匿名と顕名のあいだを揺蕩う名付けようのない関係が、幡ヶ谷にある。|文・膳所一郎

著: 膳所一郎

私たちが出会うのは今じゃなかったのかもね

 神奈川の大学を出て、都内の会社に勤めるようになって15年以上。同棲、結婚、離婚という、波瀾万丈の生活を経てこれまで5回の引越しを経験した。同じ物件を更新したことはあったが、引越しても同じ街にまた住みたい、と思ったのは幡ヶ谷が初めてだ。もうすぐ2度目の更新がやってくる。もうしばらくは、この街にいたいと思っている。

 幡ヶ谷は、新宿駅からわずか2駅の距離にあり、渋谷駅へもバスに乗ればすぐに行くことができる。天気のいい日は新宿へも渋谷へも、散歩をしながら向かうのがちょうどいいぐらいの距離感。それでいて、お手頃な金額の物件も多く、一人暮らしからファミリー層まで、長く住んでいる人も入り交じり……と一般的な環境面はもちろん、そこに収まらない特別な独特の居心地よさを感じている。

 就職してから長らく、中央線沿線で過ごしてきた。離婚後に久しぶりの一人暮らしとなった中野は、いい街ではあったのだけれど、どうも初対面でのつまずきがあった。住み始めてすぐにコロナ禍になってしまったこともあって、タイミングが悪かったのかもしれない。更新を迎えたとき、私たちが出会うのは今じゃなかったのかもね、と、いっそ中央線からも離れることを決めた。

 次はどうしようか、と考えていたある日の夜、土産物の受け渡しも兼ねて、幡ヶ谷住まいの友人と飲みに行くことになった。白山や戸越、蔵前など、いろんな物件を調べるうちに、初台にある本の読める店「fuzkue」や、通っている美容院が下北沢にあること、そのほか、さまざまなエリアへのアクセスなど、自分の生活圏を考えると笹塚や幡ヶ谷のあたりも悪くなさそうだと思っていた頃だった。もうすぐ引っ越す予定の中野でもよかったのだが、実際に住んでいる人に話を聞いてみるのもいいな、ということで幡ヶ谷で飲むことにしたのであった。

 かつて営業先が事務所を構えていた縁もあって足しげく通っていたり、就職のタイミングでアパートを探したり、結婚していたときに中古マンションを何度か内見したこともあったりして、幡ヶ谷という場所には不思議と馴染みがあったのだが、夜、飲みに行くのは初めてだった。

 お酒の席で、次に住む街をどうするかという話の流れになり、あれこれと会話を重ねて終電を迎えたころ、ほかにも、もっといい店があるから!と、友人から「幡ヶ谷ツアー」の提案をしてもらった。自分の住む街をそういうふうに案内したいと言われるのも初めてで、俄然幡ヶ谷への興味が湧いてきた。

 日をあらため、15:00過ぎに幡ヶ谷駅に集合。まずは線路とほぼ並行して走る甲州街道の南側へ。いまはそば屋『よし川』が入っている幡ヶ谷を代表する焼き鳥の『ミヤザキ商店』(現在も甲州街道沿いの「はなれ」で営業している)からスタートし、長く地元の人たちに愛されているだろうことが伝わる居酒屋『祐定』を経て、西原緑道の街灯の下で一息ついた後は、甲州街道を渡って六号通り商店街へ。 


西原緑道は、昼夜問わず人々の憩いの場になっている。さすがにこの時間には誰もいないが

 深夜までやっている『酒場 ガソリン』、そして当時はジントニック専門店として営業していた『FANKA』へ(ジントニック専門店は『Book Mark』と名をあらため、また幡ヶ谷にオープンすることが決まった!)。

 豊かな酒場たちとの初対面にすっかり魅了された夜、この街に住もうと決めた。就職して東京に引越すときも、結婚しているときも一度は物件を探したが、結局住むには至らなかった幡ヶ谷。ついにめぐりあうべきときが来たのかもしれない。そんな高揚感を感じていた。

「同じ街に住んでいる」というだけの曖昧で幸福な関係

 西日本の地方から大学受験をきっかけに神奈川、さらに就職で東京と移り住み、一人暮らし、あるいはDINKS(共働きで子どもを持たない夫婦)で過ごしてきた自分には、この十数年「同じ街に住む知り合い」がいたことがなかった。

 自分の性格など、さまざまな理由もあるかもしれないが(!)、かつてバンドを組んでいたときでさえ、メンバーは中央線沿線にバラバラで住んでいたし(お互いの街に飲みに行ったりするきっかけになったりもして、それはそれでよかったが)、ここ数年は、仕事の都合でほぼ毎日昼前に出社して深夜に帰宅する生活が続き、新たにそんな知り合いが生まれるきっかけもなかった。でもそれはそれとして、大きな不満はなかった。


かつてのバンド時代。年齢や職業もバラバラの4人でライブや練習のあとにお酒を飲むのも楽しいものだった

 一人で暮らすことの自由さ、縛られない気楽さのあらわれのようでもあり、それは決して容易に得られるものではなく、いつまでも保証があるものでもない。年齢、仕事、家族、さまざまなバランスのなかで成り立つ身軽さは、それはそれで貴重なものだ。

 しかし幡ヶ谷で暮らし始めて出会ったのは、一人でふらっと訪ねても、店員さんとの会話をきっかけに客同士でも言葉を交わすことが多いようなお店たちだった。個人経営の店が多いことも理由かもしれない。何度か通ううちに、顔見知りになり、そして次は別のお店でも顔を合わせることもある。
 
 「あっ、こんばんは。今日はこっちなんですね」などとやりとりし、また別の日に会ったときは互いのおすすめのお店や、まだ行ったことのない新しいお店の情報交換をしたりする。顔は覚えているし、名前や職業も聞いたが、どこまで本当かはわからない。前にした話もそこまで厳密には憶えていない。これが「地元の飲み屋で知り合った関係」というやつか!!という発見だった。

 幡ヶ谷をきっかけに知り合った人たちを思い浮かべるとキリがない。長く地元に住むサラリーパーソン、結婚をきっかけに移り住んできた若いカップル、全国を飛び回る写真家、隣町に住むコンサルタント、パートナーとの同棲を解消して一人暮らしの部屋に戻ってきた女性、毎週の競馬が楽しみの老夫婦、やけに羽振りがいいが何の仕事かは教えてくれない若者……。

 さまざまなバックグラウンドを持つ人たちがいて、同じ街の中ですれ違い、なんとなく互いを知っている。ある日は今度出かける旅先のおいしいお店を聞いたり、最近見た面白い映画の話をしたりする。別の日は会釈だけして、酒場のざわめきの中に埋もれる。

 「最近あの人見ないけどどうしてるの?」とまでは話しても、なんせ全員が幡ヶ谷に住んでいるわけでもなく、詳しい住所まで知る由もない。「現代のセーフティネット」というにもほど遠く、さりとて友達というと言い過ぎな気もする。でも、単なる顔見知りというには少しさびしい。だからこそ自由な、匿名と顕名のあいだを揺蕩うような名付けようのない関係が、幡ヶ谷にある。


個人店が立ち並ぶ六号通り商店街。深夜でも、見知った顔に出会うこともしばしば

 果たしてあと5年若かったら、あるいはあと10年歳を重ねていたら、こんな風な関係を築いていくことができただろうか、と、仕事を終えて深夜にたどり着いた行きつけのバーで、ふと考える。ここでしか会わないし話さない知り合いがトイレに立ち、自分は帰り支度を始める。さっきおすすめした本を、あの人は読むだろうか。その感想を聞くことはあるだろうか。わからないけれど、それでいい。またタイミングがあって、出会ったときに聞けばいい。

 あの日「幡ヶ谷ツアー」を組んでくれた友人は出産を機に街を離れてしまい、会う頻度は減ったけれど、いまの部屋を更新するか幡ヶ谷の中で引越しを決めたら、また連絡しようと思う。

著者:膳所一郎(ぜぜ・いちろう)

膳所一郎(ぜぜ・いちろう)

昭和末期、関西生まれ。東京のサラリーパーソン。自他ともに認める限界中間管理職として、寝る前の一杯が欠かせない日々。

編集:岡本尚之