新宿に隠れる私、それを受け止めてくれる新宿|文・小谷実由

著: 小谷実由

器が大きな街、新宿


渋谷も怖いし、原宿も怖い。でも、新宿なら隠れられる。これは、私が高校生の時に抱いていた新宿に対する思い。

『Zipper』という雑誌に影響を受けて、古着やデコラティブな世界観のファッションが大好きだった。ラフォーレやPARCOに行きたかったけど、憧れの雑誌に登場するおしゃれな人ばかりの場所に、理想のファッションとは程遠い、戦闘能力0の格好で行く勇気がなかった。

でも、新宿にはミロードがあって、私が大好きなブランドが全て揃っていた。そして、新宿は昼夜問わず老若男女、さまざまな人が行き交う街。ここならどんなに自信がなくても紛れられるから平気だったのだ。

おばあちゃんからのお小遣いとスクラッチ

そうやって10代から新宿を訪れることが多かった。誰と過ごしていたのかというと、ほとんどがおばあちゃん。普段電車に乗って遠出をすることがないおばあちゃんだったが、快活な人なのでいつでも私の誘いに乗ってくれ、どんな場所にも一緒についてきてくれた。

たまに「ヘソクリだから内緒よ」と言って、欲しい服を買ってくれたりもした。お母さんには怒られそうだから本当のことは言えなかったけど「コンタクトを買いに行く」という口実で、いつも一緒に出掛けた。

南口近くにある宝くじ売り場ではスクラッチを買い、二人で運試し。これは普段からたまに宝くじを買っていたおばあちゃんの提案である。大当たりはもちろんなかったけど、少し得したくらいの小銭が当たるとおばあちゃんは全部を私にお小遣いとしてくれた。

大人になった今だったら、あのお金で追分だんごに行って一緒にかき氷とお団子を食べたいし、タカノフルーツパーラーで高級なパフェもご馳走したい。でも、当時の私はそのままありがたく頂戴していた。

新宿が庭になってのめりこんだ喫茶店

そんな「休日になると出掛ける場所」だった新宿が、20代には徒歩で行ける場所になった。現在の夫が当時暮らしていた家に、一緒に住み始めたのだ。

私の当時の脳みそは、なんでも吸収したい乾いたスポンジのような状態。そして新宿には吸収したいカルチャーがたくさん揃っていた。

喫茶店で過ごした時間は、私の中でとても大きな新宿の思い出。でも、大好きだった喫茶店はこの10年でどんどんなくなった。駅西口にあったスカラ座は、藤城清治の大きなステンドグラスと赤いベルベッドの椅子、白いハンカチーフに店名が刺繍されたコースターが大好きだった。


閉店の報せを誰かから受けて知ったとき、ちょうど西口の地下ロータリーを歩いていた。これを逃せば次はない、と当初の予定を先送りにしてスカラ座に向かい、レモンスカッシュを一気に飲んだ最後の数十分は今でも鮮明に覚えている。

あの布コースターを「これ貰ってもいいですか?」と聞きたい気持ちを抑えながらいつも過ごしていたが、閉店に際して販売されていて、予想しなかった形で憧れを手に入れた。大好きな場所がなくなるという悲しい気持ちはもちろん癒えないけど、今でもあのコースターを眺めながら思い出に浸ることができている。

眠らない店、コーヒー貴族エジンバラ


しかし、新宿にはまだ素敵な喫茶店が存在する。その中でも、私が好きなのは珈琲貴族エジンバラ。私は勝手にここを「ホスピ」と呼んでいる。ホスピタリティ溢れる接客で、いつも感嘆の声が漏れてしまうのだ。

店員さんの一糸乱れぬ丁寧な気遣いが素晴らしい接客。私はコーヒーを飲みながらその美しい所作たちを眺めることが大好きだ。店内を歩く彼らがあまりにも俊足なので、店員さんが歩いている時だけ床が動く歩道になっているのではないかといつも思っている。

眠らない街新宿よろしく、24時間営業なところも良い。晩ご飯を食べて帰宅前に飲むコーヒーや、真夜中上映の映画の前にお茶をしながら待つ場所としても最適だ。

私はこの後歩いて帰るけど、終電も近いこの時間に過ごしている人たちは一体どんな理由でここに来ているんだろう。そんなことを考えるのも好きだった。24時間開いていて、誰かがいつでもお茶をしている場所が存在していることがなんだか嬉しい。いつか明け方4時頃に来て、太陽が昇るのを待ってみたいと思っている。

大型書店で出会えた知識が血肉に

本や映画をたくさん知ったのは、新宿紀伊國屋書店をぐるぐると歩き回っていたからだと思う。暇さえあれば目的もなくうろつく。文庫本コーナーの前でじっと座り込み、DVDコーナーで知らないアジア映画のDVDを見つければ片っ端から買っていた。

書店だけでなく化石・鉱物標本の店があって、そこで見つけた「テレビ石」という鉱物の名前の響きが不思議で気に入り、それだけはいつか買いたいなと今でも思っている。

昨年自分のエッセイ本が発売されたときには、ここにも置いてもらえた。検索機に自分の名前が表示されるのを見た時は、一人ニヤニヤしてしまった。

買い物には困らない 採集癖を加速させる街

新宿アルタにはHMV record shopがあって、新宿東口商店街にはディスクユニオンがある。別に特に欲しいものがあるわけじゃないんだけど、とぶつぶつ言いながらもそれらを一巡しないと気が済まない日があって、特に目ぼしいものが見つからないとつまんないの! とヘソを曲げつつ面白いものはないかと飽きずに探し歩いた。

たまに新宿サブナードの通路でレコードと古本市が開かれていて、それを見つけるとすぐにお宝が詰まっていそうなカートに駆け寄る。掘り当てたレコードや古本を大事に胸の前で抱えながら幸せに満たされた気持ちで帰るのが嬉しかった。

20代の私は、いや30代になった今でも、手に抱えきれないほどの欲しかった物を持って歩いている時が幸せである。これだから家にどんどん物が増えていくのだ。

掘り出し物がある 西口広場イベントコーナーの催事


新宿の駅はダンジョンと言われるほど広大。そこに広場やお店も多く存在している。私が逐一チェックを欠かさないのは新宿駅西口広場イベントコーナー。あるときは北海道展、あるときはスニーカーや婦人服の販売、あるときは大人気の古本市。

そして、さまざまな催し物の中で頻繁に出店しているのが、紳士物のビジネスバッグやネクタイなどの小物を売る店である。私はこの店で渋くてイケてると思うものを探し出すことに一時期熱中していた。

いつものように、広場をぶらぶらしていたところ、黒の合皮のウエストポーチが売られているのを発見。形も綺麗で、ポケットもたくさんある高機能。値段もびっくりするほどお手頃。チープさを微塵も感じない”高見え”アイテムで、当時ウエストポーチをしている人をあまり見かけなかったのもあり、この渋バッグを普段のコーディネートに投入したらなかなか良い外しアイテムになるのでは? と思い購入した。


その後、友人や仕事で会うファッション関係の人たちから「それどこで買ったの?」と想像以上の反響があり、何度も友人たちのために同じバッグを購入しにそこに出向いた(売っている場所をうまく説明できず、私が買いに行った方が早かった)。

スーツ姿の紳士たちに混ざりウエストポーチを物色する女。あまりにも何度も買いに来るからお店の人にもきっと顔を覚えられていたと思う。未だにそのお店を見つけると、何かないかな~と見て回るが、あのウエストポーチほどイケてるものはまだ見つからない。

駅の雑踏でも花を愛でられる

一度しか出会えずにまた出会いたいと思っている催しもある。都立神代植物公園が開催していた国際ばら新品種コンクール入賞花の展覧会だ。突然新宿駅の雑踏に現れた美しい花園、夢のようだった。

立派なバラだなぁと夢中で眺めていたら実は関係者だけの内覧の時間に足を踏み入れてしまっていた。そんなことには全く気付かず、バラの専門家らしきおじさま方に混ざり熱心に見ているので、この人誰? という空気も多少感じていたが、満足するまでこっそり見て帰った。今度はちゃんと一般観覧の時間を守りますのでまた出会いたい。

ままならない時期でも世界の空気を味わえる店

2020年、世界がコロナウィルスに見舞われて以降も、変わらず新宿の近くに住んでいた。それまで定期的に大好きなアジアの国に出かけていたので、突然大好きな場所に自由に行くことができなくなって落ち込んだけど、いつまで経っても状況は戻らない。それならば、大好きなアジアで得ていた楽しい気持ちを近所で探すことにした。


新宿三丁目にある本場タイ国料理 ゲウチャイは、白っぽく青みのある色の蛍光灯で、これがなんだか現地感を出している。お店の方やお客さんにもタイの方が多く、テーブルや厨房からタイ語が飛び交う店だ。

カラフルなメラミン食器で辛さ調節の注文を忘れてしまった激辛のトムヤムクンを食べているだけで楽しくなり、大きな窓から見下ろす新宿の街もなんだか湿度のある景色に見えてきてしまう。

もう一軒、歌舞伎町にある上海小吃は、ギラギラした店がずらりと並ぶ通りを少し入った細く暗い路地に突然現れる。

テーブルに着き、「今日は何する!」と店長に言われたら迷ってる暇はない。いつも絶対食べるメニューを一息で一気に言い切る。少しでも迷うとそこで一旦注文終了。店長は忙しくいろんなテーブルを飛び回るので私の呑気な迷いには付き合っていられないのだ。


そんなハラハラドキドキも、楽しい店で揚げパンの中身を少しずつほぐしてつまみながら、壁に貼ってある中国語のメニューを読めないけどぼんやり眺めていると、毎日せかせか動いている慌ただしい自分を忘れる。どちらの店にいるときも、なんだかウォン・カーウァイの映画に出てくる登場人物のような気分にさせてくれて、私にとって現実からちょっと逃避できる救いの場所だ。

私は新宿で吸収したもので形成されている


数年前、新宿は近所ではなくなった。新宿ではない場所で用事を済ませることも多くなった。でも、夜の新宿中央公園にずらりと咲き誇るチューリップだけは今もどうしても毎年見届けないと気が済まない。いくらアクセスが不便な場所になっても新宿が一番落ち着くのは、自分の中に構成されている要素があの街から吸収したものばかりだからだと思う。

著者:小谷実由(おたにみゆ)

1991年東京生まれ。14歳からモデルとして活動を始める。自分の好きなものを発信することが誰かの日々の小さなきっかけになることを願いながら、エッセイの執筆、ブランドとのコラボレーションなどにも取り組む 猫と純喫茶が好き。通称・おみゆ。2022年7月に初の書籍『隙間時間(ループ舎)』を刊行。

編集:小沢あや(ピース)