笑って【坂の記憶】

著: TUGBOAT 麻生哲朗

「都心に住む by SUUMO」で、2009年10月号~2018年1月号まで連載されたTUGBOAT・岡康道氏と麻生哲朗氏による東京の坂道をテーマにした短編小説「坂の記憶」をお届けします。

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 叔父の家まで、こんなに急な坂だったかと思う。自分の結婚以来、叔父に会うのは初めてだから、10年近く会っていなかったことになる。その結婚式も、妻とそれぞれの両親、兄妹だけで海外で挙げたから、そこに叔父を招いてはいない。僕は自分が夫になり、父になった姿を叔父に見せたことがない。

 岐阜の高校を卒業し、東京の写真専門学校に通い始めたころ、僕をことさらに応援してくれたのは叔父だった。父は長男で、実に長男らしく地元で実直に公務員となり、姉と僕を実直に育てた。叔父、つまり父の弟は、東京の大学に進学し、音楽に没頭して、ギリギリの進級と留年を繰り返した。卒業後も音楽への夢をできる限り引っ張った叔父は、警備員の契約社員とスタジオミュージシャンという二足のわらじをずいぶん長く履いていた。今はその警備会社で事務方に回っている。もう音楽はやっていないというのを母から聞いたのは何年前だったろう。

 叔父の生き方は、わが家の家系からすると明らかに異端だったが、子どもの僕にとってそんな叔父は、憧れに近い存在でもあった。周りの同級生よりも早くに洋楽の魅力を教えてくれたのは叔父だったし、叔父は僕にとって刺激と夢の象徴だった。

 僕が東京の写真学校に通うことは、当然家では歓迎される進路ではなく、浪人してでも地元の国立大学に進むことを父は望んだし、要求した。極力、親の援助は受けないという実に曖昧な約束と決意で上京した僕を、歓迎してくれたのが、東京で二足のわらじを履き続けていた叔父だ。

 小遣いを時々もらい、僕のアパートに家具が足りないとなったら、深夜に一緒に粗大ゴミをあさりに回るなんていうことを、喜々として一緒にやってくれた。まだ素人同然の僕の写真をほめ、時折何枚か持って帰った。

 写真学校を卒業するとき、僕たちはある決断を迫られる。プロとして、自分の名前を看板として背負う覚悟のある人間は、プロ、特に広告カメラマンの門を叩きアシスタントになる。独り立ちの足がかりだ。そんな人生に対して慎重な連中は、スタジオへ就職をする。僕は圧倒的に後者だった。DNAのせいにするつもりはないが、そこで迷うことすらできなかった。その時点で夢をあきらめたわけではない。石橋の上を確実に歩きながらプロになればいいと思うのだ。けれど結局、最初の覚悟の違いは決定的で、僕はそこからついぞスタジオカメラマンという殻を、自ら破ることはなく、今がある。

 数年前、田舎の祖母が他界した。母は偉大ということか、以来、父と叔父の関係は明らかに疎遠になった。正確には縁のない状態になった。詳しいことは僕には分からない。どちらも、相手を僕の前で非難したりはしない。ただ、息子たちのそれぞれの生き方を認めていた祖母がいなくなって、故郷という拠り所を失って、あまりに違うそれぞれの生き方を両者が肯定し合うには、大人になり過ぎていたのかもしれない。父には、叔父があまりにもったいない生き方をしてきたように見えたかもしれないし、叔父には父の示す生き方が乱暴な正義に見えたのかもしれない。

 事情は分からなくても、その感触は僕にもじんわりと伝わってくる。父のいない所で叔父に会うという事実に、少しためらうようになって、僕はいつの間にか、叔父と会わなくなった。時々思い出して、顔を出そうかと考えては保留する、そんな風なまま、何年も過ぎた。

 そんな叔父からショートメールが届いたのは、ひと月前だ。「遺影を撮ってくれ」という短いメールだった。どこか体調が悪いのかという僕のメールには、まったく健康だが、撮っておきたいという返事が返ってきて、それで今日、十七が坂の急坂を上っている。

 巷で撮られる写真は、微かなものも含めて、みな笑顔を求める。笑っている瞬間を狙ったりもするし、さぁ笑ってとリクエストして撮ることさえある。つまりそれを残したいということだ。瞬間の現実や真実を切り取る……そんな写真もあると思うが、そんなことより、その瞬間そこに笑顔があったという先々の思い出を、ねつ造してでも獲得したいのが写真だったりもする。僕はそれを悪いことだとは思わない。それは、願いだから。そうであったと思いたいという願いだ。過去を思い返すとき、わざわざ記憶の苦い点をたどる必要などない、笑顔だけをたどればいい。だから僕は、そんな写真が好きだ。

 ひさしぶりに会う叔父は笑うだろうか。会話は途切れがちでも僕は言うだろう。

「叔父さん、少し笑って」


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十七が坂
住所:目黒3丁目5番と18番の境界付近
アクセス:目黒駅徒歩約15分

「じゅうしちがざか」あるいは「とながさか」と読む短い急坂。目黒不動尊へ通じる「庚申道」に続く道だが、あまりに急なため、目黒不動尊への難所とさえいわれていた。そのため老人や子どもが目黒不動尊へ向かう際は坂下から西方面への回り道を使っていたほど。そんな急傾斜が「子どもが坂の途中で転ぶと17歳になったとき凶事が起こる」といういわれを生み、坂の名称につながった。ただ、坂上の庚申塔に中目黒の有力者17名の名が刻まれたことが由来という説もある。急坂は工事により緩やかにする場合もあるが、十七が坂は現在も歴史どおりの急傾斜を保っているのも特徴だ。


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著者:麻生 哲朗

あそう・てつろう/株式会社TUGBOAT CMプランナー。1996年株式会社電通入社(クリエーティブ局)。1999年「TUGBOAT」の設立に参加。主な仕事にライフカード「カードの切り方が人生だ」シリーズ、NTTドコモ「ひとりと、ひとつ。」、モバゲーなど。CM以外にも作詞、小説、脚本などに活躍の場を広げている


写真:坂口トモユキ

都心に住む by SUUMO」2014年7月号から転載