「仕事部屋」を抜け出して。屋上で見つけたイヤホンのいらない三軒茶屋|文・中村一般

著: 中村一般

5、6歳ごろ、私は三軒茶屋の居酒屋で「バイト」をしていた。

安心してほしい。働いていたのは実の祖父母が営む居酒屋だ。
また、『千と千尋の神隠し』のような過酷な労働をしていたわけではない。皿洗いをしたり、簡単なお酒を作ったり、食事を終えた皿を下げたりするくらいで、子供のお遊びみたいなものだった。

祖父母の店は、三軒茶屋駅から15分ほど歩いたところにあった。コの字型カウンターの大衆酒場で、換気扇が真っ黒のヘドロみたいになっている、俗に言う「味のある」居酒屋というやつだ。

暖簾をくぐると、回転寿司のように真ん中に厨房があり、それを取り囲むように客がぐるっと座る。カウンターには黄色く変色しつつある調味料ボトルが並び、串に刺さった酢イカが詰まった容器、割り箸、山積みの灰皿などが置かれていた。本棚には黄土色に変色した『美味しんぼ』が刺さっていた(『クッキングパパ』だったかもしれない)。店の壁には油ぎった黄色の短冊がべたべたとはられ、メニューが殴り書きされていた。値段はリーズナブルで、アジフライや焼きそばが500円くらいで食べられたような気がする。『三丁目の夕日』のセットみたいな空間だった。


子どもの頃、私の家族はそれぞれ忙しく留守がちだったので、毎日のようにこの店に預けられていた。夕方から深夜まで。両親が迎えに来るまでやることもなく、遊ぶ友達もいなかった。暇だった私は、祖母に店の手伝いをしたいと頼んだのだった。

手持ち無沙汰になったら、2階にある物置部屋に引っこんで遊んでいた。たまにネズミが出るその部屋には、ボロッボロの電気カーペットが敷いてあったので、座って漫画を読んでいた。カビ臭いその部屋は秘密基地のようで心地よかった。『島耕作』や『ゴルゴ13』をよくわからないまま読んでいた気がする。お客さんがいらしたり、洗い物が溜まったりすると、祖母は「〇〇ちゃ〜ん」と私を呼んでくれた。

店の手伝いはとても楽しかった。祖母がなんでもかんでも褒めてくれたからだ。グラスを綺麗に洗えてえらい、お皿をどこにしまうか全部覚えていてすごい、すぐお皿を片付けに行ってえらい。グラスいっぱいに氷を入れ、ウーロン茶を注いでかき回すだけで、何かすごい賞を取ったかのように褒めてくれた。普通のバイトもこれくらい褒めてくれたらいいのになと思う。

帰り際、祖母は決まって500円をくれた。正直、このお小遣いが目当てで手伝っていたのもある。


常連のおじちゃんおばちゃんともすっかり顔なじみになった。
みんなくだらないことを大声でくっちゃべっていた。子どもに絶対聞かせちゃダメだろ!という卑猥で下衆な話題も飛び交っていた。みんなタバコをバカスカ吸うので、店内は燻製ができそうな程もくもくしていた。今思えば、随分と俗っぽい老人ホームである。

お客さんらは、私のことをとてもかわいがってくれた。飲みすぎて茹でタコになった人間はちょっぴり怖かったが、がんばってるね!と声をかけてくれるのはうれしかった。卵焼きを焼いてお客さんに出すと、大げさにおいしいおいしいといってくれた。夜遅くまで皿を洗ったりしているチビ助はかわいかったのだろう。たまにお菓子をくれたり、ティッシュに包んだお小遣いをくれたりした。

世間的に見れば、常連さんは「ダメな大人」の部類に入るのかもしれない。飲みすぎだと祖母に叱られたり、パチンコがどうのこうの愚痴ったり、年配の油断した姿を店ではよく見かけた。大人っぽくない大人だなあ、と子どもの私は思った。今思うと、みんな昼間きっちり働き、1日のガス抜きとして酒を楽しむ大人すぎる大人たちだったのだが、当時はわからなかった。

私はずっと「常連さん」という存在が不思議だった。飽きもせず、同じ店で、同じメンツで同じような話をしている。みんな何を求めて、この小さな居酒屋に来るんだろう?
そして毎日のように何千円も使って、なんでお金がなくならないんだ?とも思っていた。日給500円の私にとって、常連さんは「いっぱいお金を持っている人たち」だったのだ。


それから20年ほどが経ち、20代の私は、いまだに三軒茶屋近くに住んでいる。
祖父母が亡くなり、店が2代目に引き継がれてからすっかり疎遠になった。私が通うのは大衆酒場ではなく、ファミレスになった。

大学卒業後、晴れて無職となった私は絵で食っていくべく、バイトしながら絵を描いていた。仕事が終わると、パソコンや画材をリュックに詰めてジョナサン三軒茶屋店へ向かった。500円で長居しても迷惑がられず、フリーターにはありがたかったのだ。

街中で見たものを、次々と漫画にした。世田谷通り沿いの花壇、三角地帯のクセの強い看板、壁のグラフィティやステッカー。国道246号線の下でのんびりと歩くハトたち。気になったものを写真に撮り、時間を閉じ込めるように絵を描いていた。毎日描いていた絵日記のようなそれは、のちに1冊の本となり、様々な出会いへと繋がっていく。


ファミレスでは必ずイヤホンをした。皿やカトラリーが積まれるガチャガチャという音、ワハハハと大声で騒ぐ声は苦痛だった。たまに絵をグッと覗き込んでくる人がいて、その人を無視するためでもあった。ノイズキャンセリングをオンにして、好きなアルバムを繰り返し再生すると、テーブルはすぐに無人の作業部屋へと変わった。

まだ喫煙席があった頃から現在まで、4、5年ほど通い続けている。席でタバコが吸えなくなり、深夜営業がなくなって23時までとなり、机にカラオケのリモコンみたいなのが置かれるようになり、料理を猫型ロボットが運ぶようになる過程を、絵を描きながら見てきた。そのうち料理場では調理ロボットが働くようになり、完全セルフレジになり、ネコ型ロボットが走り回り、人間は客だけというディストピア・ジョナサンになるのだろう。

それにしてもネコ型ロボットはかわいい。「行ってくるにゃ〜!」とホールに繰り出すさまを見るとがんばれ〜と思う。
自分にとってジョナサンは第2の仕事部屋だ。どんなに疲れていたり、眠かったりしても、席に座ればスッと仕事モードに入ることができる。


ありがたいことに、最近は漫画の連載やイラストのお仕事が軌道に乗ってきて、自由に使えるお金が増えた。なのでチェーン以外のお店に行けるようになった。20数年通い続けた街なのに、「地元民ならではのお店教えて」と言われると「私も現在開拓中です」という他ない。

ビルの屋上から三茶の街を見渡せるカフェ「a-bridge」に行って「え!最高の場所じゃん!」となったのも2023年のことだし(ラムレーズンの乗ったプリンがおいしかった)、ストレスが溜まってドカンと甘いものを欲した際、「喫茶セブン」のクリームあんみつやチョコパフェを食べに行くようになったのも2022年からだ。ちなみに喫茶セブンの2階にある喫煙室は、おしゃれなおばあちゃん家みたいで大好きだ。古い椅子がいっぱいある。

中でも、私がせっせと通い続けている、比較的新しいお店がある。
2022年3月11日にオープンした、twililight(トワイライライト)という本屋だ。


トワイライライトを知ったきっかけは、屋上だった。
私は高いところが好きである。特に「三軒茶屋バッティングセンター」が好きだった。ビルとビルの間の螺旋階段を登って行くと、ヤンキーの秘密基地(?)のようなバッティングセンターがあったのだ。三軒茶屋の街並みを一望することができて、ひとつひとつのビルの屋上がよく見えた。松本大洋の「鉄コン筋クリート」のシロとクロが走り回っていそうな光景だ。私はキャロットタワーの展望台よりこっちの方が好きだった。

しかし、コロナ禍をきっかけかはわからないが、2020年に休業して以来入れなくなってしまった。祖父母の店といい、バッティングセンターといい、お気に入りの場所はどんどんなくなっていくな〜と寂しかった。

そんなある日のことだった。
ぼーっとTwitterを眺めていると、屋上の写真とともに「三軒茶屋」「本屋」という文字が流れてきた。三茶にこんな店あったっけ?と調べてみると、どうやら直近にオープンした個人書店で撮られたものらしい。なんでも、本やドリンクを買うと屋上に入れるという。

私は中野のタコシェや、大阪のシカクといった個人書店がずっと好きで、自作の漫画冊子を置いてもらったり、ユニークなリトルプレス本や漫画をよく買いに行った。そんな場所が、まさか地元にできるとは!!しかも屋上に入れるなんて!!と、ウキウキしながら向かったのであった。


画像は今年開催されていた道草晴子さんの個展
初めてトワイライライトに入った時、小さなギャラリースペースで作家・小山義人さんの個展をやっていた。以前から小山義人さんの絵が好きだったので「徒歩圏内で、このペインティングを拝見していいのですか…?!」と感動していた。三茶にはギャラリーがあまりなくて、渋谷や表参道のギャラリーが最寄りだったからだ。

本棚を見にいくと、私がすでに持っていたり、ほしいと思っていた本がずらりと並んでいて、うわー!と思った。大好きな吉本ばななさんの新刊も置いてあった。チェーンの書店にはなさそうなタイトルや、リトルプレスもぎっしり並び、ジェンダーやフェミニズムの書籍も豊富だった。ここに長居したら、あっという間に散財してしまいそうだ。

じっくりと本を選び、レジに持っていった。屋上に入ってみたいのですが、と緊張しながら伝えると、快く鍵を開けてくれた。
屋上は私ひとりだけだった。椅子やビールケースが並んでいた。街を見下ろすと、歩道を歩く人の頭をぼーっと眺めた。下北沢方面を見ると、空が広々としていて、サーモンピンクの雲が見えた。1階にあるパン屋から、パンの焼けるいい匂いが漂ってくる。植木鉢の木が揺れていた。
すばらしい屋上だった。何時間でもいられそうだった。


それから週に2、3回ほど、トワイライライトに行くようになった。1日中部屋にこもって仕事し、集中が切れるとあの屋上に行きたくなった。本を1冊選んで買い、空を眺めてぼーっとするのが、最高の息抜きだったのだ。

1月ほど経ったあと、店の方に1冊の本を渡した。ファミレスで毎日のように描いていた絵日記を収録した、『僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ』という自費出版本である。絵描きの地元民がいるということを知ってほしかった。だが私は喋るのが下手くそだから、絵を見せて伝えようと思ったのだ。
ものすごく緊張していたので何を喋ったか忘れたが、渡したあと逃げるように去った記憶がある。

それからほんの少しずつ、レジで短く話をするようになった。
屋上でぼーっとするだけではなく、コーヒーを頼んで、絵や漫画を描いたりもする。頭が干からびている時にギャラリーで絵画や写真を見ると、創作意欲がむくむくと湧いて元気になった。心がざわざわしている時、ソファーに座って静かに本を読んでいると、脳の砂嵐が徐々におさまっていくのを感じた。今では週に1度ほど、店に遊びに行っている。

トワイライライトで出会ってハッとさせられた本がいくつかある。
レベッカ・ブラウンの『体の贈り物』。尹雄大さんの『つながり過ぎないでいい』。きくちゆみこさんのZINE。村田沙耶香さんの『信仰』。森達也さんの『いのちの食べかた』。山尾三省さんの『アニミズムという希望』。
中でも、モーリス・ドリュオンの『みどりのゆび』は大事な1冊だ。この本に強く影響を受けて生まれた作品がいくつかある。興味があれば、ぜひ読んでほしい。


この原稿を書いている3日前にもトワイライライトにいたのだが、はっと気がついたことがある。
イヤホンをする必要がないのだ。絵を描いていても。
店内には子守唄のような音楽が流れているし、静かな人たちがゆっくり佇んでいる。窓の外からは街の音がして、たまにお客さん同士が小さくお喋りするのも聞こえる。
本好きが集う空間には、本好きにしか感じ取れないような共通言語がある気がする。目に見えない交信のできる場所が、私は好きだ。

実は店内に、私の絵を1枚ちょこんと飾っていただいている。また、私の出させていただいた本を置いていただいてたりする。自分の創作物が店の一部になっているのを見ると、ちょっと居心地の悪いような、うれしいような、不思議な気分になる。気持ち悪い言い方だが、あれ、自分の痕跡がある。と、他人事のように思ってしまう。

10代のころから「自分のことを知っている人間がいる空間」が恐ろしかった。居心地の悪さはその名残かもしれない。でもこの本屋は「自分のことを知っている人間がいても、恐ろしくない空間」であった。そういう空間があるのだと、齢27にして初めて知った。

私にとって三軒茶屋は仕事部屋だった。しかし、街には違う側面もあったのだ。
自分のことを知っている空間があって、そこで安心して過ごせるというのは、なんというか、とても幸福なことなのだなと思う。
おそらく、あの時の常連さんも似たような思いだったのではないか。

著者:中村一般(なかむら・いっぱん)

中村一般

イラストレーター、漫画家。1995年生まれ。東京・三軒茶屋在住。 イラストレーション青山塾(イラ科23期)修了。
主な著作に『中村一般作品集 忘れたくない風景』(玄光社)、『僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ』(シカク出版)、『ゆうれい犬と街散歩』(トゥーヴァージンズ)がある。
ゲッサンで「えをかくふたり」連載中。
X(旧Twitter)@nakamuraippan
Instagram @nakamuraippan

編集:ツドイ