「自分にとっての幸せと心地よさ」を教えてくれた街「成城学園前」|文・今井真実

著: 今井真実

結婚と同時に成城に住み始め、早いものでもう16年経つ。

ここの街に決めた理由はなんてことない。独身の頃から、夫も私も小田急線沿線で暮らし、世田谷区の住人だったため、土地勘があるところを次の住まいにと希望していた。「世田谷区 小田急線 ◯平米以上 ◯円以下 駐車場付き 1階」と不動産情報サイトで検索し、見つかったのが成城の物件だったのだ。

ただし、引っ越してくる前には一抹の不安があった。成城といえば、高級住宅地だと知られている。私たちが馴染むことはできるのだろうか。思わずドラマの世界に登場する怖い住人を想像してしまう。

……まあ、賃貸なんだし、水が合わなければ引っ越せばいい。それに内見の日に初めて成城という街を歩いたときに感じた空気は、のんびりとしてとっても気持ちが良かった。高い建物が景色を遮ることもなく、見上げると一面に晴れた青空。鳥のさえずりが空気を彩り、これからの新しい生活が希望に満ちているように思えたのだ。

園芸を眺めて散歩するだけでも楽しい街

成城はどんな街なのですか?と聞かれると、いつも答えに窮してしまう。ただ、ここの街を歩いていると、いつも思うのは「優しく美しい街」だということ。

成城に住み始めたときに、驚いたことがある。今までどの土地に住んでいても、こんなに造園業者のトラックが行き交う光景は見たことがなかった。邸宅の庭木は、プロフェッショナルによりきっちり管理されており、それを保つために家主も朝方は水やりや草抜きを熱心にしている。

てくてく散歩しながらその光景を見るたびに、ありがたいなあと思いながらシックな季節の花々を楽しんでいる。巨大な盆栽があったり、園芸が好きな人は散歩するだけで住人の美意識を感じるだろう。

駅前から住宅地まで続く街路樹は季節ごとに彩られ、春は一面の桜、秋は黄金色に染まる銀杏並木が続く。その光景はため息が出るほど美しい。ここでは急いで歩く人がめずらしく、道行く人は、ゆっくりと街路樹を見上げ、その光景を愛している。

その分、花びらや落ち葉は途方に暮れるほど多く、住民はいつも道を掃除している。自然の営みと共生し、景観を保つ。ここに暮らすようになってから、秋には私も落ち葉掃除をする日々だけれど、不思議と少し楽しんでいる自分がいる。

店内でお茶やモーニングも楽しめるお菓子の名店

街路樹の並びにある古くからある名店は、静かな佇まいで存在感を放っている。成城には有名な菓子店が2店舗あり、その個性と味わいは唯一無二だ。

100年以上続く「成城風月堂」は、手土産を買うときに一番最初に覗くお店だ。1階は洋菓子と和菓子が並び、2階に上がると喫茶室が併設されている。

なかでもここのモーニングは私の大好物。さくさくとした生地のキッシュは、菓子店がつくるだけあってバターの香りが濃厚。ほんのり甘味を感じ食べ応えがある。ポットでたっぷり出される紅茶とキッシュを交互に口に入れていると、ここで時間を過ごしていることに幸せを感じてふにゃりととろけそうになる。

朝の9時から開店しているから、急な用事の手みやげにも助かっている。近所の「成城あんや」も「成城散歩」もここの系列店で、モダンな和菓子の品揃えが面白い。それでいて、定番の季節のお菓子もしとやかなおいしさだ。

そして、風月堂から2、3分の場所にある「成城アルプス」。こちらもサロンが併設されており、まるでクラシックホテルのようにエレガントだ。

東郷青児氏の制作した絵画や、繊細な飴細工が展示されており、優雅で寛いだ雰囲気はいわゆる成城らしいお店ともいえるだろう。

自宅から自転車で5分程度の場所なのに、アルプスでお茶をするときには、おしゃれをしてすっと背筋を伸ばして訪れたくなる。もちろんテイクアウトもできるから、少しだけ甘いものを食べたいときには、小さなチーズケーキのリゼットフロマージュを買ってうきうきと家路に向かう。

台所を支えるスーパーマーケットも大充実

なんせ「成城学園前駅」なのだもの。成城は学生が多い街でもある。駅前には三省堂書店や、大型文具店の村田永楽園など、日常的に助かるお店も充実している。急に子どもが「明日ノートいる!」と言い出しても焦らなくていいのはありがたい。

そして私が、成城から引っ越せない最大の要因……それはスーパーマーケット事情。買い物が便利なのだ。駅の改札を出ると、真正面に「Odakyu OX」があり、ワインショップの「ENOTECA」が併設されている。ここのOXは大型店舗で惣菜店の「RF1」も入っていて、いつも人で賑わっている。

駅を出ると、左手にすぐ見えるのは成城石井の本店。うちに来るのは料理関係の方が多いので、「成城石井の本店ですよ」と言うとたいてい喜ばれる。とはいえチェーンのスーパーなので、他の店舗と品揃えは変わらないかもしれないけれど。

スーパーでは珍しく、精肉売り場には小売店のような注文コーナーがあり、お肉の種類の品揃えには目を見張るものがある。

中でも、私が欠かさず買うのはシチュー用の牛スネ肉。狙い目は特売日。国産和牛のびっしりとサシの入ったスネ肉の塊肉が、なんとグラム300円を切るのだ。成城石井の牛スネ肉は、この日ばかりは地域最安値ではないかしらと思いながら、いつも2パックほど余分に買っておき冷凍する。

私が最も頼りにしている「成城フードセンター」

そして、なんといっても一番頼りにしているのは、我が家から近い「成城フードセンター」。お肉と野菜と魚が揃っている個人商店の集まりで、地元の人たちが足繁く通う知る人ぞ知るお店だ。

フードセンターの「石井屋精肉店」のお肉は、とにかくおいしく「味」が良い。赤身肉の味わいの濃さ、霜降り肉の上品さ。ご年配の方は枚数単位で買われたりするのだけど、その柔軟さもいいなあと思っている。

日替わりのお惣菜は、ほっとする家庭料理の味で、お店の余った黒毛和牛でつくられているのにとってもお安い。金平牛蒡の牛肉が霜降り肉だったりするのでたまらない。ただ茹でただけ、蒸しただけの葉物野菜やブロッコリーも売られていてなんて痒いところに手が届くのだろう、と行くたびにほくほくしてしまう。

奥には「小島水産」という魚屋さんがあり、鮮魚やお刺身はもちろん魚の煮物やお惣菜が豊富。焼いた塩鮭、もずく酢もいちいち美味しい。つくり手の顔が見えるお惣菜は、心の疲れも癒してくれる。

スーパーのラインナップは大充実だ。まず、駅周辺だけでも八百幸、成城石井、Odakyu OX、オリンピック、OKストア、西友。さらに自転車を走らせればオオゼキ、クイーンズ伊勢丹、サミットストアまで行けるだろう。

これは料理家という職業柄、本当に助かっている。旬が少しずれたもの、変わったスパイスや果物、輸入食材、チーズ、ワイン。店舗によって、品揃えの個性があるから撮影前にはハシゴすることもしばしば。全てのスーパーが行動圏内にある。

正直、成城にもう少しこなれた飲食店があればなあと思うけれど、これだけスーパーがあると、みんなおうちでご飯を楽しむのだろう。

子育てを通して実感した、地域の人のあたたかさ

スーパーといえば、忘れられない思い出がある。子どもが小さい頃はなかなか今のように食材をじっくり選んだり、買い物を楽しむことができなかった。「どうか会計が終わるまでぐずらないでほしい」と、願うばかり。お目当てのものをさっとカゴに手早く詰めて、ご機嫌なうちにお店を出なくては、といつも急いでいた。

荷物を持ち、手を離した隙に子どもが走り出さぬよう目を配り、お財布から小銭を探す。ただスーパーで買い物をするだけなのに、小さな子どもがいるとなぜこんなに緊張が走るのだろう。

子どもが2歳くらいの頃だったろうか。その日も私は子どもがぐずらないうちにと、重い買い物カゴを右手に、左手に小さな手を握ってレジに並んでいた。

すると、先に並ばれていた上品な佇まいのご年配の女性の方が、ふと私の方を振り返り、「お先にどうぞ。私は急いでないから、いいのよ」と笑みを浮かべ譲ってくださった。遠慮するも、すっと私の後ろに回り込み「さあ」とおっしゃる。
レジの方も、どうぞどうぞと案内してくださり、私はお礼を言ってお会計を済ます。その間、女性はずっと子どもに話しかけてくださった。

この時ばかりではない。この街で暮らしていると、小さな優しさを受け取ることが多い。駐輪場から自転車を出すときは、そこにいる人がすっと横の自転車を押さえてくれる。道で転んでしまったときにはいろんな人が急いで集まって助けてくれる。自分がそうされていると、人にもそうしようと思う。ここでは優しさが循環されている、と日々の暮らしで感じている。

子どもを産み育て始めた時も、不思議と孤独感を感じることがなかった。遊び場や公園、児童館、図書館など子連れで行ける場所が多いのも一因だろう。大きくなった今も、至る所に「こども110番の家」の札を掲げた住宅があり、送り出す立場としてもありがたく思っている。

祖師谷公園に溢れる笑い声

祖師谷公園の中にあるハーブ園で、私は長年ボランティア活動を行っており、ここでも、地域の子どもとの交流が盛んだ。近くの保育園のお散歩コースに使ってもらったり、近所の小学校へ出張授業に行ったりもする。コロナ禍までは、児童館とも連携をとり、子ども達と一緒にお祭りを行っていた。

広大な祖師谷公園は自然に恵まれ、小さな小川でザリガニを釣ったり、子どもたちは走り回るだけで何時間だって遊んでいられる。いつも、ぼおっと子どもの姿を目で追いかけながら、ここはなんて豊かだろうと思っている。広い空があり、芝生が広がり、川が流れ、鳥や虫が花と遊び、人々の笑い声に溢れている。

小洒落た今風のお店や、行列のできるグルメスポットがあるわけでもないけれど……そんなことどうだっていい。私はここでの暮らしに満たされて、心からこの街を愛している。自分にとって、何が必要で、何を幸せと感じるか。それをこの街に教えてもらったからだ。

不動産情報サイトの検索ページで、条件を入れて、予算に合致しただけ。そんな偶然から住み始めただけだった。月日はあっという間に過ぎていき、私が人生で一番長く住んでいる街は、成城になった。

著者:今井真実

料理家。東京都世田谷区で料理教室「nanamidori」を開催していたが、コロナ禍をきっかけにフォトグラファーで夫の今井裕治が撮影した料理の写真とともに、レシピの情報発信を始める。著書に『毎日のあたらしい料理 いつもの食材に「驚き」のひとさじ』(KADOKAWA)、レシピエッセイ『いい日だった、と眠れるように 私のための私のごはん』(左右社)、『料理と毎日 12か月のキッチンメモ』(CCCメディアハウス))『フライパンファンタジア(毎日がちょっと変わる60のレシピ)』(家の光協会)『今井真実のときめく梅しごと』(左右社)がある。

編集:小沢あや(ピース)