相方と出会い、夢をかなえてくれた茨城県鉾田市│文・竹内まなぶ(カミナリ)

著: 竹内まなぶ(カミナリ)

相方・たくみと過ごした幼少期


茨城県鉾田市(ほこたし)。南東部の海沿いにあるこの街で僕は生まれ育った。

カミナリは茨城弁の掛け合いをする漫才を芸風としているので、もちろん相方のたくみも同郷だ。

たくみと出会ったのは保育園の頃だが、会話をした覚えはほとんどない。その代わりに、僕が砂場で遊んでいるとたくみが砂をかけてくるのだ。最初はすごく嫌だったが、どうやらその様子を見た周りの友達が笑うから俺に砂を投げていたらしい。それに気づいてからは、僕も抵抗するのをやめた。

保育園ではそれだけの関係だったが、たくみは僕の実家で営んでいた「スーパータケウチ」にお母さんとよく買い物に来てくれていた。たくみはお母さんが買い物している間に僕の部屋で遊んでいたのだが、そのときはいじめられることもなく、僕のことを好いてくれているんだなという気持ちが伝わってきた。

当時は僕がたくみにおもちゃの使い方を教えてあげていたのだが、その関係性は大人になった今でも変わっていない。コンビで行く日頃の食事の予約 をするのはもちろん僕だし、なんならたくみの家族だけが行く食事会からたくみの家族旅行(もちろん僕は行かない)の計画まで、全部僕が担当している。

たくみとは小学校は別々だったが中学校でまた同じになり、休みの日には一緒に短編映画を作っていた。スケボー初心者の僕がだんだん上手くなるという内容で、撮影や監督を担当するのはたくみだ。

動画を編集するパソコンなんてなかったから、一発撮りした映像を繋げて完成した映画を家のテレビに繋げて見ていた。スケボーと畑が広がる背景はミスマッチだけど、逆にそれが面白かったのかもしれない。

中高生の頃は、東京にもたまに遊びに行くようになった。東京のイケてる高校生の流行は、スーパータケウチになぜか置いてあった「Men's egg」でチェック。一時期、夏用のストールを巻くのがかっこいいという風潮があったので、ストールを巻いて自転車を漕いでいたら、母ちゃんに「みっともないから首のやつ取れ」と言われたのを覚えている。田舎の人からしたら、夏に首に何かを巻くというのは考えられなかったんだろう。

鉾田市の外食は「グリルあらの」と「もんく」で

外食するときは、近所にあるレストラン「グリルあらの」によく行っていた。今でも帰省時にたまに行くのだが、食べるのはみそかつ定食と決まっている。ここのみそカツは名古屋のようにみそがかかっているのではなく、カツの中に柚子みそを閉じ込めたオリジナリティのあるものになっている。

店長さんは名古屋のみそカツを一度も食べたことがなく、想像でつくって出来たものらしい。ちなみに柚子は近所の家で取れたものを使っている。鉾田に来ることがあれば、ぜひ食べてみてほしい。

飲食店といえば、「もんく」という喫茶店にもよく行っていた。ナポリミートというナポリタンの上にミートソースが乗っているものを食べていたのだが、残念ながら数年前に閉店してしまった。が、今でも鮮明に残っている思い出の味だ。

鉾田の人々の生活を支えた「スーパータケウチ」


先にも少し書いたが、僕の実家は両親が「スーパータケウチ」というスーパーを営んでいた。小学校に入るまではお店が僕の遊び場で、買い物に来たお客さんに絡みに行ったり、たくみとエロ本をレジ前で広げて読んだりしていた。

スーパータケウチは鮮魚をメインに売っていたので、水戸の魚市場にもたまに連れていってもらっていた。よく売れていたのは、マグロのブツ切りやボラ。珍しいもので言うと、イルカも売ることがあった。東京に住んでいるとなかなか食べないが、ネギと一緒に煮込んで食べると美味しい。コラーゲンの量が豊富で食感も良いのだ。

地元で愛されていたスーパータケウチだが、惜しまれながらも今年の3月末で閉店した。「お世話になりました」「これから刺身はどこで買えばいいのよ」という声もたくさんいただいた。今では地元に帰ると、カミナリの応援よりお店のことの方を言われる方が多い。こんなに愛されていたお店だったのかと、閉店してからより実感した。

大袈裟かもしれないけど、スーパータケウチは地域の人の生活を支えていたと思う。震災で物流が厳しい状況でも店を開けていて、足の不自由な方の家には配達も行っていた。在庫がなければ隣町のスーパーまで買いに行って届けていた。みんなの力になりたいという思いが強かったのだ。

そんな働き者の両親はほとんど休むことなくお店を開けていたので、なかなか家族旅行に行けなかった。でも僕が小学4年生のとき、どうしても飛行機に乗りたかった僕のためにお店を2日閉めて北海道に連れてってくれたことがある。めっちゃ嬉しかった。

ただ、ホテルにチェックインした後、旅行慣れしていない父親が部屋着の浴衣でフラフラと外に出てきたことに姉がブチ切れたので、かなり気まずい旅行となった。

高校時代を過ごした街、水戸

高校は水戸にある学校に通っていて、近くにある「Under Pass Tracks」というレコードショップのビニール袋を持って学校に行くのがめちゃくちゃかっこいいとされていた。だからターンテーブルなんて持ってないのに、レコードをよく買いに行っていた。

水戸はヒップホップカルチャーが熱い街だ。僕も小学生の頃から姉の影響で、水戸発の3人組グループLUNCH TIME SPEAXをはじめとするヒップホップ音楽にハマっていた。クラブやラップバトルの誘いはビビって全部断ってしまっていたのだが、もしどっぷりと通っていたら今頃は芸人ではなくラッパーになっていたかもしれない。

水戸でよく食べていたのは、「長崎亭」の唐揚げ定食や「あじ平」のチャーシュー定食。あじ平には結婚する前に奥さんと一緒に行ったことがあり、「彼女と来たよ」という言葉と共に書いたサイン色紙が今でも飾ってあるはずだ。

あとは「松五郎」のスタミナラーメン。太麺の上にレバーやカボチャが入った甘辛餡がかかっている茨城独自のラーメンだ。当時はスタミナラーメンが茨城のソウルフードだと知らず、上京後に東京で食べようと思って調べたら、全然検索にヒットしなくて驚いたものだ。

水戸の飲食店をいくつか挙げたが、実際に一番よく行っていたのはサイゼリヤだったりする。サイゼリヤといえばみんなミラノ風ドリアを食べるが、僕だけ1000円くらいするリブステーキを食べていた。それだけでみんなが笑ってくれるので、当時はリブステーキしか食べられなくなってしまっていた。

ネタづくりの基準は「茨城の人が笑ってくれるか」


高校卒業と同時に茨城を離れ、上京した。当初は姉や妹と暮らしていたが、芸人を始めるタイミングでたくみと地元の友だちと3人で共同生活を始めた。 やっぱり生活や仕事を共にするパートナーは、よく知っている人じゃないとちょっと厳しい。

お笑いのネタをつくるときも、「茨城の人が笑ってくれるか」を基準にしている。「東京に染まったな、そんなんじゃなかったじゃん」と思われることが一番恥ずかしいので、言葉遣いや話すスピードは地元のじいちゃんやばあちゃんが理解できる範囲にしている。そのおかげで老若男女にウケるネタがつくれるようになったとも思う。

カミナリの初の単独ライブも、鉾田市の公民館で開催した。当時の僕らは漫才ではなくコントスタイルだったのだけど、その日はなぜかウケが悪く、イライラしたたくみが僕の頭を叩いたのだ。

それがものすごくウケて、今のカミナリの頭を叩くスタイルの笑いが誕生した。どうやらネタにストーリーをつくり込むより、パッと見ただけでわかりやすい動きを取り入れた方が笑いに繋がるらしい。僕らが本格的にお笑いの活動を始めたのは上京後だが、カミナリのお笑いのスタイルは鉾田市で生まれたのだ。

初の単独ライブを行った2014年、鉾田市の市長さんに「鉾田大使にしてください」と言ったときは、「まだ早い」と言われた。その後M-1グランプリの決勝戦に出たら、市長さんから「鉾田大使になってくれ」と連絡が来た。鉾田大使になれる基準は、M-1グランプリの決勝だったみたいだ。

夢は茨城にテレビ局をつくること


上京して長いこと経つが、茨城への愛は変わらない。地元の魚が一番美味しいと思うし、東京のスーパーに茨城県産の野菜があると安心する。

茨城に関する仕事もたくさんいただけるようになり、本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。昔は「鉾田」というワードを出すと「読み方がわからない」と言われがちだったけど、今では「あ、鉾田ね」と理解してくれる人が増えた。地元に貢献できているんだなと実感すると「やっててよかったな」と思う。

あと、実は子どもの頃、鹿島アントラーズの選手になってピッチに立つという夢があった。

お笑いの道に進んだのでその夢はかなわなかったのだが、5年ほど前に鹿島アントラーズのピッチに芸人として立つことができた。93年にJリーグが開幕したときからずっと通っていた、憧れの地だ。つくづく茨城は夢をかなえてくれる場所なんだなと思う。

最後に、今後茨城県でかなえたい夢を書いておこう。それはテレビ局をつくることだ。茨城は、全国で唯一民放のテレビ局がない。

今はカミナリのYouTubeチャンネルで茨城のことを発信しているが、いつか地上波で茨城の魅力を届けたい。僕たちが司会のバラエティ番組もつくりたいし、CMはもちろん鹿島アントラーズだ。

茨城で夢をかなえてきた僕らなら、実現する日も遠くないかもしれない。どうか楽しみにしていてほしい。

著者:竹内まなぶ(カミナリ)

茨城県鉾田市出身。お笑いコンビ・カミナリのボケ担当。M-1グランプリ2016・2017ファイナリスト。趣味は鹿島アントラーズを応援すること。鉾田大使・いばらき大使としても活動している。

編集:小沢あや(ピース)