家賃6万2千円のアパートで、東京のまぶしさを感じながら過ごした「井の頭公園」の日々|文・ひらいめぐみ

著: ひらいめぐみ

茨城から上京したつもりが上玉だった

大学への入学を機に上京し、人並みに学生生活を楽しく送っていたある日、「なんでそんな遠いところから通ってんの?」と友だちに言われた。大学は神保町駅が最寄りで、九段下駅や水道橋駅からも近い場所にあったが、わたしが当時住んでいたのはそのどこの駅から行っても1時間はかかる埼玉県のふじみ野だった。

たしかに、なぜここに住んでいるのだろう。住んでいる街の雰囲気は好きだし、家から近いスーパーはなにもかも安く便利だし、マンションも綺麗で住みやすいから、学校から少し遠いことはあまり気にしていなかった。でも、学校に通いやすくなるようにと茨城の実家を出て、上京してきたつもりだったのに、よく考えてみたらまだ上京してないじゃないか。ここは埼玉だから、上 “玉” ではないか。

学生が家を探すならば、まず大学がある神保町や九段下への乗り換えが便利なルートにある駅の不動産屋へ行くべきなのだが、わたしはどういうわけか池袋駅の不動産屋へ行っていた。そうなると、必然的に池袋駅にアクセスのいい路線沿いの物件を紹介される。大都会・池袋の不動産屋と言えど、得意とする領域はあくまで池袋に近いエリアなのだ。……ということを、地元・茨城から出てくる前のわたしにはなにもわかっていなかった。池袋や新宿、渋谷には東京のすべてがあると思い込んでいた。

しかし、東京へ2年ほど通うと、そうではないことがだんだんと理解できるようになる。そして、気づく。「もしかして、家から大学まで遠いんじゃないか?」。ここでようやく、アクセスのいい家へ引越せばよいのだという発見をした。

西荻ライフを目指したつもりが、紹介されたのは……

そんなわたしが真っ先に候補にした街は、西荻窪だ。誰からの情報かは忘れてしまったけれど、「西荻窪には本屋さんが多い」と聞いた記憶があり、せっかく住むなら本屋さんが多い街がいいなあと思っていた。

紹介してもらった西荻窪の物件をいくつか見るも、びっくりするくらい年季が入っていたり日当たりがあまり良くなかったりと、なかなか「ここだ!」と思える物件に出会えない。今にして思えば、人気の街だからこそ、自分が住みたくなるような物件はすぐ埋まってしまうのかもしれない。最後に、「西荻窪から離れてしまうんですけど」と紹介されたのは、井の頭公園駅から徒歩1〜2分、吉祥寺駅からも徒歩10分ほどのアパートだった。

築年数相当の古さは感じるが、使い勝手は良さそうで、家賃も共益費込みで6万2千円と予算内。吉祥寺に来たことがなかったのでどんな街かはわからないけれど、地名に「寺」がついているくらいだから、きっと治安はいいのだろう。井の頭公園も吉祥寺同様馴染みのないエリアだったが、「公園」というからには落ち着いたエリアに違いない。

そんな憧れよりも消去法で残った街だったが、4年も住んでいた。

改札を抜けたら即公園、の「井の頭公園駅」

井の頭公園駅の面白いところは、改札を抜けるとすぐに公園がはじまるところだ。公園の最寄り駅は数あれど、ここまで公園直結の駅はあんまりないんじゃないかと思う。駅前にはセブンイレブン一軒と、コーヒー屋さんや居酒屋が数軒並んでいる程度で、昼も夜も穏やか。この駅前の静けさも、長く住んでいられる理由のひとつだった。


井の頭公園駅前。お花見の時期を除けば、基本的に落ち着いているエリア

公園にはテイクアウト専門のカフェや、ベトナム料理の店もある。木々が並ぶ公園の中からふいに店が現れるので、初めて見たときは結構びっくりした。

さらに奥の方まで歩くと、井の頭弁財天にたどり着く。井の頭公園といえば、井の頭自然文化園(動物園)やボート場のイメージが強いかもしれないが、当時学生で自由に使えるお金をあまり持ち合わせていなかったわたしにとっては、「大きい池と木々とお寺のある公園」だった。緑と水に囲まれ、ぽっかりと浮かぶお寺の姿はどの季節も美しい。とある年明けの午前0時過ぎ、うちに泊まりに来ていた大学の友だちと参拝に行ったりもした。


井の頭公園からなら、三鷹の森ジブリ美術館まで歩いて十数分ほど。公園や街にはトトロの看板もある。


家の場所を聞かれて「井の頭公園の近く」と答えると、誰しもが羨んでくれていたけれど、いいことばかりじゃない。自然豊かな公園の近くに住むということは、生き物も多いということだ。

古いアパートだったからか、年がら年中家の隙間を見つけた虫たちが侵入し、無断で寝泊まりされていた。いちばん厄介だったのはセミである。うっかり一日中干しっぱなしにしていたバスタオルを夜に取り込んだら、セミがくっついていたのだ。なんとか追い出そうとするも、ベッドの下に隠れてしまったため、一晩セミと夜を明かすことになった。最終的には翌日の夜、壁に移動していたセミに向かってバスタオルを振り回し、セミをタオルにくっつけさせ、また窓の外でタオルを振り回し逃すことに成功した。家にセミが入ってきたときの対処法を習得することができたが、この日以来一度もこの経験を生かしたことがない。

少し歩けば商業エリアも大充実


ヤマダ電機ができたのは引越した後。たしかここか隣にスーパーのライフがあり、いつも利用していた

公園はなにもしなくてもいい、お金がなくてものんびり過ごせる素晴らしい場所である一方で、暮らしをする上で必要なものを手に入れるには、市街地へ出る必要があった。買い物やほかの街へ出るときに使うのはもっぱら吉祥寺だ。

頼りになるのがセブンイレブンだけである井の頭公園駅とは反対に、吉祥寺駅周辺はなんでも揃っている。その便利さをもっとも体感したのは他の街へ引越したときだ。スーパーはあっても電器屋まで行くには電車に乗る必要があったり、本屋はあっても映画館はなかったり。それなのに、吉祥寺ときたら、電器屋だけでも3つあり(住んでいた当時はヨドバシカメラだけだったけれど、それでも十分だった)、映画館も吉祥寺 オデヲンと吉祥寺プラザの2つがあり(残念ながら吉祥寺プラザは2024年の1月に閉業してしまう)、ニトリもあり、マルイもアトレもPARCOも東急もコピスもある。「ほかの街へ行かなければ買えないもの」がほとんどなかった。


オデオンで『LIFE!』を観た帰り道、感動して家まで猛ダッシュした思い出がある

大型書店から独立系書店まで 本好きにはたまらない街

もともと本屋が多い街に住みたいと思って西荻窪を候補に入れていたけれど、吉祥寺も本屋が多い。前述のような商業施設にチェーン大型書店が入っており、サンロード商店街には「BOOKSルーエ」、東急のほうには古本やリトルプレスを扱う「百年」がある。

バーコードのついている大手出版社の本は「BOOKSルーエ」で購入し、毎回カバーをかけてもらっていた。


「百年」は入口の扉を開けると、左側に小さな窓がついている。初めてお店に入ったとき、この窓のそばで本を眺めている人の佇まいがフェルメールの絵画のようで、思わず見惚れてしまった。


個人で制作された「リトルプレス」の存在を知るきっかけとなったのが「百年」だ。お店には判型もページ数もデザインもさまざまなリトルプレスが置いてあり、棚を眺めるだけでもしみじみと楽しい。


個人誌『おいしいが聞こえる』と初の商業出版作品の『転職ばっかりうまくなる』をどちらも入り口前の平台に並べてくださっていた

近くに住み、ときどき足を運んでいた学生時代はまさか自分がつくることになるとはまったく考えてもいなかったが、吉祥寺エリアを離れて6年が経ち、個人誌をつくることになったとき、真っ先に「取り扱いをお願いしたい」と思い浮かんだのがここだった。

個人誌を置いていただけることになった1年半後、今度は商業で出版した本をお取り扱いいただけることになり、刊行記念イベントまで開催いただいた。自分の本が「百年」に並んでいるのを見ると、未だに不思議な気持ちになる。

書店帰り、本を読める喫茶店と名物カレー

競争率も、おそらく家賃も高いであろう吉祥寺の駅前は、お店の入れ替わりが激しい。先月行ってみようと思っていた飲食店が閉店している、という経験は住んでいた頃だけで何度もある。しかし、昔から長く地元に愛されている名店も残っている。

ひとつが、「くぐつ草」だ。レーズンが銀河に浮かぶ惑星のごとく、ぽつりぽつりと乗せられているライスに、辛くないようで意外と辛いカレーがセットになったくぐつ草カレー。ルーはしっかりと辛さがあるけれど、レーズンが「まあまあ」と間を取り持つように甘みを運んできてくれる。辛いカレーは苦手なのに、また食べたくなる引力についつい引き寄せられてしまう。ちなみに住んでいた頃は外食にお金を使う余裕がなかったので、くぐつ草でカレーを食べられるようになったのはここ数年の話である。

もうひとつが、喫茶店の「ゆりあぺむぺる」だ。公園に一番近い南口を出てすぐのところにある。前述の通り経済的な理由で食事をしたことはなかったが、BOOKSルーエや百年で本を買った後、何度かコーヒーを飲みに立ち寄った。当時は1階が喫煙可だったので、お客さんの年齢層が高めで、人混みに疲れたときにほっとできる場所だった。


離れた後もこの街に通うのは、吉祥寺への未練ではなくて

思い入れのあるお店は吉祥寺にあっても、なんだかんだ過ごす時間がいちばん長かったのは井の頭公園だったと思う。当時行きたくても行けなかったお店を訪れる機会は、むしろ引越してからのほうが増えている。去った後も頻繁に遊びに行っているのは、「懐かしさや安心感があるから」というよりも、「吉祥寺に未練が残っているから」なのかもしれない。

それでも、吉祥寺の東京らしいまぶしさを感じながら過ごした井の頭公園での暮らしの記憶には、暗い翳りや湿っぽさがない。お金がなくても、公園には自分の居場所があると思えたことが、「ここにいてもいいんだ」と安心できたことが、心細く過ごしていた日々を包み込んでくれていた。


引越して何年も経った今でも、ときどき用事をつくっては吉祥寺のあたりへ出かける。そのときは決まって、永福町で各駅停車に乗り換えて、井の頭公園駅で降り、公園を抜けながら吉祥寺駅へ向かう。当時を思い出しながら住んでいた頃の道を歩いていると、昔より経済的に余裕のできた今住んだら吉祥寺への未練がなくなるだろうか、と考える。

ああ、違う。「お金があればもっと楽しめただろう」と、あの頃の埋め合わせをするように吉祥寺のお店を巡っているつもりでいたけれど、心残りに感じているのは「吉祥寺で思いきり遊べなかったこと」に対してではなかったんじゃないか。

お金がなくて、欲しいものも十分には買えなくて、いつもなにかが不足している、井の頭公園で過ごした日々。きっと自分が思っているよりも、公園やここで過ごした日々のことを気に入っていたのかもしれない。来月のお米を買えるか危ういのに、喫茶店でコーヒーを飲む背徳感。何度も本屋さんの店内をぐるぐると回って、購入する1冊を選ぶ楽しさ。「お金さえあれば」と何度も思いながら、足りない豊かさを噛み締めて過ごした時間は、いつのまにかあの頃の自分だけのものになっている。

昔の家の付近を通り過ぎて、思い直す。ほんとうに未練があるのは、この公園のそばで過ごした暮らしのほうだったんだ、と思った。

著者:ひらいめぐみ

1992年生まれ、茨城県出身。20代で6回もの転職経験を綴ったエッセイ本『転職ばっかりうまくなる』(百万年書房)が好評発売中。

編集:小沢あや(ピース株式会社