著: じろまるいずみ
「ね、抜け出さない?」
そんな映画やマンガみたいなセリフを言われたことがあるだろうか。
私はある。
それはオシャレな人に誘われた、オシャレな人しかいない六本木のパーティーで、オシャレじゃない私がすっかり浮いていた日の話だ。明らかにジャンルの違う人たちと、すり合わせてもすり合わせても共通点が見つからないパーティーにすっかり疲れ、会場の隅、衝立の後ろにひっそりと隠れていたときのことだ。
飽きた。つまらない。でも帰る勇気はない。私ひとりいなくなったところで誰も悲しみはしないだろうが、誘ってくれた人に「つまらないから帰るわ」なんて言えるわけがない。どうしよう。どうしよう。うじうじ、もんもんとしていると突然衝立が揺れ、男が飛び込んできた。それがTとの出会いだった。
一目で、お互い場違い同士だと分かった。会話にすり減ったHPを回復するために、物陰に逃げ込んできた同士だということが分かった。最初はテリトリを侵害されたような気がしてムッとしたが、彼のポケットについていたバッジに目が止まった。それは私の好きなバンドのものだった。
「あ、それ」
「あ、これ?」
それで一気に距離が縮まった。音楽が好き。本が好き。映画も好き。すり合わせてもいないのに、共通点がするすると見つかる。ああ、この人と話すのは楽しいな。もっと話していたい。そうだ、素直にそう言ってみよう。ここを抜け出してもう少し話をしたいと提案しよう。勇気をふるって口にしようとした瞬間、彼が「ね、抜け出さない?」と言ってきた。私は「今、同じこと言おうと思ってた」と笑った。こうして恋が生まれ、私に恋人ができた。
Tの住んでいたのは、狛江だった。新宿駅から20分ちょいの小田急線喜多見駅は世田谷区と狛江市の境にあり、駅からものの1分ですぐ狛江市に入る。そのキワキワ、狛江市の東端中の東端に彼の家はあった。
Tは狛江が好きだと口癖のように言っていた。狛江市は、いわゆる「東京23区」に含まれない。六本木のパーティーに来るような男は普通、23区外に住んでいることを隠そうとするものだが、彼の口からは狛江のいいところしか聞いたことがない。新宿まで近いのに、のんびりした郊外であること。23区じゃないのに「03」で始まる電話番号であること。道の向こうは世田谷区なのに、住所が狛江というだけで広い家に住めること。実際彼の住まいは一人暮らしにはもったいないくらい広々とした2DKで、小さいけれど庭もついていて、とても居心地が良かったものだ。
当時私は人に住んでいるところを聞かれると「下北ディープサウス」と答える、見栄っ張りやさんだった。横文字でケムに巻いているけど、なんのことはない。要はどの駅からも遠いという意味だ。遠いくせに家賃は高い。高いくせに狭い。家と駅の往復で毎日疲れ、周囲を探検することもなく、小田急線も新宿ー下北沢間しか利用しない。せっかく東京にいるのに、実にこじんまりとした世界で生きていた。
そこへタイムリーに現れたのが、喜多見駅まで徒歩1分、広くて快適なT家だ。私は恋だけでなく、その利便性や住みやすさからもずるずるとT家に入りびたるようになった。仕事が終わると自分の最寄駅を通り過ぎて、わざわざ狛江へ向かう。休日はせっせと服やら本やら私物を運び入れる。そのうち自分の家で寝るのは週に一度あるかどうかとなっていった。
馴染んでくると、私にも狛江の魅力が分かってきた。狛江の良さは「ほど良さ」にある。ほど良く栄えてて、ほど良く自然が残っている。全国で2番目に小さな市だけあってとても狭いのだが、その狭さがいい。私たちはよく多摩川まで散歩したものだが、狛江市の東端にある住まいから西端に当たる多摩川まで、人の足で歩いて30分とかからない狭さである。歩いていける範囲にスーパーも飲み屋もカフェもあり、市役所もすぐそこ。そう、それはまるで「手の届く範囲に何もかも置いてあるコタツ生活」のような、ぬくぬくライフだった。
ぬくぬくタウン狛江は暮らしやすい街だ。食材を買うのはまず困らない。当時から喜多見の駅前にはスーパーサミットやたぐちフーズがあったし、狛江駅周辺にはスーパー三和がある。今は小田急OX、業務スーパー、信濃屋とさらに選択肢が増え、ちょっと足を延ばせばOKストアもある。この狭い街に多すぎだろ、と思うほどだ。個人商店も当時は多く、夜遅くに買い物をすると必ず油揚やキュウリなどをおまけしてくれた店のことは、今でも忘れたことがない。
もう疲れて料理したくない日も、狛江はぬくぬくだ。駅前の喫茶店の、マーガリンが大サービスされた海老ピラフ。店は小汚いのに、ホテルのような美しい一皿を出す町中華。まだ若い店主が「狛江値段です」と安く売るのがひどくもったいない端正なお寿司。他のメニューはすべて小鉢付きなのに、なぜか私の好きな粕漬け定食だけ小鉢がついてこない定食屋。どれもお気に入りだった。
気軽に蕎麦うどんをすすりたいときは喜多見駅の「丸屋」や、市役所近くの「大梅」へと出かけた。丸屋は今も健在どころか、超繁盛店だ。蕎麦も天ぷらも美味しいし、量もいっぱい。おまけに入り口には「ご自由にお持ちください」と美味しい天かすまで置いてある。完璧だ。
大梅は安曇野に引越してしまったが、ここで「お蕎麦を上手に食べられますね」と褒めてもらったことが、私の人生にずうっと明るい光をさしている。ひとり蕎麦デビューも、ひとり蕎麦酒デビューも、ひとり昼酒デビューも、すべて大梅だった。
そして通いに通ったのが、狛江駅前にある「ミートステーション」だ。ミートステーションは調理場を囲むカウンターと、壁にくっついた棚のような細いカウンターだけのもつ焼き屋だ。今はテーブル席になっている店の奥は、当時は「店の外」で、そこにビールケースを置いて椅子とテーブルにしていた。早い時間に行かないと売り切れる串も多かったが、夜遅く行っても何かしら食べるものがあり、ラストオーダー直前に駆け込み「ビール、キュウリ、ご飯」だけ食べてきたこともある。「もうほんとに何もないんだよ」という店主に頼み込んで、ツナ缶を開けてもらったこともある。ね、いい店でしょ。
土曜の午後、私たちはミートステーション横にある「ぽえむ」でコーヒーを飲んでまったり過ごす。ん?そろそろミートが開く時間じゃない?まあ今日はいっか、などと言ってても前を通ると煙に誘われる。そしてまんまと入店し、カシラとガツとコロッケの卵とじなどを食べてしまう。ほろ酔いでミートステーションを出ると、今度は世田谷通りの「狸小路ラーメン」まで足を延ばし、餃子をテイクアウトして家で飲みなおす。それがTと過ごした狛江の典型的なモデルコースだ。おしゃれな店もあったが、私たちにはこういうのが似合ってた。狛江にいるときは、こういうのがいいと思っていた。
狛江での日々のようなものを「青春」と呼ぶのだろう。恋して、笑って、食べて、飲んだ。駅の踏切、いつもの帰り道、待ち合わせをしたロイホ、新宿高野の工場、隣り合わせで仲の悪かったおでん屋と焼鳥屋、そして何より多くの時間を過ごしたTの家。すべてが好きだった。この歳になってもまだ、夢に出てくることさえある。
狛江を離れるきっかけは何だったのか。もうすっかり忘れてしまったが、どうせ大したことではないだろう。ただなんとなく歯車が狂い、小さなきしみがいさかいに発展し、とうとう私たちは別れることになったのだ。険悪な状態がピークを過ぎると、あとは実務的な問題を淡々と片付けるターンとなった。私たちはかつてよくやったようにパスタをつくって食べ、最後の食事をした。たくさん運び入れた私物はすべて自分の家に戻す手はずを整えた。だが二人で買ったものは置いてくることにした。アヒルのマグカップ、ストライプのタオル、ギターアンプ、おそろいのスリッパ。みんなお気に入りだったが仕方ない。Tとの日々が付喪神(つくもがみ)のように宿ったものは、狛江から出してはいけないように思ったからだ。
だから、青春は狛江に置いてきた。
今でもそこにあるような気がしている。
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著者:じろまるいずみ
お料理作家。唎酒師。2月に著書「餃子のおんがえし」(晶文社)が出たばかり。おいしいものと、おもしろいもの。たまごと酒が好き。長崎生まれ、房総育ち。現在は東京在住で、執筆活動のかたわら料理のワークショップを手がける。
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編集:ツドイ