「群馬県民は謙虚だけど地元愛がある」パーパー・ほしのディスコさんが語る、群馬県沼田市の思い出

編集: 小沢あや(ピース株式会社) 取材、構成: 伊藤美咲 撮影:小原聡太

お笑いコンビ・パーパーのツッコミ担当の、ほしのディスコさん。個人YouTubeチャンネル「ほしのディスコちゃんねる」にアップした「歌ってみた」動画が話題となり、歌手デビューしたことでも注目を集めています。

ほしのさんは19歳まで群馬県沼田市で過ごし、上京後も定期的に帰省しているそう。先日発売された自伝的エッセイ『星屑物語』(文藝春秋刊)にも、沼田市で暮らしていた頃の話がたくさん収録されています。今回は群馬時代の思い出や、上京後も変わらない群馬県民のマインドなどを伺いました。

沼田市の自然と共に過ごした幼少期

―― ほしのさんは19歳で上京するまで、群馬県の沼田市で育ったそうですね。印象に残っている幼少期の思い出は?

ほしのディスコさん(以下、ほしの):沼田市は畑と崖しかないような田舎だったので、基本的に外で遊んでいました。小学生の頃は農業用水の水を堰き止めたり、よその家の庭のゴルフボールを拾って、的当てみたいに壁に投げたりして……子どもだから許されるような遊びをして怒られていました(笑)。

―― 豊かな自然の中で、子どもらしい遊び方で楽しんでいたんですね。

ほしの:あとは、秋になるとよく祖母とイナゴやキノコを取りに行っていたのが印象に残っています。山に行く道中も宝探しをしている気分で、誰かが落とした靴とかを拾ってました。遊びに行ける施設などが少ない分、その場にあるもので、自分なりに遊んでいましたね。捕まえた虫同士を戦わせるとか(笑)。

―― 中高生になると外で遊ぶ機会も減ると思いますが、遊び方はどのように変わりましたか?

ほしの:実家のすぐ近くにある「望郷の湯」という温泉施設か、カラオケに行くことが多かったです。ほかには、当時ヤマダ電機にポイントカードを入れたら100ポイントもらえる機械があったので、そのためだけに行ったりしていました(笑)。

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―― 高校生の頃には、テレビ番組『田舎に泊まろう!』でレギュラーの松本康太さんが泊まりにきたこともあるそうですね。松本さんはどのような反応をされていましたか?

ほしの:松本さんも「本当に何もないな」と言っていましたね(笑)。食事のときは地元の郷土料理を出すのが定番だと思うんですけど、沼田市にはあまり有名な郷土料理がないので、母親がスーパーで買った刺身を出していました。群馬には海がないのに(笑)。

―― お母さまのおもてなしの気持ちが現れていますね。ほしのさんは昔から音楽が好きだったと思いますが、よく通っていたCDショップなどはありますか?

ほしの:地元に唯一あったCDショップが「文真堂書店」だったので、近くを車で通ったら必ず寄ってもらっていました。当時はまだネットもなかったので、音楽の情報は全部ここで得ていましたね。

シングルマザーとして育てあげてくれた母との思い出

―― エッセイ本「星屑物語」の中で、お母さまとのエピソードも綴られていますね。

ほしの:子どもの頃は、毎週母と病院に通っていたんです。当時は母も看護師として働いていて忙しかったので、病院に行くまでの車の中で、その1週間で起きたことを二人でゆっくり話していました。

帰り道にはよく「びっくりドンキー」に行っていたんですが、あるとき母親がガラスを自動ドアだと勘違いして、思い切りぶつかったことがあって(笑)。これは、いまだにびっくりドンキーを見るたびに母と話しますね。

―― びっくりですね(笑)。怪我がなかったならよかったです! 群馬の女性はたくましいと言われていますが、実際はどうなんでしょう?

ほしの:僕の母もたくましいですが、周りの女の子も強かったですね。小学生の頃の学級委員長は絶対に女の子で、ケンカみたいになると僕がいつも追いかけられてました。ケンカと言っても、掃除の役割分担で言い合いになるとか、ちょっとしたことですけど(笑)。1学年で約40人しかいない小さな小学校だったので、みんな仲はよかったですね。

19歳で「夢を叶える場所」東京へ

―― 上京前、東京にはどんなイメージを抱いていましたか?

ほしの:僕の周りは「将来も群馬で働きたい」という友達が多かったこともあり、東京は「夢を叶える場所」というイメージが強かったです。だから僕は「芸人として有名になるまで地元には帰らない」と決めて、友達の連絡先を全部消して上京したんです。

でも1年足らずで『田舎に泊まろう!』の追跡取材が全国放送されてしまったので、すぐに芸人であることがバレてしまったんですよね(笑)。

―― 思わぬ展開でしたね(笑)。実際の東京生活はどうでしたか?

ほしの:最初に住んだのは足立区でした。近所のコンビニで働いていたのですが、店長さんが僕の芸人活動にすごく理解のある人で。シフトの融通を利かせたりすごく良くしてくれていたので、「店長さんのためにここで頑張ろう」と思って、働いていました。

その後、当時付き合っていた彼女が引っ越すタイミングで僕もバイトを辞めてしまったんですけど、それがなければ、ずっとそのコンビニで働いていたと思います。

―― その後は東京のどのあたりに住んでたんですか?

ほしの:人がたくさんいるところは苦手なので、亀戸、亀有、武蔵小金井のような下町感のある落ち着いた地域を転々としていましたね。

―― 今は東京生活も長くなりましたが、「東京に慣れたな」と思った瞬間はありましたか?

ほしの:一番は、夜道を歩けるようになったことですね。上京したての頃は「夜10時以降は外に出ない」と決めるほどに怖かったんですが、歌舞伎町のボウリング場でバイトを始めたときに免疫がついた気がします。人がたくさんいるところが苦手だと言いつつ、なぜか自分から賑やかな街に行っちゃってるんですけど(笑)。

上京してから実感する群馬のあたたかさ

―― 上京してから気づいたことや、群馬ならではの文化はありますか?

ほしの:群馬の実家では家の鍵を掛けていなかったんですよ。防犯という言葉と無縁で、家に帰ると近所のおばさんがお茶を飲んでたり、玄関前に「食べてください」って野菜が置いてあったりして。地元では知らない人でもすれ違うと挨拶する文化があって、すごくアットホームな雰囲気だったんですけど、東京に来てからそれが普通じゃないと気づきました。

―― 東京では近所付き合いがないことも多いですもんね。上京後はどのくらいの頻度で群馬に帰られていますか?

ほしの:上京したての頃は月に1回の頻度で帰ってきてたんですけど、東京に慣れてきてからは年に1回ほど帰っています。僕は10月生まれなので、誕生日プレゼントとしてインフルエンザの予防接種を母親の病院で打ってもらうために帰ったこともありました(笑)。これまでは電車で3時間以上かけて帰っていましたが、最近は車を買ったので、これからはもう少し頻繁に帰れるようになりそうです。

―― 群馬に帰省したときに必ず寄る場所はありますか?

ほしの:「榛名神社」です。相方のあいなぷぅから教えてもらった占い師さんに、「榛名神社を大切にした方が良い、お願い事をすると叶うよ」と言われて。高校の同級生の子がやっている神社ということもあって、必ず行くようにしています。

―― 東京で活動するなかで群馬出身のタレントさんや芸人さんと会うこともあると思いますが、交流はありますか?

ほしの:タイムマシーン3号の関さんはよく番組で一緒になるので、「群馬帰ってる?」みたいな話をすることはあります。僕は、群馬出身のタレントビックスリーは、中山秀征さん、井森美幸さん、JOYさんだと思っていて。JOYさんにはこの前お会いできたので、中山さんと井森さんにもいつかお会いしたいですね。

あとは、先日【群馬のヤンキー】俺たちの青ハルアゲインさんとコラボ動画を撮らせてもらいました。

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この二人は元々芸人なので、群馬で開催されたお笑いライブに一緒に出たこともあるんです。今はYouTuberとして活動する中で、コラボ動画のお声がけをいただきました。

―― 本来は穏やかなほしのさんがヤンキーの真似をしているのも面白かったです。

ほしの:ヤンキーに絡まれないように生きてきたので馴染みはないんですけど、周囲では「地元のデパートには夕方以降近づかない方がいい」という噂を聞いたことがありましたね。群馬にもヤンチャな人はいたと思いますが、実際のところはカツアゲなどに遭ったことはないです。

群馬県民は謙虚だけど地元愛がある

―― 群馬県民に共通するマインドはありますか?

ほしの:他の県の方に比べて、物静かだと思います。「とにかく前に出て目立ちたい!」というより、自分のタイミングを見計らってから出る人が多いです。芸人でも、タイムマシーン3号の関さんはじめ、ロバートの山本さん、宮下草薙の宮下さんとか。周りをよく見て冷静に考える力があるのかなと。

―― その県民性はどこから来るんでしょう。

ほしの:あまり目立たない県だと自分でも思ってるからなのか、県民もあまりガツガツ前に出ないというか。でも、群馬のことが好きな気持ちはみなさん持っていると思います。

―― ほしのさんは、他県の人に群馬のおすすめを聞かれたとき、どこを紹介しますか?

ほしの:よく聞かれるんですけど、僕も18歳までしか群馬に住んでないし、観光地には詳しくないんですよね。「とりあえず草津温泉に行ってほしい」と言っているんですけど、実は僕もまだ行ったことはないです(笑)。

群馬は攻めた味の商品を出しがち?

―― 東京で活躍するほしのさんの姿を見たお母さまや地元の方からの反響はどうですか?

ほしの:たまに同級生から「テレビ見たよ」という連絡が来ますね。僕は上京前に連絡先を遮断してしまったので、一方的にちょっと気まずいんですけど(笑)。母から聞いた話だと、地元の友達はみんな結婚してるみたいなので、僕も結婚したら同窓会を開きたいです。

―― 今は帰省しても、友達に会ったりはしないんですか?

ほしの:そうですね、お忍びで帰ってます。去年、昔バイトしていた「ベイシア」というスーパーに母と挨拶しに行ったんですよ。僕が働いていたことは覚えてくれてたんですけど、今芸人であることは全然知られていなくて。帰省するときに、「周りの人にバレて騒ぎになったら嫌だな」と思っていた自分が、ちょっと恥ずかしくなりました(笑)。

―― ご挨拶もお母さまと行かれたんですね、とても仲良しですね。

ほしの:母はすごく応援してくれてますね。「職場の人からサイン欲しいって言われたから送って!」と嬉しそうに話してくれるので、僕も嬉しいです。この前は「僕には地元に行きつけの店がない」と話していたら、「『行きつけになりたい』と言っているお店があるから、今度一緒に行こう」と言ってくれて。

―― まさかのお店側からオファーが! どこのお店でしょう?

ほしの:文真堂書店の近くにある「あさひや」という美味しいラーメン屋さんです。1回行って、また呼ばれたので今度行ってきます。

―― グルメといえば、他におすすめの群馬名物はありますか?

ほしの:登利平の「鳥めし」は本当においしいです。これはぜひみなさんにも食べてほしいですね。

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群馬といえば焼きまんじゅうも有名です。そのまま飴にした「焼きまんじゅう風ドロップス」もあるんですけど、結構独特な味がします(笑)。なぜか、群馬は変わった味の食べ物を出しがちなんですよね。「ペヤング」の激辛とか。ちょっと攻めすぎちゃうんですよ(笑)。

―― 名物を生み出そうとしてるのかもしれないですね。群馬で実現したい目標はありますか?

ほしの:前橋にある「グリーンドーム」という会場で、歌とお笑いのライブがしたいです。2万人くらい入る場所なので、相当頑張らないといけないんですけど(笑)。back numberさんやBOØWYさんといった、群馬出身の方たちと一緒に実現できたら嬉しいです。

お話を伺った人:ほしのディスコさん(パーパー)

1989年10月23日生まれ。群馬県沼田市出身。2014年、あいなぷぅとともに男女コンビ「パーパー」を結成。 キングオブコント2017、およびR-1ぐらんぷり2020のファイナリスト。2022年、星野一成名義で歌手デビュー。2023年4月24日にエッセイ本『星屑物語』を上梓。8月1日(火)には座・高円寺2にて『パーパー ほしのディスコ ONE MAN LIVE “ DUAL WIELDING ”』を開催予定。 マセキ芸能社 MASEKI GEINOSHA Official Site


編集:小沢あや(ピース)