ボロアパートでの夜通しコントこそ青春! 「青森の覇者」がようやく出会えたライバルたち ――古坂大魔王さん【上京物語】

インタビューと文章: チャン・ワタシ 写真:なかむらしんたろう

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進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。

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今回「上京物語」に登場いただくのは、古坂大魔王さんです。高校卒業後に芸人を目指して上京した古坂さんは、お笑いトリオ(のちにコンビ)底ぬけAIR-LINE を結成し、「ボキャブラ天国」「爆笑オンエアバトル」などの人気番組に出演。コンビ解散後、一時はお茶の間から遠ざかるものの、音楽プロデュースした「ピコ太郎」が大ヒットし、現在は著書の発売やコメンテーターなど多方面で活躍しています。

サービス精神旺盛で、芸人たちの間では「楽屋番長」の愛称で親しまれる古坂さん。“オフ”の場でも人を楽しませようとするのは、東京に対する強い憧れと怖れがあったからだといいます。若手芸人時代の暮らしぶりや、当時の芸人仲間とのエピソードについて伺いました。

ビートたけしもとんねるずも、青森にいない!

――古坂さんは高校卒業後、すぐに青森から上京されたそうですね。

古坂大魔王さん(以下、古坂):そうなんですよ。もうずーーーーーっと東京に来ることしか考えていなかったから。

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――上京を決めたきっかけは何だったのでしょう?

古坂:それはもう、「お笑い」ですね。今でも覚えているんですけど、僕が小学3年生のとき、とある番組で大橋巨泉さん、アントニオ猪木さん、ビートたけしさんの3人が共演していたんです。

僕はプロレスファンで、当時「猪木は人類最強だ」と思ってました。それに巨泉さんはテレビ界の大御所。その中でいうと、たけしさんはそのころまだ若手で。

ところが、たけしさんはまったく物怖じせず、巨泉さんを無茶苦茶に言うわ、猪木さんとトークでボコボコにやり合うわ、縦横無尽に暴れて超面白かったんですよ。それを見て「一番強いのってお笑いかな?」と思ったんです。それ以来、たけしさんをずっと追っかけていました。

――たけしさんがヒーローのように映ったんですね。

古坂:以降、人を笑わせることばかり考えてましたね。学校で人気者になるために毎日頑張るんだけど、まったくウケない。なぜかというと、体がデカかったんですよ。小学6年生のときすでに身長が170㎝くらいあって。

これは僕の経験談なんですけど、クラスの人気者って、ちっちゃい人がなるんです。小柄でかわいいお調子者が。跳び箱に突っ込むボケをするにしても、そういう子ならビヨーンと跳ね返って面白いけど、僕のような巨大児だと跳び箱のほうが大破する。怖がって、女の子が全然笑ってくれないんですよ(笑)。

――(笑)。たしかに小学生だとビビっちゃいますね。

古坂:デカい人間はお笑いができないのかな、と悩みました。

そこで出てきたのが、とんねるずさんです。背の高いふたりが、リアクションをとって大ウケ。歌をうたえばヒットして、歌番組を散々にぶち壊して帰っていく。それが僕にとっては、また衝撃だったんですね。

――新たなヒーローの出現と。

古坂:小3でたけしさん、小6でとんねるずさんに憧れて。毎日、テレビを観るためだけに暮らしてました。目当ての番組が17時に始まるとしたら、急いで学校から帰宅して16時半までに風呂と夕飯をすませ、テレビの前でじっと待ってるみたいな感じで。

あるとき、テレビを観ながら「たけしもとんねるずも、どこにいるんだろう?」と疑問に思ったんです。当時、僕の家から歩いてすぐのところに青森のローカルテレビ局である青森放送がありました。

その青森放送の前で数日間出待ちをしてみたんですけど、待てども待てども、伊奈かっぺいさん、吉幾三さんしか来ない。

――吉さん、青森ご出身ですもんね(笑)。

古坂:「あれ? おかしいな」と。そのとき、たけしさんもとんねるずさんも東京にいるんだって初めて気づきました。それからは東京に行くことで頭がいっぱい。中学生になると、家族と友達以外の前では津軽弁をやめて、標準語で話す練習をしてましたね。

――では、高校を卒業するときは、「やっと東京に行ける!」っていう気持ちなんじゃないでしょうか。

古坂:ようやくですよね。高校2年生のときには下見だと言って、一人で東京行きの夜行バスに乗り、テレビ局の場所を確認しに行きましたから。地図を見ながら、曙橋のフジテレビと赤坂のTBSに行って「よし、芸人としてここに行くんだ」って。他の局は、住所が分からなくてたどり着けなかったんですけど。

――ご家族は?

古坂:母が厳しくて芸人になることを許してくれなかったんですが、専門学校に通うためだと説得したら東京に行くことを認めてくれて。実際にはその学校も2週間で辞めちゃったんですけどね。

――ええ!

古坂当時って、まだ東京にお笑いの学校がなかったんです。スクールJCA(プロダクション人力舎)が出来たのは、僕が上京した翌年かな。NSC(吉本興業)は大阪にしかなかったので。

だから相方を見つけるために、ウッチャンナンチャンさんを輩出した日本映画学校(現在は日本映画大学)に行ったんですね。そこなら親の目もなんとか誤魔化せるということで。でも、入学してすぐタップシューズを買わされて。「なんでタップしなきゃいけないんだ! 俺はお笑いをやりに来たんだ!」って(笑)。それが18歳の春ですね。

家賃1万円のアパート暮らし。そして大家公認「夜逃げ」

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――上京して、最初はどこに住まれたんですか。

古坂小田急線の相模原(神奈川県)です。上「京」と言いつつ、神奈川でした。

お笑い芸人はみんな貧乏エピソードを話してるので、より貧乏らしい生活をしたほうがいいなと思ったんですよね。実際にお金はなかったし、家賃はとりあえず「1カ月1万円以内」で探そうって。そしたら相模原にあったんです、1万円のアパートが。

6畳一間をカーテンで区切って、誰かと一緒に住むというものでした。本当にボロいアパートで、夏、共同便所のドアを開けるとハエがぶわあああって飛ぶんです。それを殺虫剤でぜんぶ倒してから用を足すんですが、終わるころにはまたハエが……。雨漏りもひどかったので、雨の日は傘をさしながら用を足してました。

――あはは(笑)。

古坂:そこも結局1年くらい家賃を滞納しちゃって、払わないまま夜逃げしようとしたんですね。荷物をまとめてる途中で大家さんにバレて、「なにしてるの?」って聞かれたので「夜逃げです」って。

そのときなんと「しょうがないわね」と見逃してくれまして。芸人として給料が入ったときに、支払いに行きました。「本当に返してくれた人は初めて」って驚かれましたよ。

――大家さんも器が大きいですね。

古坂:ねえ。後から聞いた話、そのアパートは、僕より前に春風亭昇太師匠が住んでたらしいです。僕が芸人であることを大家さんに話したとき、「落語家さんで、春風亭昇太っていう子が大学時代に住んでたのよ」って教えてくれました。

――東京に住んでみて、心境はどうでした?

古坂:青森って、東京がすごく遠いんです。距離もだけど、存在が。まず言葉が違います。

今で言えば、日本人が突然アフリカに住むようなもの。心を決めて「いざ!」と戦場に来たような感覚でした。

――負けてたまるか! と。

古坂:そうそう。そのせいか、今もそうなんですが、家を出た瞬間からスイッチがONになるんです。電車、バス、タクシーと全部ONモード。楽屋ですら僕にとっては戦場なので、気が緩まずにずーっと喋るんです。

もちろん疲れてしまうので、できるだけ人に会わない、原付で現場まで行ける場所に住むようにしてました。雨が降ろうが雪が降ろうが、移動は原付でした。

――常に気を張っていたんですね。

古坂劣等感と、東京に対する異常なまでの恐怖心みたいなものがあったんでしょうね。

いまだにエイベックスビルに入るときも「お邪魔します」って気持ちがありますよ。

マネージャー:もう13年(エイベックスに)いるじゃないですか(笑)。

古坂:(笑)。慣れないんだよなあ、青山という土地に。

若手芸人は地方営業に行きやすい中央線沿いに住む

――さきほど「原付で移動できる範囲」とおっしゃってましたが、相模原の次に住んだのはどちらですか?

古坂中野に2年、高円寺で何度か引越しをして計12〜3年住みました。

若手芸人って、地方営業が多いんですね。となると、東京駅や新宿駅が拠点になるので、そのどちらも一本で行ける中央線沿いが楽なんです。だから芸人は中野住みが多い。

――なるほど。

古坂:僕も中野、高円寺周辺が生活圏でした。

どうしても風呂付きに住みたくて探したら、高円寺にバストイレ別で家賃5万円っていう物件があったんですよ。しかも2部屋!

――相場から言えば、かなり安いですね。

古坂:でも、もちろんまともじゃなくて。玄関前がまずジャングルなんですよ。雨が降ると、出入りのたびに庭木の露で服がびしょびしょになるんです。「2K」というからにはK(キッチン)があるんだけど、ほんの1畳弱で。それをKと呼ぶんです。

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バストイレも確かに別なんだけど、トイレは今ではほとんど見ない上から紐を引っ張って水を流すタイプ。お風呂は正座じゃないと浸かれないような五右衛門風呂くらいの大きさで。

――肝心のお部屋はどうだったんですか?

古坂:寝室にしていた畳の部屋は、なぜか部屋の中央がへこんでいました。すごいんですよ。ボールを投げ入れると、カジノのルーレットみたいにクルルルルルル! って回るの。

体の向きを間違うと頭が下がって寝づらいから、なるべく頭が上を向くように位置を調整して寝てました。だから友だちが遊びに来たら、寝るときはみんな足を部屋の中央に向けて、円を描くように並んで……。

――本当ですか?(笑)

古坂:ほんとほんと(笑)。インスタ映えしてましたよ。高円寺の一ノ瀬荘。

――芸人仲間を自宅に招くことはありました?

古坂:20歳のときには「ボキャブラ天国」に出演していたので、出演メンバーみんなよく遊びに来ていました。

――芸人さんが集まると、どんなことを話すんですか?

古坂:お笑いはあーだこーだって話をして盛り上がったり、あとは一晩中ミニコント。これはもう若手芸人あるあるで、みんな暇があったらコントをやりたいんです。

突然誰かがイベンター役になって、イベントの打ち合わせをする設定の即興コントが始まっていく。「今回はどんなイベントなんですか?」「えっと今回はですね〜」って。夜通しやるなか、登場人物がどんどん寝ていくんです。

――微笑ましいですね。

古坂:青春時代です。ほんとうに楽しかったですよね、あのころは。

青森にいたときは、ライバル不在の独占市場だったんです。中学2年で全国ネットの素人参加番組に出て、高校3年のときには青森でレギュラー番組を持ってました。単独ライブもやって、大盛況でした。本気でコントをやっている人なんて、30年前の青森では誰もいなかったから。

でも東京に出てみたら、お笑いの現場ってそんな人しかいないんです。それはもう楽しいに決まっていますよね。面白い人たちと「次のライブではこうしたほうがいい」「あの人のツッコミはこうだ」って話しながら、「はあーすげえ」って。それだけで毎日楽しかったですね。

――芸人仲間たちと切磋琢磨するなかで「俺、やっていけるのかな」と不安になる時期はなかったですか?

古坂:人と比べて落ち込むってことはなかったなあ。好きなようにやってきたから、キャラやネタが被る人がいなかったんです。でも売れるかどうかはよく分かんなかった。自分が一番ウケるだろうと思って披露したネタが、めちゃめちゃスベることもしょっちゅうでしたから(笑)。

周りのみんなは、僕がその芸風でやってる限り売れないのが分かってるから、面白がって「その調子だ!」って。

――ええそんな……。

古坂:当時はやっぱり潰し合いですよ。仲間と言ってもね。でも気にしていませんでした。

それよりどうすれば番組をぶち壊せるかなってことばかり考えてたんですよね。他の芸人が先に暴れると悔しくて「じゃあ俺はセットを壊そう」「ピンマイクとっちゃおう」って、そんなことしか考えてなかった時期です。

そりゃ売れるわけないんですよね。一生懸命みんなでつくったものを壊そうとするんだから(笑)。

「僕らは若手時代、みんなマーシーに救われた」

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――「ボキャブラ天国」時代、芸人仲間のみなさんで、最初に「この人はすごいな」と思ったのは誰ですか?

古坂:すごいなって思う人ばかりでしたよ。だって自分がどんだけ動いても、全部処理してくれるんですから。くりぃむの上田さん、爆笑問題の田中さん、ネプチューンの名倉さん。さらに言うと、今田さん、東野さん。なにしても拾ってくれました。

あとはまあ……田代まさしさんですね。僕らはほぼみんな、若手芸人のころ、マーシーに救われてます。

――そうなんですか?

古坂:恩人なんです。「GAHAHAキング 爆笑王決定戦」っていう番組があって、当時田代さんは国民的大スターだったんですよ。ほんとなら、若手芸人なんてとても絡めない人だし本人にそれをやる理由もないのに、誰かがスベると必ず一緒にスベりにきてくれた。しょうもないことを言うと、「しょうもねえなァ、お前は!」ときっちりツッコミを入れて助けてくれて。収録後は「いいんだよ、どんどんやって!」とフォローをくれる。

田代さんはカメラのまわっていないところでも、僕らのためだけに、よくギャグをやってくれました。「ういーっす」と楽屋に入ってきたと思ったら、入り口で詰まっていて。よく見ると、ジャケットの肩のところにハンガーが入っているんです。「付けっ放しだったわー!」と。

――(笑)。大先輩がそんな風にボケてくれていたんですか。

古坂:大大大っ先輩ですよ。お笑い以外の番組で共演したときも、若手芸人にこっそり「いけいけっ」と耳打ちして、見せ場をつくろうとしてくれた。僕らが無茶苦茶にしちゃって怒られても、田代さんだけはウケてくれて。すごく良くしてくれたのを覚えてますね。

――昨年インタビューしたんですが、ダジャレ連発で、トークもキレキレでした。本当におもしろい方で。

古坂:ははは! お変わりないんですねえ。

芸人でいる限り、ハッタリでも東京に住みたい

エイベックスビルの壁に描いてある古坂さんのサイン

――テレビに出演されるようになって、芸人になることを反対されていたお母さまの反応はいかがでした?

古坂:学校を辞めたときに、半ば縁が切れた感じだったんです。騙したわけですから。「ボキャブラ天国」くらいからかな、ようやく認めてくれたのは。でも食えてないと思って、ずっとカップ麺を送ってきてくれるんですよ。いまだに送ってくるんです。

――へえ!

古坂:買えるんですよ、さすがにもう(笑)。

そういうところを、昔は「子離れできずに……」なんて思っていたけど、僕も子どもが生まれてからは「そりゃあ子どもは何歳になっても子どもだな」って。ありがたいなあって思ってます。

――今後も東京に住まれる予定ですか?

古坂:やっぱりこの仕事、「お笑い」をする限り、東京にいなきゃいけないと思っていますね。

――芸人でいる限りは東京に住むと。

古坂:お笑いにはコミュニケーションが必要だから、すごい人と日常的に絡んでいないと、どんどん錆びていく気がするんです。テレビが、とかネットが、とかではなく、単純にすごい人が集まる場所にいないとこの仕事はできないのかなって感じはしますね。

あとはまあ、「東京でやってる」っていうことの説得力は、まだありますから。「ニューヨーク帰り」みたいなもんですね(笑)。

――確かにそうですね(笑)。

古坂:ハッタリが大事なんですよ。ハッタリきかせるなら、東京かなあって。もうちょっと年食ったら、千葉とか神奈川とか埼玉とかそういうところ、なんならもっと遠くに住んでもいいかもと思いますが。

それまでは、もうちょっとだけ東京に居座らせてもらいます。東京ど真ん中生まれの娘もいますから!

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お話を伺った人:古坂大魔王

古坂大魔王

1973年、青森県生まれ。1992年にお笑い芸人「底ぬけAIR-LINE」 でデビュー。2003年にはお笑い活動を休止し、「ノーボトム」として音楽活動に専念する。2016年にピコ太郎のプロデューサーとしてPPAPをキッカケに大ブレイク。現在、古坂大魔王としてバラエティ番組への出演や、SCANDAL、mihimaruGT、AAAとのコラボレーション、楽曲制作も行うなど、芸人、アーティスト、クリエーターなど、幅広いジャンルで活動中。2019年1月より、毎週火曜21時〜放送のNewsPicksが手がける経済番組「The UPDATE」のメインMCを務める。

Twitter:@kosaka_daimaou

著者:チャン・ワタシ

チャン・ワタシ

1990年生まれのフリーライター。お笑いと高円寺がすき。

note:https://note.mu/hoshinc


編集:ツドイ