隣に銃砲店、角には崩れ落ちそうな古本屋。刺激的な新宿のビルから私は大人になった|文・宮﨑希沙

著: 宮﨑希沙
自分のこれまでのことを振り返って、なぜ今の私が出来たのかという出発点や分岐点を思い出してみると、そこはいつも新宿だ。


今私は自分で会社を作ってアートディレクター・グラフィックデザイナーとして仕事をしているが、元々はデザインがどんな仕事かなんて知らなかった。幼少期から絵を描くのが好きで、絵本を読みお絵かき教室に通い、親や周りの大人たちにも褒められ、自然に自分の特技として認識していった。小学校低学年で「りぼん」「ちゃお」などの少女漫画雑誌に衝撃を受けて、そこから漫画風の絵しか描かなくなった時期に親を落胆させたりもした。授業ノートにオリジナル漫画を描いたりしていたけれど、「ストーリーを考える」ことが出来ず、なりたいのは漫画家とは違う、と小学校5年生頃には思っていたと思う。そこから中学生にかけてファッションや音楽が好きになり、「おしゃれ」「カッコいい」「センスある」と言われることがステータスになっていった。バンドを始めて、高校生で軽音部に入ってからはライブのフライヤーやセットリスト、バンドTシャツなどを作って、これがデザインってことなのかな?と思い始める。
学校ではある程度の成績を取れていたけれど、自分の中では進路は美術大学とずっと決まっていた。幸いにも広告関係の仕事をしていた父親、美大卒の母親は全く反対せず美大受験の予備校に通わせてくれた。親のアドバイスもあり選ぶとしたらデザイン科なのかな?と何となくコース選考したのだと思う。

美大を受験するのに必要な実技(デッサン、平面構成、立体構成など)の練習をする特殊な予備校は、都内に有名校が何校かあり、高校2年生の夏休みに基礎科と呼ばれるコースに入った。私が選んだのは、実家から電車一本で通える当時新宿二丁目のど真ん中にあった予備校だった。隣にはなぜか銃砲店、角には崩れ落ちそうな古本屋、増築したプレハブのモチーフ小屋が屋上にくっついていて地下には生徒達の小腹を満たす駄菓子が大量に置いてある画材屋兼購買があり、一棟丸ごと美大受験生が詰め込まれた薄暗いビル。今は移転してしまってもうその場所に予備校は無い。


小学校から高校まで女子校で過ごしていた私は、まず同年代の男子が沢山いる環境が初めてで、しかも全員が美大を目指している=自意識の洪水状態。ただでさえ思春期の子たちが集まって、しかも服装や髪型などお互いがお互いを見定めている状態は、正直絵どころではなかった。「イキリ」まくっていた私は、眉毛を全剃りにして超ショートカット、ドクターマーチンを履いてフードを深く被り煙草を隠し持って通っていた。

しばらくすると環境に慣れて、フランクに話しかけてくれる私服で都立高校へ通うオシャレな子たちと初めて仲良くするようになる。世界が広がった瞬間だった。私立高校の子が多めではあったけれど、いろんな環境の子がいた。芸術科がある高校に通っている子たちはかなり尖っていて目立っていた。高校3年生になると浪人生とも同じ階にいるようになり、10浪以上している明らかに年長の汚れたツナギを着た人とかもいてびっくりする。好きなバンドのTシャツを着ていると喫煙所にいる浪人生に「おっ」と言われてドキドキしたり。受験目前の時期になると地方から授業を受けに来る子も多く、当たり前だけど「東京以外でも絵が上手な人がこんなにいるのか」と。「東京」以外が日本のほとんどだということを、東京生まれの私は知らなかったのだ。

予備校で課題を与えられて絵を描くと最後に「講評」を行う。生徒が前に自分たちの絵を全て並べた上で、講師たちが順位を付けて並べ替え、一人ずつ評価とアドバイスをしていく。このシステムは存分に私たちの自尊心を刺激し、傷付けた。全員が今まで周囲から「絵がうまい」と言われてきた訳で、大袈裟に言えばそこで初めて世界を知ったようなものだ。受験なのだから順位を付けるのはしょうがないのだけれど、いわゆる「受験絵画」と呼ばれる技術は特殊なもので、傾向と対策をした上で自分勝手に好きな絵を描けるわけではなく、そのシステムが合わず実技受験を辞めて推薦枠へいった友人も何人かいた。


結果的に高校生での現役受験で国立の美大しか受けず、落ちた私はそこで2浪することになる。なのでその予備校には4年間通っていたことになるのだが、人生で最もモラトリアムな期間だった。今振り返ってもくすぐったい気持ちになる。

同じ目標を志す同世代の子たちが一年を通じてクラスに分かれて画力を競い、他校も含めた全国コンクールも行われた。コンクールは模擬試験の形式で本番と同じ時間で行われるため、かなり緊張感のある1日なのだけれど、終わって講師が結果を出すまでの数時間の間は、友人たちとソワソワしながら当時500円で中華弁当を買えた「隨園別館」に行ったり、ジョナサンのドリンクバーでオリジナル混ぜまくりドリンクを作って、不安な気持ちを隠すため過剰にはしゃいだり。終われば打ち上げで笑笑へ行ってくだを巻いたり泣いたり、持て余した体力と食欲をぶつけに牛角の焼肉食べ放題に行ったり。(予備校の真隣にあったのだ)



他人の前で自分の絵に点数をつけられたり講評されるのは自分にとって恥を晒すような行為で、思春期の自意識も相まって耳が真っ赤になるほど恥ずかしくなったり、絵を破るほどイライラする子がいたり、廊下の隅っこで泣いたりする友人がいてもそっとしておいた。感情を剥き出しにして恥部を見せ合っていた友人とは絆が深く、大学はそれぞれ別に進学した今でも仲良くしている。この原稿を書く時に「新宿で覚えてる店ある?」とグループLINEしたらみんな速攻で返してくれたくらい。

今思い返すと新宿の街は居心地が良かった。小中学校までは渋谷で遊ぶ事が多かったけれど、それよりも大人の街に感じたし、圧倒的に多種多様な人たちがいた。新宿二丁目のゲイタウンの中を通ったのも初めてだったし、ゴールデン街の店に入る勇気はないけれど薄暗い通りを流すだけで通(ツウ)になった気持ちになれた。酔い潰れた大人を初めて目の当たりにしたションベン横丁の、中華居酒屋の岐阜屋にはまだたまに行く。歌舞伎町のギラギラを通り抜けたコマ劇前で、皆でボーリングをする時待ち合わせをしている時間のどこか誇らしい気持ち。西口方面にはまだブート屋も多くあってコピーCDやDVDがたくさん並んでいるのにカルチャーショックを受けた。クリスマスは講師が伊勢丹の地下でキラキラしたケーキを買ってきてくれて皆で食べた記憶がある。巨大な庭園・新宿御苑では着彩スケッチ会が行われたり、受験が終わった後の小春日和に花見をした。友人がバイトしていたスープ屋があった、入り口にライオンがいる三越や、正月初売りの買い物をしたFlagsに入っていたAnd Aはもう無い。新宿末廣亭の真向かいにあったギャラリーで予備校の友人たちとグループ展をしたけれど、そこも無くなってしまった。


サラリーマンも多いのに多種多様な人がグラデーションでいる街は他に無いような気がする。危険な目にあった記憶も無く、街自体に多様性を受け入れる懐の深さがあり、けれど新宿の中でもいろんなエリアがあって、それぞれのテリトリーを守る秩序のようなものが存在していたと思う。少し背伸びしたものを見せてくれて、自立したかっこいい大人が多い街。
大学生になってzineを作り始めた私は、それを納品しに独立系書店・模索舎やIRREGULAR RHYTHM ASYLUMに通った。カレーパーティーもした。新宿の個人店店主はみな優しく、どんな人でも集いやすい感じがしていた。2011年の震災後に、初めて恐る恐る参加した反原発デモも、信頼する大人がたくさんそこにいた、新宿でのサウンドデモだった。ECDのマイクパフォーマンスを覚えている。

社会経験の舞台も新宿だった。人生で初めてのアルバイト経験は、紀伊國屋書店新宿本店の美術書売場。高校まで校則が厳しく、長期休みに単発のアルバイトしかした事が無かったので、浪人中にアルバイトをする時間が出来た時、絶対本屋がいいと思った。当時はアルバイトでも社割で沢山新刊の書籍が買えた。定価では手が届かないと思うような金額の洋書、少し背伸びした内容の哲学書、知らなかったけれど装丁が素敵な写真集など、バイト代で買いまくっていた。その経験は確実に今にも影響を及ぼしている。社員さん達も優しく書店文化を愛する人たちで、受験時期になると辞める私を2年連続快く送り出してくれた。このビル一棟丸ごとの巨大書店がいまだに新宿にある事は、かなり心の支えになっている。

新宿三丁目の薄〜いビルにあったカレー屋・草枕でのアルバイトも、確実にエポックメイキングな出来事だった。大学に入ってからも、遊び慣れた街新宿に通いたくて、何度かカレー好きの友人と食べに行ったことのあるこぢんまりとした店を思い出した。今や移転して広くなり行列の出来る大人気店だけれど、その当時は10席程度しかない小さい店だった。面接を受けてから返事がしばらく無かったので、落ちたのかなーと思っていたら店主・馬さんからのっそりとした合格メールが来たのを覚えている。飲食店でのバイトが初めてだったのでかなり構えて行ったのだが、ミュージシャンや演劇人、カメラマンなど自由人が多くアルバイトで所属していて、そこで出会ったいろんな大人達に可愛がってもらい、社会人という生き方の捉え方、考え方の幅がかなり拡張された。


そして、私は草枕で知り合った人と結婚し、今現在大塚でお店を開いて、その上の2階で仕事をしてこの原稿を書いている。

いつも舞台は新宿で。私を大人にして、感受性と視野の広さを与えてくれた街。

著者:宮﨑希沙

宮﨑希沙

アートディレクター・デザイナー。KISSA LLC代表。
グラフィックやエディトリアル、コミックス、webなどを軸に幅広いクリエイティブを手掛ける。読書クラブ・Riverside Reading Clubメンバーで、長年のzinester(=小冊子を作る人)。最新刊は「My Lost “C” in TOKYO」。趣味はカレーを食べること。
https://kisamiyazaki.com/
https://messpressed.thebase.in/
Instagram @kisaaaaa

編集:ツドイ