デビューして「何者」かにならないと、石川に帰れないと思った――Juice=Juice宮崎由加【私が育った街の魅力】

インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真:関口佳代
宮崎さん

華やかなスポットライトを浴びる女性アイドル。東京で夢をかなえた彼女たちは、どんな街に生まれ、どんな風景を見て育ったのでしょうか? 地元の街を出て上京したアイドルに「ふるさと」での日々、思いを聞くインタビュー企画。今回ご登場いただくのは、ハロー!プロジェクトに所属するアイドルグループ「Juice=Juice」のリーダー、宮崎由加さんです。

◆◆◆

宮崎さんは石川県出身。2012年の夏、18歳で上京するまで海辺の田舎町で暮らしました。どこまでも続く海岸線と夕焼けが印象的な、美しい街だったと振り返ります。

少女時代は東京に住むこと、ましてやアイドルになることなど想像すらせず、小さなその街でずっとのんびり暮らしていくものと考えていた宮崎さん。今も特別な思いを抱く、地元の魅力について語っていただきました。

田舎道を自転車で駆け回った幼少期

宮崎さん

―― 宮崎さんが生まれ育った故郷について、真っ先に思い浮かぶのはどんな風景ですか?

宮崎由加さん(以下、宮崎) 特に心に残っているのは、中学生のころに友達と過ごした海の景色です。海水浴客もいないような海岸で、特に決まった場所があるわけではないんですけど、みんなで適当に散策をしていると必ずどこかの海に行き着くんです。途中のスーパーでプリンを買って、海を眺めながら食べたりして。そこで交わした会話や楽しかった思い出とともに、今も鮮明に覚えています。

―― ちょっとした冒険のような感じですね。外でよく遊ぶ子どもだったんですか?

宮崎 はい。小さいころは妹と二人で、街を探検するのが好きでした。カバンに探検グッズを詰め込んで、自転車でわ~って走り回るんです。水筒とおにぎりと、それから探検は何があるか分からないので絆創膏や消毒液も欠かせません。運動神経が悪いし、舗装されていない砂利道ばかりなのでよく転ぶんですよ。それでも懲りずに駆け回っていましたね。

―― のどかな田舎町の風景が思い浮かびます。

宮崎 石川県のなかでも、かなりのどかな場所だったと思います。街にショッピングモールができるっていう噂にみんなが大興奮して、大ニュースになるくらい何もないところ。田舎だからか近所の人はみんな知り合いで、本当に温かい雰囲気なんです。

私が赤ちゃんのころは、泣いていると隣のおばあちゃんが家に入ってきてあやしてくれたりもして。玄関の鍵も常に開けっ放し、みたいな感じでしたね。さすがに今はちゃんと閉めていますけど(笑)

地元での風景

地元の海景色(提供/宮崎由加さん)

―― 県内のほかの街に遊びに行ったりはしましたか?

宮崎 金沢市にはよく行っていました。毎年6月に開催される「金沢百万石まつり」という大きなお祭りに家族みんなで出掛けたり、友達と電車で遊びに行くこともありましたね。そもそも電車でどこかに行くっていうこと自体が一大イベントだったので、小旅行みたいでワクワクしたのを覚えています。

高校生になると、金沢まで洋服を買いに行くのが楽しみでしたね。金沢の繁華街、香林坊には109(KOHRINBO109)*1もあったし、2006年には金沢フォーラスっていうファッションビルも駅前にできて、雑誌に載っているような洋服が買える。それがとてもうれしかったです。

―― 金沢フォーラスのタワーレコードには、地元出身アイドルということで宮崎さんのパネルとのぼりが立てられているとか(2018年8月現在)

宮崎 そうなんです! 私を公式応援アイドルに選んでいただきました。昔から普通に買い物していた場所だったので、今でも信じられないくらいです。

―― まさに、故郷に錦を飾りました。

宮崎 うれしいです。本当にありがたいことですね。

―― 次に目指すは地元の観光大使、ですかね。

宮崎 それはもう、ずっと前から言い続けてます。Juice=Juiceの楽曲『GIRLS BE AMBITIOUS』には「いつかは地元の石川で観光大使」というソロパートがあるんです。この熱い気持ち、石川県の関係者の方に届け~~~!っていう思いで毎回歌っています(笑)

メンバーと金沢へ

Juice=Juiceのメンバーと金沢を訪れたことも(提供/宮崎由加さん)

「何者か」にならないと、石川には帰れないと思った

―― そんな愛すべき地元から18歳で上京されるわけですが、アイドルを志すきっかけは何だったんでしょうか?

宮崎 テレビで見ていた道重さゆみさんに憧れて、道重さんがいる世界をのぞいてみたいと思ったんです。それで、高校2年生のときにスマイレージ*2さんの2期メンバーオーディションに挑戦しました。

でも、そのときは「絶対にアイドルになるぞ!」という強い意気込みがあったわけじゃないんです。受かるわけがないと思っていたし、田舎で育った子が興味本位で受けてみた、というくらいの感覚でしたね。実際、そのオーディションは落ちました。

―― では、どこで「本気」になったのでしょうか。

宮崎 そのオーディションの合宿審査で、歌うことの楽しさに気付いたことが大きかったです。歌詞の意味や物語、それまでまったく知らなかった歌の力のすごさを教えていただいて。それで、同じ事務所の別のオーディションにチャレンジしようと。そこで賞をいただいたところから、新しい世界がどんどん開けていきました。

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―― いよいよ上京して、アイドルを目指すことになったんですね。

宮崎 ただ、当初はデビューが具体的に決まっていたわけじゃなかったんです。それでもとにかく東京に来てくださいということで、気持ち的には宙ぶらりんのまま2012年に上京しました。高校3年生の夏ですね。

―― 周りの友達は進学や就職のことを考えている時期ですよね。将来のことはもちろん、慣れない東京で暮らすこともあり、不安は尽きなかったのではないでしょうか。

宮崎 そうですね。それまで石川で過ごしてきて、この先も一生出ることはないと思っていたから余計に不安でした。ただ、私以上に父親がすごく心配していて。上京当初は、「夜歩くときはどんなに近い距離でも絶対にタクシーに乗れ」と言われていました。地元ではタクシーなんて一台も見たことなかったから、最初はものすごく緊張しながら乗っていましたね。

―― そんな不安いっぱいの状態で、それでも頑張れたのはどうしてですか?

宮崎 負けず嫌いだったんだと思います。レッスンもすごく厳しかったんですけど、こんなにやっているんだから絶対にデビューして、とにかく何者かにならないといけない。何も成し遂げないまま石川に帰るわけにはいかない! そんな気持ちがあったから、毎日いっぱいいっぱいになりながらもなんとか頑張れたのかな。

―― もしもアイドルにならなかったら、どんな人生になっていたと思いますか?

宮崎 学生のころは保育士さんになるのが夢だったので、地元で保育士になっていたんじゃないかな。今でも、保育士をしている友達の話を聞くと、大変そうだけど楽しそう! と思いますね。

―― たしかに、梁川奈々美さんや段原瑠々さん、稲場愛香さんといった新メンバーへの接し方を見ていると、保育士さんや、お母さんのような母性を感じます(笑)

宮崎 (笑)。あと、石川でのんびり過ごしている妹の姿を見ていると、「芸能界に入らなかったら、私もこういうふうに暮らしていたんだろうな」って。

東京は、意外と静かで「普通」だった

―― 東京に住んでみて、印象は変わりましたか?

宮崎 子どものころに家族旅行で訪れた東京は、いつでもどこでも人がたくさんいて、とにかくにぎやかな印象でした。でも、実際に暮らしてみたら意外と普通というか、静かなんだなって。考えてみれば、旅行で東京に行くのはお盆やゴールデンウイークの繁忙期。それも原宿とか、ずっとお祭り状態の街の姿しか見ていなかったんですよね。だから、東京の人も普段はゆっくり、のんびり過ごしていることを不思議に感じました。

―― 東京には、すぐになじめましたか。

宮崎 いえ、地元とは全然ペースが違うし、東京にいるとどうしても仕事のことが頭にあって気が休まらないので、最初のころは1日でもお休みがあれば石川に帰っていました。

少し余裕が出てきて東京を楽しめるようになったのは、上京2年目くらい。Juice=Juiceでデビューした2013年ごろからですね。それまでは自宅と事務所、レッスン場、あとはせいぜい近所のコンビニやスーパーくらいの狭い範囲でしか生きていなかったんですけど、少しずついろんな場所へ出かけるようになりました。

宮崎さん

―― 東京で特にお気に入りの場所はありますか。

宮崎 水族館ですね。地元にいたころから好きでした。石川では「のとじま臨海公園水族館」が唯一の水族館なんですけど、東京にはたくさんありますよね。ほとんど全部行きましたよ。年間パスポートを持っていた水族館もあります。

「すみだ水族館」のペンギンの水槽もお気に入りです。飼育員のお姉さんがたくさんいるペンギン一羽一羽をちゃんと名前で呼び分けていて、東京の水族館はすごいな、かっこいいなって思いました。

―― メンバーと出掛けることもあったんですか?

宮崎 水族館は基本的に一人です。水槽の前でぼーっと過ごす時間が好きなので。メンバーとよく行っていたのは、東京タワー。事務所のすぐ近くにあるので、空き時間のたび、結構な頻度で通っていました。メンバー全員東京の食べ物屋さん事情もよく知らないし、困ったらとりあえず東京タワー。飲食店が充実しているから、あそこに行けばとりあえず何とかなるかなって。今はカフェを巡るのも好きなんですけど、当時はそれこそ東京タワーを近所のカフェみたいな感覚で利用していました(笑)

―― 2018年で上京して7年目。東京は好きになりましたか?

宮崎 今は好きです。住めば都ってよく聞きますけど、本当でした。ただ、それは無理に東京のペースに合わせようとしていないからかもしれません。特にプライベートではあまりあくせくせず、石川で暮らしていたころとあまり変わらない気持ちで過ごせているのかなって思います。

石川のきれいな空に、改めて感動

―― 2015年に北陸新幹線の長野・金沢間が開業してからは、地元に帰省しやすくなったんじゃないですか?

宮崎 そうですね。東京から金沢まで最短2時間28分なので、だいぶ楽になりました。おかげで、日帰りでも結構ゆっくりできますね。

―― すぐに数字が出てきましたね(笑)

宮崎 もう何度も乗っているので覚えてしまいました(笑)

宮崎さん

―― 地元にゆっくり滞在できるときは、どんなふうに過ごしますか。

宮崎 お休みが3日あるとしたら、1日目の午前中に金沢に着く新幹線に乗って、お昼は金沢駅近くの「8番らーめん」に必ず行きます。その後はまっすぐ実家に帰って、畳の部屋で寝そべってひたすらダラダラしつつ、おじいちゃん、おばあちゃんと話します。それから犬の散歩をして、家族みんなでごはんを食べに行く。

2日目は友達と会います。LINEで「今日遊べる人いる~?」って呼びかけると、誰かしら構ってくれるので。中学生のころ、一緒に海まで探検していた友達が今はお母さんになっていたりして、最近はその子どもたちと遊ぶのが楽しみなんです。

3日目は金沢でショッピングしたり、お気に入りのカフェに行きます。ひがし茶屋街*3に「Cafe 多聞」さんっていうおいしいパンケーキのお店があるんですよ。それが石川での最高の3日間ですね。いつも、だいたい理想どおりに過ごせていると思います。

宮崎さんと多聞カフェ

お気に入りのお店「Cafe 多聞」にて(提供/宮崎由加さん)

―― そんなふうに地元を満喫すると、東京に帰るのが嫌になりませんか? また石川で暮らしたくなったりは?

宮崎 今は東京で頑張ることしか考えていません。でも、ライブで全国各地を回っていても、落ち着くのはやっぱり地元に似ている街。新潟県や高知県、香川県は海が近いこともあって、石川に近い空気を感じました。きっと、本能が石川を求めているんだと思います(笑)

―― 東京で暮らし、外から地元を眺めるようになってから改めて気付いた魅力もありそうです。

宮崎 そうですね。たまに帰ると、地元の美しい風景にハッとさせられることがあります。7月に帰ったときも夕暮れの空がきれいすぎて、母に思わず「今日の空、すっごくきれいじゃない?」って、感動を伝えてしまったくらい。ちょうど太陽が海側に沈んでいく途中の、水色にピンクが混ざったような美しい空でした。私はこんなきれいなところで育ったんだなって、改めて実感しました。住んでいたときは特に感動もなく、普通のことだと思っていたんですけどね。

いつか、もし自分に家族ができたら、そんな美しい石川の景色を子どもに見せてあげたいと思うんじゃないかな。どれだけ先になるか分からないですけどね。

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お話を伺った人:宮崎由加(みやざきゆか)

宮崎由加

1994年石川県生まれ。アイドルグループJuice=Juiceのリーダー。「スマイレージ メンバー募集オーディション」、「モーニング娘。10期メンバー『元気印』オーディション」、テレビ企画への参加を経てJuice=Juiceとしては2013年4月『私が言う前に抱きしめなきゃね』でインディーズデビュー。同年9月には『ロマンスの途中/私が言う前に抱きしめなきゃね(MEMORIAL EDIT)/五月雨美女がさ乱れる(MEMORIAL EDIT)』でメジャーデビュー。2ndアルバム『Juice=Juice#2 -¡Una más!-』が発売中。
Blog:Juice=Juiceオフィシャルブログ

聞き手:榎並紀行(やじろべえ)

榎並紀行(やじろべえ)編集者・ライター。編集プロダクション「やじろべえ」代表。「SUUMO」をはじめ、脱力系サイト「デイリーポータルZ」などの媒体に寄稿中。ニューヨーク出身という冗談みたいな経歴ですが、英語は話せません。

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編集:はてな編集部

*1:現名称:香林坊東急スクエア

*2:ハロー!プロジェクトに所属する日本の女性アイドルグループ。2010年に『夢見る 15歳』でメジャーデビュー。2014年にグループ名を「ANGERME(アンジュルム)」に改名

*3:金沢の人気観光スポットの一つ。古い街並みが残り重要伝統的建造物群保存地区にも指定されている