
小学5年生からハロプロ研修生として活動を始め、2021年にOCHA NORMA(オチャノーマ)としてデビューした石川県加賀市出身の中山夏月姫(なつめ)さん。2023年からは加賀温泉郷観光大使に就任し、地元の情報を発信しています。
今回は中山さんに、石川の伝統工芸品である漆器の魅力や、上京して改めて気づいた加賀の良さ、そして2024年1月に起きた能登半島地震とボランティア活動について伺いました。
「加賀温泉駅」が北陸新幹線の停車駅に! 東京からのアクセス楽々

―― 中山さんが上京して2年が経ちました。離れてから改めて気が付いた地元の良さ、パッと浮かぶのはなんですか?
中山:一言で言うと、「人の温かさ」ですね。街を歩いていると知人や、エフエム石川でパーソナリティーを務めるラジオ番組のリスナーさんから、「活動を通して元気をもらってるよ」って声をかけられるんです。うれしいですね。
私は地元愛が強いほうで、お仕事がお休みの日にはサッと日帰りでも帰省するんですよ。頻繁に帰るけど、地元の加賀市は観光に力を入れているから、いつでも楽しいです。
OCHA NORMAオフィシャルブログより
―― 中山さんの地元である加賀温泉駅は、2024年から北陸新幹線が停車する駅になりましたね。帰省も随分気軽になったのでは。
中山:そうなんです。それまでは新幹線で金沢駅へ向かった後に、一度改札を出て「IRいしかわ鉄道」に乗り換えなくちゃいけなくて。しかも、電車の本数が少なくて1時間に1本ほどの本数しかないので、ちょっと大変でした。
でも、北陸新幹線が加賀温泉駅を経由するようになってからは乗り換えの必要がなくなって、東京から直通・約2時間45分で到着できるようになったんです。今後、加賀温泉駅は駅舎を工事してさらに生まれ変わりますし、過ごしやすい駅になると思います。
―― 駅に降りて、「地元に帰ってきたな」と思う瞬間は?
中山:石川は「山中塗(やまなかぬり)」や「輪島塗(わじまぬり)」といった漆芸(しつげい)が有名です。なので、漆器を見かけると「地元に帰ってきたな」と思います。私の祖父は漆で装飾する蒔絵師、父は漆器の基礎をつくる下地師として働いていて、昔から漆器は身近だったんです。
石川が誇る漆芸の素晴らしさを発信したい

―― 中山さんは、幼いころから漆器に興味があったんですか?
中山:親が仕事としてかかわっていたから、作品を見る機会は多かったです。2023年から加賀温泉郷の観光大使を務めるようになってから、地元の素晴らしさを感じる場面が増えました。それで、漆器の良さにも改めて気が付いたんです。最近は帰省したときに美術館などに立ち寄って、漆の作品を見るようにしています。
―― 石川県内では、さまざまな場所で漆器の展示がされています。最近は、どんなところへ行きましたか?
中山:印象的なのは「加賀依緑園(いりょくえん)」ですね。もともとは山中温泉の老舗旅館「よしのや」の別荘だったんですけど、今年の4月に「加賀依緑園」としてオープンしました。
実は、入口の天井に飾られた漆塗りの作品は、父が下地を担当したものなんです。作品を見ると、「自慢の家族だな」と思いますし、何より伝統工芸にかかわる職人さんの偉大さを感じます。
中山:最近はお手ごろな価格で買える器が増えたから、下地からつくる漆器や蒔絵の作品を購入する方は少なくなってしまいました。それでも、祖父や父の作品をはじめ、石川の漆器を定期的に購入してくださる方もいるんですよ。漆器の良さをわかってくれる人はまだまだ潜在的にもたくさんいると思うので、自分の活動を通して魅力を伝えていきたいです。
―― 中山さんは、ご自宅でも漆器をよく使うんですか?
中山:上京してからも、漆器は手洗いで大切に使っています。石川では、一部の小学校の給食で漆器を使うこともあるんですよ。
実家ではみそ汁をよそうお椀として漆器を使っていました。10年以上使っている私の漆器も、味が出ていい感じになってきました。漆塗りは時間を重ねることで、濃い赤色や艶が出るんですよ。そういう意味では一生ものですね。実家には漆器やこだわりの食器がたくさんあるので、「和食のときはこのお茶碗とお皿を使おう」と、家族でコーディネートを楽しんでいます。
―― お話を伺っていると、漆器を使ってみたくなりますね。漆器が購入できるオススメのお店はありますか?
中山:加賀依緑園近くの「山中温泉ゆげ街道」には、職人さんが手づくりした漆器のギャラリーが並んでいます。そこに行けば、心ときめくようなお気に入りの作品に出合えると思います。
雪国の定番コーディネートは太もも丈の超長靴?

―― 加賀での暮らしぶりについても伺いたいです。上京してから、「これって地元だけだったんだ」と驚いたことはありますか?
中山:太ももくらいまである長靴って、誰も持っていないんですね。びっくりしました。東京はおしゃれな長靴ばかりで……。都会だなってしみじみ思います。
―― 確かに、都内では見たことがないかもしれません。ニーハイブーツのような感じですか?
中山:加賀って山が近いので、金沢とか能登に比べて雪がたくさん降るんです。だから、雪対策に特化した長靴がスーパーやホームセンターで当たり前に売られているんですよ。
冬になると、服のコーディネートは関係なし。おしゃれよりも、雪をどうしのぐかの1点に集中します。私はよくミニ丈にニーハイの長靴を合わせていました。同級生の中には、漁師さんが履くような白い長靴を愛用する子もいましたね。
―― 地域ならではのファッションですね。小中学生のころは、どういうところで洋服を買っていたんですか?
中山:「イオンモール新小松」ができてからは、そこでお買い物するようになりました。けど、加賀にはショッピングモールがないので、ネット利用が多かったです。あとは家族そろってお休みのときに、名古屋まで日帰りで買い物に行きましたね。車だと名古屋まで2時間半ほど。意外と他の地域に出るのもラクなんです。
地産地消の加賀市・オススメスポットは?

―― 北陸新幹線で東京と行き来する際に、中山さんが駅でよく購入する「旅のお供」を教えてください。
中山:私は車内販売が好きなので、のどぐろジャーキーが小さなパウチになったものをご褒美に買っていました。のどぐろを使った商品だと、「のどぐろビーバー」もオススメです。「ビーバー」は人気商品で、いろんな味が出てるんですよ。駅のホームにあるコンビニで販売されているので、小腹を満たすためによく買います。
―― やっぱりのどぐろ推しなんですね。ほかにも、上京してから恋しくなった地元の食材や商品はありますか?
中山:「炭酸カルシウムせんべい」ですね。ちょっと甘いおせんべいなんですけど、東京のお菓子屋さんには売っていないから、よく親に送ってもらいました。
あとは、「五郎島金時」というブランドのさつまいも。東京のさつまいももおいしいですけど、五郎島金時は一味違うんです。身の詰まっている感じとか、甘さとか。炊飯器を使って焼き芋をつくるんですけど、やっぱり五郎島金時が一番ですね。
―― 中山さんは、よく料理をされるんですか?
中山:最近は少しずつするようになりました。それも、「じぶ煮」をつくったのがきっかけなんです。
じぶ煮って石川の定食屋さんでも提供される有名な地元の料理で、家庭によって味が違うんです。わが家では鶏肉を使ってつくります。東京の食材でつくれるので、地元の味が恋しい時はよくつくりますね。
―― 中山さんにとっての故郷の味がじぶ煮なんですね。ご家族とは地元で外食する機会もたくさんあったと思うのですが、思い出のお店はありますか?
中山:真っ先に浮かぶのは「串蔵」ですね。父が日本酒好きなので、家族の誕生日はここで焼き鳥を食べながらお祝いするのが中山家の定番でした。今でも、実家に帰るタイミングで「串蔵」で食事すると、元気になります。
それから、「和の食 いつき」も大好き。のどぐろやお寿司など、石川で食べたいものがすべてそろっていますよ。
―― 土地のものをまとめて味わえるお店はとくにありがたいですね。
中山:私はInstagramやブログで地元の飲食店の様子を発信しているんですが、石川県、とくに加賀は地産地消に力を入れているんですね。
加賀には「加賀パフェ」といって、地元の野菜や果物を使ったパフェがあるんです。観光で訪れる人の中には、このパフェを目的にする方が増えたそう。地産地消の大切さを改めて実感しています。
―― 石川を訪れたファンの方にオススメスポットを紹介するとしたら、どこですか?
中山:定番ですけど、金沢の「近江町市場」がオススメです。石川といえば海鮮、とくにカニ。寒い季節には市場にカニが並ぶので、圧巻です。お酒が飲める方はお刺身やカニと一緒に味わっていただきたいです。
―― 金沢で中山さんがよく立ち寄る場所は?
中山:金沢だと「ひがし茶屋街」をよく訪ねます。街並みや建物もきれいですけど、私は金箔ソフトクリームが狙い。あまり知られていないお店ですが、「烏鶏庵(うけいあん)」の烏骨鶏(うこっけい)の卵を使った「烏骨鶏卵そふとくりーむ」が大好き。ぜひ食べてみてほしいです。
アイドルを夢見て上京 メンバーとも加賀を満喫

―― 中山さんは芸能界を目指して、小学5年生からハロプロ研修生として活動されてきました。当時はどんな気持ちで東京まで新幹線で通っていたんですか?
中山:研修生になっても誰もがデビューできるわけじゃないから、そのプレッシャーと、親と離れて東京へ向かう不安で押しつぶされそうになるときがありましたね。
当時、モーニング娘。OGの加賀楓さんが加賀温泉郷の観光大使をされていたので、加賀温泉駅のホームへ向かう通路にポスターがたくさん貼られていたんです。改札前には加賀さんの等身大パネルも置かれていました。そのおかげで、ハロー!プロジェクトの先輩がいつも近くにいる感覚があって。「加賀さんみたいにデビューできるように頑張ろう!」と励みにしていました。
―― デビューが決まって、大好きな地元を離れるときは周りの反応はどうでしたか?
中山:「頑張っておいで」と背中を押してくれたのですが、祖父母は地元を離れることに賛成してくれなかったんです。だから活動自体は応援しても、ギリギリまで悲しんでいました。
でも、こうやって地元の観光大使としての活動が始まってからは「頑張っているね」とメッセージをくれるようになりました。やっぱり勇気を出して上京して良かったなって思います。
―― デビュー後はOCHA NORMAとして地元のイベントに参加することも増えましたが、メンバーと過ごした思い出の場所はありますか?
中山:加賀にある「みやびの宿 加賀百万石」です。アイドルイベントに出演させていただいたときに、メンバー10人で宿泊させていただきました。実は、それがメンバーと初めてのお泊りだったんですよ。
ご厚意ですてきな大部屋を準備してくださって、地元の食材を使った食事も味わえました。みんなが「おいしい」って食べてくれたのが、なんだかとっても誇らしかったです。夜になったら、裏の駐車場を借りてみんなで花火をして……。夏休みを取るタイミングがなかったので、メンバー全員で夏を体感できる時間がとても幸せでした。
能登半島地震からの復興を目指して、発信を続けたい

―― 石川といえば、2024年の1月1日に能登半島地震が起きました。中山さんもお正月の帰省中に被災したそうですね。
中山:私の実家は能登から離れた場所にあるので、そこまで被害は大きくなかったんです。でも、父が漆器にかかわる仕事をしているから、輪島塗の職人さんたちと縁があって。輪島朝市には漆器を扱うお店も多かったから、私も父と一緒に顔を出したことがありました。そういう場所が火災で形をなくしたことにはびっくりしましたし、今でも悲しいです。
地震から8カ月以上経ち、ニュースでも被害について報道される機会が減ってきました。皆さん、石川の存在を忘れたわけではないと思うけど、やっぱり遠く感じることがあって寂しいです。
―― 4月には輪島にある漆器工房の片づけにボランティアとして参加したそうですね。現地はどんな状況でしたか?
中山:道路が整備されて加賀から能登に行きやすくはなりましたけど、復興には程遠い状態だと感じました。地震から4カ月経っても、つぶれた家が並ぶ状態です。当日は10人規模のボランティアに私も参加させていただいたのですが、人手はもっと必要だと感じました。支援はまだまだ足りていません。
―― 現地の方とは、どんなお話をしたのですか?
中山:どういう言葉を選べばいいのかわからなくて、私からは「応援しています」としか言えませんでした。
でも、現地の父の知り合いからはネガティブな言葉は出なかったんです。むしろ私の活動を知ってくださっていて、「僕たちも頑張るから、活動頑張ってね」と励ましていただきました。改めて、発信する立場としてどんなことができるんだろうと考える機会になりました。
今年の12月にはOCHA NORMAのツアーで ライブハウス「金沢AZ」を訪れる予定なので、この機会に石川のことをもっと発信できたらいいなと思っています。
―― 離れた場所からでも、能登や石川を応援できる方法は?
中山:能登は復興まで時間がかかりそうですが、金沢や加賀は観光できる状態なので、ぜひ遊びに来てほしいです。
なかなか来られない方は東京の八重洲にあるアンテナショップ「八重洲いしかわテラス」を訪ねてみてください。リニューアルしたので、商品が見やすくなりました。石川の商品を買っていただくだけでも、応援につながると思います。
―― ありがとうございます。最後に、今後中山さん個人として、またOCHA NORMAとして挑戦したいことを教えてください。
中山:いつか旅行本を出したいなと思っています。本屋さんに並ぶ旅行関係の本って、読んでいるだけでワクワクしてきますよね。観光する予定がなくても、読んでいるうちに「行ってみようかな」と思うことってあると思うんです。観光大使になってから加賀や石川について勉強する機会が増えたので、オススメの場所を撮影して、自分でレポートを書きたいです。
あとは石川のことをさらに知っていただけるようなバスツアーを企画して、体験したり、食べたりして、楽しんでほしいですね。
OCHA NORMAとしては、12月に行う「金沢AZ」でのライブを目指していますけど、やっぱりホールでもいつかライブがしたいです。石川でたくさんイベントを開催して、ファンと交流する時間をつくりたいと思います。
お話を伺った人:中山夏月姫
2005年7月20日生まれ。石川県加賀市出身。小学5年生からハロプロ研修生に所属し、2021年に「OCHA NORMA」としてデビュー。2024年9月には、OCHA NORMAとして4thシングル『ちはやぶる/友達天体図』をリリースした。
構成:結井ゆき江 撮影:あべあさみ 取材・編集:小沢あや(ピース株式会社)