「住職として町とともに生きていく」京都・久御山町のお寺の後継ぎが町を愛するまでの話

著:稲田ズイキ

 

「アイドルと結婚したい」

本気でそう思っていた12歳の自分は、「住職としてこの町とともに生きていく」ことが、まさか現実になるとは思っていなかった。

でも、僕はあるきっかけで、この現実を正面から捉え、この町を愛そうと思えた。

今回は、そんな「この町を愛するまでの話」をさせてほしい。

 

 

「ジャスコしかない町」に生まれて

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僕が生まれたのは、京都にある小さな町「久御山町」。
この写真を見て、「え、これ京都なの?」と思ったかもしれない。

そう、京都と言っても、皆さんが思い浮かべる「あの京都」ではない。
「あの京都」のずっと南には、こうした田園地帯と工業地帯が広がっている。
それが久御山町だ。

 


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とくに僕が生まれた付近は、淀大根(聖護院大根)や九条ネギといった京野菜の生産地として有名である


京都のことをある程度知っている人に「久御山町出身だ」と言うと、70%の確率でこのような反応が返ってくる。

「あ〜、あのイオンがあるところね?」

 

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イオン。僕ら町民は、クセでかつての名「ジャスコ」と呼んでしまう。
町民が町外の人に胸を張って誇れるスポット、それがジャスコなのだ。

誰が言ったか知らないが、広大な範囲にまたがって「イオンモール」がのさばるこの町を、「ジャスコしかない町」。そう呼んだ。

おしゃれな洋服屋もなければ、小粋なレコードを回してくれる喫茶店もない。
あるのは、ジャスコ。鈍いピンク色の巨大建造物だけだ。

 

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そんな、「ジャスコしかない町」のお寺に僕は生まれたのだった。

 

 

「ジャスコしかない町」で一生を終えてしまう


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「月仲山称名寺(げっちゅうざん しょうみょうじ)」というお寺

久御山町の小さな集落にあるお寺の後継ぎ、それが僕だ。

「お寺の後継ぎ」というと、子どものころからお経を唱えて、朝早くから掃除して……というイメージをもつかもしれない。
しかし僕は、子どものころからお寺に従事していたわけではなく、いわゆる一般的な家庭の子どものように育てられてきた。

ただ、家庭内には「僕がいずれ寺を継いでくれるだろう」という空気だけはあったのを覚えている。
それを察してか、僕は物心ついたころから「将来はお坊さんになる」と言っていた。
でも、それはその場しのぎの悪い癖だったのである。

 

根っからの面倒くさがりで、頭にお花畑が広がっているタイプの僕は、遠い将来のことは何も考えず、小学校くらいまで「将来はアイドルと結婚するのだ」と思っていた。
結婚相手はそう、初恋の加護亜依ちゃんなのだと、脳内に花を咲かせ続けた。

 

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高校生ともなれば、周りは公認会計士になりたいだとか、薬剤師になりたいだとか、具体的な将来のイメージをもち、それに通ずる進路を選んでいく。

しかし、依然として僕は、「将来アイドルと会えるような楽しい生活がしたい。そのためには映画関係者になるかロックスターになるしかない」くらいにしか本心では思っておらず、ずっと目の前の現実を見ないようにして生きてきた。

 

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お寺を継ぐということは、いずれこのお寺の住職になること。
すなわち、それは「永遠にこの町とともに生きていくこと」だ。

 

「ジャスコしかない町で一生を終える」
その閉塞感は、輝く未来を夢想する高校生にはあまりにも重すぎる現実だった。
ましてや、アイドルとのロマンスを望んでいるような少年には。

 

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町には、永遠に続くかのような農道が広がり、

 

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寂れたラブホテル街(通称:幸せ街道)が立ち並ぶ。

 

今となれば、趣深いと思えるこれらの風景も、当時の自分からすると「狂気」以外の何者でもない。

 

外を歩けば、必ず近所のおじさんおばさんから「おはよう」「おかえり」と声をかけられる。それすらも自分が町の一員になり、そのまま封じ込められるような気がして、ゾっとした。

「自由は趣味の中にある!」と思い、音楽を求めたが、CDショップに行くにも町外に出なければならないこの町に、どうしても希望を見つけられなかった。

 


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毎日40分チャリを漕いで通いつめた「TSUTAYA小倉店」

 

 

そして、僧侶になる


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大学3年生のとき、修行に入るため人生で初めて髪型を丸坊主にした

ずっと現実から目を背け続けてきた僕は、仏門に入るための儀式(得度式)を終え、修行に身を置いても、依然としてその態度を変えなかった。

 

地に足つかず、修行中の筆記試験で、大喜利のような回答をして「お前は舐めているのか」と注意されたこともあったし、宿泊部屋で帯を頭に巻いて「パラダイス銀河」を歌っていたら指導員に見つかり、こっぴどく叱られたこともあった。

 

そして、現実逃避したまま、修行をなんとなしに終えて、僕は正式に僧侶となった。

 

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終わった、終わってしまったのだ。
子どものころから思い描いていた加護亜依ちゃんとの結婚生活は消え、永遠に続くあの農道と、巨大なジャスコだけが頭の中に残った。

 

「命とは、こうして静かに終わっていくのか」
人生に虚無を感じざるを得ない当時の僕に、師僧(父)が見せてきたものがあった。

「フリースタイルな僧侶たち」というフリーペーパーだった。

 

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「フリースタイル」と冠されたその名前に惹かれ、中を見てみれば、僕と同じように寺に従事する人が、懸命に目の前の「現実」を変えようと努力していた。

尼僧が「アイドル菩薩」と名乗って「法要」という名のライブを行っていたり、僧侶同士が法話のありがたさでフリースタイルラップバトル顔負けの「法話バトル」を繰り広げていたり……。

 

たちまち、虜になった。
当時の僕の目からは、窮屈の象徴である「お寺」という場所、「僧侶」という立場で「自由に楽しんでいる」ように見えたのだ。

 

そのあと、僕は何かに取り憑かれたように、フリースタイルに活動している僧侶のことを調べ続けた。
何か壮大な大義名分が頭に降りてきて、意識がガラッと変わったわけではない。
ただ、ワクワクしていたのだ。

 

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ずっとこの町で住職として生きていくのが嫌だと思っていた。
お寺はカッコ悪く、僧侶はダサい。
地元はしみったれた町で、キラキラしていない。アイドルとは程遠い世界観をしている。
そう思い込み、「ここではないどこか」に憧れを抱いていた。

 

でも、違うのだ。
本当にカッコイイのは、職業でも住む場所でもない。
「何をするのか」だったのだ。

 

僕が憧れたアイドルだって、「アイドルになる」と決意して行動しているからこそ、あんなにキラキラと輝いている。
キラキラと輝くことは「ジャスコしかない町の住職」にだってできる。
大事なことは「何をするか」。
「どこでするか」「何になるか」はどうでもいいことなのだ。

 

気がつけば「僕には何ができるだろう」と考えていた。
僕ができることを、ノートいっぱいに必死に書きあげた。

たどり着いたのが「この町を楽しむ方法を自分で見つけたい」という思いだった。

 

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それから僕は、中途半端な気持ちで通っていた大学院を中退し、「町と寺をつなぐ」をテーマに掲げ、活動することになった。
そのとき、初めて自分で自分の人生を歩めたような気がしたのだ。


syomyoji.net

 

まず、「地元と寺をつなぐWEBマガジン」を立ち上げ、違う視点から地元のスポットを楽しむ方法を次々と記事にした。

Post from RICOH THETA. #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA


Spherical Image | RICOH THETA


これは360度画像で「久御山ジャンクション」を撮影すると、サイバー感が出るというもの。

 


寺主制作映画『DOPE寺』予告編

さらには、近所に住む老若男女、家族に総出演してもらって、地元と寺を舞台に「お寺ミュージカル映画」を撮影し、ライブ上映イベント『テ・ラ・ランド』を開催した。

 


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キャスト、制作陣で集まった様子

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イベントのビジュアルにもこだわった


この上映イベントが「説法ラップバトルも展開するドープな“寺主制作映画”」とネットでバズり、何もない町の何もない寺に、テレビメディアを含め、総勢100名以上が来場することになった。

 

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「この町でだって、僧侶だって、おもしろいことはできる」
この企画の成功に、可能性を感じた。

 

 

何もない町だと思っていた

それから1年間だけ東京に出て会社勤めを経験し、実家のお寺を手伝うべく、フリーランスで仕事を続けながら、また久御山町に戻ることになった。

一度別の町の空気を味わったからだろうか、それとも「町を楽しむ方法」を自分で探っていった結果なのだろうか。


定かではないが、町の見え方が以前とは変わってきたのが分かった。

 

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何気ない田園風景、農家のおじさんおばさんの話、そびえ立つジャスコ。
東京に比べたら、店もない、エンタメもない、洒落っ気もない、そんな町。
でも、その不ぞろいで、でこぼこで、コテコテな町を、心の底から「美しい」と思えるようになった。

 

あらためて、そんな気分で町を歩いてみると、世界はちがって見えた。

 

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淀駅の商店街にあるお惣菜屋「翼虎」。「熱いから気をつけてぇ」と笑顔のおばちゃんがコロッケを手渡してくれた。

 

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汗と土にまみれて、農家として働く小学校の同級生(松岡くん)。
「これから肥料まかなあかんねん」と話す彼は、何よりもかっこよく見えた。

 

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工場を改装したおもしろいパン屋「テクノパン」には、全国から車好きが集まり、独自のコミュニティをつくっている。

 

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最近できた、本格的なシュトーレンが食べられるおしゃれなカフェ「cafe soleil」。オーナーは「久御山に住む同世代の友達が集まれたらいいなぁと思ってオープンしてん」と話してくれた。

 

「ジャスコ以外何もない」
そう決めつけていたが、何もないわけがない。当たり前のことだった。

 

でも、先入観にとらわれているとき、現実から逃げようとしているとき、人は目の前の美しいものを見落としてしまうことがある。

 

僕は人生にないものねだりをして、生まれたこの町のことを何も見ようとしなかった。
何も見ていないのに、頭ごなしに「この町は終わっている」と決めつけていたのだ。

 

それが、「自分で楽しみ方を見つけよう」と決めてから、この町の解像度が上がって、今まで見えなかったものが見えるようになった。

 

久御山町に住む人々は温かく、縦横のつながりが厚い。
いまだに自治会対抗の運動会で、あそこまで盛り上がる町もないだろう。
個人経営の店もだんだんと増え、新しい風も吹いている。

 

そして、何よりも僕は久御山町にあるお寺の後継ぎとして生まれた。

 


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お寺に遊びに来てくれた近所の小学生

町を歩いていると、近所のおじさんおばさんは相変わらず、声をかけてくる。

 

「ちょっと太ったんとちゃうか?」
「彼女はできたんか?」

 

こんな何気ない会話が生まれることの美しさを僕はもう見落とさない。

 

「最近、毎日牛丼しか食ってへんねん」
「聞いてや、こないだ遠距離やった彼女にフラれてさぁ」

 

住職として永遠にこの町とともに生きていく。
かつてはあれだけ嫌だったことに、不思議なほどワクワクしている自分がいる。

 

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著者:稲田ズイキ

稲田ズイキ

僧侶。1992年生。デジタルエージェンシーから独立後、ネットとリアルで煩悩タップリな企画をするフリーランスの編集者/ライターをしています。「フリースタイルな僧侶たち」Web編集長。

 

Twitter :@andymizuki

 

 

編集:Huuuu inc.

写真:磯部亮太