、親父さんのことを思い出す。

 

■la kagu(ラカグ)

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かもめブックスができたのは2014年11月。同じ時期にオープンしたのが、お向かいのラカグ。

 

もともとは新潮社の書籍在庫を置く倉庫として使われていた。雑貨や家具、展示スペースやイベントスペースなどもあり、中に入ると自分以外はみんなお洒落。

 

■蛍雪天神

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戦災で焼けた北野神社を、神楽坂の学参教材出版社「旺文社」の寄付により再興して、蛍雪神社となった。
名前は同社が刊行する「螢雪時代」に由来する。

 

がんばれ、受験生!

 

■毘沙門天の狛虎

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神楽坂のランドマーク、毘沙門天・善國寺。


守護獣が狛犬ではなくて、狛虎。
かわいいし、強そう!

 

■路地裏

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そこにはたくさんのお店が隠れている。
もしも、あなたがマナーのいいお客さんなら、恐れずに飛び込んでみてほしい。

 

夜の神楽坂にようこそ!

 

 

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著者:柳下恭平

柳下恭平

髪の毛は天然パーマ。足のサイズは29cm。奇矯な外見をしているらしいのですが、友人がつけてくれた「知のドワーフ」というあだ名は気に入っています。神保町時代は「〆切の妖精」と呼ばれていました。映画・音楽・本が好きですが、何もしない旅行も大好きです。趣味と仕事は友だちを本にすること。

Instagram:@kyohei_yanashita

編集:Huuuu inc.

写真:藤原慶

※記事公開時、記事中に一部誤字がありました。読者様からのご指摘により、6月28日(木)14:45に修正いたしました。ご指摘ありがとうございました。